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脊髄損傷を強みと変えた研修医ーGrace Spence green

Yoko Marta
19.10.22 02:58 PM Comment(s)

脊髄損傷を強みと変えた研修医ーGrace Spence green

2021年夏時点での記事となります。
約2年半前の2018年秋、当時22歳だった医学部生のGrace(グレース)さんは、東ロンドンの 大きなショッピングモールにつながった駅に向かって歩いていました。そのとき、3つ上の階から飛び降りた男性がグレースさんの上に落ちてきました。その際に、彼女は脊髄損傷を受け、車椅子での生活が始まりました。彼女のインタビュー記事は、Guradian Newspaperのここより読めます。(※この記事はダイレクトな翻訳ではありません)彼女は、他の5人の脊髄損傷を持った仲間たちとポッドキャストを作っています。This Is Spinal Crap

彼女は手術やリハビリテーションで1年休学しましたが、医学部での勉強を続け、今夏は研修医として働き始める予定です。将来は小児科、特に身体障害を持っている子供たちに特化した医者になることを目指しています。

上記のポッドキャストは、脊髄損傷をもって生きている人々についてすべてー 彼女は彼女自身の事実、ハッピーで普通の生活を送っていること自体がアクティヴィズムだとしています。

ただ、最初からそうだったわけではありませありません。

最初は、大きな喪失を感じ、車椅子での人生が楽しく充実したものにはなるとは想像できなかったそうです。これについては、他に良い例(車椅子で普通の暮らしをしていて人生にほぼ満足しているような例)が世間に出回ってなかったからではないかとしています。また、困難だったのは、この事件に関する世間からの反応だったそうです。彼女の上に偶然落ちてきた男性は4年の実刑となり、彼が黒人でグレースさんが白人中流階級の女性だったことからも人種差別的な部分も含め(男性はマリワナの影響を受けていたのではないか、等の黒人とドラッグを結び付けるよく見られる偏見)、世間からの彼女はいつも「被害者」であるという決めつけと、彼女が「どう感じるべきか(一生怒りにつまされている人生等)」等の強い押し付けと、世間の怒りを扱うのは、とても疲れることだったとしています。また、オンラインのコメントでは、グレースさんが怒りと苦々しさを見せていないということで批判を受けました。そこには、「(車椅子生活になった)彼女の人生は悲劇で、人生は破壊され、それを認めなければならない」といった馬鹿馬鹿しい考えをもった人々が一定数いるということではないかとしています。

彼女自身は、最初から怒りは感じず、悲しみを感じていたそうです。「どうして私なの?」や「もしあの時あの場所を歩いていなかったら」等のことも頭に浮かんだそうですが、そうやって自分を被害者、自分を可哀そうに思うことでは、どこにもたどりつけないと思い、現時点でも飛び降りた男性のことは自分とつなげて考えないけれど、世間の人々からは、その男性に会うのかどうか等、周りからの意見(彼女がどうすべきか、どう感じるべきか)を押し付けられるのは、難しく感じるそうです。彼女自身は、彼女は被害者ではなく、飛び降りた男性の命を助けた(床に落ちていたら多分死んでいた)、或いは他の人々の命を助けた(もし子供が下敷きになっていたら恐らく命はなかった)と思い、「誰かの命を助けることにつながったのだから、私は起こったことを変えようとは思わない」としています。彼女はこれをRadical Acceptance(急進的な受容)としています。ここにたどり着くには事故から1年ほど必要としたそうですが、これ以後は、彼女の物事の見方は完全に変わり、世間の馬鹿馬鹿しいコメントや哀れみを気にかけず、自分が誰であるか、何をしているかについて他の人々に答えなければならないと思うことはなくなったそうです。

グレースさんは、他の身体障害をもっている人々やアクティヴィストをオンラインでフォローし始め、身体障害についての学術誌も多く読みました。気づいたのは、彼女が聞かされていたのは、世間の身体障害者はこうあるべきだ、こうするべきだというもので、自分はそれに従う必要はないし、実際、彼女は普通の人で、事故での損傷を受入れ、障害があることとそれがもたらすものを愛しています。

彼女の損傷は「不完全」とされるもので、少しの反応と動きは残っています。(歩けるようになれる可能性はまずない)ここでも世間からの障害者に対する思い込みが見て取れるとしています。「車椅子生活が幸せなはずはない。歩けるようになるために(奇跡に近くても)どこまでもリハビリを頑張るべきだ」や、この反対の「障害者はパラリンピアンになり、障害を魔法の力とするべき」と言った見方に、彼女は疑問を投げかけます。なぜ、彼女のように障害を持っている人が普通の生活を送り、人生に満足していることが、世間から驚きの目で見られないといけないのか。

彼女自身も自分が車椅子生活になる前は、車椅子の人々に対して可哀そうという気持ちを持っており、今はそれを恥ずかしく思うそうです。彼女自身、ほとんどの場合助けはいらないのに、それを信じない人々(彼女が何が必要かは自分たちのほうがよく知っていると思っている世間の人々)にはフラストレーションを感じることもあるそうです。今は、明確に助けが不要であることを言い、他の人々が心地悪く感じているように見えてもそれを気にかけない強さを身につけたそうです。

身体障害にまつわる偏見としては、セクシャリティーがあります。彼女は、事故の前から一緒のボーイフレンドと今も5年以上にわたって付き合っています。これに対して、驚く人々がいることに驚かされるそうです。障害者は無性と思いたい人々もいるけれど、それは障害を持った人々が家族を作ったりする例が世間一般に知られていないからでは、としています。障害者を代表・表現するもっとよい例がたくさんあっていいはず。その為にも、彼女が仲間と作っているポッドキャストは、障害をもち普通に楽しく充実した人生を送っていることを届けたいとしています。

彼女はよく、Inspirational(インスピレーション)とも言われますが、これには相手を下に見て上からものを言うような部分もあるとしています。身体障害者はお店に買い物に行ったりするだけでインスピレーションと言われたりするけど、そこには身体障害のない人々の思い込み「身体障害者はひどくみじめな生活を送っているに違いない」からきていて、ごくごく普通のことを身体障害者がしただけで、素晴らしいこととなる。あなたがこれをインスピレーションと感じるのは、私のポジション(身体障害者) でなくてよかったと自分に対してよく感じることができるから?

彼女自身は、この障害により得たものは大きいとしています。この事件が起こったのは彼女が22歳のときでしたが、それまでは彼女は、いろいろなことに対して無知だったとしています。彼女は特権を持った、若い中流階級の白人女性でしたが、今はいろいろなバリアが他の人々に存在することを身をもって理解しています。彼女は、広い視野を得て、良い医者になれると思っています。また、車椅子という目に見える傷のようなものがあることで、患者さんも彼女が何かを経験してきたのだということが分かって、もっと自分に対してオープンになってくれるということでした。

イギリスや西ヨーロッパ諸国は、身体障害やさまざまな障害について、アジアよりももっとオープンで急進的な印象がありますが、それでも、まだまだ前進する必要があります。昔、日本のスポーツ界の人だったと思いますが、「自分は腕を失っただけで、人生を失ったわけじゃない」という内容のことを言っていたことをぼんやりと覚えています。同じ社会や地球をシェアする仲間として、誰もが人間として対等に過ごせる時代には手が届きそうな希望がありますが、私たち全員が自分たちの見方を振り返り、考えや言動を改めることは必要でしょう。

Yoko Marta