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外国語を学ぶこと

Yoko Marta
18.02.22 11:40 AM Comment(s)

外国語を学ぶことは、歴史・文化・慣習も総合的に学ぶ/経験すること

ヨーロッパでは、イギリス人は外国語が話せないことで知られています。

ちなみに、ここでいうイギリス人は、The United Kingdomの連合国4か国(イギリス、ウェールズ、スコットランド、北アイルランド)のうち、イギリスを指します。ウェールズ国には、ウェールズ語を話す人口が約5分の1(イギリスの歴史的な支配により英語は誰もが話す)存在し、ウェールズ語はThe UKの公用語で、英語とは全く文法も異なることばです。北アイルランドは、The UKを離脱してアイルランドに統合したいとする人々や政党が、英語とは全く違うアイルランドのオリジナル言語のゲール語を公用語として認めるよう求め続けています。

日本人は、外国語が苦手なわけではありません
英語ビジネス産業は、自分たちの利益を守るためにそう信じ込ませたいかもしれませんが、現実は大きく違います。
英語ビジネス産業は、ダイエットビジネス産業が「Successful failed business(成功している、失敗したビジネス → 本来は体重を減らすことを成功させるためのビジネスのはずだが、失敗する人が多ければ多いほどもうかる)」と呼ばれている構造と似ているように見えます。
私がイタリア語を習ったときの先生は、イタリア人で、大学で中国語を学んで中国語⇔英語⇔イタリア語の通訳・翻訳をしていた人でした。イタリア大学在学中に中国の大学へ留学していたそうですが、日本人の中国語習得があまりにも速く、ヨーロピアンの大学生たちは誰もついていけず、日本人学生と他の国々からの学生とでクラスを2つに分けざるを得なかったそうです。1年後の中国語の習得レベルには、天と地ほどの差があったそうです。中国語を習っていた他の国々の学生にしてみれば、日本人は外国語を習う天才に映ります。

簡単に私が思う図を描いたのですが、私たち地球上の人間はHumanity(人間・人類)といった面では共通の大きな土台をもっていますが、その上にGeography (地理)、History(歴史)、Culture/Custom(文化・慣習)等が重なった上に言語があるように思います。
私の家族はイタリア人なので、私もイタリア語の日常会話になんとかついていける程度には話しますが、この程度でも、スペインを旅行するときはイタリア語で話して、相手がスペイン語で返すという形でも簡単なことなら通じます。また、フランス映画を観ていると、イタリア語と同じような言葉も聞きます。私の知り合いのルーマニア人は、イタリア語を習ったことはないけれど、イタリア人の会話はざっと理解できます。

なぜでしょう?

スペイン語・イタリア語・フランス語・ルーマニア語は、ラテン言語であり、大まかな文法は同じところからきており、地理的にも隣り合わせで国境も変わり続けていました。ということは、地理の近さ・共通した歴史を持っている・文化もある程度近い・言語のルーツが同じということで、お互いの言語を学ぶことはかなり容易です。
私のイタリア人の友人は、イギリスの高校でフランス語とスペイン語を教えています。イタリア人の彼女にとって、フランス語とスペイン語は母国語のイタリア語にとても近く、教えられるレベルに到達することは難しくありません。なぜイタリア語を教えないのか、というと、イタリア語の需要がとても小さく、仕事の要請がないからだそうです。
日本語と中国語の場合も、地理的に近い・共通した歴史がある、文化もある程度近い、日本語の書き言葉は中国語を元にしているのでわざわざ習わなくても既に多くの書き言葉を知っている等、日本語を母国語とする人々にとっては、中国とは共通点が多くあります。地理・歴史・文化・慣習・言語のルーツといった点で中国とほぼ共通点のないヨーロピアンと比べると、日本語を母国語とする人々の中国語習得がとても速いのは論理的に自明でしょう。
また、日本語母国者が韓国語を習得するスピードも非常に速いとはよく聞きます。
これも、日本と韓国の間で共通点が多いことに基づいているでしょう。

