<?xml version="1.0" encoding="UTF-8" ?><!-- generator=Zoho Sites --><rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom" xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"><channel><atom:link href="https://www.thegreencatalyst.com/blogs/culture-and-arts/feed" rel="self" type="application/rss+xml"/><title>The Green Catalyst - Blog , Culture and Arts</title><description>The Green Catalyst - Blog , Culture and Arts</description><link>https://www.thegreencatalyst.com/blogs/culture-and-arts</link><lastBuildDate>Sat, 02 May 2026 06:05:22 +0200</lastBuildDate><generator>http://zoho.com/sites/</generator><item><title><![CDATA[芸術は常にヒューマニティーと結びついている]]></title><link>https://www.thegreencatalyst.com/blogs/post/20240531</link><description><![CDATA[<img align="left" hspace="5" src="https://www.thegreencatalyst.com/files/Blog after 20230324/20240531.jpg"/>チェコ共和国の最初の大統領となったVaclav Havel（ヴァーツラフ・ハヴェル）さんは、「 教育は、さまざまな現象の間にある隠されたコネクションを見つけることのできる能力だ 」といった内容のことばを言っています。 ハヴェルさんは、もともと劇作家であり、芸術を通した反体制運動も行い、劇が体制によって中止 ]]></description><content:encoded><![CDATA[<div class="zpcontent-container blogpost-container "><div data-element-id="elm_7Xy6XOhCTBG0fAWsijOfMA" data-element-type="section" class="zpsection "><style type="text/css"></style><div class="zpcontainer-fluid zpcontainer"><div data-element-id="elm_JOVyfhxSR7-4a90SFjog8Q" data-element-type="row" class="zprow zprow-container zpalign-items- zpjustify-content- " data-equal-column=""><style type="text/css"></style><div data-element-id="elm_79aoFeVgTe-dNmfOgZldsw" data-element-type="column" class="zpelem-col zpcol-12 zpcol-md-12 zpcol-sm-12 zpalign-self- "><style type="text/css"></style><div data-element-id="elm_8_Vs5l29RmqTVjIZG5kDWw" data-element-type="heading" class="zpelement zpelem-heading "><style></style><h2
 class="zpheading zpheading-align-center " data-editor="true"><div style="color:inherit;"><h1 style="margin-bottom:18px;font-weight:700;">政治と芸術は切り離せない</h1></div></h2></div>
<div data-element-id="elm_nIjnysz6SzqLvwPR5KkpVg" data-element-type="text" class="zpelement zpelem-text "><style> [data-element-id="elm_nIjnysz6SzqLvwPR5KkpVg"].zpelem-text { border-radius:1px; } @media (max-width: 767px) { [data-element-id="elm_nIjnysz6SzqLvwPR5KkpVg"].zpelem-text { border-radius:1px; } } @media all and (min-width: 768px) and (max-width:991px){ [data-element-id="elm_nIjnysz6SzqLvwPR5KkpVg"].zpelem-text { border-radius:1px; } } </style><div class="zptext zptext-align-left " data-editor="true"><div style="color:inherit;"><p style="margin-bottom:36px;">チェコ共和国の最初の大統領となったVaclav Havel（ヴァーツラフ・ハヴェル）さんは、「<span style="font-weight:700;">教育は、さまざまな現象の間にある隠されたコネクションを見つけることのできる能力だ</span>」といった内容のことばを言っています。<br><br>ハヴェルさんは、もともと劇作家であり、芸術を通した反体制運動も行い、劇が体制によって中止されたこともありました。<br>チェコ共和国が成立するまでの長年の反体制運動や革命に加わっていたことで、ハヴェルさんは、何度も投獄されています。<br><span style="font-weight:700;">芸術は、さまざまなバウンダリーを越えて、人々の心に響き、それは、ほかの人々にも共鳴していき、それを止めることはできません</span>。<br>だからこそ、人々を抑圧する体制は、世界中のどの地域でも、どの時代でも、芸術家を牢獄に入れたりして、彼ら／彼女らの芸術をどうにかして黙らせようとするのでしょう。<br>人々を抑圧する体制側にとっては、ヒューマニティーで人々がつながることは、一番恐れていることです。<br>なぜなら、人々がヒューマニティーに気づき、つながってしまえば、この抑圧的な体制は崩壊するしかないからです。<br><br>世の中には、「芸術と政治は切り離されるべきだ」というもっともらしいことを言う人々もいますが、中国人アーティストのAi Weiwei (アイ・ウェイウェイ)さんが、<a href="https://www.middleeasteye.net/video/west-should-be-ashamed-ai-weiwei-art-politics-and-human-rights" target="_blank">Middle East Eyeの対話</a>で言っていたように、<span style="font-weight:700;">芸術はいつもヒューマニティーと結びついており</span>、<span style="font-weight:700;">（政治的な）アクティヴィストでない芸術家は死んだ芸術家だ</span>、というのは事実だと思います。<br>アイ・ウェイウェイさんは、この対話の中で、自分のアートは政治的なstruggle(ストラッグル／たたかい)と全く関係ない、という芸術家の宣言は、既に、とても政治的な宣言であるとしています。<br>なぜなら、ヒューマニティーや判断・考えることから自分を切り離すことはとても難しいstruggle(ストラッグル／たたかい)だからです。<br><br><span style="font-weight:700;">ヒューマニティーは、世界中でつながっています。<br>難民問題、人種差別、女性・子供への暴力や搾取等は、すべてつながっています。</span><br><br>アイ・ウェイウェイさんは、「Human Flow （日本語タイトルは、ヒューマン フロー大地漂流 のようです）」という２３か国、４０以上の難民キャンプを追うドキュメンタリー映画を２０１７年に公開しました。<br>この映画をとった理由は、アイ・ウェイウェイさん自身が、詩人だった父が体制にとって都合が悪い存在だった為、２０年近く中国内の強制労働キャンプに収容されたのに伴って、自分も自国内で難民のように育ったことからきています。<br>詩人だった父は、２０年以上、詩をつくることを許されなかったそうです。<br>これは、この当時の多くの中国人知識層に起こったことです。<br>この経験から、アイ・ウェイウェイさんは「発言の自由」の大切さを痛感しています。<br>「<span style="font-weight:700;">発言の自由は、政治的な宣言をもつべきだということではなく、自分の独自の見方や、自分独自の声（意見・発言）をもつことだ</span>」とし、現在の中国共産党のように全体主義を推し進める人々には、自分のような、皮肉や批判的な目をもちユーモラスであることは、体制にとって危険とうつる、としていました。アイ・ウェイウェイさんは、「<span style="font-weight:700;">敵の目（＝体制側）にうつる自分の姿から、自分の力を知る</span>」といいます。<br>なぜなら、体制側が、アイ・ウェイウェイさんに力がないと思っていれば、牢獄に入れたりせず、ただ単に無視すればいいだけだからです。<br><br>アイ・ウェイウェイさんは、<span style="font-weight:700;">難民問題が歴史的・社会的・経済的な問題</span>であることも深く理解しています。<br>世界の９割近い地域が数百年にわたり、一握りの植民地宗主国（西ヨーロッパの白人・キリスト教国）によって植民地されたことが、現在起きている難民問題の根本的な大きな理由ですが、西側諸国はそれを無視しています。<br>旧植民地は資源を搾取され貧しく、また植民地宗主国が勝手に国境を決めたり、支配をたやすくするために特定の民族を優遇することにより、地域の原住民たちをお互いに憎しみあい疑いあって争うように仕向けた時代も長く、植民地支配が終わったからといって、政情の不安定さは残ります。<br>また、旧植民地国の多くは、鉱物資源（ダイヤモンド、金、石油・ガス等）をもっており、それらを支配するために、西側諸国の介入（西ヨーロッパの力が弱まってからはアメリカが大企業を通してコントロール、鉱物資源を国有化しようとすれば、西側諸国がさまざまな理由をつけて侵略・政権交代のクーデーターを起こし西側諸国のいうことを聞く傀儡政権をたてる）が今も続いています。<br>西側諸国（＝元植民地宗主国）が、元植民地国がいつまでも自分たちが搾取できる労働力・資源であることを巧妙に行うことから、いつまでたっても元植民地国が貧しく政情不安定な状態となり、それが難民が西ヨーロッパを目指して移動せざるをえない状況をつくりだしています。<br>その上に、気候変動は、実際に気候変動を引き起こしているの大きな原因は西側諸国であるものの、飢饉や洪水で苦しんでいるのは、この気候変動にほぼ関係していない元植民地国の人々です。<br>アイ・ウェイウェイさんは、これらの事実も映画で照らし出したものの、現在のところは、現実には何も寄与していないように見える（＝政治的な変化はまだ見られない）、としていました。<br>個人的には、現在多くの若い人々や老人たちも、気候変動についてアクティヴに動いており、一見何も起こっていないようにみえても、さまざまな地球上の場所で変わり始めているように感じます。<br>多分、こういった変化はじわじわとしみわたっていて、ある瞬間に表に出てくるのではないかと思っています。</p><p style="margin-bottom:36px;">アイ・ウェイウェイさんは、映画をつくった効果（＝難民問題・気候問題に対するヒューマニティーを誰もが共感して、地球上の誰もの自由や生きる権利が尊重され、政治的な変化も起こる）が感じられないとはしながらも、それに対して諦めの気持ちで苦々しく思っているわけではありません。<br>また、現在の中国のような統一国家は誰にとっても良いと思えず、<span style="font-weight:700;">自分の意見を発言する方法を見つけ（アイ・ウェイウェイさんは、中国内ではインターネット上の発言も消去されたり多くの制限がある）、発言し続けるのが自分の義務でもあると思う</span>、としていました。<br><br>アイ・ウェイウェイさんは、「<span style="font-weight:700;">私の人生は何らかの役目を果たすべきで、それが他の人々を助けることになることも願っている</span>」と言っていました。</p><p>アイ・ウェイウェイさんの人生への姿勢は、ハヴェルさんともつながっている気がします。<br>ハヴェルさんも、アイ・ウェイウェイさんのように、自分の信念に沿って、歩き続けました。<br>ハヴェルさんの以下のことばには、それがよく表れていると思います。<br><br>「私はオプティミスト（楽観主義者）ではありません。なぜならすべてがうまくいくかどうかについては、確かだとは思いません。私はペシミスト（悲観主義者）でもありません。なぜなら、すべてが悪い方向で終わるかどうかについては、確かだとは思いません。<br>私は、ただ<span style="font-weight:700;">Hope（希望）を私の心にもって歩き続けています</span>。<br><span style="font-weight:700;">（私にとっての）希望は、人生とWork（ワーク／仕事・芸術・政治的アクティヴィズムー自分の信念に沿って行うすべてのこと）は意味があると信じている感覚です。周りの環境がどうであっても、結果がどう出ようとも</span>」<br><br>ハヴェルさんは、同じく、以下の見解も述べていました。<br><br>「<span style="font-weight:700;">Human rights（基本的人権）は、ユニヴァーサルでIndivisible（インディヴィジブル／分割できないもの）</span>です。人々の自由も同様に分割できないものです。<span style="font-weight:700;">もし、それ（基本的人権と自由）が世界のどこかの誰かに認められていないならば、それは直接的・間接的にすべての人々に認められていない、ということになります。だから、私たちは邪悪なことや暴力を目の前にして沈黙のままいることはできません。沈黙は、単にそれら（邪悪なことや暴力）を促進することになります</span>」<br><br>アイ・ウェイウェイさんは、インタビュワーから、若い人々にいろいろなアドヴァイスを求められることがあると思うけれど、どんなことを言っていますか、と聞かれ、<span style="font-weight:700;">旅をすることをすすめている</span>、と答えていました。<br></p></div><p style="text-align:left;"><span style="color:inherit;text-align:center;font-weight:700;">アイ・ウェイウェイさん自身も２０代、３０代は、自分が何者なのか、自分が生きている理由はなんだろうと考えて苦しい時期を過ごした</span><span style="color:inherit;text-align:center;">そうですが、自分が知らない言語や文化、想像もつかなかったような人々との関わりのある旅を通して、さまざまな見方や自分のことも知ることになったそうです。</span></p></div>
</div></div></div></div></div></div> ]]></content:encoded><pubDate>Fri, 12 Jul 2024 17:29:57 +0000</pubDate></item><item><title><![CDATA[一人でみる夢はただの夢だけれど、みんなで一緒に見る夢は現実になる - Yoko Ono Exhibition at Tate Modern in London]]></title><link>https://www.thegreencatalyst.com/blogs/post/20240312</link><description><![CDATA[<img align="left" hspace="5" src="https://www.thegreencatalyst.com/pexels-francesco-ungaro-97558.jpg"/>先月（２０２４年２月１５日）から、Tate Modern&nbsp;（テイト現代美術館）で、Yoko Onoさんの 展覧会 が始まりました。９月１日まで開催されています。 Tate Galleryの Membership card （Tate Gallery傘下のすべての美術館ーTate Modern, Ta ]]></description><content:encoded><![CDATA[<div class="zpcontent-container blogpost-container "><div data-element-id="elm_DCDKv01DRZiXcMX4pbWoUQ" data-element-type="section" class="zpsection "><style type="text/css"></style><div class="zpcontainer-fluid zpcontainer"><div data-element-id="elm_XchHVbtaTQyTtmox-hy2aA" data-element-type="row" class="zprow zprow-container zpalign-items- zpjustify-content- " data-equal-column=""><style type="text/css"></style><div data-element-id="elm_Fk-DxV47RgmFhDykwe_hjQ" data-element-type="column" class="zpelem-col zpcol-12 zpcol-md-12 zpcol-sm-12 zpalign-self- "><style type="text/css"></style><div data-element-id="elm__1BI04f7Szuuv5nc1FqVRg" data-element-type="heading" class="zpelement zpelem-heading "><style> [data-element-id="elm__1BI04f7Szuuv5nc1FqVRg"].zpelem-heading { border-radius:1px; } </style><h2
 class="zpheading zpheading-align-center " data-editor="true"><div style="color:inherit;"><h1 style="margin-bottom:18px;font-weight:700;">一人でみる夢はただの夢だけれど、みんなで一緒に見る夢は現実になる - Yoko Ono Exhibition at Tate Modern in London</h1></div></h2></div>
<div data-element-id="elm_H12M5pFFQXuclxfxq2gdEg" data-element-type="text" class="zpelement zpelem-text "><style> [data-element-id="elm_H12M5pFFQXuclxfxq2gdEg"].zpelem-text { border-radius:1px; } </style><div class="zptext zptext-align-center " data-editor="true"><div><p style="margin-bottom:36px;"></p><div style="color:inherit;text-align:left;"><span style="color:inherit;">先月（２０２４年２月１５日）から、Tate Modern&nbsp;（テイト現代美術館）で、Yoko Onoさんの</span><a href="https://www.tate.org.uk/whats-on/tate-modern/yoko-ono" target="_blank">展覧会</a><span style="color:inherit;">が始まりました。９月１日まで開催されています。</span></div><div style="text-align:left;"><br></div><span style="color:inherit;"><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">Tate Galleryの</span><a href="https://shop.tate.org.uk/membership" target="_blank" style="color:inherit;">Membership card</a><span style="color:inherit;">（Tate Gallery傘下のすべての美術館ーTate Modern, Tate Britain, Tate St Ives等で有効）をもっているので、特別展では、一般の人々に公開される前の朝９時から１０時まがメンバーのみの時間として設定されている日が数日あり、２月の終わりに観てきました。</span></div></span><span style="color:inherit;"><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">ちなみに、メンバーだと特別展が無料となるだけでなく、メンバー専用のカフェ（テイト現代美術館には、最上階に近いガラス張りのカフェがり、２か所にあるバルコニーも大きく、片方からはセントポール寺院も目の前にみえる）にも入れます。眺めもよくて、お勧めです。</span></div></span><p></p><p style="margin-bottom:36px;"></p><div style="color:inherit;text-align:left;"><span style="color:inherit;">Yoko Onoさんは、イギリスではBeatles（ビートルズ）の解散の原因をつくった人という疑いが強くて、あまり良い感情を持っていないイギリス人が多い印象があります。</span></div><div style="color:inherit;text-align:left;"><span style="color:inherit;">私自身も、名前の発音は「Yoko」なのですが、Yoko Onoさんとは使われている漢字が違うので、「Yoko Onoと同じ名前なのね！」と言われることが多いのですが、毎回、日本語は、３種類の書き言葉（漢字・平仮名・カナ）があり、Phonetic（フォネティック／つづりがそのまま発音となるものー英語やヨーロピアン言語等だと、Phoneticのみ）なのは２つ（平仮名・カナ）で、名前にはIdeagraphic(イディアグラフィックかアイディアグラフィック／表意文字）である漢字（Kanji或いはChinese Charactersで通じます）が使われることが多く、同じ発音でも、違う表意文字を使っていて、全く別の名前だと説明するのですが、理解してもらうことが難しい場合もあります。</span></div><div style="color:inherit;text-align:left;"><span style="color:inherit;">中国語の文字は明らかに表意文字を使っているものの、ヨーロッパ言語はPhonetic（フォネティック）のみだと思うので、表意文字がどういうものか想像することすら難しいのは当然かもしれません。</span></div><div style="text-align:left;"><br></div><span style="color:inherit;"><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">Yoko Onoさんが既に９０歳を越えていたことは知らなかったのですが、見た後の印象は、とてもポジティヴで、ひとりのアーティストとしての価値をもった作品をつくりあげた人だということは確かです。