The Green Catalyst
The Green Catalyst
Creating futures we can believe in

失敗することの大切さ

Yoko Marta
25.01.24 05:04 PM Comment(s)

失敗することの大切さ

ある日、偶然、スダーン生まれでイギリスで活躍する女性ジャーナリストNesrine Malik(ネスリン・マリック)さんの出演するポッドキャストに遭遇しました。
ネスリンさんは、イギリスの独立系新聞紙ガーディアンのジャーナリストでもあります。ここから、彼女の記事が読めます。

録音されたのは、少し前(2019年)になります。
ネスリンさんの記事は長年興味深く読んでいるのですが、鋭い見方と深い知識で書いていることと、母国語でない英語で書いているせいもあるのか、フォーマルで固い表現である印象があったのですが、ポッドキャストでは、気さくで気取らず、楽しく、とてもいいインタビューでした。
ポッドキャストは、「How to fail (どのように失敗するか)」でここから聴けます。

ちなみに、「失敗」という概念も、「失敗」に対する考え方も、ヨーロッパと日本では大きく違います。
人間は神様のような完全なものではないので、失敗することは普通だし、失敗を通してしか学べないこともあるととらえられています。
また、失敗しないのは、自分にとって難しいことやチャレンジングなことを避けているということで、尊敬されません。
大事なのは、「失敗/成功」という二極化ではなく、自分のモラルや価値観(自分の内側にあるモラルー自分より社会的に弱い立場にある人々が大変な目にあっているときに助ける等)に沿って、周りにポジティヴな変化をつくっていくよう行動していくことです。
その過程で、うまくいかないことがあったり、自分の努力が追いつかなかったりすることは、普通です。
失敗や失敗する過程から何を学んだかが大事で、失敗をしないことだけを目指して生きているのは、モラルがないと見なされがちです。
なぜなら、失敗をしないことだけを目指すのは、自分の利益だけを考えていることでもあるからだと思います。
英語の表現で「in good faith(イン グッド フェイス)」という句がありますが、これは、もし何かを「in good faith(イン グッド フェイス)で行った」のであれば、それは、あなたが真摯に、あなたが行っていることは正直で誠実で正しいことであると信じたから、たとえ結果は意図したようにならなかったとしても(人間にコントロールのできるのは自分自身の言動とキャラクターだけで、周りがどう思うか、何が起こるかにはまずコントロールはない)、ということになります。

南米で社会主義と民主主義がバランスよく共存しており、政情も安定していて豊かで貧困率がとても低い福祉国、ウルグアイは、20世紀後半は、とても違う国でした。経済がうまくコントロールされておらず政治腐敗もあった後には独裁政治が続き、多くの民主主義を求める人々や政府に反対する人々は長い間牢獄へ閉じ込められました。
この独裁政治の後、民主主義が復活することになるのですが、その際に大きく貢献したのは、元テロリスト組織と認定された組織に所属して、都市ゲリラを行い、13年間牢獄に入っていたこともあるJose Mujica(ホセ・ムヒカ)さんです。
政治の腐敗で、国民の税金が不正に流用されていることに気づいた銀行員からの内部密告で、ホセさんたちは銀行に強盗として押し入り、銀行台帳を盗むことにも関わりました。実際に殺人は犯さなかったけれど、警察と対峙して、警察と銃での応戦となり、どちらもが負傷したこともあるそうです。盗んだお金は貧しい人々に分けることが多く、ロビン・フッドとも呼ばれていたそうです。
南アフリカ共和国の最初の大統領であるネルソン・マンデラさんも、長年南アフリカ政府や西側諸国からテロリストと認定されていたことも覚えておく必要があります。
自国民に対して暴力や抑圧を行う国々では、それに対して(正当に)抵抗する人々が、しばしば「テロリスト」認定されます。
日本のように、どんなに不公平で不正義な状況でも、権威に抵抗することは悪だと教え込まれているような社会では分かりにくいかもしれませんが、国際法でも不適切な抑圧に対して、抑圧された側が抵抗を行う権利は認められています。
ホセさんは、大統領になってからも、給料の9割は貧しい人々を助ける慈善団体に寄付し続け、豪勢な大統領邸宅には住まず、以前から住んでいた田舎の小さな一軒家で妻と暮らし続けました。
そのホセさんへのインタビューで、ホセさんは、以下のように答えていました。
イギリス独立系新聞ガーディアン紙の記事はここより。

I put my foot in it a lot, but always in good faith.

