The Green Catalyst
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歴史は、どうものごとか変化してきたかを学ぶもの

Yoko Marta
24.10.22 10:06 AM Comment(s)

ユヴァル・ノア・ハラリさんの子供向けの歴史の本に向けて

Yuval Noah Harari(ユヴァル・ノア・ハラリ)さんが、イギリスのガーディアン紙に、ヨーロッパでは10月20日に出版された子供向けの本、「Unstoppable Us: How Humans Took Over the World」に先立って、  記事 を寄せていました。とても興味深かった部分と感想を伝えます。

記事の冒頭は「私たち大人は、私たちが語り伝えられた有害な物語・神話をUnlearn(アンラーン/知識・先入観をすべて捨て去ってまっさらな状態にする)ことは不可能かもしれないけど、私たちは多世代にわたる彼らの行進を止めることができる(=有害な物語・神話を伝えることはやめ、事実を冷静に伝えることにより、新たな世代が間違った有害な物語・神話を信じ込んだまま突き進むことを防ぐ)」とあります。
ここでいう、有害な物語・神話というのは、例えば日本だとアジアの国々へと侵略戦争を起こしていった過程の「日本は万世一系統の神が君臨する国で、日本人はすべて神の子供で、日本人は誰よりも清らかで優れていている特別な人種である→ 日本の他国への侵略や残虐行為を正当化するために作られ拡散された物語」という極端なものから「男性は優れていて女性は劣っている」「生まれた瞬間に既に親に借りがある/子供は親を選んで生まれてきたので親に文句を言うことは許されない」等の日常的なものまで、いたるところにあります。これは、別に日本だけに特殊な現象ではなく、どの国にも地域にも、具体的な内容は違っても存在します。分かりやすい例だと、イタリアの一部の犯罪組織が大きく力を持っている地域では、いまだに数世代前の殺人について復讐が行われたりします。数世代前に起こったことを現代に生きるなんの罪もない人々に負わせるのは明らかに間違っていますが、これも地域内での有害な物語が世代を越えて渡されていることにあります。

The UK(イギリス、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの連合4か国)のうち、イギリスは数百年にわたって地球の約半分を植民地化した国で、植民地統治をしていた間の歴史をどう教えるかという議論はまだ続いています。どこでBritish Empire(イギリス帝国)が終焉したのか、というのにも議論はありますが、大きな出来事としては1947年のインド独立、1950年代から60年代にかけて多くのアフリカの植民地が独立、1968年にスエズからの撤退等が挙げられます。ただ、地球の反対側に近い南アメリカのフォークランド諸島はイギリスが所有していて、1982年にアルゼンチンが島の所有権を主張してフォークランド諸島に入ったときには、イギリスから軍隊を派遣し、フォークランド紛争に発展し、イギリスが勝利し、今もフォークランド諸島は南アメリカにあるにも関わらずイギリスの領地です。また、スペインのジブラルタもイギリスの領地であり、スペインと陸続きなのにジブラルタという地域に入るには検問所でパスポートのチェック等があり、ジブラルタでは英語が話されています。スペインからの返還要求も長期間にわたって未解決の問題となっています。
カリブ海のマルティニークという島を訪れたことがありますが、フランスの旧植民地で現在もフランスの領地であるので、貨幣はユーロを使い、フランス語で話す島でした。カリブ海のあたりでは、旧イギリス植民地では、英語と現地語を話し、隣の島に行くとフランスの旧植民地だったので、フランス語と現地語を話すというパターンもよく見ました。国が独立した時点で、植民地時代の影響が消えるわけではありません。北アイルランド紛争も、イギリスがアイルランドを植民地化していた時代のイギリス人植民者の優遇とアイルランド人への様々な面での差別や暴力からきており、現在もその火種は消えいません。

「植民地から独立」といっても、実際何が起こったのか日本で育つと分かりにくいかもしれませんが、どの国々でも、植民地だった国々の多くの人々が独立を求める闘いや運動の中で命を落としました。イギリス帝国は、当然搾取し放題だった植民地が独立することを望まないので、多くの妨害や殺戮を行いました。つい数日前も、国営放送のBBCで、中東が独立運動に向かっているときにイギリス兵士として派遣された人が、村にいる男性すべて狭い檻にいれて少しの水しか与えず、一部は拷問にかけ、檻に入ることを免れた人々は、道を歩いているところを銃で射殺し、多くの村人を虫けらのように殺していたことを証言していました。植民地では、イギリスからみた歴史を教え込んでいるので、イギリスの大学に通っていたときのナイジェリア人の同級生は、イギリスにきてから、いかに自分たちの歴史教育が植民地支配者の目からみたもので、虚偽の歴史であったことを理解して、気づいたときには涙が出たと言っていました。