</span></div></span><span style="color:inherit;"><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">彼女がパフォーマンス・アーティストだということは知っていたものの、音楽にも造形の深いアーティストで、自分の声を楽器のようにつかってメッセージを伝えることができるアーティストだということを初めて知りました。</span></div></span><span style="color:inherit;"><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">「John Lennon（ジョン・レノン）の妻」というバイアスでみられることも多いアーティストだという印象もあるし、ジョン・レノンとの共同作品だったり、彼の有名さが役に立った部分もあるとは思うのですが、ベトナム戦争が行われている真っ只中の戦争反対のメッセージや大きなポスターも、彼女自身の考えがよく現れていて、ユーモアもありつつ、</span><span style="color:inherit;font-weight:700;">平和を一緒に求めていこうと、周りの人々を優しくそのヴィジョンに近づけていこうとする、或いは、誰の中にもあるヒューマニティや優しさを自然とひきだしてくれる</span><span style="color:inherit;">のが印象に残りました。</span></div></span><div style="text-align:left;"><br></div><span style="color:inherit;"><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">パフォーマンス・アートなので、今回のような大きな美術館での静的な展示だと、Yoko Onoさんの存在と、それに参加した人々が呼応してアクションが起こるという部分がないのは、大切な部分が欠けていることは否めないものの、アイディアが形になるまでの課程が現れているのも興味深いものでした。</span></div></span><span style="color:inherit;"><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">Yoko Onoさんの日本語でのInstruction（インストラクション／手引）が、昔の綴りで、「おもう」ではなく「おもふ」等をみて、改めて第二次世界大戦中に既に小学生くらいだったんだな、と思いだしますが、作品は今見ても現代にも、恐らく未来にも即したものです。</span></div></span><div style="text-align:left;"><br></div><span style="color:inherit;"><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">展示場の入口には、日本でいうと七夕のような木が数本あり、そこに人々が願いを短冊に書いて結び付ける等、人々がアートに関れるものもありました。さまざまな戦争がヨーロッパの近くで起こっている今、「Peace（平和）」を求めるメッセージが多くあり、改めて</span><span style="color:inherit;font-weight:700;">アートは人々の心を開いて近づけるもの</span><span style="color:inherit;">だと思いました。</span></div></span><span style="color:inherit;"><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">展示会場を出ると、「Message to our Mums（私たちの母へのメッセージ）」という展示があり、これは、過去に行ったパフォーマンス・アートで、人々が書いたメッセージや写真からのArchive（アーカイヴ／記録）が廊下の一面に貼られていて、新たに付け足すこともできます。「My mom is beautiful（私の母は美しい）」等のメッセージもあれば、「My mother is a broken child （私の母は、壊れた子供）」といったものまで、さまざまでした。</span></div></span><p></p><p style="text-align:left;color:inherit;margin-bottom:36px;">私が好きなYoko Onoさんのメッセージは、以下ですが、「一人でみる夢はただの夢だけれど、<span style="font-weight:700;">みんなで一緒に見る夢は現実になる</span>」というのも、優しいヴィジョンをもったメッセージだと思います。</p><figure style="color:inherit;margin-bottom:36px;"><blockquote><p style="text-align:left;">A dream you dream alone is only a dream. A dream you dream together is reality</p></blockquote><figcaption style="text-align:left;">Yoko Ono Exhibition at Tate Modern in 2024</figcaption></figure><p style="color:inherit;margin-bottom:36px;"></p><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">また、「A HOLE（銃の開けた）穴）」という作品は、大きなガラスに銃弾が貫通した穴があり、“A HOLE GO TO THE OTHER SIDE OF THE GLASS AND SEE THROUGH THE HOLE.” （穴。反対側にまわって、銃の開けた穴をみて）というメッセージが示されています。これは、銃を撃った人の目線から、その銃の弾丸で撃たれた人や、その人の家族・愛している人々・コミュニティーへと自然と別の視点から考え感じることを可能にします。</span></div><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">シンプルな作品に見えるかもしれませんが、実際に最初に銃が入った方向からみて、銃が撃たれた側へと身体的に動いたときに、はっとさせられます。強い否定の言葉や叫びではなく、優しく語りかけられている気がします。それが、Yoko Onoさんの強みなのかもしれません。</span></div><p></p><p style="margin-bottom:36px;"></p><div style="color:inherit;text-align:left;"><span style="color:inherit;">&nbsp;Tate GalleryはYoutube Channelももっていて、アーティストとのインタビューや、パフォーマンス・アートとは何か、といったことを、楽しく観ることができます。</span></div><div style="color:inherit;text-align:left;"><span style="color:inherit;">Yoko Onoさんを含むパフォーマンス・アートについては、</span><a href="https://www.youtube.com/watch?v=6Z-YZ3A4mdkhttps%3A%2F%2Fwww.tate.org.uk%2Fwhats-on%2Ftate-modern%2Fyoko-ono" target="_blank">ここ</a><span style="color:inherit;">から、興味深いヴィデオがみられます。</span></div><div style="text-align:left;"><br></div><span style="color:inherit;"><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">ここでは、パフォーマンス・アートについて以下のような説明をしていました。</span></div></span><span style="color:inherit;"><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">※翻訳ではなく、このヴィデオの説明プラス私の考察も入っています。</span></div></span><div style="text-align:left;"><br></div><span style="color:inherit;"><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">ここでは、パフォーマンス・アーティストの</span><a href="https://www.tate.org.uk/search?q=Rasheed%2BAraeen" target="_blank" style="color:inherit;">Rasheed Araeen</a><span style="color:inherit;">（ラシード・アライーン）さんの作品がありますが、いくつかの建築物の部品のようなもの（キューブ上のもの）が雑然とおかれており、訪れた人々がそれを好きな場所に置いてつなげていくと、突然、生き生きとした空間と建築が生まれます。アートワークとスペース、そして参加する人々の間に、落ち着かず動いている生き生きとしたものを生み出します。こういったことが起こるとき、このワークは、performative aspect（パフォーマティヴ・アスペクト／パフォーマティヴな特徴）をもっているといいます。</span></div></span><span style="color:inherit;"><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">このアート・フォームが理解され始めたのは１９６０年代で、アーティストたちが</span><span style="color:inherit;font-weight:700;">伝統的な芸術のバウンダリーを壊し、芸術とは何か、どうあるべきかについて疑問をなげかけはじめた時期</span><span style="color:inherit;">でした。</span></div></span><span style="color:inherit;"><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">彼らは、静的な絵画や彫刻よりも、生きている要素が組み合わされたアートは、より現代の状況をうつしだしている、としました。</span></div></span><span style="color:inherit;"><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">同時に、彼らは、</span><span style="color:inherit;font-weight:700;">簡単に買ったり売ったりできないアートを作りたい</span><span style="color:inherit;">と思っていました。</span></div></span><span style="color:inherit;"><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">「パフォーマンス」という用語は、実演的な面をもっていて、かつ観衆によって目撃されたアートワークだと定義されるようになりました。</span></div></span><span style="color:inherit;"><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">でも、パフォーマンスが根付くにつれ、人々は（静的だと思われていた）絵画や彫刻もパフォーマティヴな特徴をもつことができることに気づきます。</span></div></span><div style="text-align:left;color:inherit;"><a href="https://www.tate.org.uk/art/art-terms/a/action-painters" target="_blank" style="color:inherit;">Jackson Pollock</a><span style="color:inherit;">（ジャクソン・ポロック）のアクション・ペインティング（観衆の前で絵具を投げつけて絵を描く）や、先述したラシードさんのキューブを組み合わせて建築をつくっていくように。</span><a href="https://www.tate.org.uk/art/art-terms/a/action-painters" target="_blank" style="color:inherit;"><br></a></div><span style="color:inherit;"><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">実際、多くのコンテンポラリー・アート（現代アート）は、パフォーマティヴな特徴をもっているようにみえます。</span></div></span><span style="color:inherit;"><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">パフォーマンスは絵画や彫刻のような表現手段ではなく、何で作られているかでもなく、パフォーマンスは、アーティストによって使われるツールーどのようにアートが私たち、私たち一般の人々が住む広い意味での社会にどう関わっているか、という疑問を投げかけます。</span></div></span><span style="color:inherit;"><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">パフォーマンス・アートは、しばしば実演や観衆という要素が関わるものの、必ずしもそうでないといけないというわけでもありません。</span></div></span><div style="text-align:left;"><br></div><span style="color:inherit;"><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">パフォーマティヴな特徴のある写真や文書を通してこれらの質問を投げかけることも簡単にできます。</span></div></span><span style="color:inherit;"><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">長くロンドンで活躍しているパレスチナ人女性アーティストのMona Hatoum（モナ・ハトゥム）さんが、足首にDoc Martens（ドクター・マーティン）のブーツの靴ひもを結び付けて裸足でBrixton（ブリクストン／南ロンドンの町。特にカリビアンからの移民が多い地域）を歩くというアクションを描写した</span><a href="https://www.tate.org.uk/art/artworks/hatoum-performance-still-p80087" target="_blank" style="color:inherit;">写真</a><span style="color:inherit;">は、静的なイメージではありますが、モナさんはこのパフォーマンスを通して、社会の主流から取り残された人々が、国家のコントロールや監視の道具にされる脆弱さを表現しています。（１９８５年のパフォーマンス・アートですが、この時代にはロンドンでも、今は違法となった白人至上主義の団体が大手をふっていて、警察も人種差別がひどいレベルで起こっていました。警察は有色人種や黒人に対しての正当な理由のない暴力や一斉検挙が行ってもなんの罰も受けない時代で、白人至上主義の団体のメンバーはスキンヘッドでこのドクター・マーティンのブーツをはいていることが多く、警察もこのドクター・マーティンの靴をよくはいていたことから、この作品となっています）</span></div></span><span style="color:inherit;"><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">モナさんは、この作品で、脆弱さだけでなく、その苦しい状態でも歩き続けることで、社会の隅っこに追いやられた人々のレジリエンス・強さも表現しています。</span></div></span><p></p><p style="text-align:left;color:inherit;margin-bottom:36px;">パフォーマンスは、芸術と生活の隙間でおこり、常にシフトしていて全体を定義することが難しいもので、パフォーマンス・アートを、「<span style="font-weight:700;">Settle（セトル／一か所に落ち着く）することを拒絶するアート</span>」と表現するアーティストもいます。</p><p></p><div style="color:inherit;text-align:left;"><span style="color:inherit;">絵画にしても文学にしても、アーティストたちは、とても深い観察眼をもっている人々のように思います。このTate GalleryのYoutube Channelからは、多くのアーティストのインタビューが無料で聞けるので、お勧めです。英語のSubtitles（サブタイトルズ／字幕）もついているので、さまざまな国の人々がさまざまなアクセントで話していますが、理解できます。</span></div><div style="text-align:left;"><br></div><span style="color:inherit;font-weight:700;"><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">【参考】</span></div></span><span style="color:inherit;"><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">Mona Hatoum（モナ・ハトゥム）さんについて書いた私のBlog記事</span></div></span><span style="color:inherit;"><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">https://www.thegreencatalyst.com/blogs/post/20231023<br><br>Steeve Mcqueen（スティーヴ・マックィーン）さん監督の実話を元にした、イギリスの黒人たちの物語。警察からの不当な暴力への抵抗や、当時のイギリスの社会もみえ、また、カリビアンからの移民たちの音楽もよくて、お勧めです。<br><a href="https://www.bbc.co.uk/programmes/p08vxt33">https://www.bbc.co.uk/programmes/p08vxt33</a><br></span></div></span><p></p></div></div>
</div></div></div></div></div></div> ]]></content:encoded><pubDate>Tue, 12 Mar 2024 16:30:46 +0000</pubDate></item><item><title><![CDATA[自分たちの物語を語り続けることの大切さ： パレスチナ詩人 Refaat Alareer（レファート・アラレア）さん]]></title><link>https://www.thegreencatalyst.com/blogs/post/20231211</link><description><![CDATA[<img align="left" hspace="5" src="https://www.thegreencatalyst.com/pexels-keira-burton-6624193.jpg"/>パレスチナ詩人で、英文学教授で、英語で詩を書いてきたRefaat Alareer（レファート・アラレア）さんが、イスラエルの爆撃により、１２月７日に、ガザ北部で他の６人の家族とともに亡くなりました。 イスラエル軍は、ガザの多くの 文化遺産や大学、裁判所、図書館等を爆撃 しています。 既に戦争犯罪となる、学校 ]]></description><content:encoded><![CDATA[<div class="zpcontent-container blogpost-container "><div data-element-id="elm_Znldq0h9SDiVJJL_d1iZwQ" data-element-type="section" class="zpsection "><style type="text/css"></style><div class="zpcontainer-fluid zpcontainer"><div data-element-id="elm_FoxiPchXTnaoNKxUDeLndQ" data-element-type="row" class="zprow zprow-container zpalign-items- zpjustify-content- " data-equal-column=""><style type="text/css"></style><div data-element-id="elm_60ofE_xFScmDjYM9PbVQOg" data-element-type="column" class="zpelem-col zpcol-12 zpcol-md-12 zpcol-sm-12 zpalign-self- "><style type="text/css"> [data-element-id="elm_60ofE_xFScmDjYM9PbVQOg"].zpelem-col{ border-radius:1px; } </style><div data-element-id="elm_I2Vr3t4eShCVK1qAEx1pkg" data-element-type="heading" class="zpelement zpelem-heading "><style> [data-element-id="elm_I2Vr3t4eShCVK1qAEx1pkg"].zpelem-heading { border-radius:1px; } </style><h2
 class="zpheading zpheading-align-center " data-editor="true"><div style="color:inherit;"><h1 style="margin-bottom:18px;font-weight:700;">自分たちの物語を語り続けることの大切さ： パレスチナ詩人 Refaat Alareer（レファート・アラレア）さん</h1></div></h2></div>
