The Green Catalyst
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Creating futures we can believe in

Independent Thinkerであることの大切さ

Yoko Marta
14.03.23 01:02 PM Comment(s)

全体主義の「みんな同じ」と西欧の「平等/Equality」は全く違うもの

Ai Weiwei(アイ・ウェイウェイ)は、中国出身の芸術家です。


多くの作品は、全体主義の中国共産党の政治や監視社会への批判を含んでいます。
この中でも、「Sunflower seeds」は、私自身、ロンドンのTate Modern Gallery(テート現代美術館)で実際に見たこともあり、とても印象に残っています。
ひまわりの種は一つ一つ中国の磁器で知られている町で手作りされました。このひまわりの種は、一億個にも及びました。美術館では、初期はこの種の上を人々が歩けたのですが、壊れた種からの粉塵が身体によくないのでは、ということで、途中から観るだけとなりました。

この「ひまわりの種を踏む」というところには、深い意味があります。

アイさんは1957年生まれで、両親は詩人です。
アイさんの芸術も人生も、中国の大きな政治・社会の変化から切り離せません。
毛沢東の大躍進政策(1957年~1961年)では、共産党政策への反対派(多くの知識層)の粛清や大飢饉を引き起こし、約1500万人から5500万人が亡くなったとみられています。いったん、毛沢東の権力は弱まり国家主席から退くものの、1966年には再び自分が権力を握ることを狙って、学生運動や大衆を扇動し、文化大革命を起こします。文化大革命は1976年まで続きます。名目は「資本主義の否定、社会主義文化の創生(←全員が平等/同じという全体主義)」でしたが、現実には、共産党内での権力争いであったことは明らかです。
アイさんの父は、詩人である(=知識階級)ことから、ウィグルの強制収容所へと送られます。アイさんも父と共に、子供時代を強制収容所で過ごします。
ちなみに、現在の共産党最高指導者の習 近平氏(英語圏では、Xi Jinping/シ・ジンピン)も、文化大革命時に、共産党のエリート幹部だった父が党を批判したということで、共産党幹部の子供たちが通う特別なエリート学校から追い出され、農村へと送り込まれました。公衆の面前で、裏切者(反抗した者)として、父は多くの民衆から罵倒され、母もそれに加わり夫を罵倒せざるをえなかったそうです。

この時代のプロパガンダは、「毛沢東=太陽」「すべての国民=ひまわり」で、ひまわり(国民)は常に太陽(毛沢東)に向かって、一様に揃って動く、ということだったそうです。
文化大革命時代には、多くの知識人階級が粛清・強制収容所送りになったと同時に、市井の人々が暴徒化し、「知識階級は、自分たち農民や市井の人々とは違う、農民や市井の人々より上だと思っている」と町中で知識階級だと見なされた人々を殺したり、大勢が寄ってたかって暴力をふるうことも珍しくなかったそうです。

ここでは、西欧でいう「Equality=平等(※)」とは全く違う、全体主義(totalitarianism)の「誰もが同じでなければならない(=知力も含めて)」が適用されています。日本語で使われる「平等」は往々にして、全体主義の「誰もが同じでなくてはならない」という意味で使われていることが多いことには気づく必要があります。

知識階級がターゲットになったのには、共産党の政策に鋭い批判(=真実を明らかにする)をする可能性(=他の国民も気づいて、政策への批判が広がってしまう)もあったし、「知識」は「金銭的に富裕」というように有形ではないものの、ある程度経済的・時間的に余裕がないと知識をつけることは難しく、無形の富裕さであるとも解釈できます。

近年のポピュリストが、知識層(必ずしも富裕層であるわけではなく、そうでない人も多い)を「特権階級」として攻撃し、【「普通の人々」対「特権階級=知識層」】という図式を使いたがるのも、根っこは同じです。
トランプやイギリスの元首相ボリス・ジョンソンもポピュリストですが、どちらも富裕層で真の意味での特権階級であるにも関わらず、自分たちの金銭的な富裕さ(家族や一族から相続したもので自分で築いた富ではない)から人々の目を逸らさせ、自分たちは「普通の人々」と同じ側にいて、知識層や社会派を「敵」として攻撃することに成功しています。

習氏は、歴史を書き換え、毛沢東を讃え、人々はザクロの実(誰もが同じで同じような見かけで同じように考え同じように行動する)であるという表現をよく使います。自分の権力が揺らがせないためには、「誰もが同じでなくてはならない」を徹底させ、各国民を互いに監視させるように操作し、少しでも違う考えや行動を示す人がいれば苛烈な攻撃を国民間で行うように仕向け、国民全員が無意識に(権力者からの明確な脅しや強制がなくても)「誰もが同じでなくてはならない」と思い込み周りと同じように考え言動を行うようになるのが理想的な状況です。これが進めば、自分で考える自由すら放棄するでしょう。

この全体主義の「誰もが同じでなくてはならない」は、どんな結果を引き起こしたのでしょう?

