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暗闇の中の光ー希望

Yoko Marta
12.07.23 01:13 PM Comment(s)

暗闇の中の光ー希望

最近、イギリスでは、耳の聞こえないイラク難民の少年Lawand(ローワンド)のドキュメンタリー「Name Me Lawand」が公開されました。


ローワンドが、
ことばを表現する手段(British Sign Language/イギリス式手話)を習うことを通じて、自分の世界を発見し、正確に表現できるようになり、徐々に自分への自信をつけ、聾学校でも友情を築いていく姿は、とても心に残りました。

イギリスならではだと思いますが、この聾学校の生徒たちのバックグラウンドもさまざまです。ラトヴィア出身の子はラトヴィアとロシアとイギリスの手話の3つを使います。バングラデシュ出身のとても明るくチャーミングでインテリジェントなローワンドの親友も登場します。彼は、理数系科目が得意で、将来は大学のエンジニア学科に進みたいと思っています。
ローワンドの担任の先生も耳が聞こえなくて、7才までは手話も習わせてもらえなく、自分のことも表現できず、周りとのコミュニケーションはほぼゼロだったそうです。彼女は、耳は聞こえなくても、話せるし、恐らくLip reading(口元から話していることを理解)もできるので、声に出して話すことと手話両方を教えます。

彼女はよく「How does that make you feel?(あなたはどのように感じる?)」とローワンドが自分の気持ちに気づき、表現することを助けます。これは、子供の感情のRegulation(制御)を高めるもので、思っていること・感じることを観察して、言葉にし、辛かった気持ちや混乱、怒りもそのまま受け止め、それに対してどのようにレスポンスをするのかを助けます。

ローワンドのクラスのある日の課題は「What does the language mean to you?(言語はあなたにとってどのような意味をもっていますか?)」でした。授業では、こういったオープン・クエスチョンが多く、対話をする機会が多いのも、イギリスならでは(恐らくヨーロッパ全般)だと思います。
ローワンドは、クラスメイトや他のひとから馬鹿にされるのではないか、と恐れて、パスしますが、最終的には、「言葉は、自由をくれた」と的確に自分の考えを、皆の前で語ります。

ローワンドは、イラクで生まれ、残りの家族はみんな耳が聞こえます。国自体が紛争で安定しておらず、学校も耳が聞こえないローワンドをどう扱っていいか分からず、「彼には将来がない。勉強なんてしても仕方ない。」という対応で、学校でも障害があるということで子供たちからもひどくいじめられます。
手話を教える機関もなかったそうです。
ローワンドの歳の近い兄、Rawa(ラワ)も懸命に弟を守りますが、このままここにいるのはローワンドにとってとても危険では、とも思ったそうです。
ローワンドの両親は、先生たちの言うことを信じず、ローワンドとコミュニケーションをとることができなくても彼の可能性を信じ、彼が高い教育を受けられるヨーロッパへ渡ろうと決意します。家族は、死の可能性があるにも関わらず、厳しい道をひたすら進みます。ローワンドがイギリスへたどり着いたときはまだ5歳だったので、この道中も、ローワンドには何が起きているか分からず、不安であることを表現することもできず、いつも「なぜ?」という疑問が渦巻いていたそうです。
この道中には、規定人数をはるかに越えた人々が小さな脆弱な船に乗って海を渡ることも含まれ、砂漠や危険な道のりを父はローワンドを背負って歩き続けます。
難民キャンプでは、警官が暴力をふるうところもあったりして、道中は危険が続きます。
その中で、ある日、耳の聞こえないイギリス人の難民キャンプのボランティア男性が、耳の聞こえない難民の子供がいると聞いて、ローワンド家族がいたテントを訪れます。
ローワンドにとって、耳の聞こえない人に会うのは、人生で初めてのことでした。彼から、少し手話を教わり、このボランティアの青年が、イギリスの聾学校に連絡をして、家族はイギリスへ行く機会を得ることとなります。
人生で初めて自分と同じように耳の聞こえないボランティア男性と意味を成すコミュニケーションがあったとき、暗闇と混乱の中に希望の光をみたように感じた、と後に語っていました。

イギリスに着き、聾学校でローワンドのアセスメントを行った専門家からは、今までのトラウマが大きいため、どこまでローワンドが教育を受け止め回復できるかは分からない、と言われたものの、学校を始めることとなります。
それまで全くコミュニケーションもできなかったし、いじめや難民としてひどい扱いを受け続けてきたこともあり、ひとが怖かったり、自分は馬鹿なんじゃないかと縮こまっていましたが、先生の適切な助けや優しいクラスの友達との出会いもあり、徐々に心を開いていきます。

ローワンドの家族は、手話でなくスピーチができるようになることを期待しますが、ローワンドは、声を出すことが苦痛で、手話だけで勉強することを自分の意志で選択します。家族に「See you later(また、後でね)」と声に出して言ったりはしますが、複雑な思考やコミュニケーションは手話です。ローワンドの家族も最終的には、手話を習い始めます。
両親はイラクで育ったので、Lip reading(ほかの人が話している口元を見て何を言っているか理解する)とスピーチができないと社会に受け入れられない、と思っていたのですが、ローワンドがどうしたいかも大切だし、イギリスでは約15万人以上が手話を使って生活しています。
手話をウェールズ語・英語・ゲーリック(アイルランド・スコットランドのオリジナルな言語)と同じように、The UKの公式言語にしたいとの運動も起きています。

