<?xml version="1.0" encoding="UTF-8" ?><!-- generator=Zoho Sites --><rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom" xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"><channel><atom:link href="https://www.thegreencatalyst.com/blogs/tag/コミュニケーション/feed" rel="self" type="application/rss+xml"/><title>The Green Catalyst - Blog #コミュニケーション</title><description>The Green Catalyst - Blog #コミュニケーション</description><link>https://www.thegreencatalyst.com/blogs/tag/コミュニケーション</link><lastBuildDate>Fri, 24 Apr 2026 05:24:01 +0200</lastBuildDate><generator>http://zoho.com/sites/</generator><item><title><![CDATA[意図と手段の関係性]]></title><link>https://www.thegreencatalyst.com/blogs/post/20210420</link><description><![CDATA[　日本での英語教育、雇用型の変更（メンバーシップ型かジョブ型）等の論議を聞くたびに、いつも疑問に思うのは、「意図」はどこにあるのかという点です。 　英語については 前回 記載しましたが、英語の土台となっている部分が日本語とは大きく違うために、習得するのに時間がかかる、難しいと感じるのは当然だと思います。た ]]></description><content:encoded><![CDATA[<div class="zpcontent-container blogpost-container "><div data-element-id="elm_SPKLPTu1TLmIBzUvb8tH0g" data-element-type="section" class="zpsection "><style type="text/css"></style><div class="zpcontainer-fluid zpcontainer"><div data-element-id="elm_sdH4x0lYS_-R8hio56wyTQ" data-element-type="row" class="zprow zprow-container zpalign-items- zpjustify-content- " data-equal-column=""><style type="text/css"></style><div data-element-id="elm_Y6GVCfbSSESQPihgDwnBSA" data-element-type="column" class="zpelem-col zpcol-12 zpcol-md-12 zpcol-sm-12 zpalign-self- "><style type="text/css"> [data-element-id="elm_Y6GVCfbSSESQPihgDwnBSA"].zpelem-col{ border-radius:1px; } </style><div data-element-id="elm_vdaAAblKSxeO0LrC0jOWWw" data-element-type="heading" class="zpelement zpelem-heading "><style> [data-element-id="elm_vdaAAblKSxeO0LrC0jOWWw"].zpelem-heading { border-radius:1px; } </style><h2
 class="zpheading zpheading-align-center " data-editor="true"><span style="font-family:Montserrat, sans-serif;">意図</span></h2></div>
<div data-element-id="elm_m1ZUqqcPTaCFqFV3bwwbaA" data-element-type="text" class="zpelement zpelem-text "><style> [data-element-id="elm_m1ZUqqcPTaCFqFV3bwwbaA"].zpelem-text { border-radius:1px; } </style><div class="zptext zptext-align-center " data-editor="true"><p style="text-align:left;">　日本での英語教育、雇用型の変更（メンバーシップ型かジョブ型）等の論議を聞くたびに、いつも疑問に思うのは、「意図」はどこにあるのかという点です。