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違う意見のままでも、良いコンフリクト(対立・衝突)を通して、より深い理解とつながりを作る

Yoko Marta
04.12.23 06:12 PM Comment(s)

違う意見のままでも、良いコンフリクト(対立・衝突)を通して、より深い理解とつながりを作る

数日前、Atlantic(アトランティック新聞)のPodcastを聞いていたら、ジャーナリストのAmanda Ripley(アマンダ・リプリー)さんが、Podcastの司会者と二人で、よくある家庭内でのコンフリクト(対立・衝突)を通して、なぜそのコンフリクトが起こるのか、どうやって解決するのかを、情熱的に、かつユーモアを交えて話していました。

司会者の女性とアマンダさん(女性)の家庭でのエピソードも、全世界共通で、よくあるよね~と納得できるもので、この二人の正直な発言や反応にも笑ってしまいました。 

ここ から、無料で聴けます。
英語も聞き取りやすいです。

ちなみに、 Atlantic新聞/ は名前から想像がつくかもしれませんが、アメリカの新聞です。良いジャーナリストの多くが寄稿していて、信頼度が高い新聞だと個人的に思っています。

コンフリクトをどう定義するかも、文化や育った社会、家庭によってもかなり違う可能性はあります。
アマンダさんは、ジャーナリスト歴が長く、世界のあちことで起こる武力を伴うコンフリクトも報道してきて、「どうやったらコンフリクトを抜け出せるのか?」と考えた時間は長かったそうですが、アマンダさんが出した結論は、この質問へのアプローチ自体が間違っていた、ということです。

アマンダさんは、コンフリクトには直面するべきで、丁寧な物言いの社交辞令で曖昧にしたり、コンフリクトを避けたりするべきではないとしています。
なぜなら、良い類のコンフリクトは、私たちがより強くなり、お互いの境界を押し合ったりしながら世界をひろげていくことだからです。
この良い類のコンフリクトは、人間関係、家族・企業・国家等に素晴らしい変化をもたらします。

コンフリクトが全くない状態は、恐らくコンフリクトがある状況より悪い状況です。なぜなら、誰もが同じ意見をもつなんてあり得ないし、誰かが自分の意見を言えずに常に我慢している/させられている状態は、健康ではありません。誰かを犠牲にして成り立つ表面的な平和・静けさは本当の意味での平和・静けさではなく、ひずみが大きくなり、とても悪い形で爆発する可能性もあります。

アマンダさんは、コンフリクトについては、「完全に解決しよう」という意図をもつのは逆効果で確実にコンフリクトを悪化させるとしており、関わっている人々への純粋な深い好奇心・興味、オープンな気持ちをもち続けることが大切だとしていました。
ここでは、相手をUS(私たち)対Others(ほかの人々)とわけて、非人間化しないことも大事だとしています。

アマンダさんがPodcastの中で挙げていた例は、夫や子供が、食事の後に食器を食洗器に入れる際に、まるで、食洗器がオオカミの口であるように、適当に投げ入れて、お皿が重なっていたり、食洗器がうまく食器を洗えないような入れ方をすることだったそうです。
それに対して、アマンダさんは、大きな声で文句を言ったこともありますが、当然、彼女の気持ちはうまく届きません。

彼女の分析と、対応策はなんだったのでしょう。

多くのコンフリクトは、「私の言うことが聞かれていない、理解されていない」という部分が大きく関わっています。

アマンダさんは、以下の3つの要素を考えてみることを提案していました。

  • Caring concern (面倒を見る・思いやることに関る心配や不安)

  • Respect and Recognition (尊敬と承認)

  • Power and Control(権力とコントロール)

先述した、食洗器の話に戻ると、妻側にしてみれば、夫と息子の食洗器へのお皿の入れ方への怒り・コンフリクトは、彼女の考えの奥深くからきています。
彼女は、以下のように水面下で感じていました。

[Respect and Recognition(尊敬と承認)の観点]

  • アマンダさんは、夫と息子に何度も、食洗器がどのように機能し、どのように食器を入れるのかを何度も説明しました → アマンダさんが感じるのは、彼らは彼女が言っていることを重要だと思っていないからこそ、彼女の言ったことを無視した行動をとるのだと感じています

  • 夫と息子は、家事は女の仕事だと思っているから、いい加減なことをする (夫と息子は、そんなことは思っていないかもしれないし、そう反論するのは確実でしょう)

  • 夫と息子は、自分の(アマンダさん/女性)時間は、彼らの時間の半分程度の価値しかないと思っている(夫と息子は、そんなことは思っていないかもしれないし、そう反論するのは確実でしょう)

ここでの、コンフリクトへ立ち向かう方法は以下です。

妻は、明確に、「あなたたちにとっては、理論的でないと感じるかもしれないけど」と前置きをして、上記の気持ちを感じていることを話し、「私が感じていることは、的確かしら?これはあなたたちが思っていることかしら?」と夫と息子に自分たちの考えや意見を表明するスペースを作ります。

恐らく、夫と息子は、そんなこと思ったこともないと言うかもしれませんが、大事なのは、自分がどう感じているか、自分がどういう見方をしているかを明確にことばで表明し、相手に聞いてもらうことです。

