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「記憶」は、現在と未来をより良く生きるための大切なもの

Yoko Marta
25.01.24 04:49 PM Comment(s)

「記憶」は、現在と未来をより良く生きるための大切なもの

イギリスの独立系新聞ガーディアン紙の新年のポッドキャストで、認知神経科学者のCharan Ranganath(チャラン・ランガナス)さんが、「記憶」についてのとても興味深い話をしていました。
ここから聴けます。
チャランさんの、温かく穏やかな人柄が、ポッドキャストからも伝わってきます。
チャランさんの新しい本「Why we remember(なぜ私たちは記憶するのか)」は、原著の英語版が2024年2月に発売予定だそうです。
日本の人口も減り経済的な力も弱まっている現在では、日本語はますますマイナー言語になり、こういった素晴らしい本や対話が日本語に訳されないことは、ますます増えるでしょう
また、英語と日本語というように、基盤となる文化が大きく離れている場合、日本語にない概念が英語にはたくさんあり、日本語で読める内容にしようとすると、どうしてもねじれた内容になりがちです。
英語が理解できることは、世界を広げてくれ、楽しみを増やしてくれます。

チャランさんが認知神経科学やひとの心理に興味をもったのは、きっと子供の頃の経験もあるだろうとしていました。
チャランさんの両親はインドで生まれ育ち、チャランさんが1歳のときにアメリカに移民したそうですが、周りには有色人種は全くおらず、子供の頃は、さまざまな場所で人種差別を受け、「あなたたち(チャランさん家族)は、このコミュニティ―に所属していない。所属できない。よそもの」として冷たく扱われ続け、人々がどのように行動するかを興味をもって観察していることが多かったそうです。
人種や肌の色だけでなく、マジョリティーと違う人々は、どこにいてもはじかれやすく、それが人々の行動を興味をもってじっくり観察したり、ほかの人々に対して共感をもって優しい気持ちをもてることにつながったりする例もよく見ました。
私自身、深刻なレベルではないものの、ヨーロッパでの有色人種への差別を実際に経験してはじめて、実際に自分がどういった気持ちになるのかを経験し、日本ではマジョリティーである日本人ということで見えていなかったバイアスにも気づきました。
マジョリティーにたまたま所属していることで、その社会で苦しい場所にシステム的に追い込まれているひとびとに起こっている日常的な差別について、自分がいかに見えていなかったか、或いは気づかないふりをしていたことにも気づく機会となりました。
誰もが同じ基本的人権、自由を行使できる社会でないと、その社会は誰にとっても安全ではありません。

チャランさんは、人間の脳は、すべての出来事を記憶しているようには設計されておらず、大切なのは、いかに過去に起きたことの記憶を、現在・未来へのより良い対応や決断をする為のリソースとして役立てられるかだとしています。

身近な例では、インタビュアーのジャーナリストが、「仲の良い女性の友達が、以前とっても悪いボーイフレンドをもっていて大変な思いをしたにも関わらず、いつの間にか、彼女の言うことはどんなに彼がよい人だったか、どんなに良い思い出があるかと美化して語ることに、すごくフラストレーションを感じる(このジャーナリストは、その友達に同じようなつらい経験を二度としてほしくないから。的確に覚えていないと、また同じ間違い・経験を引き起こす可能性は高くなる)」
チャランさんのアドヴァイスは、「なぜ、そもそも最初にそんなボーフレンドをもったのだろう?」と考え、「どうやったら同じ間違いをすることを防ぐことができるのか?」と考えることだとしています。
痛々しい経験であれば、美化したくなったり、完全に忘れたくなる気持ちも分かりますが、過去の経験を直視して、その経験から学び、きちんと覚えておき、それをどう現在・未来をよりよくすることに役立たせ、自分がひととして成長できるかを考えるかが大切です。
既に起きたことだから(変えようがないから※チャランさんによると、記憶は静的なものではないとのこと)と、忘れ去ることを選択すると、再び同じ間違いをおかす危険性が高いことも理解しておくことが重要です。
また、チャランさんは、記憶が決して静的で決定的なモノではないことを指摘しています。