</p><p style="text-align:left;">　英語については<a href="https://www.thegreencatalyst.com/blogs/post/20210416" title="前回" rel="">前回</a>記載しましたが、英語の土台となっている部分が日本語とは大きく違うために、習得するのに時間がかかる、難しいと感じるのは当然だと思います。ただ、<span style="font-weight:400;">TOEICやTOEFLの得点がとても高いのに英語でのコミュニケーションがほぼ不可能、というケースは日本で育った方々に圧倒的に多く見てきました。私自身、ヨーロッパ大陸と日本でのリクルートメントに携わってきましたが、</span><span style="color:inherit;text-align:center;">TOEICとTOEFLの得点は完全に無視しています。実際に英語でインタビューを行い、英語でのコミュニケーション力を判断しています。</span><span style="color:inherit;text-align:center;">私自身もイギリスに来て１年くらいでCambridge Examを受けて合格しましたが、日本で英語教師をされていた方々数人が、軒並み同じ試験に落ちていたのに驚きました。彼らは、文法も語彙もよく知っているし、作文だって問題ありません。問題はスピーキング（コミュニケーション）でした。試験の一部のグループディスカッションでは、誰とグループになるかは選択できないので、突然さまざまな国々で育った人々と、英語で10分以上議論します。お互いに自国のフレーバーを持ち込んだ表現やアクセント、コミュニケーションのやり方を取るので、日本式の教育（受験教育）のみを受けている場合は、対応することが非常に難しいと思います。話している人々の様々なアクセントに柔軟に対応し、かつ日本語アクセントの英語に戸惑う人たちにいかに話していることを理解してもらうか、また相手に話す機会を与える、他の人々が話しているところにどう丁寧に自分の意見を切り出していけるのか、というところも重要となってきます。言語を学ぶ本来の意図は、コミュニケーションだと思うのですが、日本の英語教育では、「大学へ受かること＝英語の試験で良い点を取る」という意図になり、本来のコミュニケーションから大きくかけ離れているのではないでしょうか。「コミュニケーション」に意図がある場合、さまざまなニュース番組や映画をみたり、本を読んだりボランティアで日本語を話せない人々を英語でサポートする等の行動にでるでしょう。「英語の試験でいい点を取る」に意図がある場合、前述したことはせず、ひたすら過去の問題集をこなしたり、得点を挙げるテクニックを磨く（選択方式の場合、内容が理解できなくても、絶対に違うと思われる回答を素早く割り出して当てずっぽうが当たる確率を上げる等）という行動になることは、仕方ないことでしょう。ただ、後者のやり方では、どんなに時間を費やしても英語を使ったコミュニケーションができるようになるとは思えません。</span></p><p style="text-align:left;"><span style="color:inherit;text-align:center;">　同様に、雇用型（</span><span style="color:inherit;text-align:center;">メンバーシップ型かジョブ型か等</span><span style="color:inherit;text-align:center;">）の議論を聞く時も、雇用に対して特定の「型」を導入しようとする「意図」は何だろうと思います。<a href="https://www.thegreencatalyst.com/blogs/post/20210407" title="以前" rel="">以前</a>このブログでも書いたように、日本では、ヨーロッパはジョブ型だと決めつけられていることが多いようですが、同じ会社内で他のプロフェッションへと異動する場合もあります。ヨーロッパでは雇用の「型」についての議論は聞きませんが、各自がどのようにキャリアを形成していきたいのか、ということと会社のビジネスの方向性とをうまく組み合わせて、企業も雇用者もお互いが最大限の力を出して成果を生み、かつ誰もがある程度ハッピーな職場を作るということに意図をおいているように見えます。ナイフが意図によっては、凶器になったり、とても便利で人々を助けるものになったりするように、大事なのはどういった「型」を導入するのかではなく、何を「意図」しているのかということではないでしょうか。「意図」がCommon Goodであり多くの人々がハッピーでかつ会社の生産性・収益もあがるというところにあれば、自ずとどういった型やプロセスになるのかは明確なのではないでしょうか。型やプロセスは、技術革新等で変わっていくでしょうが、「意図」が明確である限り柔軟に変えていくことは難しいことではないでしょう。ただし、「意図」が適切な場所にない場合、例えば経営側での適切な努力をせず、一番簡単なコストカットとして大量解雇を選択した場合であれば、どんな型やプロセスを導入したところで良い結果をだすことは難しいでしょう。