大事な質問ː 子供の頃に、誰かを怖いと思うことはありましたか?
大事な質問ː 子供の頃に、誰かを怖いと思うことはありましたか?
ニュージーランド出身で、イギリスで長く女性司法精神科医として働くGwen Adshead(グウェン・アズヘッド)さんが登場したPodcastから。
ちなみに、英語でPhsychiatrist(サイキアトリスト/精神科医)は、医師としてのトレーニングを受け医師国家資格をもっているひとで、Phychotherapist(サイコセラピスト)は、心理療法士で、医師としてのトレーニングも医師国家資格もありません。
グウェンさんは、サイキアトリストには、心理療法士の知識もスキルも必要だと信じていて、グウェンさん自身も自分のセラピーに通い、心理療法士としてのトレーニングを受け、資格も取得したそうです。
グウェンさんがほかのインタビューで言っていたことで興味深かったのは、グウェンさんも含めて、自分も心の痛みを抱えていて、患者さんの痛みを軽くする・取り除くことで自分の心の痛みもケアしている医師はたくさんいる、とのことでした。
ただ、この医師が無意識に人々の弱さを憎むような気持ちをもっていると、患者さんを傷つけることになるので、自分のことをよく知るために、自分自身のセラピーを受けることは大事だとしていました。
イギリスで心理療法士になる場合は、自分自身のセラピーに通うことも義務付けられていて、大学での授業料 + セラピーのコスト(プライヴェートだと一回50分で50ポンド以上が多い)+ 実習でスーパーヴァイザーに払うコストなどを加えると、かなりの金額になり、業界内でお金をまわす仕組になっていると批判する声もあります。
私自身もイギリスでセラピーに合計1年ほど通いましたが、自分のことを知ることは、人々の心と関わる職業の人々には、とても大切だと思います。
イギリスの場合、NHS(National Health Service/国民健康保険サーヴィス)は無料なので、私は主治医からの紹介だったため、カウンセリングは無料でした。
グウェンさんは、殺人事件をおこした囚人たちのセラピーを行うことが多いそうなのですが、仕事を始めたばかりの人たちへのアドヴァイスはありますか、と聞かれて、興味深いことを述べていました。
グウェンさんは、患者さんに子供の頃の虐待の有無を聞く際に、虐待があったかどうかではなく、「子供の頃に、誰かがあなたを怖がらせましたか?/誰かを怖いと思うことはありましたか?」と聞くことが大切だとしていました。
グウェンさんが仕事を始めたころには、このアドヴァイスは存在しなくて、実際に子供の頃にひどい虐待を受けていた人たちでも、「虐待を受けましたか?」という質問には「いいえ」と答える人が多かったそうです。
カウンセリングを重ねるうちに、保護者からひどい虐待にあっていたことが分かってくるものの、子供たちにとっては、閉じられた密室である家庭しか知らないので、自分たちが虐待されていたと認識できない人もかなりいるそうです。
「子供の頃に、誰かがあなたを怖がらせましたか?/誰かを怖いと思うことはありましたか?」という質問には、「はい/いいえ」という二分化した答えではなく、もっとニュアンスのある答えが返ってきて、そこからグウェンさんは、「何が起こったのか」「どこでそれが起こったのか」「どんな風に起こったのか」「誰がそれをしたのか」等を聞いていくそうです。
そこから、患者さんの人生の歴史が見えてくるきっかけとなるそうです。
もちろん、子供時代の保護者からの虐待が、大人になってからの他人に対する暴力の言い訳になるわけではありませんが、彼ら/彼女らが自分の心の動きに気づき、社会のよい一員として生きていくことができるよう、変化を助けるために、子供時代に何が起こったかを知ることは大事だとしていました。
グウェンさんは、特に心理的な痛みを重視するように述べています。
特に、生まれてから5年・10年のうちに起こった事、特に、保護者とのアタッチメント(愛着ー子供が不安に感じたとき、保護者はそれを受け止めて安心させてくれる経験をたくさんしている等)、保護者とのアタッチメントが壊れること(両親の離婚、親が病気や中毒になり子供のケアができない、親が子供を虐待する等)、恐れにさらされたこと、を確認することは大事だとしています。
なぜなら、子供たちの脳は最初の5年・10年にすさまじい速さで変化し、この時期に保護者との安定したアタッチメントが形成されなかった場合、その後の人生にネガティヴな影響を起こす可能性が高くなるからです。