ローワンドは時間はかかったものの、自分の感情や複雑な考えも正確に表現できる知性にあふれた少年へと成長していきます。
印象に残っているのは、誰ともコミュニケーションができないころ、自分の名前は「BAD(悪い子)」だと思っていたけど、手話を学んで自分の考えを知り表現できるようになり、それは間違っていたと気づいたという場面と、長い間、どこか自分を受け入れてくれる惑星に行きたい、と思っていたけど、今は、ここが自分の安心できる場所だと思っていると言っていた場面です。
ここには、コミュニケーションの手段は限られてはいるものの、年の近い兄のラワがいつも、ローワンドを支えていたこともあると思います。
ラワはあっという間に英語を流暢に話していましたが、彼も子供で、自分のいとこや親戚の多くに囲まれていたイラクでの生活を懐かしく思ったり、彼らに会いたいということもあるものの、弟のローワンドにとってイギリスが最適の場所だと分かっているので、それはすんなりと受け入れたようです。ローワンドが中心の映画ではあるものの、ラワの人間としての賢さや成熟さ、忍耐強さや優しさには、こちらも感服させられます。

イギリスでの滞在は心配事がなかったわけではなく、ローワンド家族のビザの問題は片付かず、イギリスへきてから7年近くの間、一時的なビザで、何度もイギリスへ難民としていられるかどうかのアピールを続けることとなります。このイギリス北部の町では、ローワンド家族がイギリスへいられるよう、町の人々の大きな協力もありました。

ある日、両親や先生は、ローワンドには知らせなかったものの、家族の難民申請をめぐって、ローワンドがどのくらい知性が伸びたのかということをチェックするために、監査の人々がやってきて、ローワンドを厳しくチェックします。
ローワンドも、うすうす分かっていて、ストレスを感じて、普段よりも間違いを多くします。両親も、「あんな小さな子供には、過酷すぎる」と言っていました。
この結果は、「ローワンドは、別の国の言葉を習うことも可能で、イギリスに難民として残る必要はない」というものでした。
ローワンドの両親もそれが真実ではないことをよく分かっています。
イラクへ送り返されると、ローワンドは勉強する術も失うし、未来も失います。
イラクへ送り返されることがほぼ確実になっても、ローワンドも家族も諦めません。
裁判で、ローワンドが自分の意見を述べることが許され、そのサポートとして、ローワンドのクラスメイトたちが、なぜローワンドがイギリスへ残るべきなのかを、温かく語るところがビデオに撮影されました。

結果はここでは書きませんが、このような厳しい状況でも、ローワンドは希望を持ち続けています。
ロンドンで、手話を公用語として求める大きな集会があると聞き、ローワンドは両親に頼んで、家族でその集会に参加することにします。多くの人々が手話で生き生きと話しているのを見たローワンドは、手話をもっとひろめる活動もしたいと思います。

映画としては、ローワンドの見ている世界を描く風景も多く、少し冗長だと思った映画批評家もいましたが、私自身は、ヴィジュアル的にも美しいと思いました。
全く言葉をもたなかった少年が、温かい人々、先生たちによって成長していき、自分に自信をもっていく姿をみて、改めて、早い段階での、その子にあった教育がいかに大切かを感じさせられました。
誰もが多くの才能と可能性をもって生まれてきますが、それが花開くには、多くのサポートが必要です。
また、この映画に携わっている音楽や映像担当には、耳の聞こえないプロフェッショナルも含まれています。
耳が聞こえない、目が見えないということで、職業や可能性を狭めない社会は、とても大切です。
少年たちは、手話でコミュニケーションを取りますが、冗談を言ったり一緒にサッカーをしたりと、耳の聞こえる人たちと何ら変わりはありません。
イギリスには、耳の聞こえないプロフェッショナルのパーカッショニストもいるし、大変なことはあるにせよ、門戸はオープンです。
この映画のダイレクターは、耳は聞こえますが、ローワンドときちんとコミュニケーションをとるため、手話の集中講座を受け、手話で会話できるそうです。ダイレクターは、ロンドンで手話を学んだため、イギリス北部に住むローワンドとはスラングが少し違ったりするのも、発見だったそうです。

私が日本の学校で45人学級で先生は1人だったというと、ヨーロピアンの友人からはとても驚かれます。私のイタリア人の姪っ子の小学校でも20人くらいの子供たちに先生が2人ついています。スペインで先生をしていた友人もそのぐらいの規模が普通と言っていました。そうでなければ、対話式の授業はありえないでしょう。日本のような生徒数が異常に多い状態だと、生徒は黙って先生の言うことをノートにとり、聞かれたときにのに答えるという、とても一方的な授業になるのは仕方のないことですが、子供たちにとっては失うものが大きいと思います。
また、先生にしてみても、どんなに努力をしても、45人の子供たちを一人で教えることは人間の限界を越えているでしょう。先生が2人ついていれば、子供にとっても相性がいい先生を選んで話したりもできるだろうし、どちらかの先生の言動が行き過ぎることがあれば、もう一人の先生が気づいて止めることも可能でしょう。

ヨーロピアンは、自分の気持ちや状況を言語化することにとても長けているし、相手の言うことをしっかりと聞いて、適切な質問をしながら対話を行うことも上手です。
そこには、お互いの意見や思いを尊重するという姿勢がいつもあります

日本で公開されるかどうかは分かりませんが、手話の際は英語の字幕もでるので、英語で観るのもいいと思います。

Yoko Marta