</span></p><p style="text-align:left;"><span style="color:inherit;text-align:center;">　イギリスでは、Adult Educationと呼ばれるフォーマルな教育を修了した人々向けのコースが幅広く存在します。私も、絵画コース、イタリア語、ジュエリーメイキング、アートセラピーの１年ファンデーションコース等を、仕事が終わった後の夕方に受けていました。どんなコースでも、初日に生徒と先生全員で輪になって、このコースを受ける「意図」と、どういう「成果・結果を期待しているか」を一人一人が話します。もちろん、「意図」は、ただ単にいつも挑戦してみたいと思っていて、たまたまコースの時間・場所と自分の都合が合致した、というのもあるし、既に精神科医として働いているが、アートを使ったセラピーにも興味があったので、修士コースで本格的に学ぶかどうかを決める為に実際にどういうものなのかを確認するために受講しているというケースもありました。こういった場で、ヨーロピアンは非常に明確に「意図」を述べます。常に自分の考えを明確に言語化して相手に伝えることが要求される文化で育ったところが大きいと思いますが、これは誰でも習得することは可能だと思います。まず、自分の言動の「意図」を常にきちんと考える習慣をつけることと、他の人たちの言動の「意図」は何かを一歩下がって考える、或いは聞いてみることで、自分にとっても周囲の人々にとっても、ハッピーな環境へと変えていけるのではないでしょうか。</span></p></div>
</div></div></div></div></div></div> ]]></content:encoded><pubDate>Tue, 20 Apr 2021 16:12:22 +0000</pubDate></item><item><title><![CDATA[ヨーロッパの言語事情]]></title><link>https://www.thegreencatalyst.com/blogs/post/20210416</link><description><![CDATA[　「日本人は英語が苦手」と日本人の方々からよく聞きます。ヨーロッパ内では、イギリス人は外国語が話せないことで有名です。良く知られている冗談ですが、「イギリス人は、外国語も話せないし食事もまずいから、植民地をつくった（＝現地の人々に英語を話させる）」。実際は、日本でいうイギリスはUnited King ]]></description><content:encoded><![CDATA[<div class="zpcontent-container blogpost-container "><div data-element-id="elm_Kz8KpVOfT-CNON7M_O58zw" data-element-type="section" class="zpsection "><style type="text/css"></style><div class="zpcontainer-fluid zpcontainer"><div data-element-id="elm_w1byupSnR12k00rN1sdRbg" data-element-type="row" class="zprow zprow-container zpalign-items- zpjustify-content- " data-equal-column=""><style type="text/css"></style><div data-element-id="elm_jIgxbgA7RhWXAr5VOxDbYA" data-element-type="column" class="zpelem-col zpcol-12 zpcol-md-12 zpcol-sm-12 zpalign-self- "><style type="text/css"></style><div data-element-id="elm_ptIlDvEORxit9qIHhkGXSQ" data-element-type="heading" class="zpelement zpelem-heading "><style></style><h2
 class="zpheading zpheading-align-center " data-editor="true"><span style="font-family:Montserrat, sans-serif;">イギリス人は外国語が苦手</span></h2></div>
