The Green Catalyst
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未来予測

Yoko Marta
20.05.22 04:59 PM Comment(s)

未来予測ー誰も未来のデータは持ってない

イギリス大学のキャンパスで日本で働きたい学生さん向けにワークショップを行っていたときに、よく聞かれた質問のうち一つは、「どういう職業が将来的に伸びるのか」ということです。これは、キャリアカウンセリングをしていたときにもよく聞く質問で、地球上のどこにいてもユニバーサルな疑問だとは思います。


この質問に、確実な答えはあるのでしょうか?

少し古い記事になりますが、2017年にイギリスの独立系新聞のガーディアン紙に「どんな仕事が20年後にも存在しているのか?」という記事があり、ここでは、2013年度に発表されたオックスフォード大学のリサーチが引用されていました。10年ほど前にどんなことが予測されたことの一つだったのでしょう?

ここでは、700ぐらいの仕事が、機械に置き換えられやすい仕事(=ルーティンワーク)か、機械に置き換えることが恐らく難しい仕事(=複雑な人間を扱う仕事)かということで、後者が生き残る可能性が高いとして、順位をつけています。

2013年には予測しようもなかったこととしては、イギリスでは以下が挙げられるでしょう。
  • 欧州連合離脱(Brexit/ブレキジット)
  • パンデミック
  • ロシアのウクライナ侵攻

イギリスでは、欧州連合離脱により多くの欧州連合の人々が去り、かつ新たに欧州連合の人々がイギリスで働くのは難しいため、大きな労働者不足(特にホスピタリティーや特定の技術が要求される職)が起きており、既存の労働力では埋められていません。そのため、この10年前のリサーチでは、機械に置き換えられる可能性が高いとされていた職業も現在のところ、需要の高い職となっているものもあります。
また、上位に挙がっているセラピストやヘルスケア・ソーシャルワーカーは現在でも需要は高いですが、この分野での人で不足は長期間続いています。エンジニアも50位くらいに複数あがっていますが、機械工学・電気工学・マテリアルエンジニアリング、コンピューターサイエンス等のエンジニアの需要は現在も一定して高く、このまま続く可能性は高いでしょう。ただ、同じ知識で同じ分野で一生働くのではなく、電気工学修士 → 石油会社のエンジニア→再生エネルギー(風力等)のエンジニア、といった流れは既に起きています。また、IT関係でも10年前には存在しなかった職種も多く登場しています。私が20年前に扱っていたオープン系システムは、ほぼ消えました。
また、この時点では、インスタグラムでのインフルエンサー等は、予想外だったでしょう。

どんなに精密にリサーチを行うリサーチャーや専門家でも、起きていない未来のデータを手に入れることはできません。
たった10年の間に、イギリスという小さな地域を見ても、予測できない大きな出来事がいくつも起こっています。

質問としてのフレーミングは、職を基準とした「どんな職が20年後に生き残っているのか?」ではなく、全く違う才能と個性をもった私たち人間の「何が好きで/得意で/どうやって社会や世界に貢献できるだろうか?」ではないでしょうか?
既存の職に合わせて自分を変えるのではなく、自分に合わせて職や仕事を生み出し、選んでいくことが大切でしょう。

最近のガーディアン紙の記事では、「親は子供たちの将来の選択(職業/仕事)には口をはさまないのが一番。なぜなら、既に親が経験してきた仕事はなくなったり大きく変わったり、親の知らない新たな仕事が多く出てきていて、親の仕事や職に関する経験は既に役には立たない」とありました。ただ、職場での人間関係をどう扱うか等の人間の複雑性を扱う部分は、現在でも非常に有用でしょう。

ルーティンワークがどんどん機械に置き換えられるのは加速するでしょうが、窓のないオフィスで延々と同じことを30年繰り返すことを望む人々は多くないのではないでしょうか。
豊かな個性や才能を持った人間を、一つの定型化された「仕事/職」という型にはめ込んで一生の多くの時間を費やすのは、無理があるし、誰にとっても幸せなことだとは思えません。

自分の才能や個性を見つけ、深めていくには時間も手間もかかります。
それは、一直線に進んでいく道ではなく、あちことに曲がり角があったり、先が見通せないものでしょう。
私たちは、不確実性をチャンスに変えられる、楽観的で自発的な人生を選べます。
不安や恐れを元に考え行動するのではなく、未来への希望と夢を軸に進んでいくことを選択することが可能です。

同時に、私たちの人間としての価値は、私たちの職業や経済力に依っているのではない、ということも覚えておく必要があります。
ヨーロッパで暮らし働いていると、日本では職業や仕事に異様に大きな比重を置いているように見えますが、あなたが仕事をしていようとしていまいが、仕事でうまくいっていようといまいと、あなたの人間としての価値は変わりません。
また、会社はシェアホルダーへの利益を上げるために存在している場合が多く、人生のただ一つの拠り所となるようにはデザインされていないので、自分の期待度や力の入れ具合を調整することも必要でしょう。「天職」ということばは、ヨーロッパでは神職(カソリックでは、所持物すべてを教会に寄付し、人生をすべて神へ捧げるということで神職の道へと進む)に使われるものであり、かなりストレッチして、医師(イギリスではNHSという国の健康機関で働いている医師がほとんどで、私立病院を家族代々経営するお金持ちの医師という図式はまず存在しない。長時間労働で給料も格別いいわけでなく、多くは人を救いたいという使命感で働いている)に使われることがあるぐらいです。
日本で使わしてれている「天職」ということばは、会社と働く人々の関係をまやかしているもののように感じます。
会社と自分の関係は、定期的に見直し、健康でバランスの取れたものにしておく必要があるでしょう。「会社」というシェアホルダーに利潤をあげることを目的としたものに、契約で定められたジョブ・ディスクリプションを越えて、自分の家族や自分の多くの時間を犠牲にして尽くす、というのは、健康な関係とは言えないでしょう。自分でバウンダリーを設けて、バランスが取れないことにはきちんと交渉し、自分と自分の大切な人々との貴重な時間を自分で守ることが大切です。

私たちは、ときどき穴に落ちて道に戻るまでに時間がかかることもあるかもしれませんが、あなたが持っているもののすべてを失っても、世界的に大きな賞をもらったとしても、あなたは、この世界に一人しかいない大切な人であり、この世界で尊厳をもって生きる権利があり、同時に他の人々の尊厳と生きる権利を尊重する義務があります。

Yoko Marta