歴史ということをとってみれば、私のチェコ人の友人は50歳を越えている年代ですが、学校ではロシア語が必須だったそうで、ロシア語⇔チェコ語⇔英語の翻訳が仕事の一部です。ちなみに、チェコとポーランドは隣り合わせの国ですが、チェコ人とポーランド人も簡単なことなら、ポーランド人がポーランド語を話し、チェコ人がチェコ語を話しても大まかに分かるそうです。
ポーランドはロシアとも隣り合わせですが、ポーランド人の昔のフラットメイトは会社でロシア語スピーカーが必要となり、半年間ロシア語のコースに週1回仕事が終わった後に通って、ビジネスレベルまで上げていました。ロシア語とポーランド語はある程度共通点があり、ポーランド語スピーカーにとっては、ロシア語を習得するのは比較的簡単だそうです。
旧ソビエト連邦の国であれば、今も小学校でロシア語が必須という場合もあります。また、ロシアと国境を接しているウクライナには、ロシア語スピーカーもかなりいます。現在のウクライナの首相もロシア語スピーカーです。
国境を越えての結婚も珍しくないので、父母の母語が違い、住んでいる国は父母の国ではない国で、父母それぞれの母語と住んでいる国の言語の3つが母語という人もいます。
ヨーロッパは、第二次世界大戦の前・半ば・後と国境が何度もひかれなおされましたが、イタリアの友人の家族が住んでいた場所は戦後クロアチアとなり、先祖のお墓と親戚の一部は現クロアチア、残りは現イタリアに住んでいます。イタリアには、戦後にドイツ領からイタリア領になった地域があり、ここではドイツ語が第一言語で、イタリア語は第二言語です。時折、この地域のイタリアからの独立運動(ドイツ領に組み入れてほしい)が話題となります。
また、ドイツとオランダの境の村出身の友人は、第二次世界大戦中はドイツ領となったものの、戦後の町民投票でドイツに残るかオランダに加わるかということで、オランダに加わるという多数決により、オランダ領となったそうです。
国境を越えて働くことも簡単で、こういった国境近くに住んでいる人々は、言語が似ていることもあり、数か国語を自在に話すことも珍しくありません。
また、スイスのように公用語が4つ(ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語)ある国もあります。
私の友人のドイツ語圏出身のスイス人は、ドイツ語・フランス語を日常的に話しますが、スイスのフランス語圏で育った私の昔のフラットメイトは、フランス語圏のスイス人はフランス語だけ話す人が多いと言ってました。スイスのイタリア語圏だと、小さな地域で学校が限られているので、高校はドイツ語圏、大学はフランス語圏、家庭や自分の村ではイタリア語、といった中で育ったという人にもあったことがあります。
スペインの北部のガリシア地方に住んでいる友人は、独裁者フランコの時代には禁止されたガリシア地方の言語とスペイン語を話します。ポルトガルとの国境にある地方なので、ポルトガルから毎日国境を越えてスペインに働きに来る人々もいて、彼女がガリシア語で話し、ポルトガル人の友人がポルトガル語で話して、通じてました。南スペイン出身でスペイン語だけを話す友人は、彼らの会話はよく理解できない、と言ってました。

ヨーロッパでは、語学を数か国語話せることが、いわゆる「頭がいい」こととはつなげられてません。生活に必要な言語は話す、ただ必要な言語がたまたま数か国語にわたる場合がかなりある、というだけのように見えます。

どの言語が母国語であっても、共通点が多い言語を話すのは比較的容易ですが、共通点が少ない言語を話すのは大変です。
その点で、日本人が英語や他のヨーロピアン言語を学ぶのに時間がかかるのは、ヨーロピアンが日本語や中国語を学ぶのに膨大な時間をかけざるを得ないのと同じで、仕方のないことでしょう。

でも、自分の母国語と共通点が少ない言語は、チャレンジングなだけでなく、学ぶことが多い、という楽しみもあります

言語には、歴史や文化や慣習が大きく関わっており、言語を学ぶ際、そこから切り離すことはできません。
歴史や文化に興味がある人々にとっては、言語を学ぶことは、本来とても楽しいことのはずです。

英語を長年習う日本人が英語でのコミュニケーションを行えないのは、「受験英語」という間違ったObjective(目的)を設定しているからだと思います。
言語というのは、歴史や文化、さまざまなものの組み合わせであり、受験英語で計測しようとしているものとは全く違います
受験英語やTOEIC等の多肢選択法英語試験のための勉強に数十年費やしても、英語でのコミュニケーションを行うことはほぼ不可能でしょう。
日本の中高の英語の先生、元先生でも英語でのコミュニケーションができない人も見てきましたが、文法といったテクニカルな問題ではなく、異文化理解・異文化コミュニケーションという点が大きな障害となっているように見えました。
単純なことに感じるかもしれませんが、日本語の「はい」は英語の「Yes」ではありません
日本語から英語への直訳は、文法的に正しくても英語ではまず通じません
文化が違い、考え方が違うからです。