<div data-element-id="elm_9ehUoFMOT3uO4nXPQOoTiA" data-element-type="text" class="zpelement zpelem-text "><style></style><div class="zptext zptext-align-center " data-editor="true"><p style="text-align:left;">　「日本人は英語が苦手」と日本人の方々からよく聞きます。ヨーロッパ内では、イギリス人は外国語が話せないことで有名です。良く知られている冗談ですが、「イギリス人は、外国語も話せないし食事もまずいから、植民地をつくった（＝現地の人々に英語を話させる）」。実際は、日本でいうイギリスはUnited Kingdom（The UK）を指している場合が多く、United（連合）とあるように、スコットランド、イギリス、ウェールズ、北アイルランドの国々から構成されています。この内、ウェールズには英語とは全く違う言語のウェールズ語があり、アイルランドはオリジナルの言葉はゲール語です。ただし、どこでも英語は通じます。UK政府の公式ウェブサイトにはウェールズ語の表記もありますし、問い合わせの電話をかけるときには、ウェールズ語ラインも選択できます。電話待ちのメッセージでは、英語とウェールズ語が流れ、歌うような異国のリズムのウェールズ語に意味は全く分からないのに、聞き入ってしまうこともありました。「外国語が話せないイギリス人」という冗談は、British（The UKに住んでいる全員）ではなく、The UKの中にある一つの国「イギリス」の人限定だと私は解釈しています。イギリス人の同僚たちは、スペインやフランスで努力して現地の言葉を話そうとしても、現地の人々の英語は自分たちのスペイン語やフランス語より何倍も上手で、結局英語で会話が終わってしまうとよく言ってました。また、どんな僻地に旅行しても英語が上手に話せる人が必ずいるので、外国語を習う意欲が湧かない、というのも聞きました。英語は他のヨーロピアン言語に比べて少し離れている（例えば、ラテン語起源のスペイン語とイタリア語は非常に似ているので、ゆっくりと話せばスペイン人がスペイン語、イタリア人がイタリア語を話していても会話が成り立つ）とはいえ、英語の医療用語や正式な硬い言葉はラテン語起源の言葉が多く、イタリア語を会話レベルでしか分からない私ですら多くの英語の単語とイタリア語の単語を結び付けられます。</p><p style="text-align:left;">　翻って日本を見てみると、外国語が苦手というのとは違うのではないかと思います。日本語と英語の違いと、英語とイタリア語の違いを比べると、日本語と英語の違いは、文化・宗教・歴史・文法・読み書きのシステム等全く土台が違いますが、英語とイタリア語だと文法は違うものの、一部の単語や仕組みは同じ起源を持ち、かつ文化や歴史等の面でも土台をかなり共有しています。イタリア語での言い方をそのまま英語に直訳すると、不自然な表現に聞こえても言いたいことは伝わります。日本での言い方を英語で直訳するとまず通じません。いくら文法的に正しく話していても、結局は言いたいことが伝わらない、というのは、この文化面での違いが大きいのではないかと思います。イタリア語を会社が終わった後に習っていたときのイタリア人の先生が、中国語の通訳者でもありました。中国の大学に留学していたときに、日本人学生の習得があまりにも早すぎて、すぐに日本人とそれ以外の学生でクラスを分けてもらったそうです。日本人だと、漢字も知っているし、文化や歴史、儒教といったものも、土台の大きな部分をもともと共有しているので、中国語・中国文化との土台を全く共有していないヨーロピアンと比べると、学習する前の段階で、中学生と赤ちゃんくらいの違いがあるのではないでしょうか。日本人が英語やヨーロピアン言語が習得するのが難しいように、ヨーロピアンにとっても日本語を習得するのは非常に難しいことです。もし、一生懸命日本語を話そうとしているヨーロピアンを見かけたら、ぜひ優しい気持ちで聞いてあげてください。優しさはきっと巡り巡ると思います。</p></div>
</div></div></div></div></div></div> ]]></content:encoded><pubDate>Fri, 16 Apr 2021 14:57:49 +0000</pubDate></item><item><title><![CDATA[コミュニケーション]]></title><link>https://www.thegreencatalyst.com/blogs/post/20210412</link><description><![CDATA[ 　「ヨーロッパの人々は、はっきりとものを言いすぎる」ということを、日系企業に勤めている方々から聞くことがあります。逆に、日本語を話すヨーロピアンの方々から、日系企業で働く際に、日本のhigh contextual culture（高度な文脈文化）はコミュニケーションを難しく ]]></description><content:encoded><![CDATA[<div class="zpcontent-container blogpost-container "><div data-element-id="elm_-xr2VYS_S6ShOkF_zgTyEQ" data-element-type="section" class="zpsection "><style type="text/css"></style><div class="zpcontainer-fluid zpcontainer"><div data-element-id="elm_r25lQAp3QZiBQSWLFvpSvQ" data-element-type="row" class="zprow zprow-container zpalign-items- zpjustify-content- " data-equal-column=""><style