The Green Catalyst
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NJAMBI MCGRATH (ジャンビー/ケニヤ出身 イギリス活躍コメディアン)

Yoko Marta
11.07.22 01:52 PM Comment(s)

ACCIDENTAL COCONUTS (偶発的なココナッツ)

料理をしている間に、よくBBC Radio4(イギリス国営放送)をかけっぱなしにしています。その中で、出会ったのが、ケニア出身のロンドン在住スタンダップコメディアン、Njambi McGrath(ジャンビ・マクグラス)さん。以前紹介した、スタンダップコメディアンのOlga Koch (オルガ・コッフ)さんと同じく、前身はITエンジニア。アンテナタル(出産前)クラスをしていたときに、スタンダップコメディーをやってみたら、と言われ、夫に言うと「やってみれば?」と背中を押され始めたところ、どんどん人気が出て、2013年以降、スタンダップコメディーで知られているエジンバラのフリンジにも毎年登場しています。

彼女のスタンダップコメディーを理解するには、イギリスとケニヤの歴史をある程度知っていることが前提となっています。基本的に聴衆はブリティッシュなので、ケニヤが独立を勝ち取る1963年まで約75年もの間、イギリスの植民地であったことは理解しています。アフリカのほぼ全土が500年ほどの奴隷貿易に苦しみ、ケニヤがイギリスの植民地になる前は、数年の間はドイツ、その前の数百年はポルトガルの支配下にありました。ジャンビは、「コロニアリズム(植民地主義)への抵抗をコメディーを通して行う」と言っていました。植民地主義は終焉したのでは、と思っている人も多いと思いますが、その強いネガティブなインパクトはまだ続いています。ジャンビが言うように、「植民地支配者が去ったときに、植民地主義は終わるわけじゃない」というのは、白人至上主義や間違った神話(黒人は白人に比べて脳が発達していない等)はいまだに根強く、イギリスのEU離脱にも、この植民地主義は大きく影響を及ぼしたとされています。

ジャンビはイギリス人(白人)の夫と出会い恋に落ち、夫と娘2人と現在はロンドンに住んでいます。

EU離脱とアイデンティティーについて ー ケニヤとブリティッシュの共通点
We need to reclaim who we were before
(自分たちは、以前自分たちが何者であったかを取り戻す必要がある)

イギリスの場合
多くの見方もあるものの、植民地主義を栄光の過去とし、世界の多くの国々を植民地としていたことに誇りを持っている人々もかなりいます。地球上の多くの国々を植民地とし、自国をその犠牲のもとに繫栄させ、支配者として君臨してきたのに、植民地を失い、今までの支配者としての位置を失い、アイデンティティーを失ったと感じている。これが、EU離脱へと突き進んだ大きな理由だと考えられています。
ケニヤの場合
生まれる前に既に自分たちのアイデンティティーは奪われている。学校では、白人植民地支配者からみた歴史を教えられ、自分たちの部族に伝わるダンスや言葉、文化は全て禁止。こういったものは、すべて原始的で野蛮なものだと叩き込まれれる。ジャンビの学校は寄宿学校で9か月間は地元から完全に離れた場所で、ほぼ洗脳に近い状態。1960年代にも、オックスフォード大学の権威ある教授が「イギリスが植民地化を行うまではアフリカには文明は存在しなかった」とする発言や、「黒人の脳は白人の脳に比べて劣っている」等、現在は科学的にも歴史的にもどちらもが虚偽であることは証明されていますが、こういった虚偽がいまだに出回り、本当であることかのように語られることは少なくありません。
また、ジャンビ自身はケニヤが独立を勝ち取った後の世代ですが、母・祖母・叔母は植民地支配者(イギリス)によって、1952年から1960年まで強制収容所にいれられ、過酷で残虐な仕打ちを受けました。ジャンビ自身は、それらの体験を母・祖母から実際に聞く機会がありましたが、アフリカ全土の70パーセントの人口は30歳未満であり、自分たち自身の歴史(奴隷貿易、植民地時代等)を知らない人々も多く、自分たちが誰であるかを知るためには、過去の歴史を知ることが重要であるとし、そのためにもコメディーを行っている、とジャンビは語っていました。