<div data-element-id="elm_y5I4nLLcTIGiWkwRGcE2yQ" data-element-type="text" class="zpelement zpelem-text "><style> [data-element-id="elm_y5I4nLLcTIGiWkwRGcE2yQ"].zpelem-text { border-radius:1px; } </style><div class="zptext zptext-align-center " data-editor="true"><div><p style="color:inherit;text-align:left;margin-bottom:36px;">パレスチナ詩人で、英文学教授で、英語で詩を書いてきたRefaat Alareer（レファート・アラレア）さんが、イスラエルの爆撃により、１２月７日に、ガザ北部で他の６人の家族とともに亡くなりました。</p><p style="color:inherit;text-align:left;margin-bottom:36px;">イスラエル軍は、ガザの多くの<span style="font-weight:700;">文化遺産や大学、裁判所、図書館等を爆撃</span>しています。</p><p style="color:inherit;text-align:left;margin-bottom:36px;">既に戦争犯罪となる、学校や避難所、病院等を爆撃し続けているので、その一環かと気に留めないかもしれませんが、これは、<span style="font-weight:700;">パレスチナ市民の文化やその土地に生きていたという歴史を消し去ろうとするプロジェクトの一つ</span>とも考えざるをえません。</p><p style="color:inherit;text-align:left;margin-bottom:36px;">私の友人のユダヤ人や、先進諸国のユダヤ人団体からよく使われる作り話は「パレスチナは誰も住んでいない空っぽの土地で、そこに国をもっていないユダヤ人がきて国をつくった」です。</p><p style="color:inherit;text-align:left;margin-bottom:36px;">これは、イスラエル政府が国民に信じさせたい、恐らく大多数の国民や、他の国々に住むユダヤ人たちも信じたい話でしょう。</p><p style="color:inherit;text-align:left;margin-bottom:36px;">誰でも、７０年ほど前に多くの原住民（歴史的なパレスチナ地域に数世紀にわたって住んでいたアラブ系の人々＝パレスチナ人）を殺したり、原住民の村やコミュニティーを焼き払い、彼らを隣国やパレスチナ地域の小さな場所へ難民として追いやり、武力で奪い取り盗んだ土地に自分たちの国を設立し、現在も原住民に残されたわずかな土地ですら、暴力や殺人で盗み続けているという事実を受け入れるのは難しいでしょう。</p><p style="margin-bottom:36px;"></p><div style="color:inherit;text-align:left;"><span style="color:inherit;">ただ、これらの国際法違反が数十年にわたってまかり通っているのは、国際社会が事実から目を背けていて、イスラエル政府がなんの責任も取らずにきているからです。</span></div><div style="text-align:left;"><br></div><span style="color:inherit;"><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">イスラエルの建国には、ヨーロッパでの数世紀にわたる迫害を受け続けた白人系ヨーロピアンのユダヤ人たちが大きく関わっていて、彼らの受けてきた迫害を考えれば、自分たちだけ（ユダヤ人だけ）の国をつくらないとまたホロコーストのようなことがおこる、という恐怖も想像に難くありません。</span></div></span><span style="color:inherit;"><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">また、２１世紀の今ですら、イギリスで何か不穏な事件が起こると、ユダヤ人やユダヤ教、或いはイスラエルにも全く関連性がなくても、ユダヤ系のスーパーマーケットやレストランが最初に攻撃されることは、残念ながら珍しくありません。</span></div></span><p></p><p style="text-align:left;color:inherit;margin-bottom:36px;">ただ、問題は、そこ（歴史的なパレスチナ地域）には多くのアラブ系原住民が数世紀にわたり住んでいて、空っぽの土地ではなかったことです。</p><p style="text-align:left;color:inherit;margin-bottom:36px;">西欧、特にアメリカではこの作り話を信じている普通の人々もたくさんいますが、歴史をたぐれば、簡単に、パレスチナ地域には多くのアラブ系の人々が数世紀にわたって住んでいて、イスラエル建国前後で、ユダヤ系民兵により、多くのアラブ系の原住民が殺害され、中にはいくつかの虐殺事件もあり、それに加えて７０万人の原住民が村や家を焼き払われたり、武力で追い出されたりして、隣国やもともとのパレスチナ地域で難民となった事実は明らかです。</p><p style="margin-bottom:36px;"></p><div style="color:inherit;text-align:left;"><span style="color:inherit;">ガザ地区という小さな地域の７０パーセントは、このイスラエル建国時（１９４８年）に難民になった人々の子孫だと見られています。この地域は、イスラエルの事実上占領地であり、この地区への「水」もイスラエルが管理しており、食料等の必需品もすべてイスラエルの許可が必要となります。</span></div><div style="color:inherit;text-align:left;"><span style="color:inherit;">空も海もイスラエルに占領され、たとえアメリカ大学の推薦入学の資格をとったとしても、空港はガザ地区にはなく、ガザ地区を出るための許可、海外に行く許可等、さまざまな障害が設けられています。</span></div><div style="color:inherit;text-align:left;"><span style="color:inherit;">また、子供たちを罪状なしで逮捕し長期間拘束する等、ユダヤ系イスラエル人の子供には法律違反でも、パレスチナ人の子供には、この法律は適用されず、これは国際法違反ですが、数十年にわたって起こり続けています。</span></div><div style="text-align:left;"><br></div><span style="color:inherit;"><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">ここには、個人の基本的人権、自由、個人の尊厳も何もありません。</span></div></span><div style="text-align:left;"><br></div><span style="color:inherit;"><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">この事実は、イスラエル政府にとって、とても都合の悪いものです。</span></div></span><div style="text-align:left;"><br></div><span style="color:inherit;"><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">今回のように爆撃で多くの歴史・文化遺産やパレスチナのアイデンティティーを世界に向けて発信するアーティストや学者たちがいなくなり、またガザを誰もが住めない場所にしてパレスチナ原住民を直接的・間接的に追放してしまえば、「パレスチナは誰も住んでいない空っぽの土地で、そこに国をもっていないユダヤ人がきて国をつくった」は、「事実」として語ることが容易となります。</span></div></span><span style="color:inherit;"><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">なぜなら、パレスチナの人々の歴史や文化、ひとびとが語る物語（過去や現在、未来）という痕跡を消してしまえば、どんな作り話も可能となるからです。</span></div></span><span style="color:inherit;"><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">この状態を１０年も続ければ、それは、誰もが信じる「本当の話」となるでしょう。</span></div></span><span style="color:inherit;"><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">「パレスチナもパレスチナ人も存在しなかった」と。</span></div></span><p></p><p style="margin-bottom:36px;"></p><div style="color:inherit;text-align:left;"><span style="color:inherit;">多くのパレスチナ人は、イスラエル政府からの抑圧や実際の逮捕や殺害等にもまけず、自分たちの物語を語ってきました。</span></div><div style="text-align:left;"><br></div><span style="color:inherit;"><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">だからこそ、生きている私たちにできるのは、彼らを覚えていて、語り続けることです。</span></div></span><p></p><p style="text-align:left;color:inherit;margin-bottom:36px;">Refaat Alareer（レファート・アラレア）さんの、最後のインタビューはAljazeera (アルジャジーラ)の３分弱の&nbsp;<a href="https://www.aljazeera.com/program/newsfeed/2023/12/8/poet-professor-and-writer-refaat-alareer-killed-in-israeli-strike" target="_blank">ビデオ</a>&nbsp;から観れます。</p><p style="color:inherit;margin-bottom:36px;"></p><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">なお、ハマスーイスラエル戦争において、アメリカ外交官としてイスラエル政府とのやりとりをしているAntony Blinken（アントニー・ブリンケン）さんは、上記のアルジャジーラ（カタールが本拠地のアラブ系メディア）に対して、戦争の報道を控えるよう忠告したことは公となっています。</span></div><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">これは、西欧系の主要メディアが、イスラエル側のナラティヴのみを真実の情報として伝えることが多いのに対し、アルジャジーラは、アラブ側の目からみた事実を報道することにより、イスラエル政府の戦争犯罪とも判断される可能性の高い言動が公に出ることを好まなかったからだと見られています。</span></div><p></p><p style="text-align:left;color:inherit;margin-bottom:36px;">ここでも、<span style="font-weight:700;">強い側（イスラエルとイスラエルを無条件に外交的・軍事的・経済的に支えるアメリカ）がナラティヴをコントロールしている</span>ことに注意しておく必要があります。</p><p style="color:inherit;margin-bottom:36px;"></p><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">（爆弾の音が絶え間なく聞こえるフラットで、机についているレファートさん）</span></div><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">（さらに大きな爆撃の音）</span></div><p></p><p style="color:inherit;margin-bottom:36px;"></p><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">これが最後かもしれない。</span></div><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">私たち（パレスチナ市民）は、それ（爆撃にさらされて無差別に殺されるようなこと）に値しません。</span></div><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">私は、アカデミックです。</span></div><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">恐らく、私が家の中で持っている中で、一番強いものは、このマーカーです。</span></div><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">でも、もしイスラエル兵が家々をめぐって私たちを襲撃し虐殺することがあれば、私はイスラエル兵の顔をめがけて、このマーカーを投げるでしょう。</span></div><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">たとえそれが（人生の）最後に私ができることであっても。</span></div><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">これが（ガザで無差別爆撃にさらされている）多くの人々の感じていることです。</span></div><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">私たちに、失うものなんてありません。</span></div><p></p><p style="text-align:left;color:inherit;margin-bottom:36px;">レファートさんは、ガザ市内の大学の教授として英文学を教えると同時に、「&nbsp;<a href="https://wearenotnumbers.org/" target="_blank">We are not numbers</a>&nbsp; （私たちはただの「Number（数）」じゃない）」という団体の創設者の一人でもあります。これはパレスチナの若者が導くプロジェクトで、ガザの若い著者たちと世界にちらばるメンターをつなげて、パレスチナの若者の経験についての物語を英語で描くことを助けるものです。</p><p style="text-align:left;color:inherit;margin-bottom:36px;">レファートさんは、ガザの若者たちが英語で描いた短い物語を集めた本「<a href="https://www.waterstones.com/book/gaza-writes-back/refaat-alareer//9781935982357" target="_blank">Gaza writes Back</a>」の編集も手がけました。圧倒的に多くの著者は、若い女性だそうです。</p><p style="text-align:left;color:inherit;margin-bottom:36px;">レファートさんは、&nbsp;<a href="https://youtu.be/YsbEjldJjOw" target="_blank">TEDx</a>&nbsp;で、物語を語り続けることの重要性を話しました。</p><p style="text-align:left;color:inherit;margin-bottom:36px;">レファートさんは、語り継がれる物語は、（リーダーや政治家、エリートではない）ごく日常を生きる私やあなたたちに属しているものだとしました。</p><p style="color:inherit;margin-bottom:36px;"></p><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">レファートさんは、カナダの植民地支配者の話を引き合いにだしました。</span></div><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">カナダの植民地支配者たちが集まって話をしているときに、原住民がその場に行き、何を話しているのかを聞きました。植民地支配者たちは、「</span><span style="color:inherit;font-weight:700;">私たちの所有している土地</span><span style="color:inherit;">を分割する話をしている」と言いました。原住民のひとは、「もし、あなたたたちが、ここはあなたたちの所有している土地だというなら、</span><span style="color:inherit;font-weight:700;">この土地の物語を語ってください</span><span style="color:inherit;">」と言いますが、当然、植民地支配者側にこの土地の物語なんてないので、沈黙するしかありません。</span></div><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">原住民たちは、この土地に数えられないくらいの世代にわたって暮らしており、さまざまな物語（祖父母や祖先から受け継いだその土地における語り継がれる歴史やその土地での暮らし）をもっています。これは、この土地の正当な持ち主であることを示すものです。</span></div><p></p><p style="margin-bottom:36px;"></p><div style="color:inherit;text-align:left;"><span style="color:inherit;">レファートさんは、パレスチナの人々に、祖父母や父母から話を聞き、その話を自分の子孫や周りに伝えていくことの重要性を語ります。</span></div><div style="color:inherit;text-align:left;"><span style="color:inherit;">なぜなら、語り継がれなければ、それはあっという間に消えていくからです。</span></div><div style="text-align:left;"><br></div><span style="color:inherit;"><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">また、植民地支配者の語る歴史は、植民地支配者を栄光と讃えるもので、本来の正当な土地の持ち主である原住民の人々への抑圧や抵抗の歴史は語られません。</span></div></span><span style="color:inherit;"><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">特に、イスラエル政府がパレスチナの存在をなかったことにしようと、長年にわたって非常に洗練されたありとあらゆる手段をつかったプロパガンダや作り話の歴史を効果的にひろめていることからも、パレスチナの日常の人々の物語を語りつないでいくことは、とても大切です。</span></div></span><div style="text-align:left;"><br></div><span style="color:inherit;"><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">パレスチナが距離的に遠い場所だったとしても、私たちはヒューマニティーでつながっています。</span></div></span><p></p></div></div>
</div></div></div></div></div></div> ]]></content:encoded><pubDate>Mon, 18 Dec 2023 11:40:37 +0000</pubDate></item><item><title><![CDATA[映画「To Kill A Tiger」]]></title><link>https://www.thegreencatalyst.com/blogs/post/20231208</link><description><![CDATA[<img align="left" hspace="5" src="https://www.thegreencatalyst.com/pexels-cottonbro-studio-3927228.jpg"/>先日（２０２３年１２月７日）に、ロンドンのBloomsbury地区にあるCurzon Cinema（イギリスでの映画館の大きなチェーン）で、ドキュメンタリー映画「 To Kill a Tiger 」の上映があり、それに伴って、映画の後に女性監督のNisha Pahuja（ニーシャ・パフジャ）さんを交えた ]]></description><content:encoded><![CDATA[<div class="zpcontent-container blogpost-container "><div data-element-id="elm_ulLbXCvgSEOlfomSDXUpaQ" data-element-type="section" class="zpsection "><style type="text/css"></style><div class="zpcontainer-fluid zpcontainer"><div data-element-id="elm_4z3ZW6gAR0mvMO8eVxJHWw" data-element-type="row" class="zprow zprow-container zpalign-items- zpjustify-content- " data-equal-column=""><style type="text/css"></style><div data-element-id="elm_biaXQXmlSISBY79Nrlnjjg" data-element-type="column" class="zpelem-col zpcol-12 zpcol-md-12 zpcol-sm-12 zpalign-self- "><style type="text/css"></style><div data-element-id="elm_rCBeWfHMTPqlq6CuBRbd3g" data-element-type="heading" class="zpelement zpelem-heading "><style></style><h2
 class="zpheading zpheading-align-center " data-editor="true">映画「To Kill a Tiger」一人でも虎に立ち向かって勝つ</h2></div>