ムヒカさんたちの都市ゲリラ活動は、貧しい人々を助け、政治を良い方向へ変えようとする意図はありましたが、明確な未来図はもっていなかったそうです。市民が死傷するのを避けるために、前もって予告を行って避難したのを確認してから爆破をしたり等を試みてはいたものの、すべての構成員が必ずしも同じように行動していたわけではなく、次第に暴力がエスカレートした部分もあることで否定的な意見もあったし、ホセさん自身の振り返る気持ちもあると思うのですが、結果が思ったようにいかなかったことがあっても、真摯に正しいと思うことを行ったということばになります。
ムヒカさんは、独裁政治の間13年間牢獄へ閉じ込められていました。
でも、自分が行ってきたことには、上記のように自分の中での良心に曇りはなく明瞭なため、後悔はないそうです。

ネスリンさんに戻ると、ネスリンさんは、スーダンの首都カトゥームに生まれましたが、軍事関連の外交官としての仕事をしていた父の転勤に伴い、ケニア、エジプト、サウジアラビアと数か国で育ちます。母は英語の先生だったそうです。
ちなみに、スーダン、エジプト、ケニアも大英帝国(現イギリス)の植民地だったため、英語は今でも多くの人々が話す言語であります。

ネスリンさんの人生での大きな3つの失敗のうちの一つは、14歳のときに、英語のA-Level(エィ・レヴェル)に落ちたことだそうです。
A-Levelは、イギリスの大学へ行くための資格となるものです。
通常は、イギリスの義務教育の16歳を終えた後に、2年間ぐらいA-Levelの準備をする学校へ通い18歳くらいで受験する科目となります。
当時ネスリンさんはエジプトに住んでいて、エジプトの旧植民地であるイギリスへの反感が非常に強まり、英語教育を排除して、現地語であるアラビア語を優先しようとするナショナリズム的な動きが強まっていたそうです。
そのため、英語教育が限定されるか廃止される可能性が高く、海外大学へ行く機会を強く望んでいたネスリンさんにとっても、彼女の同級生たちにとっても、非常に大切な試験だったそうです。
ネスリンさんは、試験に落ちたことが、あまりにも恥ずかしく感じて、友達にも本当のことが言えなかったそうです。両親は、経緯を知っていて、仕方なかったと理解があったそうです。
ネスリンさんの理由は、ある意味子供らしいのですが、小さい頃から、学校の英語の先生は熱心で生徒たちを励ましてくれるよい先生たちだったそうなのですが、なぜかこの大切な試験に備えている間の一年ぐらいは、教えることにも興味がなく、ネスリンさんの質問にもうっとうしそうな態度を示して答えてくれず、ネスリンさんは、すっかりやる気を失ったそうです。
英語は好きだったし、周りからも彼女が試験に落ちるわけがないと思い込まれていたので、よけい、本当のことが言えなかったと言ってました。
ネスリンさんは、なぜ英語が好きだったのかを聞かれて、恐らく家父長制が強く男尊女卑の強い社会で育ったにもわらず、インディペンデント・マインドでその社会にうまくなじめないことを感じていた彼女には、英語を通して新しい考えを知ったり、自分の思っていることや考えていることが、(自国語にはその表現方法が無い場合も)英語には表現できることばがあったことも理由かもしれない、と言っていました。
厳格な父とはうまくいかず、従順でない態度(女らしくない)やさまざまなことを理由に、楽しみだった英語の本を禁止されたこともあったそうですが、ベッドに英語の辞書を持ち込んで辞書を読んで過ごすほど英語が好きだったそうです。
ただ、読んでいた本は古典と呼ばれるもので、実際にロンドンにくると人々の話し言葉は当然違って、馴染むまでに時間がかかったそうです。

ネスリンさんは、エジプトの大学を修了した後、スーダンの大学で勉強し、その後イギリスの大学で修士課程を終え、10年ほどロンドンのファイナンス業界で働いていました。働いている間に、並行してジャーナリストとしての下積みをし、ジャーナリストで生活していけるように目途がたったときに、ファイナンス業界での仕事を去ったそうです。
ただ、この道筋は簡単ではありませんでした。
ネスリンさんの父は、ネスリンさんが19歳のときに、とてもアグレッシブな癌で数か月で亡くなりました。中近東の国で、大人の男性がいない家庭が生き残ることはとても困難です。知り合いのイラン人の女性は、十代のときに父が突然亡くなり、母と自分と妹(すべて女性)が残され、法律で女性は家や財産を受け継ぐ権利はないため、父の弟にすべてがわたり、経済的にとても苦労したそうです。
ネスリンさんの場合は、スーダンにも家はあったようですが、母とまだ幼かった妹をサポートするために、給料の半分は仕送りしていたそうです。
ネスリンさんによると、そういった人々は多く、自分が特別なことをしているとも思わなかったし、給料の半分を家族のために送ることは苦ではなかったと言ってました。