ただ、子供時代にひどい虐待を受けた人が、虐待を繰り返すという根拠はない、とグウェンさんは述べています。
虐待を受けた多くの人々は、自分自身がうつ病になったりすることはあっても、ほかの人に対して攻撃することは稀だそうです。
グウェンさんは、統計は限られてはいる(※)けれど、Adverced Childhood Experiences (ACEs/ 逆境的な子供時代の経験 )をはかる一般的に使われるQuestionnaire(10の質問)で、質問への回答にYesがゼロの人(=虐待や逆境とみられる経験をしていない人)はイギリスの人口の約30パーセントで、Yesの回答が6以上で、深刻な虐待を受けたとみられる人々は、The UKの連合国4か国(イギリス、ウェールズ、スコットランド、北アイルランド)のうち、ウェールズ国が他の国々より高め(14パーセント)と違いはあるものの、大体10パーセント前後だそうです。残りの60パーセントは、何らかの逆境経験はあったけれども、深刻なレベルではないものだと見られています。
私自身もこのQuestionnaireでは、深刻なレベルの虐待を受けた(=Yesが6以上)という分類に入るのですが、日本は平和で子供にとって安全な場所という神話がまかり通っているものの、深刻なレベルの虐待を受けた人々の割合は、The UKよりも多いんじゃないかと個人的には思います。
少なくとも、The UKでは、暴力(頭をたたく、腕をつねる等も含む)は親や先生がふるうのは社会的に受け入れられないことだし、兄弟・姉妹同士や近所の子供たちと比べて子供の扱いに差をつけるような心理的な残酷さも受け入れられないことです。
社会的に受け入れられない、というのは、違法である場合もありますが、違法でなかったとしても、子供のように大人とは力も成熟度も完全に不均衡な存在に対して、暴力をふるうのは間違っているという認識があり、人前でそんなことをすれば、周りから明確に止めるよう注意され、止めなければ警察へ通報と言うことになります。
私の周りのヨーロピアン(40代をこえている場合も)でも、学校の先生が生徒を叩いたりするのは見たこともなければ想像もつかないし、親に叩かれたことがあるという人もいません。
日本の学校の状況を話すと、本当に驚かれます。
子供が何か間違ったことをすれば、きちんとその年齢に応じた説明がなされます。
福祉国家として知られるスウェーデンでは、この深刻なレベルの虐待を受けた人の割合は約1パーセントだとグウェンさんが講演で述べていました。
実際、どの国でも、社会主義寄りの政府(スウェーデンやフィンランド等のように、すべての国民の健康・教育に重点をおき、富や資源が平等に分配されるようにし、貧富の差が小さくなり、貧困率が低くなる)が主要政党のときは、殺人事件も減るそうです。
グウェンさんは、「(経済や社会の)不平等は暴力」と言っていましたが、納得します。
グウェンさんが、殺人犯やほかの犯罪で収監されている人たちのカウンセリングをするうちに気づいたのは、これらの人々の間では、子供時代に深刻な虐待にあった人々の割合が、一般の人々に比べて、とても高いことだったそうです。
だからといって、虐待された人の大多数は殺人犯にも犯罪者にもならないし、逆に、全く虐待を受けていなくて、長年のパートナーもいて友達も多く、仕事もうまくいっていて待望の子供が生まれるという幸せの絶頂期と思えるようなときに、深刻な暴力事件を起こした人もいます。
ただ、この幼児期の虐待から、保護者との安定した愛着関係を築けなかったことで、他人の意図や言動を悪い方向に読み間違えたり、不安や不確実な状況に耐え切れず、恐怖に飲み込まれて暴力と言う形に出ることもあるのではないか、ということでした。
ただ、深刻な暴力事件を起こした人たちの中でも、同じように虐待された兄弟・姉妹は普通に社会生活を送れているように見える人たちもいるし、大多数の虐待を受けた人たちが虐待や暴力事件を起こさないという事実には、なんらかの防御ファクターがあるのではないか、とグウェンさんは提案していました。
この防御ファクターとは、たまたま学校の先生が気にしてくれて励ましてくれた、とか親戚の誰かが近所に住んでいてつらいときにかくまってくれた等、さまざまなようですが、体系的に大規模に調べた調査はないようで、これらを良く知ることは大事だとしていました。
また、親自体も、最初の子供を育てているときと、数人続いたときは、親としても違ってきていて、同じ子供たちでも、それぞれの子供に対してかなり違う対応をしている可能性もある、としていました。
