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スキルの定義ーLow/Highといった二分法は適切なのか

Yoko Marta
16.07.21 04:47 PM Comment(s)

全ての仕事・人々にはかけがえのない価値があり、誰もが尊重されるべき

 いつの時代でも、仕事に必要なスキルは変わり続けていますが、当分の間スキルについては加速がついて変わっていくとするリサーチが多く出されています。Low Skill, High Skillについては、特に移民に対してのラベルづけとして使われることが多いです。移民の数が圧倒的に少ない日本では今一つ想像するのが難しいかもしれませんが、ヨーロッパの多くの国々には移民は多く存在し、受入れの際に、低スキル組か、高スキル組なのかの2分法で分けて仕事を割り当てられがちということに対する限界も指摘されています。イギリスに限って言えば、イギリスは世界の多くの国々を植民地として支配していた歴史から、戦争中に戦士や後方支援(戦艦での料理人、掃除、機械の整備や港で荷物の積み下ろし等)として世界中の植民地から多くの人々をリクルートし、第二次世界大戦後には、国の復興事業等のため、旧植民地国からの移民を多く受け入れてきた経緯があります。また、多くのアフリカの植民地には中間管理職としてインド出身者(インドも長い間イギリスの植民地だった)を多く送り込んだ歴史があり、例えばウガンダがイギリスからクーデターで独立した際には、現地のインド人の追放が起こり、多くの人々がイギリスに移民しました。イギリスにいると、同僚や友人に、両親や祖父母がウガンダから追放されてイギリスに移民したという人々によく会います。ウガンダからのインド系移民は、ウガンダでは経済的にはミドルクラスだったこともあり、かなり高い教育を受けた人々がいたにも関わらず、イギリスでは人種差別の問題やウガンダでの追放の際に着の身着のままで逃げないといけなかったこともあり、なかなか教育やスキルに見合った職業にはつけなかったようです。移民2代目の子供たちはイギリスで生まれ育ったイギリス人で、人種差別は避けては通れない場合もあるものの、医師や弁護士等の職業にはご両親がインドから移民としてやってきたという人々も多いです。また、同様に多くの植民地を支配していたフランスも、旧植民地からの多くの移民が存在します。多くの植民地は第二次世界大戦後に独立したものの、これらの植民地で支配者たちが行ったことは(例/効率よく支配・搾取し続ける為に、部族や言語等で被支配国の国民を細かく分けて優劣関係を作り、一部の部族を優遇して、一部を残虐に扱う等の手法を使い、被支配国の国民間で相互に争わせ続け、支配者へ不満が向かないようにした/支配者に都合の良い歴史の書き換え/支配者は被支配者の人々より高等な頭脳やスキルを持っており、被支配国の人々は劣っており国の統治等は支配者にしかできないと思いこませ教育の機会も奪った等)、大きな禍根を残しただけでなく、現在の旧植民地国での難しい問題にもつながっています。

 ここでは、何をもって「高スキル」「低スキル」とするのかという問題と移民問題をからめた興味深い記事がCentral Global Developmentから出ていますので、紹介します。原文はここより。

 「高スキル」とは往々にして大学の学位を持っている(ヨーロッパ内ではほぼすべての大学が国立で、日本のように質の低い私立大学の乱立はありません。学位の質も価値も高く、勉強した内容と職業は直結していることが多い)、「低スキル」とは身体労働を指すことが多いですが、この二分法では見落とすものが多くなります。包括的なスキルのアセスメント(ソフト面・ハード面、これからの可能性、パーソナリティ等)が必要ですが、これも往々にして移民がどこの国から来たか、人種、母国語等によってもバイアスがかかりがちです。

