The Green Catalyst
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Creating futures we can believe in

未来は変えられる

Yoko Marta
11.11.22 05:51 PM Comment(s)

FateとDestiny

イギリスの国営放送BBC Radio4には、哲学者や宗教学者、作家が朝、3分弱話をする番組があります。 Thought for the Day という番組です。
2017年の放送にあったものですが、今でもふと考えさせられる、勇気づけられる話は、ユダヤ教指導者(ラビ)のミルヴィさんの話です。
ここ から聴けます。

Freedom(自由)とは何か?ということを語るのですが、そこには、「My fate is the hand of cards that I am dealt. My destiny is how I choose to play them」というくだりがあります。
日本語では、FateとDestinyという厳格な概念がなく、どちらも「運命/宿命」とされているようですが、この2つには大きな違いがあります。

トランプのようなカードゲームをイメージしたときに、Fate(フェイト)は、無作為に配られたカードで、Destiny(デスティニー)はそれらのカードを自分の自由意思で、どのようにゲームをPlayするかを選ぶのか、ということです。

多分、誰でもが経験していると思いますが、いわゆる強いカードを持っている人々は有利な立場にあるものの必ずしも勝てるわけではなく、また、Playの方法やスタイルもさまざまです。

Fate(フェイト)は、例えば、市民戦争が起こっている国に生まれ落ちる等、変えられないことですが、Destiny(デスティニー)は、その環境でどう自分が生きていくかを少ない選択肢だったとしても自分で自由に考えて選んで実行することです。
ヨーロッパ一般では、キリスト教でもユダヤ教でも、人間にはAgency(エージェンシー:日本語にはない概念ですが、近いものとしては自分で思考できるという主体性)があり、自分の未来は自分で変えることができ、自分で作っていくものという考えです。
どんな環境にあっても、考えること、思索する自由はあります。
たとえ独裁政治下で考えを表立って表現することができなくても、自分の中で、自分の心と頭で考える/思索する自由を奪うことは、誰にもできません。

日本を含めたアジア一般のように「生まれてきた時点で宿命があり、人生は変えられない/ひとは変われない」といった考えは、ヨーロッパでは恐らく理解されません。この考えは、半径2キロぐらいの範囲で一生過ごすような時代だと、社会を安定させるために有効なツールだったかもしれませんが、現代のようにさまざまな人々が一緒に暮らす社会で、気候変動や経済的な理由で人々が大きく移動せざるを得ない時代には、そぐわない考え方でしょう。

アメリカの神学者、Peter Marshall (ピーター・マーシャル)さんは、「
自由というのは、自分たちがしたいことを何でもする、ということではなく、正しいことをすることを選択する機会」だと言ったそうです。
自分の持って生まれた環境がどうであろうと、どんなに大変な環境にいても、私たちには、自分の人生を自由につくることができる/どういう人になるかは自由(自分の行動や考えは自分で選択できる)、ということを覚えておくことは大事です。

これが私にとって勇気づけられる理由は、私自身、破れたブラスチックの靴で数か月過ごさないといけないような(新しい靴を買ってもらえるような経済状況ではなかった)子供時代を過ごし、「将来になんの希望ももつべきじゃない、良い未来をもつことを空想する資格すらない、女は動物以下の卑しい存在」といった内容を言われ続けて育ちましたが、たまたま学ぶことや本を読むことが好きで、女子の教育に大反対の家庭だったものの、近所の国立大学に進んで、自分の好きなことを学べる機会があり、その後は、イギリスでも職を得て自分にとって充足した人生を送っていることです。
図書館に本がたくさんあった時代で、さまざまな国の文学を読む機会があったことも、想像力をひろげ観察力を強めて、自分が言われ続けてきた自分の人生を暗く貶めるようなことを盲目的に信じず、希望を持ち続けることに大きく役立ったと思います。

地球上の子供たちが貧困や虐待から自由である社会を望みますが、たとえ、貧困や虐待のある家庭にたまたま生まれ落ちたとしても、彼らの未来がそれで決定/定義されるわけではありません。彼らには多くのサポートが必要かもしれませんが、私たち大人には、すべての子供たちの未来が希望あるものであるよう社会を変えていく責任があり、比較的自由な民主主義の国に生きている私たちには、自由を正しいことに使う義務があります。

Yoko Marta