The Green Catalyst
The Green Catalyst
Creating futures we can believe in

BBC(国営放送)のポッドキャスト ー Bad People(悪い人々)

Yoko Marta
27.09.22 02:57 PM Comment(s)

BBC(国営放送)のポッドキャスト ー Bad People(悪い人々)

イギリスの国営放送BBC Radio4で、最近のお気に入りのPodcastは「Bad People(悪い人々)」です。

このPodcastの企画・進行は、犯罪心理学者Julia Shaw(ジュリア・ショウ)さんと、スタンダップコメディアンのSofie Hagen(ソフィー・ハーゲン)さんです。
殺人や詐欺を行った「悪い人々」について、彼らの心理や当時の状況等を、サイエンスやジョークも交えながら語っていきます。
この二人が「悪い人々」の心理に興味をもったきっかけも興味深いです。
ジュリアさんは、ドイツ人の母とカナダ人の父がいますが、二人は離れて暮らしていて、ドイツとカナダを行ったり来たりして過ごしたそうです。父は後年精神分裂病であると診断されたようですが、頭脳の機能がとても高く、それが逆に精神分裂病の診断をおくらせ、治療を適切な機会に受けられなかったのでは、としていました。この父との関わりが、心理学に深い興味を持つきっかけになったそうです。ジュリアさんは、「記憶の不確かさ」についても研究した人です。「The memory illusion」という本も出版しています。彼女が他のラジオ番組で言っていたのは、彼女の研究を、性犯罪加害者の言い訳(「性虐待されたという記憶がまちがっている」)に都合よく使おうとする人々がいるのも知っているけれど、それは研究結果を間違ったやり方で適用を行っていて、性虐待をされた記憶が間違っていたという科学的な証拠は全くない、と言っていました。

ソフィーさんは、デンマーク出身のスタンダップコメディアンでロンドンで活躍しています。
ソフィーさんが「悪い人々」の心理に興味を持ったのは、母方の祖父が原因の一つで、ことばもままならない幼児のころから、とんでもなく残虐な殺人事件の詳細をことこまかくソフィーさんに熱狂的に話す人だったそうです。祖父のお葬式では、祖父の二度目の奥さんが、まるで彼がとても良い人であったかのような演出をしていて、母と一緒に笑いが止まらなくなったというエピソードを紹介していました。実の娘である母にとっても悪い人で、死んで悲しいとかそういった感覚はなかったと言っていました。日本のようなアジアの国では考えられないかもしれませんが、ヨーロッパでは「尊敬」は自分の一貫した良い言動から獲得するもので、親だろうと老人だろうと社会での地位が高かろうとも、それが自動的に尊敬へとは全くつながりません。私自身、ヨーロピアンの友人や友人のパートナーで、自分の親やパートナーの親と完全に交渉を絶っている人々を何人も知っていますが、個人の判断が尊重され、そういったことで親不孝と言われたり、夫婦関係が悪くなるということはありません。私たちの関係性の基盤は、お互いがしっかり自分の足で立っていることが暗黙の了解で、その上に夫婦・パートナー関係です。自分の親や兄弟・姉妹、親族については、自分では選択やコントロールが全くないことであり、重要ではありません。

どの話も興味深い部分があるのですが、深刻ながら希望が持てた話を紹介します。

話すことが難しい話題ではありますが、オープンに話すことなしで、子供に危害が加えられることをなくすことはできません。
自分に子供がいようといまいと、心身的、経済的、社会的に弱い立場にいる子供たちを守るのは、社会の大人全員の責任です。
ここでいう子供たちとは、18歳以下の子供を指します。

このPodcastでは、デンマークで実際に起きた事件を話題としていたので、ソフィーさんが主導で番組を進めていました。そこに、ジュリアさんが、科学的な説明を加えます。

