The Green Catalyst
The Green Catalyst
Creating futures we can believe in

歴史や人文学は、他の(人々の)見方もあることに気づかせてくれ、世界を豊かにしてくれるもの

Yoko Marta
25.01.24 04:59 PM Comment(s)

歴史や人文学は、他の(人々の)見方もあることに気づかせてくれ、世界を豊かにしてくれるもの

最近、女性ベテラン・ジャーナリストのChristiane Amanpour(クリスティアン・アマンプール)さんの番組に、東ヨーロッパを専門とする歴史家のTimothy Snyder(ティモシー・スナイダー)さんが登場していました。
ここから聴けます。

ちなみに、クリスティアンさんは、父がイラン人で、母はイギリス人のキリスト教徒のようです。小学校はイランの首都テヘランで、その後はイギリスの寄宿舎学校へと送られ、イギリスにいる間にイスラム革命や戦争が起こり、父は全てを失い、家族全員でイギリス移住となったそうです。大学はアメリカへと渡りアメリカで過ごした期間も長いため、イランを含む中東地域とヨーロッパ・アメリカの文化や政治、人々の見方にも経験・知識共に深いジャーナリストです。
とてもタフな質問をすることでも知られています。

イギリスに住んでいると、内戦や戦争が原因で、中東地域からヨーロッパに移住せざるを得なかった人々にもよく会いますが、彼ら/彼女らは、「自分たちはたまたま運がよく西側にこれたけど、残りたくなくても残らざるをえない人々もいる」と言っているのを聞きます。
多くの紛争は、イギリスやフランス、ドイツといった現在の経済・軍事大国の数百年にわたる植民地支配がroot cause(ルート・コゥズ/根本にある問題)になっていることも多く、抑圧・搾取を行った側の歴史ではなく、抑圧・搾取された側から見た歴史を調べてよく知ることは大事だと改めて思います。
なぜなら、現在の世界や経済のナラティヴは、過去に地球上の大部分の人々や資源を搾取してリッチになり、その権力や金力を保つためのStatus quo(ステータス・クォ/現状維持)を続けられるよう決まり事をつくったり、都合よく規則を曲げている国や人々によって作り上げられているからです。
そして、何か悪いことが起こると、そのつけを支払わされるのは、弱い側に追いやられている人々です。

ティモシーさんがこの番組に参加したのは、ウクライナの状況について話すためだったのですが、そのおまけとして出てきた話がとても興味深かったです。

民主主義には、健康で良い議論がたくさん必要となるのですが、現状(多くの国々で民主主義は危うくなってきている)について聞かれたときのティモシーさんの応答は、「Hate Speech(ヘイト・スピーチ)も問題ではあるけれど、それよりも気にかかるのは、absence of engagement in kindness(優しさへの取組・関与の不在)と、人々がいうことを聞くことの能力の欠如」でした。
これは、相手の立場からものごとを見ようと努力し、相手がどう感じているかを理解しようとすることを意味しています。
ティモシーさんは、若い時ほど、こういったことを学び、経験し、鍛えることが重要だとしています。
これには、歴史を知っていることは不可欠です。
歴史とどう関係しているのかと戸惑うかもしれませんが、アメリカでもイギリスでも、システム的に行った人種差別や、イギリスの場合は地球の半分近くの国々を植民地化し、人々や資源を搾取しただけでなく、現地人(ほとんどの場合は、アフリカやアジアの有色人種。例外は白人主要国アイルランドーアイルランドの武力を使った独立戦争と独立の獲得は、他の植民地国より早く起こった)の大量殺害や虐殺の過去の上に現在の冨が築かれたという事実を、歴史で教えないようにする動きが強まっています。
自分たち(=白人たちのみ)が居心地悪く感じることは消し去り、都合のよいことだけを残すというものです。

でも、こういった動きは危険です。
ティモシーさんは、アメリカで、歴史や文学も含む人文学系の学部に対する予算が大きく削られていることを憂えています。

ティモシーさんは以下の内容を述べていました。

歴史や人文系学問(文学、語学、美術等)は、私たちに、他の見方も存在することを教えてくれます、それは、興味深く、世界を豊かにしてくれるものであり、私たちはその多様な豊かさに感謝すべきです。
歴史学や人文系学問を廃止すると、「私はいつも無実で、私はいつも正しい」という人々(=自分だけが正しく罪を犯すことなんて不可能で、他の人々は間違っていると決めつけて他の人々の見方を聞こうとも、知ろうともしない)が残されます。こういった見方の人々ばかりだと、Civil Society(市民社会)を築くことはできないし、法律を守ることもできないし、民主主義も成り立ちません。
私たちは、歴史学や人文系学問を削ることへの代償を既に支払っており、(歴史学や人類学を削ることを推進・実行している)人々は、自分たちが何をしているのか、なぜそうしているのか(=民主主義を破壊する。自分たちの既存特益を守り、さらに権力と金力を増やし世の中のほとんどの人々を支配し自分たちの思い通りにするためには、民主主義はじゃまになる)をよく理解しています。

ティモシーさんは、クリスティアンさんに、未来に向けて方向を変えられるかと聞かれ、それは可能だと断言していました。
私たちに必要なのは、(人間同士の)お互いを扱う(コミュニケートする)能力に注意を払うことです。その能力は、過去や、思索、本を読むことからくるものです。

