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ROMEO&JULIET at Globe Theatre ー 新たな解釈

Yoko Marta
28.10.22 02:27 PM Comment(s)

ROMEO&JULIET at Globe Theatre (2021年7月)

Globe theatre (シェークスピア劇場グローブ座)は、ロンドンのテムズ川沿いにある野外劇場です。夏には、多くのシェークスピア原作が才能にあふれたさまざまな劇場ダイレクターによって新たな解釈を加えたものと、シェークスピアとは直接関連性のない新しい脚本での演劇も催されます。
年によっては、日本も含めた世界各国からシェークスピアを演じる劇団が招待され、彼らの国の言葉でシェークスピアが演じられます。
復讐劇やコメディー等、脚本が書かれたのは400年近く前とはいえ、今の時代に生きる私たちにも響いてきます。ロンドンにあるRoyal Opera House(ロイヤルオペラハウス)もそうですが、とても価格の低いチケットがあり、民主主義的です。グローブ座では、Yard(中庭)と呼ばれる舞台のすぐ目の前の中庭部分が立見席となっていて、5ポンド(現時点での換算レートで日本円で770円)で観ることができます。ただ、上映中は立ちっぱなしで座れず、Yard部分は屋根がなく雨が降ると簡易カッパを配ってもらえますが、雨に降られることとなります。
チケットが売り切れても、当日のキャンセル分を現地で列に並んで待つことも可能です。何度か挑戦しましたが、早めに並べば、チケットは手に入りました。
昨年・今年はパンデミックもあり劇場には足を運んでいませんが、毎年いくつかのショーに出かけています。
選ぶのはいつもYardで、きている観客と話したり、実際に舞台で演じている俳優が観客たちに劇の途中で話しかけることも多いし、Yardの前列あたりだと、舞台も手を伸ばせば届くような距離で、いろいろなアクションがYard部分で起こることもあり、あっという間に舞台・俳優・観客と一体になって、同じ時間・空間を経験・体感している感覚があります。
これは、映画や他の形態のアートだと体験しずらいもので、とてもインタラクティブです。
ダイレクターによっては、原作での王様がドラッグディーラーのトップに変わったり(内容の本質は原作のまま変わらず)ヒップホップを多用し、衣装も現代だったり、解釈は本当にさまざまで、それが恐らくシェークスピアの懐の深さなのかもしれません。その為、同じ話を毎年観たとしても飽きません。


今回(2021年7月)は、よく知られているシェークスピアの中でも、ロメオとジュリエットが、才能あふれるダイレクターOla Ince(オラ・インス)氏によって大胆に解釈され上演されました。劇場はオープンしているのですが、今回はライブストリーミングで観ました。2021年8月7日にイギリス夏時間の19時にライブストリーミングが再度あります。日本からも観ることができます。予約はここから可能です。※通常の若者のラブストーリーという視点ではなく、若者の自殺という視点で解釈されています。これが精神的にこたえる方もいると思うので、視聴するかどうか判断ください。
ダイレクターのオラさんは、イギリス国営放送BBCのRadio4でこのプロダクションの解釈について、非常に興味深いことを語っています。イギリスでないと聞けないかもしれませんが、ここより視聴可能。

オラさんは、新しい作品を扱うことが多く、シェークスピアのように昔のもので、既にさまざまない解釈が試みられ、多くの人が作品についての決まった考えや期待をしている作品を扱うことに躊躇し、この作品を手掛けることを何度か断ったそうです。「勇気を出して」という言葉に励まされ、この作品を長期間何度も読み返しフレッシュな目と心で見たときに「なぜ、この若者たちは自殺せざるを得なかったんだろう。これは世代間にわたる確執のせい、それとも家族のせい、誰のせい?」という疑問と、結論とはいえないけれど「これはきっと若者と社会は少し調子を崩している。この演劇はパッションや愛ということではなく、社会の病気、メンタルヘルスではないか?」と思ったそうです。

このロミオとジュリエットの舞台となるのは、イタリアのヴェローナという都市です。この時代は戦争で市は疲弊し、暴力的で、誰もが誰をも知っている場所でとても息苦しい場所でした。若者を含め誰もが閉塞感を感じていました。オラさんはここに、黒死病が広がっていたために、神父からのロミオへ状況の説明の手紙が届かなかった(伝染病を拡大させないため、町の外に出ることを禁じられていた)ことを、現在のパンデミックの状況と結び付けます。誰もが不安を感じている。自殺、鬱、不安を語ることは以前よりタブーではなくなり、今こそお互いを助けるとき。
その為、舞台に「若者のうち20パーセントは鬱を経験している」等のメッセージが現れます。私自身も、この演出は少し唐突で流れを乱すようにも見えたのですが、私が観たのは上演期間が始まってすぐだったので、他の演劇と同様に、上演期間中に徐々に変更して、最終的には全てがうまく融合するようになるのだと思います。これが舞台が生き物で、一度も同じ経験はないことの面白みだと感じます。オラさんも、唐突な演出かもしれないが、挑発的にこの問題を思い起こす機会としたかったと言っています。ロミオとジュリエットは往々にしてロマンティックなラブストーリーとして解釈されますが、オラさんにしてみれば、若者の自殺はとても悲しいことであり、愛し合っている若者が自分たちの命を絶つしかなかったというのがロマンティックだと描写されるのは不健康で、悪いメッセージだと思ったそうです。自殺のシーンも死ぬまでの間を長く描写し、自殺は全くロマンティックではなく痛くて、悲しく苦しい結果となることを現実的に見せています。この演出については、自殺を扱っている医療関係者にインタビューを行い、自殺行為を行った瞬間と死ぬまでの間の医者や看護婦とのやりとりで、後悔して行動をリバースしたいと言った人もいたことを学んだそうです。この状況に陥るということは非常に強い絶望を感じていたということであり、こうなる前にもっとオープンに自殺や強い不安、メンタルヘルスについて話すことができる社会をつくるきっかけとしたい、とのことでした。

通常のロミオとジュリエットを期待した人々にはかなり違った経験にはなると思いますが、セリフ等は原作から変わっておらず、ユーモアもあり、生きる喜びに満ちた場面もあります。演出家によって、ここまで視点が違うのはいつも興味深く思うところですが、オラさんの視点はきっと世界普遍だと思います。彼女が次に手掛けるであろう作品も楽しみです。

Yoko Marta