事件は、デンマークの小さな村で起きました。父親が11歳の娘を長年レイプした挙句、妻(精神分裂病)が暴力に耐えきれなくなって家出した後は、多くの他人に金銭やアルコールを見返りに娘をセックスに差し出していたそうです。ここでは、娘さんの名前はサンドラと呼んでいました。これが犯罪として明るみに出たのは、勇気ある村人の一人が、何が起こっているかを知った瞬間、警察に通報したからです。この証人は、父親のミドルマンとして働いていた人から気軽に「若い子とセックスはどう?」と聞かれて「若いっていくつくらいなの?」と聞くと「11歳くらい」と言われて、すぐに警察に連絡し、警察の指示でとりあえずサンドラの父の家まで行き、父親から何が起こっているかを聞きだし犯罪が事実であることを確認した後、体調が悪いと言い訳して(当然サンドラには全く顔を合わせず)警察署へと戻り、事情を報告したそうです。結果的に15人以上の人々が逮捕・投獄され、父親も最長期間牢獄に入れられることが決定し服役しているそうです。
母親も夫が娘をレイプしているのを知っていたのに正しい行動を起こさなかったことで起訴され、有罪となったそうです。

この証人は、事件から8年ほどたった今も、Witness protection(証人保護プログラム)のもとで、関係者から身を隠して暮らす必要があるそうです。この証人の行動は、犯罪者を除いた普通の市民たちには、勇気ある行動だとして讃えられるし、本人も自分が正しい行動を行ったことに後悔があるとは思えません。自分の生活への制限がかかることと、子供の安全を守ること/子供への犯罪・危害をやめさせることを比べたときに、後者のほうがずっと大事なことは明らかです。
サンドラさんは、警察によって救い出されますが、精神病で苦しんだり自殺未遂を起こした期間を経て、今は2年以上比較的安定した人生を送っているそうです。彼女はまだ10代後半です。
サンドラさんは、あるポッドキャストに出演した際、司会者が彼女のことを「父親とセックスした人」と紹介した際に、はっきりと「子供たちは、誰ともセックスをすることはできません。それはいつもレイプです。」と、司会者を訂正したそうです。ここに、彼女の回復と強さが見られます。また、彼女は、さまざまな養育機関を転々とさせられことから、政府の政策について直接「子供の安全を第一に考え、素早く(政府や専門機関が)家庭に介入して子供に安全な場所を作ること」を主張しています。子供に危害を与える親や保護・監督者から引き離すことは重要ですが、友人や学校とのつながりをどう保っていくかも、子供の健全な育成には重要な要素です。ちなみに、サンドラさんのケースは事件として明らかになる数年前に、既に学校から子供が虐待されている恐れがあるということで自治体に連絡していたそうですが、この自治体の介入を嫌った父親が別の地域に引越したことで、忘れ去られたそうです。これは、行政機関での失敗で、国民からも大きく非難の声があがり、さまざまな対応策が実行されているようです。
サンドラさんは、父親の子供時代に何が起こったのか、と思い、調査すると、確証はないけれど、父親も子供の頃に養護施設で女性ケアラーから性的虐待を受けたことを発見したそうです。だからといって、父親の犯した罪が軽くなるわけではありません。この父親は、投獄された後も、反省はしておらず、「妻が冷たかったのが悪かった」、「娘とは楽しいこともいっぱいあったのに、娘はそれについては全く話さない」等、自分の行動は全て他人のせいにし、被害者である娘のことを気づかったり、彼女の痛みを理解しようとする態度はいまだに全くないそうです。

ジュリアさんは、幼児への性的虐待を犯した人で、再犯する可能性を高くもっているのは、以下の2つのJustification(正当化)を行う人々だと言っていました。
  • 子供とのセックスは、全く害がない (例/子供は覚えていない、子供も喜んでいる等)
  • 子供たちは、積極的にセックスをするよう大人たちを挑発することができる
もちろん、上記の2つは、加害者が信じたい神話で、全く事実ではありません

ヨーロッパは、日本と比べると子供を性的な対象とすることにとても厳しく、文化的・日常的、法律的にも子供を守ることに大きな重点を置いています。
日本を長く離れていると、日本に一時的に滞在する際に、普通に見える人々が、電車で子供を性的に描いたコミックを平気で読んでいたりして、とても驚かされます。日本で合法とされているものの多くが、ヨーロッパでは違法です。私の周りのヨーロピアンで、日本を訪れた人々も、子供を性的対象として消費する文化にとても驚いていました。15歳くらいのいわゆるアイドルに群がる大人たちも異様だし、大人が10代の子供とデートしたいと言うと、確実に周りの人々から、それは子供への虐待につながるし、間違った言動だと注意されるでしょう。
子供を性的対象とすることを、なんの疑問もなく受け入れている社会は、子供にとってとても危険な場所であり、子供に性的虐待を加える可能性がある人々が、心理的・身体的・社会的にブロックされることなく、より犯行を容易く実行することに結びつきます。