<div data-element-id="elm_F7d-1ZO6Si20yKosjWFQEA" data-element-type="text" class="zpelement zpelem-text "><style></style><div class="zptext zptext-align-center " data-editor="true"><div><p style="color:inherit;text-align:left;margin-bottom:36px;">先日（２０２３年１２月７日）に、ロンドンのBloomsbury地区にあるCurzon Cinema（イギリスでの映画館の大きなチェーン）で、ドキュメンタリー映画「<a href="https://tokillatigerfilm.com/" title="To Kill a Tiger" rel="">To Kill a Tiger</a>」の上映があり、それに伴って、映画の後に女性監督のNisha Pahuja（ニーシャ・パフジャ）さんを交えたパネルディスカッションがありました。</p><p style="color:inherit;text-align:left;margin-bottom:36px;">ロンドンという都会にいて良かったと感じるのは、監督とのパネルディスカッションのように直接対話できる機会があることです。聴衆からの質問も興味深いものもあるのが楽しいです。</p><p style="color:inherit;text-align:left;margin-bottom:36px;">監督のニーシャさんは、インドでインド人両親の元に生まれ、小さいうちにカナダに移民したカナダ人です。英語が母語ですが、インドの現地語も話すことができ、文化への理解の深さ、優しさを感じる視線がいつもあります。</p><p style="color:inherit;text-align:left;margin-bottom:36px;">映画は、インドの田舎の貧しい米農作人のRanjit（ランジット）さんの１３歳の娘、Kiran（キーラン／映画の中での仮名。彼女の安全を守るため）さんが、彼女の従弟を含む３人に、村での結婚式があったときにギャングレイプされ、村人たちの殺人予告も含む脅迫にも負けずに、ランジットさん、妻、キーランさんが、正義を求めて裁判に訴えていく話です。</p><p style="color:inherit;text-align:left;margin-bottom:36px;">ニーシャさんは、インドのレイプ・カルチャーに心を痛めていて、男性のマスキュリニティーについて変化を起こそうと活動する団体のアクティヴィストたちを追っていました。<a href="https://www.srijanjhk.org/" target="_blank">Slijan Foundation</a>&nbsp;という団体が主催する、男性の意識を変えるワークショップに参加していたランジットさんの娘がギャングレイプにあい、父のランジットさんが正義を求めて娘のためにたたかうというとても稀なケースを聞き、引き合わせてもらいます。</p><p style="color:inherit;text-align:left;margin-bottom:36px;">日本で育つと直感的に理解できると思うのですが、インドでは、レイプにあった被害者が「恥／消えない染みがついた」として責められ、加害者の男子・男性を守ろうとする風潮がとても強いそうです。</p><p style="color:inherit;text-align:left;margin-bottom:36px;">そのため、ランジットさんのように、父が娘のために立ち上がり、裁判で正義を求めるというのは、まずないことだそうです。</p><p style="color:inherit;text-align:left;margin-bottom:36px;">ランジットさんは、言葉少なく控えめですが、とても思慮深いことがよく伝わってきて、女性も男性も平等で、誰もの基本的人権が守られるべきだという信念を強くもっています。</p><p style="color:inherit;text-align:left;margin-bottom:36px;">でも、当然村人たちの反応は、全く違うものです。</p><p style="color:inherit;margin-bottom:36px;"></p><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">キーランさんは、結婚式からよろめくようになんとか家に帰り、何が自分に起こったかをすべて両親に話します。ギャング・レイプの後には、３人の加害者からひどく殴られ、口外したら絶対に殺す、という脅しも受けたそうです。</span></div><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">この村では急に女性が消えて死体が森で発見されたこともあり、これは現実になる可能性が高い脅しであることは、誰もが理解しています。また、こういった事件では、誰かが殺人者を知っていても、誰もが黙っていることも誰もが知っています。</span></div><p></p><p style="color:inherit;margin-bottom:36px;"></p><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">インドの村の風習で、ランジットさんが最初に連絡したのは、村の首長会のリーダーですが、この人の対応も苦渋に満ちたものです。最初は、レイプは既に起こったのだから、その加害者のうち一人と結婚させればいい、というものですが、ランジットさんが強く断ると、じゃあ、警察に行くといい、という発言になり、ランジットさんとキーランさんは警察に行き、訴えを起こします。</span></div><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">被害者が警察に行くこと自体も、このような社会では非常に難しく、数少ないことは理解しておく必要があります。</span></div><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">病院での診察も受け、ひどい暴力を受けたことが証明されました。</span></div><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">ニーシャさんによると、村の首長会は、警察や裁判を関わらせることをいやがる傾向があり、特に女性への加害については、女性を犠牲にして男性を守ろうとする傾向が非常に強いため、「警察へ行けばいい」という発言は、彼の立場を鑑みると画期的なもののようです。</span></div><p></p><p style="color:inherit;text-align:left;margin-bottom:36px;">ランジットさんが、このような難しい問題に最初から、映画監督を交えて撮影を許可したのは、意外に感じるかもしれませんが、ニーシャさんによれば、ランジットさんは賢明で、村人からの強力なバックラッシュがあることと、貧しい農民の娘のレイプ・ケースは全く重要でないと思われて、裁判所でもまともに扱ってくれないことを予期し、ドキュメンタリー撮影をしていることで、家族の安全と裁判所できちんとこのケースを扱ってもらえる効果が高いことを考慮してのものでした。</p><p style="color:inherit;text-align:left;margin-bottom:36px;">村人からのバックラッシュは、とても長く過酷なものです。</p><p style="color:inherit;text-align:left;margin-bottom:36px;">ランジットさんの一家は、村人たちから完全に無視され、誰も話しかけず、遠くから悪口を言うように集まって遠巻きに話したり、ランジットさんに対しては「（娘の処女性を守れなかった）恥さらし」と直接暴言を言ってくる人々もいます。</p><p style="color:inherit;text-align:left;margin-bottom:36px;">キーランさんは、「あの娘は穢れているから、近寄ってはいけない」と親に言われた友達から無視され、学校に行ってもひとりぼっちで、ますます無口になりました。</p><p style="color:inherit;margin-bottom:36px;"></p><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">それでも、キーランさんは、父と母、キーランさんのレイプケースをサポートする弁護士やさまざまな人々に支えられ、正義を求めることを諦めません。</span></div><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">また、「自分がが穢れている／恥だ／（レイプにあったのは）自分が何か悪いことをしたからだ」という、村人たちのナラティヴを信じることを拒否します。</span></div><p></p><p style="color:inherit;margin-bottom:36px;"></p><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">彼女は穢れてもいなければ、恥でもありません。</span></div><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">レイプという犯罪に対して、正義を求めて勇敢にたたかう尊敬されるべきひとです。</span></div><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">当然、悪いことをして恥を感じるべきは、加害者ですが、家父長制の非常に強い閉鎖された田舎社会で、一家全員が無視され殺人宣告をされるような環境で、この気持ちを持ち続けることは容易ではありません。</span></div><p></p><p style="color:inherit;text-align:left;margin-bottom:36px;">キーランさんは、撮影を始めた当時は１３歳だったため、彼女のアイデンティティを守るため、彼女の顔をぼやかしたりする必要がありました。でも、この映画は３年半かけて撮り、その後編集にも時間をかけていて、映画が完成したのは８年後のことでした。このとき、キーランさんは、成人と認識される年齢に達しており、本人が映画を観た後、自分の顔をぼやかさず、はっきりと出すことに合意しました。</p><p style="color:inherit;text-align:left;margin-bottom:36px;">キーランさんは、映画を観て、<span style="font-weight:700;">１３歳の自分の勇敢さに誇りを感じた</span>そうです。そのため、自分の顔をはっきりと出すことに合意しました。</p><p style="color:inherit;text-align:left;margin-bottom:36px;">映画の最初と最後に、キーランさんの安全性を確保するために、彼女の顔や彼女だと分かるような写真・画像等はどこにも出さないでほしいという旨が映し出されます。</p><p style="color:inherit;margin-bottom:36px;"></p><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">村人たちは、女性の多くも、ランジットさんと妻に裁判をやめるよう強く抗議します。</span></div><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">村の男性たちと同じで、「Boys are boys（男の子たちはやんちゃなもの）」「（加害者の）男の子たちは、もう同じことはしない」「キーランさんの服装や見かけが（加害者たちを）刺激したに違いない。彼らはみんないい子。キーランさんが悪く、男の子たちは罪はない」「あなたたち家族が、（裁判に訴えることで）村の和が乱れて、誰もが迷惑している」「キーランは既に染みがついていて、誰も彼女と結婚しようなんて思わない。（加害者の男のうち）一人と結婚することが、彼女の染み（穢れ）を取り除いて、あなたの一家から恥を消す唯一の方法」と迫ります。</span></div><p></p><p style="color:inherit;margin-bottom:36px;"></p><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">ランジットさん不在時に、村人たちが団体で押しかけてきて脅しても、キーランさんの母は一歩も引き下がりません。</span></div><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">ランジットさんがこの映画の主役ではあるものの、この妻の確固とした存在も非常に大きなものです。</span></div><p></p><p style="color:inherit;text-align:left;margin-bottom:36px;">村人たちの言っていることは、現代の西欧諸国で育った人々にしてみれば信じられないことで野蛮と感じるかもしれませんが、監督のニーシャさんは、村人たちが生きている環境もよく理解していて、ジャッジせず、彼ら／彼女らに自分たちの考えを表明するスペースを与えます。</p><p style="color:inherit;margin-bottom:36px;"></p><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">村の首長がいうことも、この閉鎖された貧しい環境では、ある意味合理的です。もちろん、正しくはありません。</span></div><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">「結局、（ランジットさん一家は）この村に住まなくてはならない。みんなが平和に協力しあう以外にこの村が生き残ることはできない。これ（レイプ）は、村のことで、（裁判をまじえず）村の中で解決するべき。（加害者の）男性たちが裁判で有罪になると、親たちも怒って村の和が乱れるし、既に起こったことは戻しようがない。国や政府が（ランジットさん一家が村八分になって生きていけない状況になったとしても）面倒をみてくれるわけじゃない」</span></div><p></p><p style="color:inherit;text-align:left;margin-bottom:36px;">それでも、ランジットさんは、このStatus quo（ステイタス・クオ／現状態勢維持）に真向から立ち向かいます。</p><p style="color:inherit;text-align:left;margin-bottom:36px;">ランジットさんも、妻も、キーランさんも、こういった風潮・社会が変り、女性の人権が男性同様に大切にされ、誰もレイプされないことが普通になることを強く望んでいます。</p><p style="color:inherit;text-align:left;margin-bottom:36px;">そのためには、キーラさんのような、貧しい農夫の娘のレイプケースが正義を勝ち取ることはとても大切なことです。</p><p style="color:inherit;text-align:left;margin-bottom:36px;">長い間、ランジットさんと妻は、眠るときも交代して、村人たちからの暴力（家を焼き払われる等）に備える必要があり、疲れ切っていました。それでも、ランジットさんは、「キーランのことを思うと、恐怖は消える」と言っていました。</p><p style="color:inherit;margin-bottom:36px;"></p><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">裁判に勝訴したときも、ランジットさん一家を支えていた団体は、「特に身の回りの安全にさらに始終気を付けるよう」忠告せざるを得ませんでした。加害者の家族が怒りにかられて唐突な暴力的な行動に出る可能性はとても高かったからです。</span></div><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">女性の人権はあまりにも軽く見られていて、たかだかこんなことで、自分の息子を牢獄へ送るなんて許せない、という発想になりがちのようです。</span></div><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">個人的には、ランジットさんが予期したように、こうやってドキュメンタリーのために映画製作でカメラをまわしたり、さまざまな人々が出入りするような環境だったからこそ、ランジットさん一家の命が守られたのでは、という感じます。</span></div><p></p><p style="color:inherit;text-align:left;margin-bottom:36px;">キーランさんのケースが勝訴したことは大きく新聞にも掲載され、ニュースでの報道もあり、その後、この地域ではレイプに関する訴えが二倍以上に増えたそうです。これは、インドでの風習を考えると、画期的なことだそうです。</p><p style="color:inherit;text-align:left;margin-bottom:36px;">キーランさんのように貧しい農夫の娘のレイプケースが勝訴したということは、多くの少女や女性に勇気と希望を与えたことでしょう。</p><p style="color:inherit;text-align:left;margin-bottom:36px;">加害者がきちんと責任を取らされることが多くなれば、確実にこういった犯罪は中期的・長期的に減ります。</p><p style="color:inherit;text-align:left;margin-bottom:36px;">この裁判の勝訴には、ランジットさんと妻の絶え間ない努力もありますが、キーランさんの証言が最終的には決め手になりました。</p><p style="color:inherit;text-align:left;margin-bottom:36px;">最初の捜査を行った警察官はあまりにも無能で、犯罪場所の血痕や争った後等のとても基本的なことさえ調査しておらず、裁判官にすら、無能であることを指摘されたそうです。</p><p style="color:inherit;text-align:left;margin-bottom:36px;">１０代の少女にとって裁判で証言するのは、とても大変なことです。</p><p style="color:inherit;text-align:left;margin-bottom:36px;">ランジットさんと妻は、キーランさんの証言の練習を手伝い、裁判では途中で涙してつまったこともあるものの、とてもパワフルな証言を行ったそうです。</p><p style="color:inherit;text-align:left;margin-bottom:36px;">それが、勝訴につながりました。</p><p style="color:inherit;margin-bottom:36px;"></p><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">映画の後でのパネル・ディスカッションでの聴衆からの質問では、「普通の貧しい農夫のランジットさんが、閉鎖された小さな村の凝り固まった考え方の人々に囲まれて育っているにも関わらず、男女平等、正義を求めることの大切さ等の考えをもちえたのはなぜか」という質問がありましたが、ニーシャさんは、「ランジットさんの父は家族を捨てて出ていき、シングルマザーの家庭で育ったので自然と女性への尊敬があるのでしょうが、同じような家庭で育っても全く違う考えになる人もいます。さまざまなことが影響しあっているのでしょうが、閉鎖された家父長制のとても強い社会に育っても、全く違う考えをもつ人々がいることは、希望でもあります」といった内容のことを言っていました。</span></div><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">ランジットさんの公式な教育は限られているかもしれませんが、とても熟考するひとで、知的さ・聡明さが自然と伝わってきます。</span></div><p></p><p style="color:inherit;text-align:left;margin-bottom:36px;">この映画でいいのは、ランジットさん一家がヒーローとして描かれるのではなく、村人たちからの強烈なバックラッシュにあって、自分たちの選択が正しかったのだろうか、と悩むランジットさんや妻の姿も映し出されていることです。そのたびに、家族みんなで支えあい、正しいこと（裁判で正義が行われることを求める）をすることを選択します。</p><p style="margin-bottom:36px;"></p><div style="color:inherit;text-align:left;"><span style="color:inherit;">キーランさんが映画の最後近くで、ふと口にする「Go with an honest heart and it will be OK（正直なハートで進んでいけば、大丈夫）」という言葉は心に残ります。</span></div><div style="color:inherit;text-align:left;"><span style="color:inherit;">キーランさんは、現在は村を出て別の場所でさらに上の学校へ行き勉強しているそうです。ときどき村に帰ってくるときは、昔彼女を無視していた村の友達も、みんな話しかけてきて、仲良くしているそうです。</span></div><div style="text-align:left;"><br></div><span style="color:inherit;"><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">この映画は、まだ配信会社が決まっておらず、映画を配信してくれる企業や団体を探しているそうです。</span></div></span><span style="color:inherit;"><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">日本でも上映されることを願っています。</span></div></span><p></p></div><p style="text-align:left;"><span style="color:inherit;text-align:center;">この映画では、キーランさんが髪にリボンを編み込む場面がよく出てきて（朝の身だしなみの一環）、妹の髪をリボンで結ってあげる場面も出てきますが、これは、キーランさんの子供時代のイノセンスを現すものでもあり、周りからの「穢れている」という迷信を拒否する決意でもあります。</span></p></div>
</div></div></div></div></div></div> ]]></content:encoded><pubDate>Fri, 08 Dec 2023 18:16:03 +0000</pubDate></item><item><title><![CDATA[世界のConflicts（紛争・対立）とContradiction（矛盾）を探求する女性パレスタイン人アーティスト、Mona Hatoum（モナ・ハトゥム）]]></title><link>https://www.thegreencatalyst.com/blogs/post/20231023</link><description><![CDATA[<img align="left" hspace="5" src="https://www.thegreencatalyst.com/pexels-lumn-316466.jpg"/>Mona Hatoum（モナ・ハトゥム）さんは、日本でも展示会があったようなので、作品を目にしたことがある人もいるかもしれません。 モナさんは、レバノンの首都ベイルートで、パレスチナ出身の両親の元に１９５２年に生まれ、ベイルートで育ちます。両親は、現在はイスラエルの一部となったHaifa（ハイファ）に ]]></description><content:encoded><![CDATA[<div class="zpcontent-container blogpost-container "><div data-element-id="elm_dY-bTjFrSQiWhmCcvqw1jQ" data-element-type="section" class="zpsection "><style type="text/css"></style><div class="zpcontainer-fluid zpcontainer"><div data-element-id="elm_7g6nzp_AQnyavDI5fjHwOQ" data-element-type="row" class="zprow zprow-container zpalign-items- zpjustify-content- " data-equal-column=""><style type="text/css"></style><div data-element-id="elm_FDAokDIcTSCCtSMChXQocg" data-element-type="column" class="zpelem-col zpcol-12 zpcol-md-12 zpcol-sm-12 zpalign-self- "><style type="text/css"></style><div data-element-id="elm_hSVSMbJjSjKyjGoyHhZFOw" data-element-type="heading" class="zpelement zpelem-heading "><style></style><h2
 class="zpheading zpheading-align-center " data-editor="true"><div style="color:inherit;"><h1 style="margin-bottom:18px;font-weight:700;">世界のConflicts（紛争・対立）とContradiction（矛盾）を探求する女性パレスタイン人アーティスト、Mona Hatoum（モナ・ハトゥム）</h1></div></h2></div>
