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無関心と干渉しないことの違い

Yoko Marta
16.07.21 04:40 PM Comment(s)

相手も自分も同じ権利を持った成熟した大人=関心はあるが干渉はしない

  ヨーロッパは個人主義で、他人に関心がなく冷たい、と聞くことがあります。これは、恐らく無関心であることと干渉しないことを混同しているのだと思います。

 ヨーロッパでは、基本的に大人(18歳以降くらい)は成熟した一人の人間であり、自分の考えや気持ちを明瞭に言語化して伝えることができ、必要に応じて周囲の人々ともCivilized manner(礼儀正しいに近いですが、ヨーロッパには年齢や性別で序列をつける慣習はないので、すべての人が同じ権利をもち、相手の権利も自分の権利も同じように大事なものと考えてお互いを尊重した言動)で話し合いをすることができる、という暗黙の了解があります。その為、他の人々の権利を侵害することがない限り、自由な言動は個人の権利であり、それに干渉することは、基本的な権利への侵害ととられる可能性があります。これは、無関心であることとは全く違います。盲目の人が歩いていると、私自身も助けがいるかどうか観察しているし、周囲の人々も見ています。ただ、盲目の人がしっかりと歩いていて助けが必要でないようであれば、誰も無理に助けをオファーしません。なぜなら、本人には、自分のIndependence(独立)を行使する権利があるからです。もし、この人がよろけたり、道に迷っているようであれば、あっという間に多くの助けがやってきます。電車でも、気分が悪くてよろけたりすると、何人もの人々が性別・年齢に関わらず「大丈夫?」と声をかけて席を譲ってくれます。また、元気そうに見えても実は病気をもち、電車で立っていることが難しい場合もあります。そういう場合は、明確に「どなたか席を譲ってもらえるとありがたいです」と宣言して、多くの乗客がさっと席を立って譲ります。こういった心遣いを受け取る側も、気持ちよく受け取り感謝を述べます。日本のように老人に席を譲って怒鳴られた、というのは見たことも聞いたこともありません。もし、席に座る必要がなければ、丁寧な感謝と席の必要がないことを言ってくれます。

 以前、BBC(イギリス国営放送)で、中国人牧師(イギリス在住)が自分の家族が中国からやってきてイギリスに数週間滞在したときに、見ず知らずの人々が(自分の知り合いでも家族でもないのに)、重い荷物をさっと持ってくれたり、何か助けてくれる人々がとても多く「私を助けたからといってなんの得も見返りにもならないのに、なぜ人々はこんなに助けてくれるのか?」と驚かれたと言っていました。これは、日本にも通じる部分があると思うのですが、誰かを助けるのは、「1.自分の身内と見なした人々だから(=身内以外は他人で関係ない。関心すらない)」「2.見返りが見込める場合のみ(=自分の利益になるかどうかが基準)」という社会慣習に無意識のうちに漬かっているからだと思います。

 「身内」という感覚については、ヨーロッパでは、宗教観が強い国もあればそうでない国々もありますが、社会や文化の基調には、「神様の前には誰もが平等」という観念が暗黙に存在しており、日本や中国のように、血のつながった家族が特別という感覚は非常に薄いです。日本のように、「三親等内での相対的不要義務」も当然存在せず、社会福祉がセーフティーネットとなっており、かつ宗教団体や非営利ボランティアー団体が数多く長年にわたって存在し、運悪く難しい状況に陥った人々をさまざまな面から助けます。子供に対しても親の責任は大人になるまでです。親の責任は、上記に記載したような、自立・成熟した大人になる手助け(=確かな情報を集めたり聞いたりして、自分で決定を下し、他の人々の権利も尊重した上で正しい言動を選ぶことができる。ただし、失敗してみることも本人の権利)をすることで、いったん子供たちが大人になると干渉はしないし、子供たちも親の許可を求めたりはしません。親子間の関係は、お互いが一人一人の独立した対等な人間として尊重するものです。

 「見返りを求めて親切に見える行動をする」ということに関しては、ごく普通の日常では(電車や道で困った人を見たときに助けるという場面。利害関係が大きく絡むビジネスでのGive and Takeが生じるような場面ではない)、ヨーロッパでは非常に分かりづらい、或いは軽蔑されるであろう行動だと思います。「恩を売る」という言葉に対して、日本ではそうネガティブな印象はないと思うのですが、英語だと近いものでは「Make someone feel indebted」ということになると思いますが、これは心理的に相手が自分に対しての借りがあると思わせて、相手を自分が思うように行動するよう操作するということで、非常に悪いことです。また、親に「恩を返す」等の概念も理解されにくいものです。親が子供の面倒を見るのは当然で(子供は生まれることに対しての選択肢を持っていません。大人である親が自分たちの行動を選択した結果、子供は存在するため)、そこに「恩」も「借り」も生じません。自主的に子供が感謝することはあるでしょうが、親が恩を売る、或いは押し付けるようなことはありえません。ごく普通の日常で見ず知らずの人々が助けてくれることが多いのは、自分の信念に沿って正しい行動を自ら選択する人が多いからです。

 ヨーロッパで暮らしている、或いは仕事をしていて、助けが必要だと感じたら、明確な言葉で数人に話しましょう。あなたが助けが必要だと感じていることは周りの人には分からないかもしれないし、あなたのことを成熟した人間だと尊重しているので、あなたが自分で解決しようと努力していることに干渉しないよう気遣っているのかもしれません。数人に話すのは、人によってはあなたを助けるツールを持っていないかもしれないし、その人の状況によっては助けたくても助けをオファーできるようなときではないかもしれないからです。助けは確実にやってきます。

 また、これと同様に、頼まれてもいないのに同僚の仕事に勝手に手を出すのはやめるのが賢明です。あなたの同僚も、あなたと同じ権利を持った成熟した大人であり、助けが必要であればしかるべき人々に相談するでしょう。同僚の仕事に勝手に手を出すのは、同僚を自分と同等の大人として扱わず自分より劣ったものであるように見なしているということであり、彼、或いは彼女が自分で判断して行動する権利を踏みにじっています。これは親切ではなく、干渉であり、かつJob Descriptoinにあるあなたの権限を逸脱するものでしょう。まず、自分も相手も成熟し自立した一人の大人・個人であるということを念頭に置いて言動を行うと、どこでも良い関係が築きやすくなるでしょう。

Yoko Marta