ここでは、夫と息子の言動も大切です。

彼らは、もしかしたら妻が言ったことの一部は身に覚えがあるかもしれないし、その場では否定したとしても、自分たちの言動の背後にある無意識の部分について考えるきっかけになるかもしれません。
もちろん、妻が感じているようなことは、全く意図していないという可能性もありますが、ここで彼らが、妻(母)の言っていることを理解しようと努力していることを示すことは大切です。
また、自分たちの言動が、妻(母)にどのような影響を及ぼしているかを理解することも大事です。

ここでは、どんなに相手の意見や考え方に不賛成だったとしても、純粋な興味を示して、なぜそう思うのか等、たくさん質問しましょう。
もし続けて不賛成だったとしても、あなたが聞いていることが正しいのかどうかを、自分のことばで言い換えて、確かめましょう。
意見や考え方が違っていることは、問題ではなく、さまざまな考え方や見方を学ぶ良い機会です。

上記のように、相手の言っていることをしっかりと理解しようとし、それを示すことで、大概の場合は、コンフリクトは問題ではなくなり、意見は違ったままでも、家族間の深いつながりへとたどり着くことが多いです。

アマンダさんの家庭では、今では、夫も息子もきちんと食器を食洗器に入れるし、夫も息子も、コンフリクトが起きたときに、どうコンフリクトに正面から飛び込み、またどう相手を理解しようとするかということについても、上達したそうです。

このPodcastでは、もう一人、アメリカの政治家も登場します。
ユタ州の州知事、Spencer Cox(スペンサー・コックス)さんです。

アメリカの政治界では、両極化が進み、特に極右派のつかう言葉やレトリックは自分たちに完全に賛成しない人々をOthers(ほかの人ー非人間化して憎しみの対象とする)とし、社会全体にも恐怖や憎しみ、不安定さをもたらしています。
スペンサーさんは、こういった状況では、誰もが「自分の言うことは誰も聞いていない」と感じ、どんどん先鋭化し極端になり、声をどんどん大きくすることになりがちです。
でも、これは逆効果です。
スペンサーさんは、民主主義は基本的にPlural Society(多元的な社会)であり、誰もが違う意見をもち、誰もがそれを表明し聞いてもらう権利があり、違う意見をもつ人々がお互いを尊重しながらよく生きていける社会だとしています。

そのため、健康な民主主義を保つのに大切なのは、みんなが違う意見をもつなかで、どのように効果的に反対意見や違う意見を表明しながら、お互いを認め合い、お互いの言うことをきちんと聞いて、より良い社会をみんなでつくっていくことだとしています。
いろいろな意見があるということは、決定にも時間がかかるし、混乱やごたごたもありますが、結局は、より良い場所へと到達することが多いです。
スペンサーさんは、以前弁護士だったこともあり、どうしても「議論に勝ちたい」という気持ちがもたげてくることも自覚しているそうですが、お互いのCommon Value(共通している価値観)、例えば、Civility(日本語にはない概念ですが、近いものとしては人間としてお互いを尊重し、それを言動やマナーで示すこと), Liberty(自由), Human rights(基本的人権), Humanity(人間らしさ、思いやり・慈悲)、にフォーカスしながら、話し合うことを心掛けているそうです。

同じようにLiberty(自由)が大事だと信じていても、政治的な思想や育ってきた環境等の違いで、人々の自由を守るために必要だと考える手段はかなり違うかもしれません。
でも、根本的に同じ場所(人々の自由は大切)からきていると分かれば、意見は違ったままでも、相手の意見を尊重できます。

ただ、これらは、「ひとに上下はない」という文化基盤がある西欧社会では、成り立ちやすことですが、家父長制が強く、些末なことにさえ、上下関係が入り込んでくる社会では、もっと難しいでしょう。
日本を含めたアジアや中近東といった家父長制が厳格な社会で育つと、上下関係がどんな人間関係にも入り込み、女性や子供、若い男性と言うことで「下」だと見なされれば、「上」だと見なされた人々に対して、自分の意見を表明する、或いは自分の意見をもつことさえ許さないという暗黙の決まりがあるように思いますが、こういった慣習については、個人が変っていくことにより、社会全体が変っていくことを目指さざるをえないでしょう。

大英帝国(現イギリス)は数百年にわたって世界の半分近くを植民地として支配し、多くの人々や資源を搾取し、正当な抵抗運動も残虐につぶすことを続けましたが、植民地国の人々は、どんなにひどい目にあっても、根気強く抵抗を続け、最終的には独立を勝ち取りました。
もし、植民地国の人々が、「自分ひとりが何をやっても変わらない」と信じ込まされたままで、何もしなければ、今も植民地として搾取され続けていたでしょう。
植民地宗主国側は、自分たちの利益しか考えていないので、支配している土地の原住民たちに対してよい扱いをしよう、或いは権利を与えようとはどうやっても考えません。
抑圧・支配する側が変るのは、抑圧された側から揺さぶられて、どうしようもなくなったときだけです。

社会を誰にとってもよい方向へと変えていくためには、普通の市民、一人一人の行動が大切です。

Yoko Marta