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混沌とした時代をより良く生きる: 古代の哲学から

Yoko Marta
04.12.23 06:08 PM Comment(s)

混沌とした時代をより良く生きる: 古代の哲学から

Brigid Delaney(ブリジット・ディレイニー)さんは、20年以上をジャーナリストとして過ごしましたが、パンデミックやニュースのサイクルが早くなり、混乱や疲れを感じていたころ、古代の哲学、Stoicism(ストイシズム)に出会って、多くのことを学んだそうです。

基本は、自分にコントロールがあること(自分自身がしていること)、自分にはコントロールがないことを判断し、自分にコントロールがあることに対して力を注ぐことにより、無用な心配や恐れをなくして、リラックスしながら、ひととしての指針(practice courage: 勇気を行使する訓練、wisdom: 知恵・叡智、temperance: 自制・節度、justice: 正義・公正)に沿って生きることによって、目的のある充実した楽しい人生を送ることができるとしています。

イギリスの独立系新聞紙ガーディアンの記事は、以下より。

では、自分にコントロールがあることとないことを、どうやってブリジッドさんは分けているのでしょう。

ブリジッドさんは、古代の哲学を引用しつつも、それを現代に即して分かりやすいことばで語っています。

私たちのコントロールがきく範囲は、自分自身の言動とリアクション(反応・応答)、自分の希望・欲望、自分のcharacter(キャラクター/性格・性質・気質・個性)、自分がどうほかの人々を扱うかです。

ただ、現在は不透明なアルゴリズムで私たちの欲望が操作されている部分も否定はできません。

具体的には、何が私たちのコントロール外なのでしょうか。

ブリジッドさんは、以下を挙げています。

  • 自分の身体(健康・病気):どんなに気を付けていても、事故や病気は始終起こります。例えば、がんにかかる。知り得る限りのよい薬や医療を受けることは可能だったとしても、がんがひろがることを必ずしも抑えられるわけではありません。

  • ほかの人の行動・言動:一般的には、他の人々を怒らせたり不快に感じさせることを心配しているのは、ポジティブな特質だととらえられがちですが、これは、People-pleasing(ピープル・プリージング/他の人々のニーズや望みを、自分のニーズや望みよりいつも優先させる)につながりがちで、極端な心配も引き起こします。
    大切なのは、自分にコントロールできるのは自分のCharacter(キャラクター/性格・性質・気質・個性)や言動で、どのように他の人々が反応を示すのかは、私たちのコントロールの外側にあるということを理解しておくことです。

  • 好きになった人に、自分を好きにならせるーこれは自分のコントロール外です。

  • 望んだ仕事に就く ー その仕事に応募することはできますが、仕事を得られるかどうかは自分のコントロール外です。

  • とても気に入った家を購入する ー 家を買うための競り合いに参加はできますが、実際に手に入るかどうかは自分のコントロール外です。

  • 私たちの評判や名声 ー 自分になんら落ち度がなくても、悪い評判が流れることもあります。他人がどう反応・行動するかは自分のコントロール外です。

  • 個人的、経済的な幸運 ー これも自分のコントロール外です。     

離婚、職を失う、病気になる、評判が落ちる等の苦しみはつらいことではありますが、自分に全く落ち度がなくても起こり得ることであり、誰にでも起こります。

興味深いのは、ブリジッドさんが、二度目の苦痛を避けることをアドバイスしていることです。
離婚や病気になると、それらに対して怒りや心配が生じるかもしれませんが、それで二度目に苦しむのを避けることは、自分のコントロール内で可能です。すでに、一度苦しんでいるのだから、それで十分です。
ブリジッドさんが、挙げていた考え方では、(離婚や病気は)誰にでも起こるのだから、あなたにだけ起こらないというのは理論的ではないし、どのみち死は誰にでもやってきます。
自分がもっているものを失うことにひどい痛みを感じることを避けるためには、最初から自分がもっているもの・ことに対して中立であることを訓練するといいと語っています。

