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イギリスでの家族に関する悩み相談

Yoko Marta
21.06.23 04:24 PM Comment(s)

イギリスでの家族に関する悩み相談

イギリスの数少ない独立系新聞、ガーディアン紙には、読者が悩みを相談し、それに対して、コラムニストのAnnalisa Barbieri(アンナリザ・バルビエリ)さんが、複数の心理療法セラピストと話して答えるコラムがあります。
相談してくる人たちも、イギリス在住とは限らないし、イギリスには地球上のさまざまな国で育った人々が住んでいるので、育った文化や宗教、国や背景がさまざまなのも興味深いです。
ただ、悩んでいることは世界中同じようなことだと思いますが、回答のありかたは、とても共感的でヨーロッパ的だと思います。
日本だと、「こうしなさい」といった押し付けが強い印象がありますが、ヨーロッパでは、個人のエージェンシー(正確には日本語には存在しないと思うのですが、無理に訳すと主体性です。でも日本語の「主体性」とは違います)、自由、権利を重視します。そのため、回答といっても、考えさせられるものが多いです。


今回は、犯罪レベルの児童虐待を自分の生まれ落ちた家族から受け、現在は自分自身の愛する家族(夫と小さな娘)もいるけれど、自分の生まれ落ちた家族のメンバーに誘われると会うことを断れず、会った後は数日間、とても体調の悪くなる女性から、自分の生まれ落ちた家族とのコンタクトを切るべきかという相談。
記事は ここ より。

ちなみに、ヨーロッパでは、自分のたまたま生まれ落ちた家族を「実家」と呼ぶ習慣はありません。
あくまでも、「家族」は自分が選択した夫やパートナー、パートナーや夫とともに相談して生んだ子供たちを指します。
なぜなら、生まれ落ちる家族は子供には選べないし、親や保護者の役目は、自分たちの子供をもつ、という選択に責任を持ち、子供たちが自立して、自分で正しいことを判断し、自分の人生を生きられるようなひとになることをサポートすることだと考えられているからです。
自分たちの老後の面倒を見てもらうため、といった子供を投資の対象や無料の介護者とするような考えは、全く一般的ではありません。

この相談への回答はなんだったでしょう?

アンナリザさんは、トラウマを専門とする心理療法士と話します。
心理療法士は、「起こらないといけないのは、とてもアクティヴな決定をすることと、自分自身に「これは、良いことよりも自分にとって害のあることなのか?」「もし彼ら(自分が生まれ落ちた家族)が自分に害を及ぼすのなら、なぜ自分は彼らに会い続けたいのか?」」と聞くことだとしています。

これ(虐待された人が、虐待する人々の元へと戻っていく)は、残念ながら珍しいことではありません。

虐待をされたにも関わらず、虐待をする人々の元にもどるのは、反復強迫と呼ばれている現象で、自分に起こったことを明確に思い出せないこと、自分に起こったことをプロセス(処理)していないこと。そして、「今回は何か違うことが起こるのではないか」という間違った希望をもって、虐待する人々の元へ戻りつづけるそうです。
この「希望」は、とても中毒性のあるものです。
この相談者も、自分へのひどい虐待をいくつか挙げているにも関わらず、どこか他人事のように感じていることが伝わってきます。
でも、彼女の身体は分かっていて、体調がとても悪くなるというシグナルを送り続けています。

この相談者の場合、「希望」は、「自分が持っていただろう(自分の切望した優しい普通の)両親や家族」です。
ただ、客観的にみた場合、保護者として最低限の子供の安全を守る、愛を与えるということが不可能な人々も存在するのは、事実です。
アンナリザさんの別の相談でも、「虐待をする親は自分の言動を省みることは非常に少なく、虐待をした心持ちのまま、単に年をとって身体が衰えていくだけ」としていました。

心理療法士は、「あなたは、あなたが持てなかったもの(=優しい普通の両親や家族)や、これからも持てないことについて、深い悲しみとともに、その事実を受け入れる必要があります。」と言っています。
ただ、そのためには、自分に起こったことについて、明確に思い出し、考察し、感じるというプロセスが必要です。
でも、多くの人々は、このプロセスを避けます。
真実を知ることは、とても苦痛の伴うもので、プロフェッショナルの助けとともにたくさんの時間が必要となります。

ここでは、相談者は以前セラピーに通っていたので、セラピーに戻ることと、虐待を生き抜いた人々のグループセラピーへの参加や、本「What happened to you?」(オプラ・ウィンフェリーと精神学者の共著)を提案していました。

ヨーロッパでは、基本的に「水に流す(=被害者に加害を忘れるようプレッシャーをかけ、加害者が加害の責任を取らなくてよいようにする)」ということはありません。
基本は、人間にはエージェンシーがあり、選択ができるのだから、自分の選択(加害しない選択もあったのに、加害した)の結果についての責任を取るのは当然だとされています。ただし、きちんと加害の結果の責任(裁判で有罪になり、法律にそって監獄で数年過ごす等)を取った後は、またコミュニティーへと帰ってきます。
加害者のDoing(行動)は当然非難されるべきものですが、加害者のBeingが否定されるわけではありません。
なぜなら、ひとは自分の意志で、正しい行動を取れるよう、変わることが可能だからです。

また、当面どうするかについては、自分に虐待を行った生まれ落ちた家族メンバーから誘われたら、「自分には何が必要なのか?」と問いかけるよう提案しています。
自分と自分の家族(夫と小さな娘)への愛と安全を自分の世界の中心に置き、もし、会わないし話さない、が自分の答えなら、そうします。別の日には、また違った思いをもつかもしれません。答えがどうなるにせよ、自分に十分なスペースと時間を与え、自分と自分の家族への愛と安全を一番に考えます。コンタクトの制限やコントロールは、相談者の彼女自身が常にもちます

相談者の女性は、過酷な子供時代を過ごしたにも関わらず、今は友達も少しいて、優しい夫と愛する娘のいる家庭を築いたそうです。
彼女の愛と心遣いは、それらが尊重される場に行くべきです。

「What happened to you?」は、日本語には訳されていないようですが、とても良い本でした。
この本については、また後日に書く予定です。

Yoko Marta