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もちえなかった普通の親子関係をグリーヴする(悼む)

Yoko Marta
05.12.23 05:48 PM Comment(s)

もちえなかった普通の親子関係をグリーヴする(悼む)

ある日Podcastをランダムに聞いていたら、「  How To Grieve an Estranged Parent 」に遭遇しました。直訳すると、「どのように疎遠にした親をグリーヴするか」ですが、このGrieveにぴったりとくる日本語は存在しないのではないかと思います。

深く悲しむということではありますが、そこに留まるわけではありません。追悼するいったほうが近いのかもしれませんが、心の中で悲しみながらも、これは仕方のなかった別れだと納得する瞬間が訪れることかもしれません。

ヨーロピアンの友人たちや知り合いで、親と疎遠にした人たちもけっこういますが、それで結婚に問題が出た、というのは聞いたことがありません。親が親としての最低限の役目(子供をプロテクトする)をすることが不可能な状態なのは起こり得ることだし、そうなると社会が子供を助ける、というのが基本的な方針です。

ヨーロッパでは、クリスマスは家族や親族と集まる日です。
12月の頭から、友人とのクリスマス・パーティー、少し遠い親戚等によばれての大きな昼食会等が始まり、クリスマス当日は通常近しい家族で過ごします。多くの公共交通機関も、クリスマス当日は動いていないし、家族が近くにいなかったり、疎遠にせざるを得なかった人々には、つらく感じられる時期でもあります。

このPodcastに出てくる女性、Haley(ヘイリー)は、正直に自分の気持ちを話していることに感銘しました。
両親の離婚で、親は離れ離れになり、母親と住んでいたものの、長期休みは父のもとで過ごしていたそうです。これは、ヨーロッパでも北アメリカでもよくあるアレンジメントだと思います。もちろん、父と母の役割が反対のケースも珍しくはありません。
ヘイリーさんは、父の家で過ごしているときに、6歳から12歳ぐらいにわたって、従弟から性加害を受けていたそうです。やっと父に何が起きているかを言えた時、父は、「従弟はとても良い子でそんなことができるはずはな`い、ヘイリーさんが嘘をついている、すべてヘイリーさんのせいだ」と真っ向から否定したそうです。ヘイリーさんはまだ子供で、傷ついたものの、どうしていいか分からず、母に話し、心理カウンセリングを受けることとなりました。母はシングルマザーで、経済的に厳しく、このカウンセリングの料金を母が父に頼まないといけなかったのはとてもつらかったとコメントしていました。15歳くらいのときに、心理カウンセラーに同席してもらい、父にこの問題について対決したそうですが、父はこの心理カウンセラーを心理操作し、丸め込んでしまい、ヘイリーさんは絶望し、勉強やほかのことに一心に打ち込む10年ぐらいを過ごしますが、良い大学・成績で、仕事も得ますが、ナーヴァス・ブレークダウンがあちこちで起こるようになります。

カウンセリングも再開し、随分たってから、再び父に、この問題を話すことにしました。最初の電話での会話は、謝罪もあったそうですが、2度目の電話では、「ヘイリーさんが、自分が悪い父だったと思わせる、この話を二度と蒸し返さないならまた話してもいい」と言って会話が終わらされたそうです。
ヘイリーさんは、3度、正直に父と向き合うことを行いましたが、父はヘイリーさんに起こったことを認めることを毎回拒否しました。ヘイリーさんは、父とは良い思い出もあるけれど、これ以上父との親子関係を続けることは、自分にとって良くないと判断し、父とはもう会わないことを決めます。
幸いなことに、母もヘイリーさんの決断を支えてくれました。

ただ、私たちは、亡くなった人々を悼むことについては、どうするかある程度知っていても、 持ちえなかった、正直さや公平さに基づいた親子関係について、まだ親が生きている間にどう悼むかは、よく知りません。

ここで、カウンセラーでもあり、自身も、子供をプロテクトできず、子供を危険にさらす親を疎遠にしたパトリックさんが登場します。

ヘイリーさんもパトリックさんも、偶然、親としての最低限の役目「子供をプロテクトする」ができなかった親を持ち、もちえなかったごく普通の親子関係を悼むことですら大変なのに、周りの人々からの反応にも苦しみます。