type="text/css"></style><div data-element-id="elm_HnJlVrfaRgCcctN8w0PpGA" data-element-type="column" class="zpelem-col zpcol-12 zpcol-md-12 zpcol-sm-12 zpalign-self- "><style type="text/css"></style><div data-element-id="elm_08s3ZDlHR5W5xEmu3lmIDw" data-element-type="heading" class="zpelement zpelem-heading "><style> [data-element-id="elm_08s3ZDlHR5W5xEmu3lmIDw"].zpelem-heading { border-radius:1px; } </style><h2
 class="zpheading zpheading-align-center " data-editor="true"><span style="font-family:Montserrat, sans-serif;">ソフトな伝え方でも意図は明確にーヨーロッパでのコミュニケーション</span></h2></div>
<div data-element-id="elm_QPjpP8rwQv-IrrGOYPti6Q" data-element-type="text" class="zpelement zpelem-text "><style> [data-element-id="elm_QPjpP8rwQv-IrrGOYPti6Q"].zpelem-text { border-radius:1px; } </style><div class="zptext zptext-align-center " data-editor="true"><p style="text-align:left;">　「ヨーロッパの人々は、はっきりとものを言いすぎる」ということを、日系企業に勤めている方々から聞くことがあります。逆に、日本語を話すヨーロピアンの方々から、日系企業で働く際に、日本のhigh contextual culture（高度な文脈文化）はコミュニケーションを難しくさせると聞くこともあります。ヨーロッパでは、大人であるということは言語能力も十分に発達し、精神的にも成熟しているので、明確に自分の行動や考えを説明し、かつ相手のことも良く聞き、質問が必要であれば質問しお互いに可能な限り理解を深めて、お互いが少しずつ譲歩しお互いの納得できる解決方法を探ります。意図や内容を曖昧にして言語化せず、態度で察してほしいというのは、言語能力の発達していない子供には許容されても、大人としては未成熟な行動として尊敬されません。神様ではなく人間なので、「言わなければ分からないのは当然」という前提です。それと同時に、意図と内容を明確にしつつ、相手の立場や状況を慮って柔らかく言う表現が非常にたくさん存在します。特にラテン語起源の言語（イタリア語、スペイン語、フランス語等）だと、多くのグレイカラーのグラデーション（白に近い灰色から黒に近い灰色）のように、迷いもない断言から非常にソフトで優しい言い方までさまざまな助動詞等を使っての表現が可能です。日本語の場合、「必要ありません」ということを相手のことを慮った形で言いたい場合は、「お気持ちだけいただきます」や「お気遣いいただいてありがとうございます」等、別の言い方がないわけではないですが、これでは必要ないのか遠慮をしていて実際は違うのか、明確な意図を判断するのは難しいと言わざるのではないでしょうか。直接的な表現に聞こえてしまうのは、ヨーロッパの人々が他の人々の気持ちを察したり慮るということがないわけではなく、言語（意図と内容を明確にしつつ柔らかくいうことを可能とする表現がたくさん存在するヨーロピアン言語）とコミュニケーションの取り方（お互いにとって一番良い場所で折り合うために言語化してよく話し合う）の違いかもしれません。ただ、お互いにとって一番良い場所で折り合おうとするのは、お互いが平等であるという前提に立っています。日本を含めたアジア全般でハイラルキーの強い社会（男性優位、強い階級制）で育った場合は、無意識に自分と相手の職位や社会的地位の上下を探り、相手が自分より低い・弱い立場にいると判断した場合、相手に対して自分のいうことに100パーセント従って当然というexpectation（期待・予測）が無意識に生じ、コミュニケーションの基本の「お互いに理解しようと最大限の努力をし、歩み寄って一番良いところで折り合おう」ということを難しくさせている場合もあるかもしれません。誰にでも考え方のバイアスはありますが、一歩下がってコミュニケーションの意図を考えたときに、お互いが平等であることを認めると、お互いを生かし、誰にとっても風通しのよい場所となるのではないでしょうか。<br></p></div>
</div></div></div></div></div></div> ]]></content:encoded><pubDate>Mon, 12 Apr 2021 16:18:56 +0000</pubDate></item></channel></rss>