今もよく覚えているのは、イギリスにきて数か月くらいで、現地の日系企業で短期の仕事をしていたのですが(このときは語学学校の学生ビザで週20時間まで仕事ができました。今は語学学校の学生ビザだと働けないはず)、日本からの駐在員のスピーチがありました。文法は恐らくとても正確だったと思うのですが、内容が日本語からの直訳「至らないところもたくさんあり、ご迷惑をおかけすると思いますが、なにとぞサポートとご理解、ご教示をお願いいたします」であり、ヨーロピアンたちが「仕事ができないんだったら、来るなよ」とぶつぶつ言っていました。きっとこの駐在員は有能な人だったのだと思いますが、文化的にこの内容は適切ではありません。ここでは、「私は日本でこういう成果をあげ、このロンドンオフィスでは〇〇といった良い変化をもたらしたいと思っている」等のリーダーとしての自信のある発言が文化的に適切でしょう。
コミュニケーションの仕方も、大人として、プロフェッショナルとして何を期待されているのかも、日本とは大きく違うため、言語のテクニカルな理解(文法、単語を多く暗記している、発音がある程度聞き取りやすい)は、助けになりますが、全く十分ではありません。 

その国に住んで、或いはその国で育った人々と会話をかさね、この状況でこういったことを表現するにはどうしたらいいか、ということを経験していくことが大事でしょう。もちろん、現地語でのドラマや映画も役立つと思うし、趣味を通して(ゲーミング等)知り合いや友人と話すのもいいでしょう。ただ、話したいことが何もない、というのであれば、語学以前の問題となるので、自分の周りで起こっている社会問題や環境問題にも目を向けて、自分の興味を持ったことについてよく知っておくのは大事でしょう。自分の好きなことを極めるのは、料理でも音楽でも絵を描くことでも、とても良いことです。

テクニカルな面では、日本人の英語の発音は他のヨーロピアンと比べて特に分かりづらい、というのは「R」と「L」の発音を混ぜてしまう、摩擦音「F」や「V」の発音が明瞭でない、子音続きの単語の発音にどうしても存在しない母音が混ざってしまう(これはスペイン語・イタリア語スピーカーにも、日本人ほどではないけど起こること。母国語に子音続きの言葉がないか少ないことが原因)等、いくつかの点に気を付ければ克服可能です。
また、フラン語スピーカー、イタリア語スピーカーは母国語の中で「H」はデコレーションで発音しないので、「H」が発音できない人はかなりいます。例えば、Honey(ハニー)だったら、オニーとなってしまう、等。でも、英語でのコミュニケーションに問題はありません。
これについては、また別の記事で紹介します。
日本でも方言があるように、英語圏でもどこに住んでいるか、育ったかで発音もかなり違うので、完璧な英語の発音なんて存在しません
イギリス北部の同僚の発音は、ロンドン付近出身のイギリス人とは大きく違い、同僚たちと一緒にパブに行っても、北部出身の同僚は、始終注文内容を聞き返されてました。

機械翻訳の精度はかなり向上しており、外国語を学ぶことは必要じゃなくなるという意見も多く見ます。

私自身、日本の国立大学で美学・美術史を学んだ後にITエンジニアとなり、日本とロンドンで10年程度ITエンジニアとして働いてきたので、テクノロジーの発達は基本的に大いに歓迎しています。
近年の機械翻訳の質の向上にも目覚ましいものがあると感じています。
ただ、共通点の多い言語間での翻訳、例えばヨーロピアン言語間での翻訳には非常に有用だと感じていますが、共通点が少ない言語間、例えば日本語と英語間だと、意味を為さないものが多く、飛躍的な向上が必要なように見えます。
また、商品の売買等の簡単なビジネスのやり取り等には十分なレベルに達しつつあると思いますが、実際に他の国に住んでいる人たちと、心からコミュニケーションしたいのであれば、現状では、自分でその国の言語を学ぶしかないと思います。なぜなら、先述したように、言語から歴史や文化は切り離せないので、機械翻訳には現状では限界があるからです。