<div data-element-id="elm_2rwJheXZTNevRAGbLNv1cQ" data-element-type="text" class="zpelement zpelem-text "><style></style><div class="zptext zptext-align-center " data-editor="true"><div><p style="color:inherit;text-align:left;margin-bottom:36px;">Mona Hatoum（モナ・ハトゥム）さんは、日本でも展示会があったようなので、作品を目にしたことがある人もいるかもしれません。</p><p style="margin-bottom:36px;"></p><div style="color:inherit;text-align:left;"><span style="color:inherit;">モナさんは、レバノンの首都ベイルートで、パレスチナ出身の両親の元に１９５２年に生まれ、ベイルートで育ちます。両親は、現在はイスラエルの一部となったHaifa（ハイファ）に先祖代々暮らしていましたが、１９４８年にユダヤ人で構成されるシオニズム民兵組織（ユダヤ人のための国をつくるというイデオロギー）によって武力により追い出され、隣国のレバノンに逃れざるを得ませんでした。</span></div><div style="color:inherit;text-align:left;"><span style="color:inherit;">これは、モナさんの家族にだけ起こったことではなく、７０万人を超えるアラブ系パレスチナ人が、モナさんの両親同様に住んでいた先祖代々の家を武力によって奪われたり、住んでいた村々を破壊され、難民となりました。</span></div><div style="color:inherit;text-align:left;"><span style="color:inherit;">シオニズム民兵組織は、テロの手段も使い、原住民であるパレスチナ人の虐殺も行いました。</span></div><div style="text-align:left;"><br></div><span style="color:inherit;"><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">１９４８年にすべてが突然始まったわけではなく、世界の半分近くを植民地支配していた大英帝国が大きく関わっています。</span></div></span><span style="color:inherit;"><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">ユダヤ人のパレスチナ地域への入植は、大英帝国のバルフォア宣言（１９１７年に短い曖昧な文章で、パレスチナ地域にユダヤ人の建国をすることを約束）以来、大英帝国がパレスチナ地域を委任統治をしている間に急激に増え、１９２２年から１９３５年の短い間で、９パーセントから２７パーセントに増加しました。大英帝国は、パレスチナ人から強制的に取り上げた土地を新移民のユダヤ人に渡したりすることや、パレスチナ人への残酷な扱いもあり、不安が高まり抵抗・暴動も増えました。それをおさえるための残虐なやりかたをユダヤ人組織と協力して行いました。</span></div></span><span style="color:inherit;"><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">イスラエルが現在もよく使う手法、Collective punishment（集団処罰ー国際法では違法）、攻撃されると思ったらその前に攻撃（これも国際法ではグレーゾーンで違法の場合も多い）、集団処罰として一気に市民の家も含めて家も村もすべて破壊（国際法では違法）、裁判なしでの処刑や裁判なしで人々を牢獄へ長期間拘束（国際法では違法）は、もともとは、大英帝国が植民地の人々を抑圧しているために使っていた手法で、イスラエル政府はそれらを引き継いでいます。</span></div></span><p></p><p style="color:inherit;margin-bottom:36px;"></p><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">ユダヤ人の急激な増加によるパレスチナ人の不満をおさえるために、大英帝国はユダヤ人の入植を制限することにしたのですが、そのころには、ヨーロッパでのユダヤ人への迫害はひどくなる一方で、多くがヨーロッパでない安全に暮らせる土地を求めてパレスチナ地域へとやってきます。</span></div><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">大英帝国は、その船をヨーロッパに送り返そうとしたものの、ユダヤ人からの不満も高まり、大英帝国が訓練したユダヤ人シオニズム民兵組織が、今度は大英帝国の警察組織を攻撃・殺害しはじめました。大英帝国は、結局はパレスチナから去りますが、その際に大英帝国の高官が残したことばは、「ユダヤ人もアラブ（パレスチナ人）もどっちも獣（＝大英帝国が大きな禍根を残したのは事実だが、どっちも人間以下なので、どうなろうと自分たちのような高級な人々の知ったことではない）」だそうです。</span></div><p></p><p style="margin-bottom:36px;"></p><div style="color:inherit;text-align:left;"><span style="color:inherit;">植民地宗主国である西ヨーロッパの国々が残した禍根は、いまだにいきています。そのつけを払っているのは、搾取され、抑圧され続けた元植民地国の人々の子孫です。</span></div><div style="text-align:left;"><br></div><span style="color:inherit;"><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">モナさんの両親も含む、難民となった７０万人は、１９４８年のシオニズム民兵組織による侵略前のパレスタイン領地（大英帝国の管轄地域で、パレスタインという独立国は存在しなかった）に住んでいた人々の約半分にあたると考えられています。</span></div></span><span style="color:inherit;"><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">現在のガザ地区の人口の７０パーセントは、１９４８年に自分たちの家や村を追われ、難民にならざるをえなかった人々とその子孫だそうです。</span></div></span><span style="color:inherit;"><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">ほとんどの人は、狭いガザ地区（長さ約５０ｋｍ、幅５～８ｋｍ）から出ることはできずに人生を終えるそうです。</span></div></span><span style="color:inherit;"><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">この地域には、２００万人以上が住んでいると見られ、世界で最も人口密度が高く、空も海も地上ボーダーもすべてイスラエルに管理・監視されていて、人も物も自由な行き来はできません。</span></div></span><span style="color:inherit;"><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">ガザ地区は、Openair prison（オープンエア・プリゾン／天井のない牢獄）とよく呼ばれ、閉じ込められているパレスチナ人には基本的人権すらないし、人間として最低限の生活を送ることすら難しい場所だとされています。</span></div></span><span style="color:inherit;"><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">パレスチナ住民は、子供も含めて、イスラエル兵に殺されることはよく起きていますが、それが大きなニュースとはなることは少ないです。最近では、アメリカ人でパレスチナ人でもあるジャーナリストが、ガザ地区での取材中にイスラエル兵によって射殺されました。いったんはニュースになったものの、イスラエル政府の言い分は何度も変わり、アメリカ政府も追及せず、うやむやになっています。</span></div></span><p></p><p style="text-align:left;color:inherit;margin-bottom:36px;">西欧諸国（元植民宗主国）やイスラエルは、この地域の問題はとても複雑だというものの、実際は、典型的なSettler Colonialism（入植者の行う植民地主義：あとからきた入植者が前にいた現地の人々を武力や暴力で追い出したり殺害し、土地や資源を奪い、自分たちがもともとの原住民であると主張し、生き残ったもともとの原住民を二級市民扱いして、基本的人権を与えず、差別し搾取する）でアパルトヘイトだとも表現されます。</p><p style="color:inherit;margin-bottom:36px;"></p><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">モナさんの両親は、キリスト教信者のパレスチナ人で、レバノンでもキリスト教徒の多い地域に住んでいたそうです。父は、イギリス領事館で仕事をしており、経済的には、ほかのパレスチナ難民に比べると良い生活を送っていたようですが、レバノンはパレスチナ難民に市民権を許可しなかったため、モナさんは生まれも育ちもレバノンですが、パレスチナ人です。</span></div><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">ちなみに、レバノンでパレスチナ人に市民権を与えないのは、レバノン自体も、とても複雑な地域で、宗教（キリスト教、イスラム教でも違う宗派が共存）、部族の違い、階級の違い等があり、デリケートなバランスで成り立っている（政府やさまざまな機関でこれらの違う宗派や宗教、部族等を不満が出ないように配置）ため、突然増えたパレスチナ人（多くはイスラム教のスンニ派）を市民にすると、社会構成が大きく変わり、社会が不安定になる可能性が高い、ということも大きな理由だったようです。</span></div><p></p><p style="text-align:left;color:inherit;margin-bottom:36px;">モナさんは、芸術家になりたかったものの、不安定な未来を恐れた両親は、大学進学をすすめ、モナさんは、ベイルート大学のグラフィックデザイン科を卒業し、広告代理店で働き始めます。でも、モナさんはオフィス・ライフが大嫌いで、ちょっとした旅行でロンドンにきている間、レバノンで戦争が勃発し、戻れなくなります。これは、１９７５年に始まり、終結したのは１９９０年でした。この戦争の原因にも、イスラエルが１９４８年に多くの土着のパレスチナ人たちを武力で追い出し、パレスチナ人たちが周辺国へと逃げざるを得ず、さまざまな地域でイスラエルに対する抵抗運動を続けたことも影響しています。</p><p style="text-align:left;color:inherit;margin-bottom:36px;">モナさんは、レバノンにいる両親を心配しながらも、ロンドンで念願の美術学校へと通い始めます。休日や空いた時間はアルバイトをして、なんとか生活していたそうです。両親は、レバノンでの戦争はすぐに終結するとは思えず、レバノンには若者の未来はないことを確信し、モナさんがロンドンに残って、夢だった芸術家への道へと進んでいることを喜び、応援していたそうです。</p><p style="text-align:left;color:inherit;margin-bottom:36px;">モナさんのロンドンでの初期の作品は、モナさん自身が行ったパフォーマンス・アートが多いです。そのころ、誰もが履いていたドクター・マーティンの靴の靴ひもを足首に巻いて靴を後ろにひきずりながらBrixton（ブリクストン）を数時間裸足で歩いたりと、生まれ故郷である地域の紛争の緊張感やフラストレーションを表現します。</p><p style="text-align:left;color:inherit;margin-bottom:36px;">その後は、芸術大学での講師の仕事をしながら、自分の作品をつくりますが、パフォーマンス・アートにも疑問を感じ始めていたころ、カーディフ（The UKの４か国のうちの一つ、ウェールズ国の首都）で職を得て、ここで初めてきちんとしたスタジオを持つことができ、次第に抽象的なインスタレーションワークへと変化しはじめます。</p><p style="text-align:left;color:inherit;margin-bottom:36px;">パフォーマンス・アートやインスタレーション・ワークでよく知られていますが、描画力も優れていて、通常のスケッチブックはかさばるし、なんだかもったいぶっているようで、今は常に小さなノートをかばんにいれて持ち歩き、スタジオでは大きなノートを使っていると言っていました。</p><p style="text-align:left;color:inherit;margin-bottom:36px;">モナさんは、作品をつくりはじめるとき、最終的にどうなるかは、自分でも分からないそうです。それがエキサイティングであるとも言っていました。</p><p style="color:inherit;margin-bottom:36px;"></p><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">モナさんは、現地にいき、現地の人々のなかで暮らし、現地の普通のお店やマーケットをめぐり、作品を作り上げることが多いです。スタジオの中に一人でこもって、というスタイルではありません。</span></div><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">そのため、さまざまなアクシデントや偶然があり、違うアイディアや新しいアイディアがよく頭の中、心の中を飛び交い、オーガニックに育っていきます。</span></div><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">そのため、いったん展覧会に出した作品も、最終作品ではなく、心の中にのこっていて、もっとプッシュしたりひろげたりできるものだと考えています。モナさんの中での、ときが満ちた時、それは自然に出てきます。</span></div><p></p><p style="margin-bottom:36px;"></p><div style="color:inherit;text-align:left;"><span style="color:inherit;">モナさんは、１９９６年（４３歳ぐらい）に初めて、イスラエルと、イスラエル占領地域であるパレスチナ自治地区にも足を踏み入れます。そこで初めて、両親がもともと住んでいた家を外から眺めたり、会ったことのなかった親戚たちにも会います。自分の両親の住んでいた家は、１９４８年に力づくで奪われた後、ユダヤ系イスラエル人が住んでおり、眺めるだけで、当然中には入れません。</span></div><div style="color:inherit;text-align:left;"><span style="color:inherit;">親戚たちも、全員が、自分たちの家を奪われました。多くのパレスチナ人は、自分の家や村を追われたときに、いつか戻ることを自分たちのなかで約束して家の鍵をもっていったそうです。</span></div><div style="color:inherit;text-align:left;"><span style="color:inherit;">でも、そこから７５年たった現在も、多くは難民のままで、将来への展望はありません。</span></div><div style="text-align:left;"><br></div><span style="color:inherit;"><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">イスラエル政府側のナラティヴが多くのメディアを占めており、私のユダヤ人の友人にも、「イスラエルは、２０００年以上前から約束されていた、もともと私たち（ユダヤ人）が権利をもっている土地に、ヨーロッパで迫害や虐殺を受けたユダヤ人が建国。イスラエルが建国される前は、ほぼ誰もいない、小さなからっぽの土地だった。ほんの少しいたシンプルな現地人（パレスチナ人）には、イスラエル国民になってもいいという選択をあげたのに、それを選択せず、難民になったのはパレスチナ人の選択で、イスラエルには全く関係ない」というよく聞くナラティブを主張するひともいます。</span></div></span><span style="color:inherit;"><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">これは、全く事実ではありませんが、このナラティヴを信じている、信じていたいひとも多いようです。</span></div></span><span style="color:inherit;"><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">ほかの友人が、「その土地にはパレスチナ人が多く住んでいたし、それを武力やテロで追い出してつくったのがイスラエルだよね」とチャレンジされると、これもよくある受け答えで、「ナチによるホロコーストでどれだけのユダヤ人が虐殺されたと知っているのか、私の親戚もユダヤ人だからというだけで、虐殺されたり、なんとか生き延びた親戚たちの腕には、入れ墨された囚人番号があり、それらをみたことがないひとに、何が分かるのか」という感情的なものとなり、通常の議論を成立させるのは不可能となります。</span></div></span><span style="color:inherit;"><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">虐殺や迫害にあったひとびとを、国籍や人種に関係なく、同情をよせるのは人間として普通の感覚だとは思うのですが、難しく感じる人々もいます。</span></div></span><span style="color:inherit;"><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">ただ、ナチによるユダヤ人虐殺（ユダヤ人だけでなく、ナチが劣勢であると見なした人々ー身体・精神障害者、ジプシー、政治に反対する人々も同様に大量虐殺の対象だった）があったからといって、ほかの人々に対して抑圧や占領を行っていいという理由にはならない、ということは、ユダヤ人の良心ともよばれる、生化学教授でもあり哲学についても幅広い教養をもち多くの著作をおこしたYeshayafu Leibowitzさんも、生前言っていたそうです。</span></div></span><span style="color:inherit;"><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">Yeshayafuさんは、イスラエルが国家と宗教をきちんと分離しないならば、宗教は腐敗を起こし、腐敗宗教国家となり、ユダヤ教はファシストのカルトとなりさがるだろう、と警告していたそうです。</span></div></span><span style="color:inherit;"><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">現在のイスラエルは、ファナティックな極右派が政治を握っていて、ユダヤ人（＝ユダヤ教信者）のみの国・地域にする（＝パレスチナ人はいらない）という方向で、国際法に違反したウェスト・バンク地区の占領もどんどん推し進めましたが、国際社会からは、大きな批判や、国際法違反に対しての制裁は見られません。</span></div></span><span style="color:inherit;"><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">それどころか、アメリカはイスラエルの軍事力をあげるための資金援助を長く続けています。</span></div></span><div style="text-align:left;"><br></div><span style="color:inherit;"><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">ただ、イスラエルの中でも当然ながら、さまざまな意見が存在します。</span></div></span><span style="color:inherit;"><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">イスラエルはテロや武力でパレスチナ人を彼らの土地や家から追放し、土地や家を盗んだのだから、ユダヤ教の教え「殺すなかれ／盗むなかれ」に反しているとする人々もいるし、ユダヤ教を横に置いておいたとしても、基本的人権や国際条約に反しているとみるイスラエル人や、世界に散らばっているユダヤ人もいます。</span></div></span><p></p><p style="text-align:left;color:inherit;margin-bottom:36px;">日本にいると見えにくいと思いますが、ヨーロッパの多くの国々、特にドイツでは、ユダヤ人虐殺に対する集団的な罪深さのようなものが大きく、イスラエル政府の多くの国際法違反の行動について批判したり、パレスチナ人に対する抑圧・殺害（どれも国際法違反）に同情するようなことをいうのは、社会的にキャンセルされることにもつながりかねません。</p><p style="text-align:left;color:inherit;margin-bottom:36px;">それでも、勇気のある小説家やジャーナリストは声をあげつづけています。</p><p style="color:inherit;margin-bottom:36px;"></p><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">なぜなら、多くの善良なひとびとが沈黙し、目の前で起こっているいることから目をそむけつづけると、ホロコーストのようなひどいことが起きうるのは明白だからです。</span></div><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">私たちは、ひとびとを非人間化することばや行動をきちんと批判し、私たちすべての人間性を守っていく義務があります。</span></div><p></p></div><p style="text-align:left;"><span style="color:inherit;text-align:center;">モナさんやほかのアーティストたちが、声なき人々の声を伝え続けているように。</span></p></div>
</div></div></div></div></div></div> ]]></content:encoded><pubDate>Thu, 02 Nov 2023 11:58:26 +0000</pubDate></item><item><title><![CDATA[芸術家であることの理由は、証言をすることー世界の残酷さや不正に無感覚にならない。直視しつづける]]></title><link>https://www.thegreencatalyst.com/blogs/post/20231013</link><description><![CDATA[<img align="left" hspace="5" src="https://www.thegreencatalyst.com/files/Blog after 20230324/pexels-ollie-craig-6398533.jpg"/>２０２３年１０月から、ロンドンのTate Modern Gallery（テート現代美術館）にて、&nbsp; Philip Guston（フィリップ・ガストン）の展覧会 &nbsp;が始まりました。 テート現代美術館を含めてロンドンの美術館の多くは、こういった特別展を除けば無料です。 ただ、特別展は年々高く ]]></description><content:encoded><![CDATA[<div class="zpcontent-container blogpost-container "><div data-element-id="elm_YTZivhplSDSxK0X1ReWetA" data-element-type="section" class="zpsection "><style type="text/css"></style><div class="zpcontainer-fluid zpcontainer"><div data-element-id="elm_5ZVNyoIwT_20EodrrRmweA" data-element-type="row" class="zprow zprow-container zpalign-items- zpjustify-content- " data-equal-column=""><style type="text/css"></style><div data-element-id="elm_91CkUEvfTxas-PhYDLvn9w" data-element-type="column" class="zpelem-col zpcol-12 zpcol-md-12 zpcol-sm-12 zpalign-self- "><style type="text/css"></style><div data-element-id="elm_3xt8QnwQRgyW8GYii7hdzQ" data-element-type="heading" class="zpelement zpelem-heading "><style></style><h2
 class="zpheading zpheading-align-center " data-editor="true"><div style="color:inherit;"><h1 style="font-size:28px;">芸術家であることの理由は、証言をすること</h1></div></h2></div>