パトリックさんの場合は、ほかの子供たちにとっては、いつもパーティー状態の楽しい母親とうつっていて、パトリックさんが「もう会わないことにした」というと、「あんなにいい母親だったのに。。」というような反応が返ってくるのがつらかったそうです。

北アメリカ、ヨーロッパだと、「どんなに子供にひどいことした親でも、子供は親の面倒を見ないといけない」といった社会的なプレッシャーや、福祉システムの仕組はないので、その点では、日本よりこの問題を扱うのは楽だとは思います。また、親としての最低限の役目が、様々な事情で果たせない親がいるということもよく認識されています。「親がいつも正しい/生きていることを親に感謝しろ」といった迷信は存在しません。

パトリックさんが、どうやって乗り越えたのかは、興味深いです。

パトリックさんは、いい仲間ができて、その中で癒されたということでした。その仲間たちの多くは、パトリックさんを含めて、「自分には価値がない」等ネガティヴな気持ちを自分自身に対して持っていたそうですが、正直にオープンにいろいろなことを話しているうちに、仲間との深いつながりができ、お互いの事実を正面からみる姿勢からも、「本当は、自分には価値があるし、子供の頃からずっと自分はGood enough(十分によかった)」と気づくことができたそうです。

ヘイリーさんとパトリックさんが外部からの声につらい気持ちがしたのは、親から刷り込まれた自分の内部にある声「お前は悪い子だ。できの悪い子だ。価値がない」を、外部の声が増幅していたからだそうです。
いったん、親が自分に言い続けていたことは事実ではなく、自分は今までもこれからも「十分にひととして価値がある、愛される価値がある」という事実に気づいてしまえば、親の言った嘘に悩まされていたことを悼む必要もありますが、これも、自分を取り戻すプロセスの一つです。

「親はRed Flag(赤い旗/明らかに何かがおかしいという現象が目の前にある)を無視する人だったか」という問いには、ヘイリーさんもパトリックさんもYesと答えます。例えば、あきらかに家に火事が起きているのにそれを無視するような親で、子供が見ている事実を真っ向から否定するような親だと、子供は、自分がおかしいのか?と自分に対する疑惑を内在化させるようになり、それは、子供たちが大人になった後、さまざまな問題(自分自身の判断や見方を疑ってしまい、自分自身を信じられず、健康な人間関係を気づくにくい等)を引き起こすこととなります。
子供からすると混乱するのは当然ですが、実際に物事を正しくクリアーに見ているのは子供たちで、おかしいのは大人の親のほうです。

でも、これも仲間と一緒に癒されていく中で、徐々に解決されていきます。

パトリックさんは、これは夫や妻といった関係かもしれないし、代理家族(血はつながらないけど、自分たちで家族になるときめた人たち)のようなものかもしれない、と言っていました。

ヨーロッパだと、親と疎遠であることは、社会的にも問題ではないのですが、日本のように迷信の強い社会では、きっとつらいことなのでは、と思います。

私もたまたま生まれ落ちた家族とは長年連絡をとっていないし、取る気もありませんが、夫も夫側の家族からもそのことについて何か言われたりはしません。
自分に危害を与えるような人々や、正直さや公平さにもとづいて関係性を保てない人々とコミュニケーションを絶つことは、賢明な選択です。それがたまたま親だったのは不運ですが、私たちには、健康な関係性を築ける人々とよい関係をつくっていく選択ができます
そのためには、一定期間でも、危害を与えるような人々との関係性を絶ち、自分に十分なスペースを与えることは大切だし、あなたにはそうする権利があります。
また、アディクションのように「いつか親から愛されるのではないか(自分が親の言う通りにしたら、等の親の条件に従う)」と危害を与えられるのが分かっていながら親の元に戻っていくパターンもよくあることだと理解し、そのアディクションに自分の中で抵抗することも大切です。

もし、あなたがたまたま、無条件の愛を子供にあたえられない、最低限のプロテクション(身体的、精神的)を子供に与えらることのできない親のもとで育ったとしても、あなたは一人ではありません。
あなたは自分のことを愛することができ、自分を無条件に受け入れてくれる友人やパートナーにも出会うことは確実です。

Yoko Marta