The Green Catalyst
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Creating futures we can believe in

僕たちは、未来とこの場所を平和に共有することができる。お互いの意見は違っても。

Yoko Marta
13.07.22 03:48 PM Comment(s)

僕たちは、未来とこの場所を平和に共有することができる。お互いの意見は違っても。

私の好きなスタンダップ・コメディアンの一人、北アイルランド出身のPatrick Kielty(パトリック・キールティ/通称ː パディー)さんのドキュメンタリーが約1年前に放映されました。
イギリス国営放送のBBCのIplayerより観れます。
北アイルランドのデリーを舞台としたコメディー「デリー・ガールズ」の作者Lisa McGee (リサ・マギー)さんとの希望のある未来への対談も含まれています。
「デリー・ガールズ」は、面白いだけでなく、当時の北アイルランドで30年続いた市民戦争下(カソリック宗派でアイルランド人のアイデンティティをもつ人々とプロテスタント宗派でイギリス人のアイデンティティをもつ人々の間での抗争)での状況も反映されています。
デリーという町は、アイルランド人のアイデンティティをもつカソリック派の町民にはDerry(デリー)と呼ばれ、イギリス人としてのアイデンティティをもつプロテスタント派の町民には、Londonderry (ロンドンデリー)と呼ばれています。「デリー・ガールズ」の主人公たちは、自分たちをアイルランド人として認識しているため、この町はデリーと呼ばれています。
北アイルランドの複雑な歴史についてのパディーのスタンダップコメディーについては、ここより。

このドキュメンタリーは、1921年に、アイルランドがイギリス植民地からの独立を果たした際に、イギリスの統制下にいたいプロテスタントが多い地域がアイルランドには入らず、イギリス統制下「北アイルランド」 という国をつくった100年記念となることと、欧州連合離脱により、北アイルランドの脆弱な平和が揺さぶられていることから作られました。

National Geographicに、北アイルランドの歴史についての分かりやすい説明があります。
シンプルな英語で書かれているので、興味があれば読んでみてください。

アイルランドは、長くイギリスの植民地で、その間に多くのイギリス人がアイルランドに入植して、アイルランドが所有していた土地を優先的に与えられました。アイルランド独立後も、北アイルランドでは、アイルランド人としてのアイデンティティをもつカソリック派の人々の教育、住居、つける職業等は制限され続けます。この不公平な扱いについて、1968年に平和的なマーチが起きますが、イギリス警察・軍隊が出動し、デモに参加していた人々に暴行・射殺を行い、無実の市民たちが亡くなりました。ここから、「Troubles(トラブルズ)」と呼ばれる30年にわたる市民戦争がはじまり、多くの無実の市民が、プロテスタント派もカソリック派も命を失いました。プロテスタント派もカソリック派も、どちらもがパラミリタリー(民兵)を形成し、普通の街の道端で銃撃戦が繰り広げられる時代を過ごしました。
パディーの父も、一般市民で抗争にはなんの関係もなかったものの、射殺されました。
1998年のGood Friday Agreement(グッド・フライデー・アグリーメント)と呼ばれる協定が北アイルランドの市民による国民投票で多数票を得て可決されました。これにより、パラミリタリーに所属して殺人を行った人々は釈放されます。パディーは、この国民投票では、Yes(協定に賛成)という投票をしましたが、簡単な決断ではなかったとしています。彼の大きな目標は「子供たちやこれからの未来に平和と希望を残す」ということで、自分自身の無実の父が殺された怒りや悲しさ等は、未来のために犠牲にして飲み込んでもいい、その価値があると思ったそうです。
今、パディーは自分の父を射殺した人とも普通に話すし、彼らを同じひとりの人として、彼らが通ってきた苦痛や悲しみも分かるし、30年間のお互いへの暴力と殺し合いは、どちらにも勝者をもたらさなかった(どちらもが敗者)ということ、未来には絶対に自分たちが経験してきた内戦を繰り返さないことを強く思っていることで一致しています。

1998年以降、脆弱ではあるものの、平和が徐々に築かれてきたものの、イギリスの欧州連合離脱で、アイルランド海に線がひかれ(アイルランドは欧州連合加盟国で、北アイルランドはイギリスの一部で欧州連合離脱したので、本来ならアイルランドとは地続きの北アイルランドに食品や動物といったさまざまな貿易に関する関税所が必要ですが、市民戦争の再燃を避けるため、海に線をひくことになりました)、プロテスタント派には、北アイルランドがイギリスの一部でなくなるかもしれない、という恐れを引き起こし、暴動やパラミリタリー(民兵)の活動が盛んになってきた現実があります。