Accidental Coconuts (偶発的なココナッツ)ー スタンダップコメディーの題名
ココナッツと誰かを指していうのは、イギリスでは差別です。外側は茶色で、内側(考え方)は白人。
植民地化で、イギリスは白人の言葉と教育、歴史の見方を被支配側の人々に押し付け、イギリス人になることを強要しましたが、いざそれが現実になると、彼らの外側が白人でないことで拒否します。ジャンビの教育は、白人支配者側の教育で、第一次世界大戦や第二次世界大戦をヨーロッパ(植民地支配者)の視点から語り、いかにイギリスを含むヨーロッパ諸国が素晴らしいものであるかを讃えるものでした。ジャンビはイギリスにきて、ココナッツという差別用語を知り、自分が知らないうちにこのココナッツになっていたことを知ります。
また、ジャンビは、ケニヤにいるときは、自分の部族が自分のアイデンティティーだと思っていたのに、イギリスにくると突然「黒人」というボックスにひとまとめに入れられて驚きます。アフリカで自分を黒人と思っている人はいなくて、大体自分の部族をアイデンティティーと思ってるだろう、と言ってました。やっと「黒人」というボックスに入れられるのに慣れたと思ったら、今度は「BAME(ベイム)」のボックスに入れられます。これは、Black(黒人), Asian(アジア人), Minority Ethnic(少数民族)というイギリス独自の枠組みで、日本人もここに入ります。ジャンビは「私は、World of the citizens(世界の市民)だと解釈している」としています。彼女のジョークの一つは「私の夫は白人で、私はみて明らかなように黒人だから、当然子供はグレーね。」これは、少しでも白人以外の要素が入れば、白人以外というボックスにいれられることを揶揄しています。

植民地主義とは何だったのか ― ジャンビの家族の歴史
ジャンビは植民地主義を讃える人々は、実際に植民地の被支配者がどのような扱いを受けていたのかを理解していないのではないか、としています。植民地を理想郷のように語る人々もいますが、植民地主義は、往々にして植民地から遠い場所にいる植民地支配国が被支配者側を征服し、アイデンティティー・人間性を奪い、その地域の自然資源も全て奪います。イギリス支配下に長くあったインドの人々が、中間管理職としてアフリカに送り込まれ、ますます分断をひどくしました。被支配側は、もともとは自分たちの国・土地であったにも関わらず、家の所有や土地の所有もできず、死ぬほど働かされても賃金はほぼ支払われず、支配者側の暴力は当たり前で、動物以下の生活を強要されていました。ジャンビの祖母と母も、強制収容所に入れられ、父は、赤ん坊のとき、死んだ母の横にいるところを発見された孤児だったそうです。
ジャンビも言っていましたが、ケニヤで独立運動(1952- 1956)が起こったとき、同じ部族の多くの人々が拷問で殺され、女性・子供の多くも強制収容所にいれられ、毎日の暴力と飢餓、過酷な労働に苦しんだそうです。彼女は母・祖母からその経験も聞いていて、この暗い歴史を書き留めておくことは苦しいことだけど、何をして自分が作られたかということを忘れないようにするのは、とても大切なことだとしています。
ちなみに、日本はイギリスやスペイン、フランスといった国々と同様に、植民支配を行った歴史を有しています。ヨーロッパ諸国のように数百年にわたっているわけではありませんが、その事実を知っておくのは大切でしょう。前述したヨーロッパの国々は、多大な領域を植民地としていた為、若い年代もその事実については知っていますが、ドイツのようにドイツという国の概念・国境も大きく変わり、前者に比べると植民地の領域が少なかった場所では、植民地を支配していた、という事実すら知らない人々も増えているそうです。

ジャンビのメモワール ー ドラマ・コメディー
ジャンビは、家族についてのメモワールも出版しました。
題名は「Through the Leopard's Gaze (レオパードのまなざしを通して)」
彼女の父親の家庭内暴力は過酷で、彼女の母は殺されそうになり、子供5人を置いて去りました。その後、ジャンビが13歳くらいのときに、父が激高し自分自身も殺されかけたため、母のところへと逃げます。その後、父と会うことはなく、結局彼の暴力が何からきていたのか、彼は実際にはどんな苦しみをもっていたのかを知る由はなかったそうです。父が死に、「結局、父は自分の行動の責任を何も取らなかった」と自分の怒りの感情のもっていきどころに困っていた時に、友人に「コメディーにしてみれば?」と言われて、驚きますが、気づきます。「どんなことにもユーモアは見つけられる。」また、父は孤児だった為、彼の過去はよく分からないものの、周りから、「彼が生まれ育った時代の政治的な状況も考えてみれば」と言われ、多くの歴史や人類学の本を読むうちに、白人至上主義と植民地主義についての明確な形に気づいたそうです。同時に、彼女の受けてきた教育が、いかに白人のためのものであり、偏っていたかに気づきます。
ジャンビは、父の暴力は植民地支配下での人間性を奪われ続けたことからきている、としています。ジャンビの「植民地支配は、公害が生まれていない胎児にも影響するように、大きなインパクトを長期間与え続ける」と言っていたことが印象的でした。
彼女の母はこの本の出版の数か月前に亡くなったそうです。

このドラマ・コメディーはBBC Radio 4で4部作として編成され、今週すべて終了しました。
テーマは重く感じるかもしれませんが、彼女のコメディーは何度も笑わせてくれ、かつ終わった後に深く考えさせられます。個人の経験を通して語られる秀逸な物語は、人々がOthers(他人、自分たちマジョリティーに属さない抽象的な存在)であることを超えて、実際に「自分たちはこの人々であったかもしれない」という共感を生み出し、彼ら/彼女らの痛みを感じずにはいられません。
このドラマ・コメディーは別の機会に紹介します。

Yoko Marta