グウェンさんは、子供が殺人される場合は、1歳以下が多く、その実行犯の大多数は保護者で、子供が生まれる前から、保護者となる人々をサポートすることは、とても大事だとしていました。
また、子供の虐待を行うのは圧倒的に保護者の立場にある大人が多く、これらの犯罪は表に出にくく、これらの犯罪や言動に対して責任を取らせられることも非常に少ないことは、社会としてよく考える必要があるとしていました。
子供への虐待はあってはならないことですが、何が虐待を引き起こしているのかを個人レベルだけでなく、社会レベルで考えることも大切です。
虐待されている子供が一人でもいるということは、その子供が自分とはなんの血縁関係や近しい関係になかったとしても、社会全体のつながりを壊すもので、結局はすべての人々に影響します。
社会を構成する、生きる一員として、どの子供も大人も、自分たちの仲間として、誰もが尊厳をもって、協力しあって生きていける社会をつくることは誰にとっても大切です。
(※)統計が信頼のおけるものとなるには、多くの人々を長期にわたって監察する必要があるため、現時点では、限られた人数サンプルからの統計となっている
また、殺人が非常に多く起こっているかのような間違った印象があることについて、グウェンさんは、殺人事件に関してはほかの犯罪と違い、一つ一つの殺人事件についてメディアが繰り返し報道するからで、実際は、殺人は経済発展国のなかでは年々減少傾向にあり、かつ昔も今も、犯罪の中では珍しく、数もとても少ないそうです。
殺人事件は確かに極端な犯罪だといえますが、大きく報道されないホワイトカラーの犯罪、例えば「世界で最高の地雷探知機」という名目で、ただのバッテリーがついた機械を売りつけていた人は、多くの人々の死に関与しているでしょうが、実際に誰かを手にかけたわけではないので、罪状も軽く、大きく報道をされることもなければ、一般の人々に恐怖を引き起こすこともないかもしれません。
でも、その場の怒りで一発誰かを殴って人を殺してしまった人の「evil state of mind(イーヴィル・ステイト・オブ・マインド)/邪悪な・凶悪な心理状態」と、多くの人々が殺されると知りながら不正な機械を自分の金儲けのためだけに売りつける人の「evil state of mind(イーヴィル・ステイト・オブ・マインド)/邪悪な・凶悪な心理状態」に違いはあるのか、ということも問いかけています。
グウェンさんは、殺人犯がモンスターのように、殺人を犯したことのない大多数の人々とは大きく違うという印象は間違っていて、殺人犯も一般の私たちもとてもよく似ているとしています。
人間の誰もが、この「evil state of mind(イーヴィル・ステイト・オブ・マインド)/邪悪な・凶悪な心理状態」をもっていて、さまざまな条件がそろえば、誰もが殺人犯になりうる、とグウェンさんは言っています。
殺人犯をモンスターとして、自分は違う、自分の問題ではない、と思って安心したいかもしれませんが、実際はそうではないこと、誰もが、誰かを傷つけたいという残酷な心理状態になる可能性があることは自覚しておく必要があります。
だからこそ、私たちは、誰かを妬む気持ちや憎む気持ち、誰かを傷つけたいという残酷な気持ちがおきたときに、すぐに気づき、共感をもってその感情の面倒をみて、その邪悪な・凶悪な心理状態がエスカレートしない、誰かに向けて出ることがないようにすることは大切です。
人間は誰もが弱いもので、病気になることもあれば、けがをすることもあり、人生上で大事な人を亡くしたり、大好きな人と別れることになって失望・絶望することは、人として生きる上で避けようがないことです。
私たちは、これらの難しい感情を、共感をもって優しく受け止め、対応することを学ぶ必要があります。
その難しい状況のときに、一緒に歩いてくれる仲間が社会にたくさんいることは、難しい状況を生きぬくことを助けます。
グウェンさんは、私たちに必要なのは、競争ではなく、協力だとしています。
グウェンさんは、美術にも詳しいので、ヴィジュアルなたとえがとても心に残るのですが、自分の心の庭は、よい状態のマインドをいつも耕していて、庭の囲いの向こう側に、この「evil state of mind(イーヴィル・ステイト・オブ・マインド)/邪悪な・凶悪な心理状態」が繁殖してきたら、気づいて刈り取り、境界が曖昧にならないように、自分とっての美しい庭を保つことが大切、としていました。