では、より良く生きるために、自分のコントロール内であることで、心がけることはなんでしょう。

生きる上での指針であるVirtue(徳・善)は、以下の4つがストイシズムから引用されています。

  • Practice courage: 勇気を実行・行使する訓練 
    日本語の勇気とCourage(カレッジ)は概念が大きく異なります。
    カレッジとはバンジージャンプや危険なことを行うことではなく、自分が困難に陥る可能性が分かっていても、もっと力の弱いほかの人々の基本的人権や命・安全を守るために行動することです。例えば、ユダヤ人迫害が大きく起こっていたオランダで、ユダヤ人をかくまえば自分自身も牢獄か、悪ければ殺されることが分かっていても、無実のユダヤ人をかくまって助けたオランダ人たちは、カレッジを行使したといえます。
    カレッジは、生まれつきのものではなく、筋肉のように毎日、カレッジを実行して鍛えていくものです。誰でも強くすることはできるし、日常で使わなければ失われていきます。困難な状況でもカレッジをもった行動をするためには、普段の生活で意識的に使う必要があります。例えば、理不尽な言動をする上司からハラスメントを受けている同僚がいれば、ほかの同僚たちと協力して上司の言動にチャレンジする、ユーモアを通して批判を伝えチャレンジすることも、カレッジを日常生活で実行するということになります。
    こういった土壌(誰もが日常でカレッジを実行する)ができあがれば、ハラスメントを行う人々はハラスメントを行うことが非常に難しくなり、全くなくなるかほぼ起こらないことも可能となるでしょう。

  • Wisdom: 知恵・叡智 
    知恵は知識とは違います。知恵は、できるだけ正確な質の良い情報をしっかりと読んで理解し、人々と話し、自分自身の意見や見方をつくりあげることを指します。

  • Temperance: 自制・節度

  • Justice: 正義・公正 
    日本語の「正義・公正」とJusticeは概念が大きく異なります。「Justice」とは、誰か(多くは権威のあるひとや機関、コミュニティ―での無言の取り決めの場合も)が決めたルールを何も考えずにひたすら遵守したり、それを守らない人を糾弾したりすることではありません。性別、民族、年齢、移民かどうか、国籍、肌の色、宗教等に関わらず、誰もの基本的人権が守られ、誰もが尊厳をもち、尊重され、誰もが同じ権利をもち、法律のもとでは誰もが同じように扱われることを指しています。

人間と動物を分けているのは、Rational thinking(レイショナル・シンキング/理性的に考えること)があるかないかです。

これは、上記と同じで「practice courage: 勇気を行使する訓練、wisdom: 知恵・叡智、temperance: 自制・節度、justice: 正義・公正」に導かれます。
もし、あなたが無用な心配事でいっぱいいっぱいになっておらず、落ち着いた気持ちでいれば、何か予期しないことが起こっても、より良い方法で対応できるでしょう。自分自身のためでもありますが、あなたの周りの人々の生活にも、良い影響を与えることとなります。

理性的に考えるためには、品質の高いニュースや記事、本等から情報を得る必要があります。独立新聞紙かもしれないし、よいInvestigation(インヴェスティゲィション/調査)を行っているジャーナリストかもしれません。情報元をきちんと調べ、できうる限りの正しい情報を集めている記事かを見極める必要があります。権威主義, ポピュリズム、ファシズム等は、「すべての情報は嘘だ」と言う風に人々を思い込ませ、考えることをやめさせ、自分たちのプロパガンダだけを信じる、或いは何も信じず、権威者に言われたとおりに疑問をもたずなんでも行う人々をつくりだそうとしています。完全に正しい情報とはならなくても、より正確な情報は確実に存在します。

また、恐怖や激怒といった感情に支配されている人々に影響されて、パニックに陥ったり、絶望の悪循環となることにも気を付けなくてはなりません。
恐怖や激怒といった強い感情は、周りにも伝染しやすいものです。
激怒と極端に強い感情を引き起こされた群衆には、どんな理論も通じません。こういった群衆からは離れて、落ち着いて、4つの指針「practice courage: 勇気を行使する訓練、wisdom: 知恵・叡智、temperance: 自制・節度、justice: 正義・公正」に基づいて判断・行動することが大事です。

最後に、「心配や恐れから行動を起こさないこと」は大切です。
人生や生活は変化に満ちていることは受け入れざるをえません。多くは私たちのコントロール外です。
ある一定の状況に心地よいと感じたと思ったら、人生は新たなひねりや驚きを与えます。もしあなたがリラックスして平静な気持ちでいれば、それらをうまく扱うことができるでしょう。Marcus Aurelius(マルクス・アウレリウス)は、苦難と変化の多い時代を、ネガティヴな思考であふれることを自分に許さないことで、うまく対処したそうです。「宇宙は、変化だ。私たちの人生は、私たちの思考が作っているものだ」と日記に書いたそうです。

先述したコントロール・テスト(何が自分のコントロール内/外なのか)を使い、心配を落ち着かせましょう。
もし、あなたのコントロール外であれば、あなたには何もできません。何もできないことを心配し続ける価値はあるのでしょうか。

Epictetus(エピクテトス)は、「幸福への道は一つだけ。私たちの力や意志が及ばないことがらへの心配をやめること」と書いたそうです。

私たちにも、日々これを練習することは可能です。

Yoko Marta