例えば、イタリア語には、「できない」という動詞は2種類あり、「(規則等の自分の外側にある理由で)できない」「(倫理的な、自分の内側からの理由で)できない」がありますが、日本語に訳されてしませば、ただ単に「できない」というだけで、本人の意図したところは伝わりません。また、イタリア語や英語では、はっきりと自分がどうしたいかを明確にしながらも相手を慮って柔らかに伝えたりする方法(表現することば)がたくさんあります。例えば誘われた食事には既に予定が入っていて行けない、或いは行きたくないという場合は、「行けない」ということをはっきりと明確にした言葉でありながらも、相手を慮った表現を選ぶことができます。日本語だと、「行けない」と明確には言わず、話を変えたり、「お誘いありがとうございます」等の言葉で、明確に「行けない」という事実を言葉で全く表現せず、相手に察してほしいという手法を選びがちではないでしょうか。言語での可能な表現方法が限られていることもあると思いますが、言葉にせず理解してほしい、というのは、ヨーロッパではまず理解されません。大人である、ということは言語能力が十分に発達していて、自分の考えを明瞭に述べることができて、対等な立場でコミュニケーションが行えて、何か問題があれば、とことん言葉で話合いができる、ということです。どちらの文化が優れているということではなく、相手の意見もしっかりと聞きつつ、自分の意見もしっかりと述べて、お互いの納得できるところで折り合うことを学ぶ良い機会となるでしょう。

日本に住んでいる以上、日本の歪んだ教育システムにある程度合わせないといけないのは仕方のないことだとは思いますが、いったん一歩さがって、英語や外国語を学ぶのはなぜか、考え直す機会は大切ではないでしょうか。

私自身は、英語は仕事にも日常生活にも必要で、かつ、もともとコメディーが大好きで、イギリスの風刺コメディー(Satire)、スタンダップコメディーが分かるようになりたくて、こういったコメディーの劇場に行ったり、BBC Radio4で聞いたりしていました。イギリスのスタンダップコメディーは国際政治・国内政治・社会情勢・歴史が分からないと理解できない(=面白みが分からない・限定される)ので、幅広く楽しく知識を得ることとなりました。
また、さまざまな地球上の国々から、さまざまな事情でやってきた友人や知り合いに会えて、かなり深く話せたのも英語のおかげです。こういった出会いは、自分の中でもお金には代えられない貴重な宝物です。
英語が分かると、文献の数が圧倒的に多く、国際情勢・哲学・テクノロジー・アート、さまざまな分野で楽しみが増えます。
また、演劇も大好きなのですが、英語が分かると楽しみが一気に増えます。

イタリア語に関しては、夫の助けがなくてもイタリアの家族と簡単な話ならできるようになりたい、料理レシピがイタリア語で読めるようになりたい、大好きな劇作家のピランデッロの作品をいつかイタリア語で読めるようになりたい、等々あるのですが、基礎はある程度、仕事終わりに大学のコースに少し通った後、いくつもの勉強法を試してみて、今はYoutube等の無料教材で自分でスケジュールを決めてこつこつ続けています。
日本だと受験英語で文法等の基礎は叩き込まれていると思うので、あとは自分に合った勉強法を探索して試してみて、あったものを続けることだとおもいます。私にとって、イタリア語の勉強ですごく有用だったのは、Lucreia Oddone(ルクレッツィア・オッドーネ)さんと、彼女のお友達のLisa(リサ)さんがSoundcloudで話していた、イタリア語の勉強方法。全部イタリア語だったのですが、興味があればルクレッツィアさんのSoundcloudは無料で聞けるのでぜひ。ここから聴けます。
二人とも、一致しているのは、
  • 数か月や一年で流暢に外国語が話せるような魔法のような方法はない、もしそれが本当だったら、世の中マルチリンガルの人々があふれているはず。実際にはそうじゃない
  • その言語が本当に好きでパッションを持っているか、或いはどうしても必要(その国に転勤になり話せる必要がある、等)でなければ、その言語を習う時間は無駄。もっと自分の好きなことに時間も労力も使ったほうがいい
  • 語学の勉強は、バラエティーをもたせることが大事。文法、映画、テレビ番組、ゲーム、現地の人と話す機会を作る、本を読む、自分の好きな分野の記事をその国の言葉で読む、等。
  • 「この方法だと絶対に上達」というのは存在しない。みんな違うので、それぞれが、それぞれに会った勉強法を試して見つけることが大事。たくさんいろいろと試してみて、あったものを選んで数週間続けてみる
  • 優先順位を明らかにする。(例/仕事が忙しい時期や友人と食事に行く日は、モバイルフォンの上で復習を5分だけするよう用意しておく等)
  • 常に、大きな目標を頭に置きながら、計画を立てる、勉強をする。
  • 実際に声に出して読む。
  • 繰り返す。復習をしっかりとする。
  • 赤ちゃんや子供は話せないけど、言葉が分かっていないわけじゃなく、かなり分かってる。言葉の理解は早い段階でくるけど、言葉を話せるようになるにはとても時間がかかるもの。諦めないで!