 低・中所得国から高所得国への移民の傾向については、出身国での経済の発展具合等も関与しています。低所得国で経済が伸びてくると、比較的高所得層(教育レベルも高い)が特に移民する傾向が高いそうです。(同Central Global Developmentのレポートはここより)貧しくてもその国で比較的良い暮らしをしていれば、わざわざ移民しないだろうと考えがちですが、彼らにとっては移民することは自分たちの未来への投資でありAspiration(日本語での直訳は難しいですが、将来への大きな望みや希望でしょうか)ですが、この傾向は、これらの貧しい国々の全体の経済レベルが大きく上がるまでは続きます。経済や生活水準がある一定の高い水準となると、外に出ていく移民率は下がります。こういった移民を、突然の市民戦争等で自国を逃れざるを得なかった人々(難民)と分けて、経済的な移民だから受け入れる必要はない、という議論も往々にして出てくるのですが、レポートでは、低・中所得国への基金提供等を続けそれぞれの国々の経済水準・人々の安全・生活基準を上げるとともに、こういった移民の流れは避けられることではなく、今後人口が減っていく先進国でのそれぞれの国での不足しているスキルや不足するであろうスキルを分析し、計画的に移民を受け入れる政策をとったほうがいいと指摘しています。この受入れの際に、スキルは高いのに、受入国でのシステムや人種・母国語等のバイアスで十分に能力を発揮する仕事につけない人も多く存在するとみられ、受入国(先進国側)と移民元の国(後進国)の間で、スキルの交換制度(例/バングラデシュでの機械工の経験・資格をイギリスの同等の資格に読み替えてプロフェッショナルとしてイギリスで働ける等)を作ることや、今後移民する人が増えるであろう後進国と協力して、先進国側が自国で不足するスキルについて、先進国側からの投資として後進国側に教育機関を作りトレーニングを行い、要件を満たす人には合法的に該当先進国での労働権を与えて移住することも一つの案として挙げています。

 また、この「低スキル」「高スキル」について、もう一つ指摘されているのは、移民だけでなく、先進国側の市民に対しても、「低スキル」と見なされる職業については、給料も低く、権利も少なく、ユニオン等の労働者を助けるリソースや労働状況を監督する機関も不足しがちなことです。移民受入れ先の先進国では、就労ビザが雇用主と紐づいていることも多々あり、仕事や企業を変わることが実質不可能、或いは不可能に近い場合もあります。これでは、大きなポテンシャルをもっている移民に対しても、教育や他の仕事を選ぶ機会を奪うことにつながってしまいます。ちなみに、私自身もイギリスで20年以上前にITエンジニアとして労働許可がおりましたが、この労働許可は雇用主と紐づけられており、またITエンジニア以外の仕事に就くことは許されておらず、フルタイムで働くことが条件でした。雇用主を離れる際は、ビザの移行を新規雇用主(ITエンジニア職のみ)が行うことが条件であり、これはなかなか難しい条件でした。幸い、当時は労働許可ビザで4年以上働けば、市民権へ応募する資格があったので、市民権へと切り替えました(職業の自由選択や大学にフルタイムで行くこと等も可能となる)。現在は、市民権に応募するには、労働許可ビザで10年以上切れ目なく働いていたことが条件となります。日本人でイギリスで働いている人々は圧倒的に婚姻ビザ、或いは婚姻ビザから市民権へと切り替えた場合が多いようです。ヨーロッパの複数の国々での仕事のオファーがあった際には、キャリアだけでなく、市民権が何年ぐらいで取得できるのか、転職は可能なのか等も併せて検討する必要があるでしょう。

 移民受入れ側の先進国では、「高スキル」「低スキル」といった二分法を疑ってかかり、すべての人々は経済や国にとって何かをもたらしてくれる人々であり、尊重されることが必要であるとされています。これは、上記でも指摘されているように、移民だけでなく自国民にも該当することでしょう。実際、高スキル、低スキルという定義も時代や国によっても違い、今回のパンデミックでも、Front line workerと呼ばれる病院で働く人々(医師、看護師、掃除の専門家等)、老人施設で働く人々、公共交通機関で働く人々、配達をしてくれる人々等、世の中に仕事の高低や優劣をつけることがいかに意味のないことかということは誰にとっても明らかになったとことでしょう。給料や貧富の差については、いびつな状態が続いていますが(実際に国や社会に対してほぼ貢献していない投資銀行に勤める人々の給料がとても高く、大きな貢献をしている看護師や老人のケアをしてくれる人の給料はとても少ない、貧しい人々は一日10時間以上働いても労働保障もほぼ無くその日暮らしとなり、裕福な家に生まれれば何もしなくても資産がどんどん増えていきかつ税金もほんの少ししか払わない等)、少なくともJobs Guarantee Schemeと基本的人権を守れる社会福祉とUniversal Income等を組み合わせるようなアイディアもどんどん出てきており、市民の多くが平等な社会を求めて声を上げている今、変化は緩やかでも起こっていくでしょう。

Yoko Marta