<div data-element-id="elm_SlyqwKhXQ5awdgUm_M8S3w" data-element-type="text" class="zpelement zpelem-text "><style></style><div class="zptext zptext-align-center " data-editor="true"><div style="color:inherit;"><p style="text-align:left;margin-bottom:36px;">２０２３年１０月から、ロンドンのTate Modern Gallery（テート現代美術館）にて、&nbsp;<a href="https://www.tate.org.uk/whats-on/tate-modern/philip-guston" target="_blank">Philip Guston（フィリップ・ガストン）の展覧会</a>&nbsp;が始まりました。</p><p style="margin-bottom:36px;"></p><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">テート現代美術館を含めてロンドンの美術館の多くは、こういった特別展を除けば無料です。</span></div><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">ただ、特別展は年々高くなっていることもあり、アートが好きでロンドンに住んでいるのであれば、&nbsp;</span><a href="https://shop.tate.org.uk/membership" target="_blank">メンバーシップ</a><span style="color:inherit;">&nbsp;をもつことがお勧めです。</span></div><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">テート現代美術館だけでなく、Tate Britain（テート・ブリトン）美術館の特別展も無料で、どちらも素敵なメンバーのみのカフェがあります。</span></div><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">また、メンバーシップの種類にもよりますが、一番シンプルなメンバーシップでも、特別展の朝の１時間（９時～１０時）をメンバーのみに限定して開催している日が何日かあり、静かに好きな絵や彫刻を見られてとても満足です。</span></div><p></p><p style="text-align:left;margin-bottom:36px;">また、特定の美術館や博物館のメンバーシップではなく、多くの美術館・博物館・歴史的建造物といったさまざまな場所で割引のきく、&nbsp;<a href="https://www.artfund.org/" target="_blank">National Art Pass/</a>&nbsp;もおすすめです。</p><p style="margin-bottom:36px;"></p><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">フィリップさんは、アメリカ在住で、５０年ほどにわたるとても長い芸術生活を送った画家ですが、家族の出身地は現在のウクライナです。</span></div><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">ユダヤ系だったため、迫害を受け、家族と親戚がカナダへ移住せざるをえませんでした。その後、両親はアメリカに移民し、１９１３年に、フィリップさんは生まれました。</span></div><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">ユダヤ人であることは、アメリカでも差別の原因となったため、フィリップさんは、家族の苗字「Goldstein」から、「Guston」へと変えました。</span></div><p></p><p style="margin-bottom:36px;"></p><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">日本だけに住んでいると分かりづらいと思いますが、ヨーロッパではユダヤ人差別はとても長い歴史があり、たとえ伝統的な衣装を着ていなくても、苗字でユダヤ人起源だと分かることも多いです。</span></div><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">アメリカでも、ユダヤ人差別は長く続き、黒人ほどではなくても、大学への入学をユダヤ人ということで許可されなかったり、特定の職業へつくことができなかったりしました。</span></div><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">最終的には、アメリカの最高裁の裁判官となった、Ruth Bader Ginsburg（ルース・ベーダ―・ギンズバーグ）さんも、ユダヤ人かつ女性、ということで、大学卒業後は、弁護士事務所の職は固く閉ざされ、なんとか入り込めた職は、大学講師でした。</span></div><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">イギリスを含むヨーロッパでは、今でも「ユダヤ人は、炭鉱のカナリア（炭鉱の空気を調べるためにカナリアを実験として連れていき、人間が生きて働くことができる環境かどうかを確認していた。空気が薄ければ、カナリアは人間より早く死ぬため。）」と呼ばれていて、社会が不穏になると、社会の不安定さを引き起こしている原因とは全く関係のないユダヤ系の人々の店やユダヤ教の祈りの場であるシナゴーグが攻撃されるのは、残念ながら、珍しいことではありません。</span></div><p></p><p style="text-align:left;margin-bottom:36px;">フィリップさんは、１９１３年生まれで、１９８０年に６６歳で心臓発作で亡くなるまで、ほぼ休みなく芸術活動を続けました。</p><p style="text-align:left;margin-bottom:36px;">フィリップさんの子供時代は容易ではなく、父は差別やさまざまなことが重なり自殺し、そのすぐ後に、兄を事故で亡くします。</p><p style="margin-bottom:36px;"></p><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">フィリップさんの子供時代には、白人至上主義・極右派テロリストとして知られるKKK(Ku Klux Klan/クー・クラックス・クラン)が普通にまちの人々に講演会を開いたりもしていて、一般のひとびとが、クー・クラックス・クランの思想を受け入れている時期でした。</span></div><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">白人至上主義と一般にいわれていますが、ユダヤ人や白人系移民も「Others＝別の人々：自分たちとは少しでも違うと人間の枠にはいれない」として、迫害の標的となっていました。彼らの「自分たち」という囲いはとても偏狭なものです。</span></div><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">また、自分たち（往々にして、その時代のその特定の場所のマジョリティーで既存特益や特権をもっている人々）と違ういうことを名目に、誰かを傷つけたり殺したりしていいわけはないのですが、現在でも、こういった思想を潜在的・顕在的にもっているひとたちは絶えません。</span></div><p></p><p style="text-align:left;margin-bottom:36px;">フィリップさんは、KKKが行う黒人へのリンチやひどい行動をみて育ち、目を背けてはいけない、と強く感じます。</p><p style="margin-bottom:36px;"></p><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">それと同時に、自分も、彼らと共謀的ではないだろうか、という一歩下がって冷静に観察することも怠りません。</span></div><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">なぜなら、他のひとびとを抑圧している社会や政治のシステムから自分も恩恵を受けることで、この抑圧に加担し、共謀者となっているかもしれないからです。</span></div><p></p><p style="margin-bottom:36px;"></p><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">フィリップさんは、伝統的な画家としての道をたどったわけではありません。</span></div><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">フィリップさんの絵画への興味は、漫画から始まったそうです。</span></div><p></p><p style="margin-bottom:36px;"></p><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">父の自殺や兄の死など、つらいことがたくさんあり、小さいうちは漫画を読んだり自分で描いたりすることに没頭します。</span></div><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">学校では、後に画家として知られるようになるジャクソン・ポロックともたまたまクラスメートで仲良くしていました。</span></div><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">イタリア絵画にも魅入られ、１０代で、イタリアの伝統的な絵をインスピレーションにしつつ、オリジナルな絵を描きます。</span></div><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">その後は、壁画のプロフェッショナルとして、さまざまな場所で、戦争で苦しむ人々の絵を描いたりします。</span></div><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">フィリップさんは、いつも抑圧される側の味方です。</span></div><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">それは、自分自身や家族も、多くの差別や抑圧をくぐりぬけてきたこととも関係しているでしょう。</span></div><p></p><p style="margin-bottom:36px;"></p><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">フィリップさんの作風は、壁画から、具体的な形のある絵画、抽象画、コミック的な要素も加えた具体的な形を含む絵画等、さまざまに変わります。</span></div><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">それについて、大きな意味を見つけようとするアート専門家もいますが、フィリップさんは、手法自体は重要ではないとしています。</span></div><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">フィリップさんにとって、絵を描くということは、意図的にどういう手法で描くかということではなく、時間をかけて内面から出てくるものだからです。</span></div><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">フィリップさんは、とても個人的に精神的な難しさのあった数年を除いては、毎日スタジオに通い、描き続けました。</span></div><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">最初の絵を完全に描き替えたことも多く、自分ですら、最終の絵に何がでてくるかは分からない、とも言っていました。</span></div><p></p><p style="margin-bottom:36px;"></p><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">今回の展覧会は数年前に開催される予定だったのですが、フィリップさんの作品には、KKKを揶揄する作品がたくさんあり、ジョージ・フロイドさんの殺人からのBlack Lives Matterもあり、美術展への論議を避けるために遅れて開催となりました。</span></div><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">これについては、反対の声もあがっていましたが、アメリカでもイギリスでも美術展は予定より数年遅れて開催となりました。</span></div><p></p><p style="margin-bottom:36px;"></p><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">フィリップさんの作品には、KKKがコミック的に揶揄されて描かれているものもあれば、縄をもっているKKKメンバーの姿とリンチされて死んでいる黒人の姿が背景に明確に描かれているものもあります。</span></div><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">KKKは必ずしもKKKである必要はなく、偏狭な思想で「Us（私たち）」と「Others（他のひとびと）」にわけ、後者を非人間化して暴力をふるい抑圧している人々を現しています。</span></div><p></p><p style="text-align:left;margin-bottom:36px;">フィリップさんは、この世の中の不正や暴力をみて、何もせず、自分の安全なスタジオでこの赤がどうか、青がどうか、ということだけをやっていられず、<span style="font-weight:700;">不正や暴力を絵に描いて世界に出していくことで、証言をおこないました</span>。</p><p style="margin-bottom:36px;"></p><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">自分の周りで起こっている暴力や不正といったことに被害を受けているひとびとの側にたち、痛みから目を背けず、直視しています。</span></div><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">現実に起こっていることから、（自分には直接関係ないとして）自分の感覚を麻痺させないことは大事だとしています。</span></div><p></p><p style="text-align:left;margin-bottom:36px;">フィリップさんのコミック的な作風を批判する人々もいたものの、フィリップさんのブラックユーモアのある作品は、感覚を麻痺させている人々も、恐れることなく見ることができ、かつ、世の中で起こっていることに目を開かせ、麻痺させていた感覚を取り戻し、ヒューマニティーを呼び起こしてくれるのでは、と思います。</p><p style="margin-bottom:36px;"></p><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">２０２４年２月まで開催されているので、ロンドンを訪れることがあればお勧めします。</span></div><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">テムズ川をはしっているボートがテート現代美術館前でも停まるので、テムズ川の眺めをボートから見た後に訪れるのも楽しいです。</span></div><p></p></div></div>
</div></div></div></div></div></div> ]]></content:encoded><pubDate>Fri, 13 Oct 2023 17:08:35 +0000</pubDate></item><item><title><![CDATA[ロンドンと芸術の民主主義]]></title><link>https://www.thegreencatalyst.com/blogs/post/20231010</link><description><![CDATA[<img align="left" hspace="5" src="https://www.thegreencatalyst.com/files/Blog after 20230324/pexels-thirdman-6194039.jpg"/>ロンドンは、芸術という観点からいうと、とても民主的です。 クラシックの音楽祭である、毎年夏に一か月以上にわたって行われる&nbsp; Proms/ &nbsp;（プロムス）は、当日の立見席が早く並んだ順で買えるようになっていて、８ポンド（約１５００円）です。オーケストラにも近くて、周りのひととおしゃべりし ]]></description><content:encoded><![CDATA[<div class="zpcontent-container blogpost-container "><div data-element-id="elm_knvP9PaiS2uM9vzfLPR5Ug" data-element-type="section" class="zpsection "><style type="text/css"></style><div class="zpcontainer-fluid zpcontainer"><div data-element-id="elm_1SRlIdD5TiGP2go94PgYvQ" data-element-type="row" class="zprow zprow-container zpalign-items- zpjustify-content- " data-equal-column=""><style type="text/css"></style><div data-element-id="elm_rRaphMhqTUuzgCRH4TqiuQ" data-element-type="column" class="zpelem-col zpcol-12 zpcol-md-12 zpcol-sm-12 zpalign-self- "><style type="text/css"></style><div data-element-id="elm_r4iL3fp5Rq2A84tSXuv-3g" data-element-type="heading" class="zpelement zpelem-heading "><style></style><h2
 class="zpheading zpheading-align-center " data-editor="true">ロンドンと芸術の民主主義</h2></div>
<div data-element-id="elm_lSMoCYXYT2efmEqSAzaslg" data-element-type="text" class="zpelement zpelem-text "><style></style><div class="zptext zptext-align-center " data-editor="true"><p style="text-align:left;"><span style="color:inherit;text-align:center;">ロンドンは、芸術という観点からいうと、とても民主的です。</span></p><div style="color:inherit;"><p style="text-align:left;margin-bottom:36px;"><br>クラシックの音楽祭である、毎年夏に一か月以上にわたって行われる&nbsp;<a href="https://www.royalalberthall.com/tickets/proms/bbc-proms-2023/" target="_blank">Proms/</a>&nbsp;（プロムス）は、当日の立見席が早く並んだ順で買えるようになっていて、８ポンド（約１５００円）です。オーケストラにも近くて、周りのひととおしゃべりしたり、立見席は楽しいです。</p><p style="text-align:left;margin-bottom:36px;">また、同様に、&nbsp;<a href="https://www.shakespearesglobe.com/" target="_blank">Shakespeare's Globe/</a>&nbsp;（シェイクスピア劇場ー野外劇症）では、立見席は舞台から一番近い半円上の場所となり、５ポンド（約９００円）です。俳優が舞台の途中で観客に話しかけたりして、とてもインタラクティブですべてが生きていて、楽しめます。</p><p style="text-align:left;margin-bottom:36px;">最近は、Royal Opera House（ロイヤル・オペラ・ハウス／バレエやオペラの劇場）で、オペラ「&nbsp;<a href="https://www.roh.org.uk/tickets-and-events/lelisir-damore-by-laurent-pelly-details" target="_blank">L'elisir d'amore</a>&nbsp;（レリシ―ル・ダモーレ／愛の妙薬）」を観てきました。これも、上記と同様に、チケットは９ポンド（１６００円）から始まり、一番高いチケットだと１５０ポンド程度です。</p><p style="text-align:left;margin-bottom:36px;">イタリアのミラノにあるスカラ座は、このロイヤルオペラハウスとは違って、チケットの価格も高いところから始まり、かつきちんとした服装が普通のようですが、ロイヤルオペラハウスは、ジーンズでスニーカーのひともいれば、美しくドレスで着飾ったひともいて、本当にさまざまです。気軽にふらっと立ち寄るのもいいし、特別な日にいい席を予約して、ロイヤルオペラハウスにたくさんある小さなレストランやバーで、観劇前やインターバルにワインやシャンペンを楽しむのもいいでしょう。</p><p style="margin-bottom:36px;"></p><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">今回の、L'elisir d'amore（レリシ―ル・ダモーレ／愛の妙薬）は、喜劇で、思わず笑ってしまう場面がたくさんあるのですが、ソプラノの主役の声と演技は、とても素晴らしいものでした。</span></div><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">彼女は、アメリカ出身のソプラノ歌手で、当然ながらイタリア語で歌っています。いつものように、英語のSurtitle（サータイトル／翻訳・意訳）が舞台の上のほうに表示されるので、イタリア語が分からなくても、英語が分かれば大丈夫です。ただ、コメディーで、内容は単純なので、英語やイタリア語が分からなくても十分楽しめるし、話の内容は想像がつくと思います。</span></div><p></p><p style="margin-bottom:36px;"></p><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">ただ、サータイトルは必ずしも、歌のタイミングとは同じではないので、私の夫のようにイタリア語が母語だと、サータイトルは見ないので、サータイトルが歌より早く出ることも多くて、周りの人々が不思議なタイミングで笑うな。。と思っていたら、サータイトルのタイミングだった、ということも起こります。</span></div><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">私が行った日は、Bass（一番低い声）歌手で、とてもよく知られているウェールズ人歌手が突然病気になり、イタリア人のBass歌手が２４時間どころか、もっと短い期間で代役となることを頼まれ、舞台で歌いましたが、歌だけでなく、喜劇らしいやり取りの演技もスムーズで、やっぱりプロフェッショナルってすごいな、と改めて思いました。</span></div><p></p><p style="text-align:left;margin-bottom:36px;">イギリスは階級社会なので、オペラは上流階級の楽しみ、のようにとらえている人々もいるのですが、イタリアでは、普通の庶民が楽しんでいるものです。私の夫側の親戚の多くも、第二次世界大戦中に生まれたひとたちは小学校で学業を終えるしかなかったのですが、オペラは大好きだし、日常で口ずさんだり、誰かが歌いだすと、みんなが自然と一緒に歌いだしたりします。</p><p style="margin-bottom:36px;"></p><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">日本だと、「能」のように貴族のために演じられたものもありますが、オペラは私たち、庶民のための芸術でもあります。</span></div><div style="text-align:left;"><span style="color:inherit;">特に喜劇だと、演技も入って、素晴らしい歌声とともに楽しめるので、おすすめです。</span></div><p></p><p style="text-align:left;margin-bottom:36px;">私も私の友人たちも、何度観ても泣いてしまうのは、La Traviata（ラ・トラヴィアータ／日本語では椿姫と訳されているよう）というオペラ悲劇です。ヴェルディの音楽ももちろん素晴らしいのですが、ひとの歌声には、なにかマジックが秘められているとしか思えず、話も知っているし違うバージョンもいくつも見ているのに、主人公たちの気持ちに感じ入って入り込んでしまい、それがお芝居（オペラ）で架空の世界なのだということを忘れてしまいます。</p><p style="text-align:left;margin-bottom:36px;">冬に上演されることが多いのですが、ヨーロッパの寒くて暗い冬には多くのイルミネーションが夜に美しく、オペラ座での夢のような時間を去ってその街を歩くのと、主人公たちの美しい心と声の思い出がとてもしっくりくるように感じられます。</p></div><p style="text-align:left;"><span style="color:inherit;text-align:center;">冬のロンドンの暗さにうんざりしたときにも、お勧めです。</span></p></div>