ただ、だからといって、ヨーロッパに子供たちに性的な興味を持っている人がいないわけではありません。

ジュリアさんは、犯罪心理学者としての立場から、子供に性的な興味をもっていることと、実際に行動に移すことは違うことだ、と注意深い区別を行っています。
また、子供に性的虐待を加える人々すべてが子供に性的興味をもっているわけではなく、大人より子供のほうがアクセスしやすい(抵抗されにくい/ばれにくい)という理由で子供をターゲットにする人々がいるそうです。加害者の多くは、被害者の父親や親戚といった、被害者の子供が信用する身近な人々だということです。これは、全世界共通でしょう。
The UKのNational Clime Agencyの調査では、子供に性的な興味をもったことがある人の割合は人口の約3割程度だそうです。
これは、少ない人数ではありませんが、実際に犯行に移す人はごく少数です。
でも、その少数を止めなくてはいけません。
これらの人々を一生牢獄へつないでいくわけにもいかず、どこかの時点で、彼らは私たち社会の仲間として暮らしていくこととなります。彼らは、あなたの気の良い親戚の一人である可能性もあります。

また、ジュリアさんは、「言葉」も大事だとしていて、私も同感です。
たとえば、数十年前はChild prostitution(子供の売春)といった言葉が存在しましたが、子供には対等な立場でのセックスへの合意が行えるわけはなく、Child sex exploitation(子供への性的搾取)へと変更されました。これは、日本でも同じように見直しが行われることは重要でしょう。
多くは、突然行動に出るわけではなく、「言葉」から始まります。
正しく言葉を使い、本質を定義することは重要です。
また、子供への性的虐待を正当化する人々がいれば、チャレンジすることも大切です。
例えば、「相手(子供)から誘ったに違いなく大人は悪くない。犯罪じゃない、合意の下。」は、完全に間違っているので、状況や関係性にもよりますが、それが「対等な立場ではない子供には合意はできない。それはいつでもレイプ。」ということを明確に知らせる必要があるでしょう。

ジュリアさんの提案は、なんでしょう?
オープンに話せる場を作ることです。
子供に性的な興味をもっている人々の多くは、拮抗する気持ち(子供への性的な興味と子供に加害したくないという正反対の感情)で苦しんでいます。
オープンに、安全に話す場があることで、社会の仲間として支えあい加害にいたることを防げるのではないか、ということで、私も賛成です。

ただ、日本のように子供を性の対象として消費する社会ができあがっている場所では、サンドラさんが言ったように「子供たちは、誰ともセックスをすることはできません。それはいつもレイプです。という社会の合意は早急に必要です。
子供への性的な興味は、生まれつきというよりも、育つ社会の中で形成されるものが大きいともいわれています。
ヨーロッパ全般では、恋愛や結婚では、対等の関係が求められます。そのため、大人なのに、わざわざ10代の子供と付き合いたいという発想は出てこないし、自分がさまざまな面で相手より優位に立っていないと気が済まないということもありません。競争で上下関係を創り出すのではなく、協力して二人でさまざまなチャレンジを解決し、楽しく生きていくので、どちらもが、きちんと話や議論ができる知性と論理性、自立していて情緒的に成熟していることが大切となります。
これらを、10代の子供に求めるのは難しいのは自明でしょう。
彼らは、まだ成長過程にあり、私たち大人が、彼らが健全・安全に育つことができるよう守るべき存在です。

イギリスの場合、「子供に性的な興味がある」とセラピストに言った時点で、セラピストは、警察に通報する義務があります。実際に加害を行っていなくても、社会に危害を与える可能性がある、ということで通報義務があるのですが、これでは、セラピストに相談することができません。これは見直しの必要があるという意見も出ています。
ドイツでは、同じ状況でも警察通報義務はなく、セラピストに相談することが可能だそうです。
もちろん賛否両論あるところですが、子供の安全を守るためには、こういった人々を孤立させないよう、助けの手を差し伸べることが大事だと、個人的には思います。

加害者がいるから、被害者が生まれるわけで、社会全体で加害を止められる/起こさない環境を作り出すことは必要であり、これは実現可能です。

Yoko Marta