パディーはカソリック派の家庭に生まれていますが、プロテスタント派の若者たちにも気軽に話しかけます。
その中には、パラミリタリー(民兵)へ誘われて、加入を考えている若者も出てきます。
元パラミリタリーで殺人に関わった人が、若者たちをパラミリタリーや暴力から引き離すために、ボランティアで若者たちに話しかける場面もあります。
その3者の対話で、パディーは「僕たちは、未来とこの場所を平和に共有することができる。たとえお互いの意見は違ってもいいよね。」ということを言っています。
若い世代は、抗争時代が実際にどう市民へ影響したのかを、実感として理解できていない場合もあるようです。
それには、大人たちが抗争時代について話したがらないことも影響しているのでは、としていました。
彼もパディーも心配しているのは、欧州連合離脱と経済の悪さ等が重なって、もともと貧しい北アイルランドの若者たちが絶望感やフラストレーションからパラミリタリー(民兵)に加盟し、暴力や殺人の悪循環が繰り返されることです。

番組で、北アイルランドを歩きながら、さまざまな人々と話し合う中で、パディーは、自分自身、この30年の抗争時代の自分の経験について話すことを避けていたことに気づきます。
この番組には、20代の女性で、祖母が同じ宗派のパラミリタリー(民兵)からスパイをしていたのではないかと疑われて誘拐された人の話も出てきます。祖母が誘拐されて消えた後、長い間がたってから、祖母の殺人を行った人が海岸に遺体を埋めたことを告白し、彼女が7歳くらいの時に遺体が発見されます。祖母のことはタブーのようになっていて、家族間でも語られることはなく、また、抗争時代のことも誰も話したがらなかったということで、自分にこのトラウマが世代を越えて受け継がれ、今でも、その海岸に行けないし、悪夢も見るとしていました。彼女は、そういう世代を越えたトラウマを扱っているセラピストなのですが、自分以外にもそのような苦しみを背負っている若い世代がかなりいることを説明していました。彼女自身も祖母のことをきちんと話してほしかったし、自分には自分につながる歴史を知る権利があるとしていました。オープンに語る場があり、祖母のことをきちんと知っていれば、トラウマにはならなかっただろう、と言っていました。

パディーは現在50歳くらいですが、自分が知っているほぼすべての人々は、家族や親戚、友人が殺されていて、話すことが辛いというのもあるし、どこかでそれを恥ずかしいことのように感じていたことに気づきます。

「デリー・ガールズ」の中でも、チェルノブイリ原発事故で一時的にウクライナ人のグループが北アイルランドにホームステイ(疎開のため)する場面が出てきますが、主人公が「ここ(北アイルランド)は複雑な場所だから。。。」というと、ウクライナ人の女の子が「同じ国・町の人同士で殺し合いするなんて、クレージーだよ。」とはっきりと返す場面も出てきます。
多分、パディーやこの抗争時代を過ごした人々も、話すことが辛いということと同時に、普通では考えられない、小さな区域の中で人々がお互いを殺しあっていた過去をどこかで恥のように思っていたのかもしれませんが、その時代を語ることをしないと、世代を越えて、再び同じことが起きる可能性があります。
その点で、パディーは、「デリー・ガールズ」は大きな良い役割を果たしたとしています。
これは秀逸なコメディーで、良い意味での軽さがあり、人々に脅威を与えないので、この抗争時代についてオープンに話すことを可能にしてくれます
そして現在ある平和を保つことがいかに大事かを気づかせてくれます。
この番組内で、「デリー・ガールズ」の脚本家のリサさんは、最近家族を連れて北アイルランドを居住地としたことを明かします。
リサさんは、北アイルランドのカソリック派の家庭に生まれ育ち、子供の頃に抗争時代を経験しています。
パディーに、12歳くらいの子供が暴動に参加しているような現状と合わせて北アイルランドの未来をどう思うかと聞かれて、彼女は、とても楽観的で未来に対して期待を持っていると答えています。今まで北アイルランドは、苦難を経験してきて乗り越えてきた、これからも乗り越えていくだろう、と括っていました。

番組の最後では、パディーは、祖母が殺された女性と、彼女の祖母の遺体が発見された海岸に一緒に立ち、おばあさんが殺された過去(抗争時代)を語り続けながら、家族連れでにぎやかな明るい海岸(現在・未来)を見て進んでいくことが大事だろう、としていました。

ロンドンで働いていると、北アイルランド出身の人々にも自然と会います。何かの話のときに、彼女が中学生の頃に友達と映画を見に行ったら映画館が爆破されたことがあった、と言ってました。幸い死者はいなくて、子供だったから怖いという気持ちよりも、興奮する気持ちのほうが勝ってたと言っていましたが、大人になってから振り返ると、子供たちがそんな目に日常的にあうような暮らしは絶対にあってはいけないことだ、と強く思ったと言ってました。

私たちは、自分自身の怒りや悲しみに囚われることもありますが、これからの未来に生きる人々の人生や社会に自分の言動がどう影響を与えるのかを考え、ポジティブな影響を与えることができる行動を選択することができます。
誰もがいろいろな考えや意見を持ちながら、お互いを対等だと認め尊敬しあって、話し合いながらみんなにとってポジティブな方向に一緒に歩いていく未来は可能です。

Yoko Marta