</div></div></div></div></div></div> ]]></content:encoded><pubDate>Tue, 10 Oct 2023 16:06:35 +0000</pubDate></item><item><title><![CDATA[暗闇の中の光ー希望]]></title><link>https://www.thegreencatalyst.com/blogs/post/20230712</link><description><![CDATA[<img align="left" hspace="5" src="https://www.thegreencatalyst.com/files/Blog after 20230324/pexels-shvets-production-7516283.jpg"/>最近、イギリスでは、耳の聞こえないイラク難民の少年Lawand（ローワンド）のドキュメンタリー「Name Me Lawand」が公開されました。 ローワンドが、 ことばを表現する手段（British Sign Language／イギリス式手話）を習うことを通じて、自分の世界を発見し、正確に表現できるよう ]]></description><content:encoded><![CDATA[<div class="zpcontent-container blogpost-container "><div data-element-id="elm_av9ZnHg-TSGDrGLiVD2hmg" data-element-type="section" class="zpsection "><style type="text/css"></style><div class="zpcontainer-fluid zpcontainer"><div data-element-id="elm_yp0HWjgVRLCB7tyFKEzYVQ" data-element-type="row" class="zprow zprow-container zpalign-items- zpjustify-content- " data-equal-column=""><style type="text/css"></style><div data-element-id="elm_4deFuEs0ROeCEFgXfl89mA" data-element-type="column" class="zpelem-col zpcol-12 zpcol-md-12 zpcol-sm-12 zpalign-self- "><style type="text/css"></style><div data-element-id="elm_8pNFFsNMQ06L-kckQ5ZUTw" data-element-type="heading" class="zpelement zpelem-heading "><style></style><h2
 class="zpheading zpheading-align-center " data-editor="true">暗闇の中の光ー希望</h2></div>
<div data-element-id="elm_89hDwE7XT7Svkmdqu72Hbg" data-element-type="text" class="zpelement zpelem-text "><style> [data-element-id="elm_89hDwE7XT7Svkmdqu72Hbg"].zpelem-text { border-radius:1px; } </style><div class="zptext zptext-align-left " data-editor="true"><p><span style="font-size:18px;color:inherit;">最近、イギリスでは、耳の聞こえないイラク難民の少年Lawand（ローワンド）のドキュメンタリー「Name Me Lawand」が公開されました。</span></p><span style="color:inherit;"><br style="font-size:18px;"><span style="font-size:18px;">ローワンドが、</span></span><span style="color:inherit;font-size:18px;">ことばを表現する手段（British Sign Language／イギリス式手話）を習うことを通じて、自分の世界を発見し、正確に表現できるようになり、徐々に自分への自信をつけ、聾学校でも友情を築いていく姿は、とても心に残りました。</span><div><div><span style="color:inherit;"><br style="font-size:18px;"><span style="font-size:18px;">イギリスならではだと思いますが、この聾学校の生徒たちのバックグラウンドもさまざまです。ラトヴィア出身の子はラトヴィアとロシアとイギリスの手話の３つを使います。バングラデシュ出身のとても明るくチャーミングでインテリジェントなローワンドの親友も登場します。彼は、理数系科目が得意で、将来は大学のエンジニア学科に進みたいと思っています。</span><br style="font-size:18px;"><span style="font-size:18px;">ローワンドの担任の先生も耳が聞こえなくて、７才までは手話も習わせてもらえなく、自分のことも表現できず、周りとのコミュニケーションはほぼゼロだったそうです。彼女は、耳は聞こえなくても、話せるし、恐らくLip reading（口元から話していることを理解）もできるので、声に出して話すことと手話両方を教えます。</span><br style="font-size:18px;"><br style="font-size:18px;"><span style="font-size:18px;">彼女はよく「</span><span style="font-weight:700;font-size:18px;">How does that make you feel？（あなたはどのように感じる？）</span><span style="font-size:18px;">」とローワンドが自分の気持ちに気づき、表現することを助けます。これは、子供の感情のRegulation（制御）を高めるもので、思っていること・感じることを観察して、言葉にし、辛かった気持ちや混乱、怒りもそのまま受け止め、それに対してどのようにレスポンスをするのかを助けます。</span><br style="font-size:18px;"><br style="font-size:18px;"><span style="font-size:18px;">ローワンドのクラスのある日の課題は「</span><span style="font-weight:700;font-size:18px;">What does the language mean to you？（言語はあなたにとってどのような意味をもっていますか？）</span><span style="font-size:18px;">」でした。授業では、こういったオープン・クエスチョンが多く、対話をする機会が多いのも、イギリスならでは（恐らくヨーロッパ全般）だと思います。</span><br style="font-size:18px;"><span style="font-size:18px;">ローワンドは、クラスメイトや他のひとから馬鹿にされるのではないか、と恐れて、パスしますが、最終的には、「</span><span style="font-weight:700;font-size:18px;">言葉は、自由をくれた</span><span style="font-size:18px;">」と的確に自分の考えを、皆の前で語ります。</span><br style="font-size:18px;"><br style="font-size:18px;"><span style="font-size:18px;">ローワンドは、イラクで生まれ、残りの家族はみんな耳が聞こえます。国自体が紛争で安定しておらず、学校も耳が聞こえないローワンドをどう扱っていいか分からず、「彼には将来がない。勉強なんてしても仕方ない。」という対応で、学校でも障害があるということで子供たちからもひどくいじめられます。</span><br style="font-size:18px;"><span style="font-size:18px;">手話を教える機関もなかったそうです。</span><br style="font-size:18px;"><span style="font-size:18px;">ローワンドの歳の近い兄、Rawa（ラワ）も懸命に弟を守りますが、このままここにいるのはローワンドにとってとても危険では、とも思ったそうです。</span><br style="font-size:18px;"><span style="font-size:18px;">ローワンドの両親は、先生たちの言うことを信じず、ローワンドとコミュニケーションをとることができなくても</span><span style="font-weight:700;font-size:18px;">彼の可能性を信じ、彼が高い教育を受けられるヨーロッパへ渡ろうと決意</span><span style="font-size:18px;">します。家族は、死の可能性があるにも関わらず、厳しい道をひたすら進みます。ローワンドがイギリスへたどり着いたときはまだ５歳だったので、この道中も、ローワンドには何が起きているか分からず、不安であることを表現することもできず、いつも「なぜ？」という疑問が渦巻いていたそうです。</span><br style="font-size:18px;"><span style="font-size:18px;">この道中には、規定人数をはるかに越えた人々が小さな脆弱な船に乗って海を渡ることも含まれ、砂漠や危険な道のりを父はローワンドを背負って歩き続けます。</span><br style="font-size:18px;"><span style="font-size:18px;">難民キャンプでは、警官が暴力をふるうところもあったりして、道中は危険が続きます。</span><br style="font-size:18px;"><span style="font-size:18px;">その中で、ある日、耳の聞こえないイギリス人の難民キャンプのボランティア男性が、耳の聞こえない難民の子供がいると聞いて、ローワンド家族がいたテントを訪れます。</span><br style="font-size:18px;"><span style="font-size:18px;">ローワンドにとって、耳の聞こえない人に会うのは、人生で初めてのことでした。彼から、少し手話を教わり、このボランティアの青年が、イギリスの聾学校に連絡をして、家族はイギリスへ行く機会を得ることとなります。</span><br style="font-size:18px;"><span style="font-size:18px;">人生で初めて自分と同じように耳の聞こえないボランティア男性と意味を成すコミュニケーションがあったとき、暗闇と混乱の中に希望の光をみたように感じた、と後に語っていました。</span><br style="font-size:18px;"><br style="font-size:18px;"><span style="font-size:18px;">イギリスに着き、聾学校でローワンドのアセスメントを行った専門家からは、今までのトラウマが大きいため、どこまでローワンドが教育を受け止め回復できるかは分からない、と言われたものの、学校を始めることとなります。</span><br style="font-size:18px;"><span style="font-size:18px;">それまで全くコミュニケーションもできなかったし、いじめや難民としてひどい扱いを受け続けてきたこともあり、ひとが怖かったり、自分は馬鹿なんじゃないかと縮こまっていましたが、先生の適切な助けや優しいクラスの友達との出会いもあり、徐々に心を開いていきます。</span><br style="font-size:18px;"><br style="font-size:18px;"><span style="font-size:18px;">ローワンドの家族は、手話でなくスピーチができるようになることを期待しますが、ローワンドは、声を出すことが苦痛で、手話だけで勉強することを自分の意志で選択します。家族に「See you later（また、後でね）」と声に出して言ったりはしますが、複雑な思考やコミュニケーションは手話です。ローワンドの家族も最終的には、手話を習い始めます。</span><br style="font-size:18px;"><span style="font-size:18px;">両親はイラクで育ったので、Lip reading（ほかの人が話している口元を見て何を言っているか理解する）とスピーチができないと社会に受け入れられない、と思っていたのですが、ローワンドがどうしたいかも大切だし、イギリスでは約１５万人以上が手話を使って生活しています。</span><br style="font-size:18px;"><span style="font-size:18px;">手話をウェールズ語・英語・ゲーリック（アイルランド・スコットランドのオリジナルな言語）と同じように、The UKの公式言語にしたいとの運動も起きています。</span><br style="font-size:18px;"><br style="font-size:18px;"><span style="font-size:18px;">ローワンドは時間はかかったものの、自分の感情や複雑な考えも正確に表現できる知性にあふれた少年へと成長していきます。</span><br style="font-size:18px;"><span style="font-size:18px;">印象に残っているのは、誰ともコミュニケーションができないころ、自分の名前は「BAD（悪い子）」だと思っていたけど、手話を学んで自分の考えを知り表現できるようになり、それは間違っていたと気づいたという場面と、長い間、どこか自分を受け入れてくれる惑星に行きたい、と思っていたけど、今は、ここが自分の安心できる場所だと思っていると言っていた場面です。</span><br style="font-size:18px;"><span style="font-size:18px;">ここには、コミュニケーションの手段は限られてはいるものの、年の近い兄のラワがいつも、ローワンドを支えていたこともあると思います。</span><br style="font-size:18px;"><span style="font-size:18px;">ラワはあっという間に英語を流暢に話していましたが、彼も子供で、自分のいとこや親戚の多くに囲まれていたイラクでの生活を懐かしく思ったり、彼らに会いたいということもあるものの、弟のローワンドにとってイギリスが最適の場所だと分かっているので、それはすんなりと受け入れたようです。ローワンドが中心の映画ではあるものの、ラワの人間としての賢さや成熟さ、忍耐強さや優しさには、こちらも感服させられます。</span><br style="font-size:18px;"><br style="font-size:18px;"><span style="font-size:18px;">イギリスでの滞在は心配事がなかったわけではなく、ローワンド家族のビザの問題は片付かず、イギリスへきてから７年近くの間、一時的なビザで、何度もイギリスへ難民としていられるかどうかのアピールを続けることとなります。このイギリス北部の町では、ローワンド家族がイギリスへいられるよう、町の人々の大きな協力もありました。</span><br style="font-size:18px;"><br style="font-size:18px;"><span style="font-size:18px;">ある日、両親や先生は、ローワンドには知らせなかったものの、家族の難民申請をめぐって、ローワンドがどのくらい知性が伸びたのかということをチェックするために、監査の人々がやってきて、ローワンドを厳しくチェックします。</span><br style="font-size:18px;"><span style="font-size:18px;">ローワンドも、うすうす分かっていて、ストレスを感じて、普段よりも間違いを多くします。両親も、「あんな小さな子供には、過酷すぎる」と言っていました。</span><br style="font-size:18px;"><span style="font-size:18px;">この結果は、「ローワンドは、別の国の言葉を習うことも可能で、イギリスに難民として残る必要はない」というものでした。</span><br style="font-size:18px;"><span style="font-size:18px;">ローワンドの両親もそれが真実ではないことをよく分かっています。</span><br style="font-size:18px;"><span style="font-size:18px;">イラクへ送り返されると、ローワンドは勉強する術も失うし、未来も失います。</span><br style="font-size:18px;"><span style="font-size:18px;">イラクへ送り返されることがほぼ確実になっても、ローワンドも家族も諦めません。</span><br style="font-size:18px;"><span style="font-size:18px;">裁判で、ローワンドが自分の意見を述べることが許され、そのサポートとして、ローワンドのクラスメイトたちが、なぜローワンドがイギリスへ残るべきなのかを、温かく語るところがビデオに撮影されました。</span><br style="font-size:18px;"><br style="font-size:18px;"><span style="font-size:18px;">結果はここでは書きませんが、このような厳しい状況でも、ローワンドは希望を持ち続けています。</span><br style="font-size:18px;"><span style="font-size:18px;">ロンドンで、手話を公用語として求める大きな集会があると聞き、ローワンドは両親に頼んで、家族でその集会に参加することにします。多くの人々が手話で生き生きと話しているのを見たローワンドは、手話をもっとひろめる活動もしたいと思います。</span><br style="font-size:18px;"><br style="font-size:18px;"><span style="font-size:18px;">映画としては、ローワンドの見ている世界を描く風景も多く、少し冗長だと思った映画批評家もいましたが、私自身は、ヴィジュアル的にも美しいと思いました。</span><br style="font-size:18px;"><span style="font-size:18px;">全く言葉をもたなかった少年が、温かい人々、先生たちによって成長していき、自分に自信をもっていく姿をみて、改めて、早い段階での、その子にあった教育がいかに大切かを感じさせられました。<br></span><span style="font-weight:700;font-size:18px;">誰もが多くの才能と可能性をもって生まれてきますが、それが花開くには、多くのサポートが必要</span><span style="font-size:18px;">です。</span><br style="font-size:18px;"><span style="font-size:18px;">また、この映画に携わっている音楽や映像担当には、耳の聞こえないプロフェッショナルも含まれています。<br></span><span style="font-weight:700;font-size:18px;">耳が聞こえない、目が見えないということで、職業や可能性を狭めない社会は、とても大切</span><span style="font-size:18px;">です。</span><br style="font-size:18px;"><span style="font-size:18px;">少年たちは、手話でコミュニケーションを取りますが、冗談を言ったり一緒にサッカーをしたりと、耳の聞こえる人たちと何ら変わりはありません。</span><br style="font-size:18px;"><span style="font-size:18px;">イギリスには、耳の聞こえないプロフェッショナルのパーカッショニストもいるし、大変なことはあるにせよ、門戸はオープンです。</span><br style="font-size:18px;"><span style="font-size:18px;">この映画のダイレクターは、耳は聞こえますが、ローワンドときちんとコミュニケーションをとるため、手話の集中講座を受け、手話で会話できるそうです。ダイレクターは、ロンドンで手話を学んだため、イギリス北部に住むローワンドとはスラングが少し違ったりするのも、発見だったそうです。</span><br style="font-size:18px;"><br style="font-size:18px;"><span style="font-size:18px;">私が日本の学校で４５人学級で先生は１人だったというと、ヨーロピアンの友人からはとても驚かれます。私のイタリア人の姪っ子の小学校でも２０人くらいの子供たちに先生が２人ついています。スペインで先生をしていた友人もそのぐらいの規模が普通と言っていました。そうでなければ、対話式の授業はありえないでしょう。日本のような生徒数が異常に多い状態だと、生徒は黙って先生の言うことをノートにとり、聞かれたときにのに答えるという、とても一方的な授業になるのは仕方のないことですが、子供たちにとっては失うものが大きいと思います。</span><br style="font-size:18px;"><span style="font-size:18px;">また、先生にしてみても、どんなに努力をしても、４５人の子供たちを一人で教えることは人間の限界を越えているでしょう。先生が２人ついていれば、子供にとっても相性がいい先生を選んで話したりもできるだろうし、どちらかの先生の言動が行き過ぎることがあれば、もう一人の先生が気づいて止めることも可能でしょう。</span><br style="font-size:18px;"><br style="font-size:18px;"><span style="font-size:18px;">ヨーロピアンは、自分の気持ちや状況を言語化することにとても長けているし、相手の言うことをしっかりと聞いて、適切な質問をしながら対話を行うことも上手です。</span><br style="font-size:18px;"><span style="font-size:18px;">そこには、</span><span style="font-weight:700;font-size:18px;">お互いの意見や思いを尊重するという姿勢がいつもあります</span><span style="font-size:18px;">。</span><br style="font-size:18px;"><br style="font-size:18px;"></span><p><span style="font-size:18px;color:inherit;">日本で公開されるかどうかは分かりませんが、手話の際は英語の字幕もでるので、英語で観るのもいいと思います。</span></p></div></div></div>