チャランさんは、記憶は、Static(スタティック/静的)な記録や決定的なものではなく、フレキシブルで有用なものだとしています。
インタビュワーは、ジャーナリストだったので、自分の記憶が正確であることは職業上とても重要なので、子供の頃の記憶が、親から聞いたことによる記憶なのか自分が本当に経験したことなのかが分からないこともあり、自分の記憶の不確かさについて質問しますが、チャランさんによると、人間の脳は、ある程度飾りをつけたり、意味づけをしたりしているそうです。ただ、これは記憶が事実ではないということではありません。
自分にとって大事なことは、きちんと事実の柱は正確に記憶されています。
ポジティヴな記憶の使い方としては、過去のトラウマを、さまざまな経験や新たに得た知識、考えと照らし合わせて、自分の中で統合し、新たな意味づけを行い、現在と未来に有用に活かしていくことです。
※一時期、北米・ヨーロッパでも、レイプや虐待等の記憶が無意識化で捏造されたというような極端な見方が表出したこともありますが、記憶について研究している心理科学者のJulia Shaw(ジュリア・ショー)さんが、こういった記憶は(細かい部分が少し曖昧だったとしても)正しいとしていました。
こういった極端な考え方をプッシュしていたのは、加害者として訴えられた人たちの側で働いている心理学者や弁護士等であったことも指摘されています。レイプや虐待といった記憶は、子供時代のどこかの時点で友達とシーソーで遊んでいた等の日常の記憶とは大きく異なります。

ひとには、「メモリー・バイアス」もありますが、健康なものもれば、不健康なものもあります。
不健康なものとしては、現在アメリカや先進国でも起きている、「Make America Great Again」のような、「過去は偉大で良かった。現在はとても悪い(個人的なものもあれば、この例のように集団的なものもあり)」といった、毒性のあるノスタルジアです。過去をよく見てみれば、悪いことがいっぱいあったことは事実であり、現在の自分の状況に不満があるからといって、過去を美化するのは不健康なメモリー・バイアスです。

チャランさんは、「記憶で大事なのは、量ではなく、質」だとしています。
ある意味、当然のように聞こえるのですが、実行するのは易しくありません。

例えば、家族でホリデーに行ったとき、とにかく有名な場所に行って写真を撮ることに夢中になって、ホリデーは家族との時間を楽しむためのものであることを二の次にしてしまうかもしれません。でも、よく考えてみれば、記憶に残しておきたいのは、子供やパートナーと一緒に大笑いをした時間や、海辺で子供たちが楽しく遊んでいる光景でしょう。

また、上記とつながっているのは、マルチ・タスキングというまやかしや、テクノロジーの有効な使い方です。
マルチ・タスキングは、時間を有用に使っているかのように見えて、実際には、人間の脳は同時に全く違うことができないので、違うタスク間で始終、脳が切替をしていることになり、とても不効率だそうです。
なぜなら、タスクを切り替えたときに、その前の切替地点に戻るわけではなく、それよりも前の地点に戻るか、それよりさらに極端な例としては、そもそもタスクに注意を払っておらず、自身はその場になかったので、戻る場所すらない(=最初から考え直し)、ということにもなりがちです。
多くのことを同時に脳は処理できないことを理解して、大事なことを優先して、一つ一つ注意を払うことが大事です。
もし、注意を払う価値がないことであれば、そもそも、そのタスクをする必要があるのかを考えたほうがいいでしょう。

チャランさんは、スマートフォンもなく、多くの電話番号を暗記していた時代があることも覚えていますが、テクノロジーに任せられることは任せたほうがいいとしています。
課題は、どうテクノロジーを使うかです。
記憶には、脳の前頭葉前部皮質が関わっているそうですが、この部位は、何が重要で何が重要でないかを切り分けて重要なことに集中しようとするため、あまりにも多くの情報が入ってくると、多くの事項がどれが記憶される必要があるのか競争して、混乱と疲れを生じさせるそうです。
スマートフォンがあるからと、なんでも記録しようとする疲れるだけなので、ここでも、何が大事なのかを常に考える必要があります。
そのためには、日常の中でもPause(ポゥズ/一休み)することが大切だとしていました。
チャランさんは、画面にポストイットで、「Pause」と書いて貼っていて、忙しくても、いったん休憩する時間をつくっているそうです。

当たり前すぎるように聞こえるかもしれませんが、「記憶」には、心肺運動(散歩したりすること)はよく、ストレスや寝不足、アルコールはよくないそうです。

しっかり休んで、健康な生活をし、自分にとって大事なこと、例えば家族や友人たちとの時間にきちんと注意を払うことは、大事だということでしょう。
これを毎日実行するのは、たやすくはありませんが、長い目でみると人生にとても良い影響を与え、良い記憶がある人生となるでしょう。

Yoko Marta