説明はすべてイタリア語なので、10年前だとついていけなかったと思うのですが、途切れ途切れでも勉強していたことが役に立っているのか、或いは英語も正式なことばの多くはラテン語起源なので勘がききやすいのか、理解できました。

私が彼女のコースを見つけたのはたまたまですが、私の場合、イタリアの家族は当然ですが、家族間ではフォーマルな話し方はしません。学校で習うのは、基本的にフォーマルな表現だし、辞書や文法書で探すのも大変で長年悩んでいたのですが、彼女は多くの日常に使われる表現のコースを無料で公開していて、よく聞く表現だけど意味や文法が今一つつかめなかったものが、「そういうことだったんだ~」と分かり、しばしば感激しています。文法書や辞書にはないけど、生活するうえで必要、ということが満たされます。もちろん、もっと上級者向けのコースもあります。

また、日本語スピーカーのためのイタリア語教材だと、文法的には正しくても、イタリア人はそんな風に考えたり行動したり、発言したりしないよ、ということが多くて、コミュニケーションの上ではあまり役に立たないと思います。
※日本語スピーカーのためのイタリア語教材のいくつかを、周りのイタリア人にみてもらいました。あとは、自分自身が英語スピーカー向けの教材や、イタリアで作られたイタリア移民向けの教材等も試しましたが、現地でのコミュニケーションとなると、イタリア移民向け教材(イタリアで作られたイタリア語を外国語として学ぶ人向け教材)が一番役立ちました。英語・イタリア語間は違いもかなりあるのですが、日本語・イタリア語間の違いに比べればずっと小さいので、英語スピーカー向けのイタリア語教材は役立つ部分も多いです。

私の場合は、日常表現でよく使われる文法で私が苦手なものは理解しているので(前置詞や人称代名詞、再帰動詞の使い方等)、その部分にしぼって3か月ごとの勉強計画を立て、WeeklyにブレークダウンしてYoutubeのLucreziaさんのコースを週ごとに保存しています。毎日、仕事終わりにそのコースを見るだけで、いろいろと考えずに済むし用意ができているので何をしようか悩まなくてすみます。5分ぐらいのものと15分ぐらいのものを混ぜて、忙しい時には短い時間のコース、余裕がある日は長い時間のコースと使い分けています。でも、5分ぐらいのコースが実は私にとっては難しくて、文法書等を引っ張り出して調べることもありますが。ノートはRocket Bookを使っていて、そこに書いたものをEvernoteに取り込んで、復習しています。私はイギリスでジュエリーデザイナーとしてカレッジや大学も含めてトレーニングも受けて、プロフェッショナルとして5年ほど働いていたこともあり、とてもVisualなので、イラストや色を使って書くと覚えやすいということには気づきました。あとは、イタリアで買った大好きな劇作家のピランデッロの話を簡単にして短くしたもの(英語圏でブリッジとよばれるもの)等を読んでいます。

英語のコースに通うこともソーシャルな面でいいとは思いますが、そのコースにさまざまな国籍の人がいて英語しか通じないという環境でない限り、日本語がたくさん入ったり、日本式のコミュニケーションだったり日本ならではの表現方法だったりするのでは、と思います。

英語は、生活の楽しみを一気に増やし、友人やコミュニケーションの幅も広がり、人生に深みを与えてくれ、自分の世界を広げてくれます。

無料でも良い方法はたくさんあるので、大きな目標を常に意識しながら、楽しんで続けていくことを願っています。

Yoko Marta