</div></div></div></div></div></div> ]]></content:encoded><pubDate>Wed, 12 Jul 2023 13:13:56 +0000</pubDate></item><item><title><![CDATA[No Bears (熊はいない) ーイラン映画]]></title><link>https://www.thegreencatalyst.com/blogs/post/20221128</link><description><![CDATA[<img align="left" hspace="5" src="https://www.thegreencatalyst.com/pexels-gregory-rogers-1328414.jpg"/>イラン人監督パナヒさんによる、最近公開された映画「No Bears（熊はいない）」。偽りでも、「熊がいる」というような恐れを権力者が人々にうまく植え付ければ、少数の権力者たちが人々をコントロールし、自分たちへの権力集中・権力濫用・経済の不正を行うことがとても容易になります。あなたが信じている恐れは、本当に存在するものなのでしょうか？]]></description><content:encoded><![CDATA[<div class="zpcontent-container blogpost-container "><div data-element-id="elm_dg7rpKPgRSqPRDi7TSlVnQ" data-element-type="section" class="zpsection "><style type="text/css"></style><div class="zpcontainer-fluid zpcontainer"><div data-element-id="elm_LsatV4ITS1mGxBk2aNhR0g" data-element-type="row" class="zprow zprow-container zpalign-items- zpjustify-content- " data-equal-column=""><style type="text/css"></style><div data-element-id="elm_m3qGhZiHRiyze64IZj6QFg" data-element-type="column" class="zpelem-col zpcol-12 zpcol-md-12 zpcol-sm-12 zpalign-self- "><style type="text/css"></style><div data-element-id="elm_Kj_nuFJpS8Chb4frIIj72Q" data-element-type="heading" class="zpelement zpelem-heading "><style></style><h2
 class="zpheading zpheading-align-center " data-editor="true"><div style="color:inherit;"><h1 style="margin-bottom:18px;font-weight:700;">No Bears (熊はいない) イラン映画 パナヒ監督</h1></div></h2></div>
<div data-element-id="elm_ifNQbQ2oSLir4uk9_RTIjQ" data-element-type="text" class="zpelement zpelem-text "><style> [data-element-id="elm_ifNQbQ2oSLir4uk9_RTIjQ"].zpelem-text { border-radius:1px; } </style><div class="zptext zptext-align-left " data-editor="true"><div style="color:inherit;"><p style="margin-bottom:36px;">イランのパナヒ監督の最新映画「No Bears （熊はいない）」がロンドンの映画館でも公開されました。<br><br>個人的には、ロンドンにきてから、アフガニスタンでのタリバンの抑圧が原因で子供の頃家族でイランに亡命した友人がいたり、ロンドンの大学ではイランの政治状況に憂慮してフランスへ家族で亡命した他の専攻のイラン人の知合い等がいて、イランも身近に感じます。<br>彼らと話していると、文化的には、日本とイランのような中東は、家族やコミュニティーのしばりつけの強さ（場合によっては、家族やコミュニティーで助け合う絆の強さともいえる）や、女性への抑圧等、ヨーロッパよりも似ているところがたくさんあるように思います。<br>コミュニティーの暗黙の決まりを破ると、自分だけでなく家族や親戚も誹りや罰を受ける、という感覚もヨーロピアンには分かってもらいにくいですが、中東やアジアで育った人々にはすぐ分かってもらえます。<br><br>パナヒ監督は自宅軟禁の１０年ぐらいを送っている間にも映画を撮影していたものの、現在は、またしてもこじつけの「国家に対するプロパガンダを行った」という罪で、６年の有罪を宣告され、牢獄へ入れられています。<br><br>この映画は、トルコとの国境近くのイラン国内の田舎でパナヒ監督が指示を行い、トルコ国内でアシスタントダイレクターが実際の撮影を行っているという設定で話が進みます。<br><br>現実と虚構の境が曖昧になるのも絶妙です。<br><br>題名の「No bears (熊はいない)」は、映画の中のパナヒ監督が、迷信深く、猜疑心の強い村人たちの騒動に巻き込まれ、実際には存在しない写真をめぐって写真がないことを「Confession（罪の告白／真実の告白）」を行うように説得されます。<br>パナヒ監督は、村の写真や子供たちの写真を気ままにとっていた時に、この村の若い男女が一緒にいた写真を撮った可能性があると、村の子供が証言したことから始まります。この若い男女のうち、女性は、村の他の男性と婚約させられましたが、最近首都テヘランの大学に行ったものの、プロテストに参加したことが原因で退学させられ、村に帰ってきた若者と愛し合っていました。その愛し合った二人がこっそりと会っていたことが公に認められると、「名誉」等の大きな問題となります。この愛し合っている二人は、村にいる限り未来はないので、近いうちに国境を越えてトルコに行くことを計画しています。</p><p style="margin-bottom:36px;">その村のConfession（罪の告白／真実の告白）を行う特別な場所へ向かう際に、村人に会います。その村人は、「熊が出るから、一緒に行かないと危ない」と言い、「まず一緒にお茶を飲んでから一緒に行こう」とお茶を飲む場で話します。<br>そこで、この村人は、「別に嘘をついたっていいんだ。もしこの村の平和が守られるという目的なら（＝写真が実際に存在するかなんてどうでもいいけど、写真がないという主張は守ってくれ）」といい、「神の前で真実をいう」という特別な村の儀式を、この村人も別に信じていないことを明らかにします。<br>その後、山の中のConfession（罪の告白／真実の告白）の場所に向かう際に、分かれ道で、村人は、「きみは左にいって。一緒に行くと勘繰られるから、僕は右の道から行くから」と言われ、パナヒ監督が「熊が出て危ないんじゃないの？」と聞くと「熊なんていない」とはっきりと言われます。<br>村人は、「熊が出るというのは、ただ村人を怖がらせるための迷信」と言い放ち、「都会の人々（＝パナヒ監督）は権威（政府や中央政治家）と問題があり、田舎の人々は迷信に問題がある」と続けます。<br>村人は続けて言います。<br><span style="font-weight:700;">「物語（伝説や神話、村の言い伝え等）は、私たちを怖がらせる（恐れさせるために）作り上げられたもの。私たちの恐れは、他の人々に力を与える」</span></p><p style="margin-bottom:36px;">ここで出てくる<span style="font-weight:700;">「熊」は、権力者が、社会（国）全体を、自分の支配やコントロール下に置き、その状態を続ける為に使うツール（物語や神話といった作り話）の象徴</span>です。<br>実際に熊をその山中で見た人もいなければ見たこともないのに、多くの村人たちは、そこに熊がいると信じ、やむを得ない事情がない限り決して近寄りません。<br><span style="font-weight:700;">「存在しない熊（恐れー権力者に力を持たせ続けるもの）」も、多くの人々が信じ、そのように行動すれば真実となります。実際には、作り出された幻影でしかありませんが、権力者に抵抗したり、真実を述べたりする人々を、市民間、個人の中で抑圧するよう仕向けます。</span><br><br>これは、現在、イランや中国でも起こっている若者を中心としたプロテストによく表れているのではないでしょうか？<br><br>ある程度年を取った人々は、小さいうちから、どんなに権威者が悪いことをしても、権威者への反抗・抵抗は社会的な「死」から実際の「死」にまでわたるまでの深刻な結果を必ず生むと無意識に信じ込まされています。<br>自分（内在的）や自分の周りにセンサーシップを行い言動を制限して暮らしています。<br>権力者がどんなに悪いことを隣村の人々や他の人々に行ったとしても、息をひそめ、自分や自分の周りの親戚が頭を低くし続けていれば、なんとか自分たちだけは、その「運の悪さ」を避けて生き延びれるのではないか、と期待しています。<br><span style="font-weight:700;">市民や村人がお互いに監視しあって抑圧しあい、権力者への抵抗や真実を言うことを避けるのは、権力者にとっては、とても都合の良い</span>ことです。<br>どんなに悪いことをしても責任を問われることもなければ、責任を取る必要すらありません。権力者の振る舞いは、どんどん悪くなる一方でしょう。<br><br>最近、聞いたPodcast（ポッドキャスト）の中で、とても興味深かったものの一つは、Financial TimesのXi Jinping (英語だとシー・ジンピン、周 近平首相)の子供時代から政治的にどう階段を駆け上ってきたかをたどる「&nbsp;<a href="https://podcasts.apple.com/us/podcast/the-prince/id1642926713" target="_blank">The Prince</a>&nbsp;」ですが、この中で、周氏に反対する中国のアクティヴィストが言っていたことが印象的でした。<br>内容は、大まかに「抑圧は厳しく長く続いていて、人々は常に腰を曲げ頭を下げ続けている姿勢を、「まっすぐ立っている」と認識している。そこに、自分のように頭を上げて「まっすぐ立っている」人を見ると、人々は彼らを抑圧している権威者ではなく、彼らの置かれている現実・真実を見させる自分を憎み攻撃する」というものでした。</p><p style="margin-bottom:36px;">これは、日本も似たような状況ではないかと感じます。<br>ただ、大きな違いは、中国やイランでは、実際に権威者に少しでも抵抗したり、真実を言うと、実際に裁判なしで牢獄へ無期限で閉じ込められたり、最悪の場合には殺されることもあるという現実です。<br><br>日本で過ごしているときは、家庭・学校・職場といった小さな場所ですら、とにかく権威者には抵抗・反抗しない、真実は言わないようにと徹底的に抑圧されました。これらのルールを破ると「とんでもないことが起こる。自分だけでなく、家族や親戚や周りの人々にも」というとても曖昧な脅しを受け続けましたが、このおかげで得をしているのは誰でしょうか？<br>ハラスメントやいじめの加害者や、悪い行動を取る社会・政治の権力者たちは、誰にも責任を問われず責任を取る必要性すらなく、加害や悪い行動はエスカレートするのみでしょう。悪い行動に対しては、明確に「No」をつきつける必要があります。<br>日本は、他の独裁的な国とは違って、言論の自由があり、民主主義・法律もある程度は機能しています。<br>私自身の経験では、権威者の悪い行動に対して明らかな「No」を突きつけたときは、権威者やその取り巻きだけでなく、「権威者にはどんなことをされても頭を下げ続け笑顔で受け入れなくてはならない」という神話を信じ込んでいる人々からもバックラッシュがあり、一時的には難しい状況には陥っても、結果的には良い方向に向かいました。<br>また、自分のモラルや気持ちを抑圧し続ければ、結局は自分自身を失います。<br>あなたが何を恐れているのか、どこからその恐れがきているのか、その恐れは作り話で実際には存在しないものではないのかを知ることは大切です。<br>「伝統」「今までそうだったから」という、抑圧することばに騙される必要はありません。どんな「伝統」だって、どこかで作り上げられた、作り話にしか過ぎません。多くの人々がそれに気づいて、盲目的に信じるのをやめれば、それ（多くの人々を苦しめているシステム）は崩壊します。もともと、作り話だったのですから。<br><br>現在の若い人々は、「<span style="font-weight:700;">共にある未来</span>」をみています。<br>自分の親や祖父母が生きてきた抑圧された自由のない社会に生きることを受け入れないし、古い世代が信じ込まされていた作り物の「物語・神話」も信じません。<br>実際、イランがヒジャブや女性たちへの締め付けを非常に厳格にしたのは、1979年のイスラム革命後で、革命前の15年くらいは近代化政策が実施され、西欧寄りの自由な時代も経験しています。<br><br><span style="font-weight:700;">イランのプロテストでは、男性の多くが女性をサポートしています。</span><br>Guardian Newspaperでは、多くの記事やイランのプロテストに参加している若者とのインタビューも放映されていまが、<span style="font-weight:700;">男性も、これは自分たち全員の未来への闘い</span>であると言っていました。<br>最初は、ヒジャブ（女性にだけ着用が強制される）が問題でしたが、今は、民主主義・言論の自由、より良い未来を求めるプロテストともなっています。</p><p style="margin-bottom:36px;"><span style="font-weight:700;">決められた未来なんてありません。</span><br>変えることが難しいこともありますが、絶対に不可能なわけではありません。<br>たまたま平和で自由を享受できる幸運な立場にいる人々には、不正義に立ち上がった人々をサポートし、私たちの自由を有効に効果的に使う義務があります。<br>それは、自分の身近で起こっていることにもいえることです。</p></div><p><span style="font-weight:700;color:inherit;">まやかしの「恐れ」は、盲目的に、作り話を信じることを止めれば、霧のように消え、勇気や希望が見えてきます。</span></p></div>
</div></div></div></div></div></div> ]]></content:encoded><pubDate>Mon, 28 Nov 2022 17:48:08 +0000</pubDate></item><item><title><![CDATA[ピアニストーアイスランド出身のVikingur Olafsson（ヴィキングル・オラフソン）]]></title><link>https://www.thegreencatalyst.com/blogs/post/20211005</link><description><![CDATA[<img align="left" hspace="5" src="https://www.thegreencatalyst.com/pexels-pixabay-210764.jpg"/>音で絵を描くピアニスト、アイスランド出身のVikingur Olafsson（ヴィキングル・オラフソン）さんのコンサートについて]]></description><content:encoded><![CDATA[<div class="zpcontent-container blogpost-container "><div data-element-id="elm_QR9n9gY9SlmTinczBuHatw" data-element-type="section" class="zpsection "><style type="text/css"></style><div class="zpcontainer-fluid zpcontainer"><div data-element-id="elm_CxRe-zbVQ7OnoWpB2JWXOQ" data-element-type="row" class="zprow zprow-container zpalign-items- zpjustify-content- " data-equal-column=""><style type="text/css"></style><div data-element-id="elm_TO-rrNbLT0eCtMoZEgUQIg" data-element-type="column" class="zpelem-col zpcol-12 zpcol-md-12 zpcol-sm-12 zpalign-self- "><style type="text/css"></style><div data-element-id="elm_GbVg8F1IT1KafECg_bRpGA" data-element-type="heading" class="zpelement zpelem-heading "><style> [data-element-id="elm_GbVg8F1IT1KafECg_bRpGA"].zpelem-heading { border-radius:1px; } </style><h2
 class="zpheading zpheading-align-center " data-editor="true"><blockquote style="margin:0px 0px 0px 40px;border:none;padding:0px;"></blockquote><blockquote style="margin:0px 0px 0px 40px;border:none;padding:0px;">ピアノコンサートーVikingur Olafsson（<span style="font-family:Montserrat, sans-serif;font-size:28px;">ヴィキングル・オラフソン）</span></blockquote></h2></div>
<div data-element-id="elm_Xd8xX4QMQuKvFTU-_IwTBQ" data-element-type="text" class="zpelement zpelem-text "><style> [data-element-id="elm_Xd8xX4QMQuKvFTU-_IwTBQ"].zpelem-text { border-radius:1px; } </style><div class="zptext zptext-align-left " data-editor="true"><p>２０２１年１０月５日の記事となります。</p><p><span style="color:inherit;">先週の土曜日は、パンデミックが始まって以来初めての音楽コンサートに行ってきました。</span></p><div style="color:inherit;"><div><div>ロンドンは、全面的・段階的なロックダウンもかなり長く続いていたため、こうやって多くの人々がコンサートホール（今回は、South BankのQueen Elizabeth Hall）に集まっているのを見るだけで、感激でした。<br></div><br><div>ピアニストは、アイスランド出身のVikingur Olafsson（ヴィキングル・オラフソン）。<br></div><br><div>今回の曲目は、モーツアルト、バッハ、リストという良く知られている作曲家に加えて、私自身は、今まで耳にしたことのなかった、イタリアのヴェネツィア出身のGaluppi （バルダッサーレ・ガルッピ）。ライブ演奏だと、２つのピアノ間の移動や、演奏を終える際のちょっとした手の動きから、音楽家の中で音楽が余韻で続いているのが見えたりして、音がピアニストとともに息をしているのが見える気がします。<br></div><br><div>コンサートは、BBC（イギリス国営放送）のサイトの<a href="https://www.bbc.co.uk/sounds/play/m001075f">ここ</a>から聴くことができます。<br></div><div><br></div><div>ヴィキングルさんを知ったのは、BBC Radio 4のFront Rowプログラムでした。<br></div><br><div>Front Rowプログラムは芸術、文学、映画、音楽、メディア等の最新のものを紹介するもので、このラジオを聞かなければ知ることもなかったであろう芸術家に出くわします。インターネットサーチでピンポイントで探すのとは違う、このランダムぶりがラジオのいいところだと思います。<br></div><div>彼はArtist in residenceということで、イギリスのロックダウン中にアイスランドの首都レイキャビクのコンサートホールから複数回登場したのですが、彼の音楽に対する説明はとても詩的で的確です。一番気に入っているのは、ジャン＝フィリップ・ラモーとクロード・アシル・ドビュッシーについて語り、ピアノを弾いたときです。イギリス在住でないと聞けないのかもしれませんが、BBCのサイトの<a href="https://www.bbc.co.uk/sounds/play/p08gnjgr">ここ</a>より聞けます。<br></div><div><span style="color:inherit;"><br>ヴィキングルさんは、ラモーとドビュッシーが生きていた時代は１００年ほど違うけれど、２人の共通点は、どちらも当時の伝統的な音楽界の作曲家たちからかけ離れた未来派で、文学や詩、絵からインスピレーションを大きく受け、</span><b style="color:inherit;">音で絵を描き</b><span style="color:inherit;">、まるで</span><b style="color:inherit;">音に手で触れられるかのような感覚</b><span style="color:inherit;">を呼び起こす、と表現していました。</span><br></div><div><br>​ラモーの「The&nbsp;Dialogue of the birds (鳥たちの会話)」</div><div>一羽の鳥が僕の右手に、もう一匹の鳥が左手に。<br></div><div>二羽の鳥が追いかけっこをして、話をしているのが聞こえてきます。<br></div><br><div>ドビュッシーの「snowflakes are dancing（雪の結晶が踊っている）」<br></div><div>本当に雪が窓の外を舞っているのが目の前に見えるよう。<br></div><div>まるで、雪の結晶にまで、実際に触れられるかのような感覚。<br></div><div>ぜひ、目をつぶって聴いてみてください。<br></div><br><div>ドビュッシーの「La Fille aux cheveux de lin（亜麻色の髪の乙女）」<br></div><div>ハープのような響きも聞こえ、夢を見ているかのような音楽だけれども、手で触れられるかのような感覚を呼び起こす。<br></div><div><br></div><div>ヴィキングルさんの静かで情熱的な説明にピアノが続くと、聞きなれていたと思っていた曲が、まるで初めてその曲を発見したかのような喜びを与えてくれます。<br></div><div>Youtubeのヴィキングルさんの<a href="https://www.youtube.com/channel/UCZQoMeFMb54s0rSqYoYMEkg">公式チャンネル</a>でも、インタビューや演奏が聴けますので、ぜひどうぞ。<br></div><br><div>音楽に強い人々は、言語にも強い印象があるのですが、ヴィキングルさんの英語も聞きやすいです。</div></div></div></div>
</div></div></div></div></div></div> ]]></content:encoded><pubDate>Fri, 28 Oct 2022 15:54:04 +0000</pubDate></item></channel></rss>