実は、私自身、大学のプロジェクトで  Museum of Dockland の展示物のリサーチを割り当てられたのですが、この美術館は、砂糖の取引(奴隷貿易)が行われた波止場地域の美術館なので、展示物の多くが奴隷貿易についてでもあります。このリサーチの発表時には、ダイレクトではないけれど、イギリス人の同級生から「外国人は、この国の複雑な歴史について理解できるはずがないのに、奴隷貿易のようなイギリスを悪く思わせるような議題を扱うべきじゃない」ということを言われたことがあります。同級生には、The UK出身(肌の色はさまざま)、アフリカ出身、他のヨーロッパ大陸出身、北アメリカ出身者とさまざまでしたが、このアレルギー的な反応は白人で、かつイギリス出身の生徒の一部からでした。今考えると、そういった話題がとても議論を呼ぶものだと分かるのですが、当時はイギリスにきてから数年で理解していませんでした。大体、これほど議論を呼ぶ話題であれば、そもそも大学の講師がこういった美術館をリサーチの対象に選ぶべきではなかったか、選んだのであれば、一部のイギリス人にとってはとてもセンシティブなことであることを伝えるべきであったとは思うのですが、これはこれでいい経験となりました。
また、日本が、イギリスのように大日本帝国としてアジアの国々に侵略し、植民地化する過程で多くの殺戮や残虐行為を行った事実に対して、日本人が全般的に拒否反応を示すのと似ているのかもしれない、ということは感じました。
他のイギリスの教育機関で学んでいた時に、日本に植民地支配されていた島で育ち、お祖父さんが日本語を話すことを強制されていて日本語が話せたので、自分も少し日本語が分かるという人に会ったこともあります。彼女は、私が日本人だからといって、過去の日本の植民地時代の悪行を責めていたとは思いません。私は、個人的には、日本は国として過去の行動や結果についての責任(謝罪、賠償、過去の悪行を正確に次世代に伝えることを行う義務)はあると思いますが、植民地時代が終わってから生まれた人々に罪はないと思っています。イギリスと同様に過去の暗い部分の歴史をどう伝えていくかということについて、ユヴァルさんは、興味深い考察を行っています。

ユヴァルさんは、この 暗い歴史については、子供たちに、オープンに、証拠に基づいて責任をもった科学的な方法で伝える必要があるとしています。この際に、 独善的・独断的な教義や信条は絶対に避けるべきだとしています。また、詳細については(大量殺戮やレイプ等の残虐な内容)、子供たちがそれらを受け入れることができる成熟さを備えるときまで待つことが大事だともしています。

これらの 暗い歴史を語るときに、大事なのは、「Agency/エージェンシー(主体性/自分で感じ・考え行動することができる)」に重点を置くことだとしています。人類は、信じられないくらい残虐なこともしますが、 多くの人々は、良い方向に変化を起こしていました。希望的な観測というわけではなく、実際に、それは歴史でも証明されています。私たちの世界は常に変わっていて、私たちは過去の人々のように生きているわけでもないし、この今の世界は私たちがつくってきたものです。だから、 私たちは世界をこれからも良い方向に変えていくことができます。たとえ、それは簡単なことではないにしても。

イギリスでも歴史の一部がタブーとされているように、多くの国々では政治家は歴史をどう教えるかについてひどい介入を行います。科学や数学では、まず政治家が介入することはないでしょう。なぜなら、これらの政治家は自分たちが作り出した/利用してきた歴史の物語によって権力を保っており、別の歴史の見方が発生することをとても恐れています。多くの人々が信じればそれは嘘でも事実となりますが、いったん人々が、特に子供が「なぜ?」という疑問を問いかけ始めると、政治家の作った自分たちに都合の良い基盤が大きく揺さぶられることになります。

だからこそ、私たちは、 どのようにこの物語が作られ、拡散されてきたのかを良く理解する必要があります。

例えば、中国では天安門事件は教えられないし、 歴史は政治家の都合のよいように捻じ曲げられ、それが事実として拡散されています。民主主義がなんとか機能している国に住んでいる人々も、そこまで極端ではなくても、同じような問題を抱えています。

私たちは子供に歴史を語るときに、 自分たちの重荷(信条や記憶、アイデンティティーや紛争)を子供たちに渡すことで、自分の重荷を軽くさせようとすることもありますが、 彼らに前世代の私たちの責任を渡してはいけません。
ここでいう責任は、英語でのAccountabilityやResponsibilityなのですが、日本とは土台となる考え方が違うので、日本語での「責任」と思うとこの考えを誤って理解することになります。

責任を取るというのは、まず最初に自分たちが何をしたのかを明確に認めたうえで、その加害行為と加害行為が起こした結果に対して真摯に謝る必要があります。そこには、賠償が発生するのかもしれないし、発生しないかもしれません。また、国として、自分たちの祖先が行った悪行について後世の世代に正確に伝えていく必要もあります。そうすることで、後世の世代は何が起こったかを学び、今後そういったことが起こらないようにすることが可能となります。また、伝え続けていくことで、今後この国は二度と同じ間違った加害行為を行わない、という決意を示し続けることになります。
これが、ヨーロッパでは、責任を取るということです。

ドイツは、第二次世界大戦後にこの責任を取る、ということではかなり前進した例だと思います。私の夫が住んでいたドイツの地域は、戦時中に無理やり連れてこられたポーランド出身の人々への賠償として作られた町で、すべての道の名前はポーランド語でした。第二次世界大戦後に、ポーランドから連れてこられた人々に、ポーランドへ賠償金とともに戻るか、ドイツに残るかという選択が与えられ、ドイツに残ることを選択した人々には、この新しく作った町の家も無償で与え、賠償金も支払われ、ドイツ国籍も得たということです。また、私が知っているドイツ人たちも、第二次世界大戦中にドイツが国として何を行ったかをよく知っており、今でもナチスのリーダーの名前を呼び起こすようなものや、イニシャル等にも非常に敏感で、よく知られているセイリング(航海用)のブランドのロゴが入っているTシャツを夫が着ていた時に、それはナチスのリーダーのイニシャルなので。。という指摘を受け、着ないようにしていました。

イギリスも植民地時代の歴史を正しく認め、伝えることについて、足を引きずっている状態ですが、過去のできごと(奴隷貿易、集団殺人等)をきちんと認め、加害と加害が起こした結果について謝罪することは、とても大事です。

それを行って初めて、私たちは後世に生きる人々を、この鎖から解き放つことができるし、それは私たち大人の義務でもあります。

Yoko Marta