中国は、多くの部族・民族や違った宗教が存在する国ですが、このCoformity(同化・同調=誰もが同じでなくてはならない)は、マジョリティとは見かけ、考え方が違うと見なされた部族や人々に対しての虐殺(モンゴル等)や拷問を引き起こし、全体で56万人以上の死を招いたのではないかと推測されています。

この「ひまわりの種の上を歩く」というのは、人々がConform(同調・同化)した結果、権力者は容易に大量の人々を死に至らしめたことを暗示しています。抵抗しない、権力者の言いなりに同じような行動をしている人々を一気に踏みつぶすのは、とてもたやすいことです。

全体主義の権力者が恐れるのは何でしょう?

Independent Thinkers(独立した/自立した/支配を受けない考えの人々)です。
アーティスト(芸術、作家・詩人・劇作家等)の多くは、Independent thinkerです。
彼らは、武器をもっているわけでもなければ、大衆を扇動するようなポピュリストでもなく、軍隊クーデターを起こすような力ももっていません。
でも、アートや考え・思想を殺すことはできません
アートや考え・思想は波及効果で広がり、多くの人々の心に響き、人々の考えや行動に影響を及ぼします
自分で考えることができる人々を、全体主義の権力者たちはとても恐れていて、どうにか消し去ろうとします。プーチン大統領は、政敵やジャーナリストだけでなく、詩人を毒殺しようとしたことも明らかになっています。

現代の中国もロシアも似ている点はかなりあります。
一般の人々は、自分と自分の家族や近しい友人たちを除いては、とても無関心です。
共産党はリーダーを国民の選挙では選ばないし、ロシアも不正選挙で国民の投票は機能していません。国民に選ばれていないリーダーは、自分の権力を保つには、民衆に何かを与えないといけないことを理解しています。民衆が抵抗や反抗を起こさないように厳しい監視や罰も与える代わりに、「物質的な豊かさ」と「絶対的な安全・安定(経済の安定、社会の安定等)」を保障するのが、民衆と独裁者との暗黙の契約です。
民衆は、自分たちが物質的に豊かになり、自分の生活が安定していれば、他には目を向けなくなります。
その間に、独裁者は、独立ジャーナリズムの排除、反対政党の排除(=一党独裁制)、普通の人々の権利を守るために機能している法機関や経済機関・公的機関・規制機関を骨抜きにし、歴史も独裁者の都合の良いように書き換えます。同時に、自分の家族・親戚・友人に国民のお金を不正に盗み、流し込むシステムを作り上げます。
民衆は、自分の生活が物質的に豊かになっているからと、社会で起きていることに目をつぶって過ごしているうちに、自分たちのお金も盗まれ自由も奪われる仕組みが完成し、たとえ気づいたとしても、そこから抜け出すことはほぼ不可能です。
独裁者が戦争を始めれば、国外へ逃げて暮らすことのできる財力とコネクションがなければ、独裁者の言う通りにするしかないかもしれません。

これは、独裁者だけのせいなのでしょうか?

独裁者が思いのままに独裁政治を作り上げる・続けることを可能にしているのは、一般の人々が真実から目を背け、周りで起こっていることや人々に無関心で、自分の物質的な豊かさにのみ目を向けていることが大きな要因です。反対派の政治家が殺されたり、隣人がプロテストをしたことで警察に連れ去られたりしたときに、自分に関係ないからと沈黙を決め込んでいれば、それが当たり前の社会になります。一般の民衆が一丸となれば、独裁者の築いたどんなに頑強なシステムも、時間の問題で壊れます。

私たち民衆は、考える自由を諦めるべきではないし、他の人々の考える自由を奪うべきではありません。自由は筋力のようなもので、使わなければ退化してなくなります。

日本の息苦しい同調世間は、そこに生きている一人一人が作り出しているものでもあります。
一人一人がそれに気づき、言動を変えていけば、社会も政治も経済も変わらざるを得なくなります。
私たち一人一人が変ることでしか、社会も政治も変わりません。

未来が良い方向に行くかどうかは、私たち一人一人にかかっています。

より良い未来のために、あなたはどんなポジティブな言動を今日、選択しますか?

(※)西欧で使われる「Equality/平等」とは、平等な機会を意味し、結果が同じであることを指しているわけではありません。例えば、北アイルランドでは、アイルランドの原住民であるカソリック派には、住居や職業の自由が限られていて、イギリスからの植民者のプロテスタント派には、良い仕事と良い職業が優先して割り当てられていた時期が長く続き、そのために「Equality/平等とFairness/公平さ」を求める平和なマーチが起こりました。また、「Equality/平等」が成り立つには、まず「Equity」が必要です。「Equity」とはLevel Playing Field (どんなグループや人々にも有利な状況をもたせない場)です。アメリカでは黒人への教育を受ける権利の差別(特定の学校にしか行けない、大学への進学が極端に制限されていた等)が長期間あり、黒人の大学進学を可能にしても、すぐにそれまでの百年以上にわたる教育を受けられなかった不利な状況の影響が消えるわけではありません。Level Playing Fieldをつくるためには、多くのサポートと時間が必要です。
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