ネスリンさんの記事は、「Natural/自然である」ように見えることの裏にある権力の構図を見抜き、元植民地宗主国であるイギリスや他のヨーロピアン諸国のまやかしを、鮮やかにひっくり返します。
身近なたとえでいえば、「王様は裸だ」ということを見抜いて、分かりやすく、かつ深い視野と共感をもって伝えてくれます。

それには、旧植民地国で育ち、西欧諸国の矛盾を見ていたことにもあるでしょう。
例えば、アメリカのクリントン大統領がモニカ・ルインスキーさんとの不倫騒動に関する嘘をめぐって大統領を辞任しなければならないかも、という瀬戸際のときに、ネスリンさんのスーダンの家族の家から数十メートル離れた工場に、アメリカからの爆弾が落とされ、工場は完全に破壊されたそうです。アメリカでの報道では、「テロリストがいたから」ということだったそうですが、地元の人々は、その工場はテロなんて関係しておらず、完全に嘘だと知っています。
これは、クリントン大統領が、スキャンダルからアメリカ国民の目を逸らさせるために、スーダンに爆撃を行ったと見られています。
工場の経営者家族は、アメリカへ裁判を持ち込んだそうですが、相手にされなかったそうです。
こういった経験は、政治的・経済的に力のない国々で育っている人々には、珍しい経験ではないことは、「力のあるものが正しい(何をしても責任を問われない)」ということと、「先進国(旧植民地宗主国)の白人たちの命は、第三諸国の有色人種たちの命よりももっと価値がある」という、力関係を表しているのかもしれません。
アメリカやヨーロッは、始終自分たちの国がいかにモラルが高く、基本的人権を守り、国際法に沿って行動しているかを強調しますが、多くの旧植民地国の人々は、法律や国際法は、西欧諸国が、発展途上国に対して法律や規則を破ったときには適用されないという、ダブル・スタンダードをよく知っています。
「当たり前」と思わされているナラティヴは、植民地化やほかのひとびとを搾取してきた経済的に強い国々がつくってきたものであり、国や地域レベルでいえば、その場所で早いうちに力をもち、その権力を保つためにさまざまなシステムを自分たちだけに都合の良いように曲げてきた人々がつくってきたものです。
「当たり前」を疑うことはとても大事です。
特にあなたが、社会の隅に追いやられている立場(子供・女性・若い人々・心身に障害のある人々・性的指向がマジョリティーでない人々等)に生まれた/いる場合は。

ネスリンさんは、Small talk(スモール・トーク/雑談や世間話)Pleasantry(プレザントリー/社交辞令)にはうんざりすることが多く、政治の話や重要であると思われることを話して、周りをびっくりさせたり、少し心地悪くしていることも自覚しているそうです。
でも、それをやめるつもりはない、と言ってました。
そこには、自分がまだ子供だったときに、父が突然亡くなり、生きている時間は誰にも分からず大事なことを話しておかないと、という姿勢もあるのかもしれません。
Small talk(スモール・トーク/雑談や世間話)Pleasantry(社交辞令)も、社交的なスキルとしては必要ではあるものの、確かに、思ってもないことだけを話すような生活に、どんな意味があるのか、と思う気持ちも理解できます。

ネスリンさんは、なかなか一か所に根をおろせないことも語っていました。
結婚しているそうですが、夫は中近東の別の国に住み、行ったり来たりしているそうです。ネスリンさんはロンドンに住んでいるものの、引越も多くして、どこが自分の場所なのか決めるのは難しいとしていました。
昨年、スダーンで内戦が起こり、その際にネスリンさんの母は、自分の家を追われ、隣国に逃げるしかなかったそうです。
妹の家族は、この内戦は数か月で収まるだろうと思って様子を見ていたのですが、食べ物も手に入らなくなり爆撃や射撃が続き、外に出ることも難しくなり、ほぼ着の身着のままで隣国へと去らざるをえなかったそうです。
その内戦が起こる1か月前には、ネスリンさんは母の家を訪れ、妹や他の親族とレストランに行ったりと、少し緊張した首都の雰囲気を感じつつも、普通のどこにでもある生活をしていたそうです。
明日が普通にあると疑わなくていい世界に住んでいるのは、とても幸運なことであり、その幸運を活かして、失敗を恐れずに、ポジティヴな変化を起こそうと日々行動することは大切です。
失敗しても、またチャレンジすればいいだけです。失敗しても命を失うわけではありません。
また、チャンじすることは、周りだけでなく、自分の、自分に対する見方も、ポジティヴになるのではと思います。
ひとりの行動は小さく見えても、確実に社会を変えていきます。

[参考]
ネスリンさんは、数年前に本も出版しています。私も読みましたが、何度も読み返したし、これからも読み返すであろう、いつ読んでも新しいことがある本です。
この本についての私のブログは以下より。
https://www.thegreencatalyst.com/blogs/post/20211130

Yoko Marta