最近、Israelism(イズラエリズム)というユダヤ系アメリカ人の若者たちがつくったドキュメンタリー映画を観ました。
そこでは、アメリカで育ち、ユダヤ系の学校やユダヤ系コミュニティーで育ち、「イスラエルは、誰もいなかった土地(歴史的パレスチナ地域)に、ヨーロッパでホロコーストも含めて迫害にあい続けたユダヤ人たちが、国連の保証のもとに国をつくった(イスラエルの建国の1948年には、歴史的パレスチナ地域には誰もいなかった)。もともとこの地域は、ユダヤ人が神から約束された土地で、ユダヤ人のものだった」という嘘のドグマ(教義)を信じ込まされていたことに気づき、パレスチナ人の人々の歴史や苦しみを理解し、歴史的パレスチナ地域にいる人すべてが同じ基本的人権と自由をもつために立ち上がるユダヤ系アメリカ人たちの話です。
事実を知るために、この若者たちは、イスラエルが違法に占領しているパレスチナ地域でパレスチナ人たちと話し、友人となり、彼ら/彼女らの生活やナラティヴを深い共感をもって理解します。
普通の人々の間でのブリッジができはじめれば、どんなに物理的に壁をつくっても、イスラエル政府のアパルトヘイト政策を続けることはどんどん難しくなるでしょう。

歴史を少し調べれば、歴史的パレスチナ地域は、多くのアラブ系の人々が住んでいて、コミュニティーを築いていたことは、明らかです。
また、イスラエル建国は、全く平和的なものではなく残虐で、ユダヤ人たちによって、多くの原住民であるパレスチナ人が殺されたり、モスクに人々がいるところを全員射殺されたり、焼き払われたりといった暴力的な手段が取られたことは、きちんと記録に残っています。
歴史学者からも信頼のおける内容の本がたくさん出ています。
このドグマを信じ込まされている若者たちは、アメリカでもトップレベルの大学へ行くことのできた、ある程度豊かな教養をもっているはずの人たちです。
なぜ、彼らはこんなめちゃくちゃな話を信じて疑いもしなかったのでしょう。

彼らが育っていく中で、イスラエル建国前のパレスチナ地域について語られることはなかったそうです。
イスラエルの歴史は、イスラエル建国から始まり、それ以前は、ユダヤ人は世界に散らばっていて迫害を受け続けた被害者というナラティヴ(これは事実ですが全体図ではなく省略していることがある)となり、数世紀にわたってそこに住んでいたパレスチナ原住民たちのことや、イスラエル建国時のユダヤ人からのパレスチナ原住民に対しての残虐な殺害や暴力についても全く語られないそうです。
これは、ユダヤ系イスラエル人にとって都合の悪い歴史を消し去っていますが、そうすることで、ますます平和や安全から遠ざかることになっています。
なぜなら、事実を知ったユダヤ系アメリカ人やユダヤ系イギリス人たちは、往々にして、すべての人々(ユダヤ系イスラエル人と原住民であるパレスチナ人すべて)の権利と自由が保障される平和な社会を求める考えと行動に変わっていくからです。

これは、アメリカだけでなく、イギリスでもユダヤ系のイギリス人たちから同じことはよく聞きました。
ユダヤ系イギリス人でジャーナリストになった人でも、若い頃はずっとその嘘を信じ続けて育ち、実際にジャーナリストとしてウェストバンクやガザに取材に行ったときに、ユダヤ系イスラエル兵たちの、普通のパレスチナ市民に対してのとてもひどい扱いに何度も遭遇し、やっとその嘘に気づき、歴史を調べ、何が実際に起きていたかを知ったそうです。その後は、パレスチナ人(イスラム教徒とキリスト教徒の両方)とユダヤ系イスラエル人・アラブ系イスラエル人たちがともに平和に生きられる世界にするためには、イスラエルがパレスチナ人に対する抑圧やアパルトヘイト、国際法違反である、不当なパレスチナ人市民の逮捕や日常的なパレスチナ市民への暴力や殺害、パレスチナ人の土地や家屋を殺害や暴力で盗むことをやめ、誰もが同じ権利と自由を享受することが欠かせない、という考えに変わったそうです。
また、ユダヤ系イスラエル人にしみ込んでいる教え「パレスチナ人が安全でない限り、ユダヤ系イスラエル人は安全(=常にパレスチナ人を暴力で押さえつけ、心理的な恐れに満ちて動けない状況、物理的に食べ物や水をコントロールし、飢えない程度・死なない程度の物資がわたることのみを許可する)」も、もう信じないということも言っていました。
これは、イスラエル政府の長年にわたる政策に反対しているユダヤ系の人々の言う「パレスチナ人が安全でない限り、ユダヤ系イスラエル人も安全ではない」ということばに反映されています。
ただ、彼も、ユダヤ系のコミュニティーの中で育っている間は、いつもこのナラティヴが語られ、それに疑問を呈するなんて思いつきもしなかったそうです。

このドキュメンタリー映画の中でも、「パレスチナ人は、ユダヤ人を殺すためだけに存在し、イスラエルを破壊することだけが存在目的で、野蛮で教養もない動物に近い人々」のように語る人々(大人や教育者)が出てくるのですが、それが本当なのか、もしそうならば、なぜ、そういった現象が起きているのか疑問を呈するひとはいません。
普通に考えれば、「特定のグループの人々を殺すためだけに生まれてきて存在する人々がいる」という前提をそのまま信じる人々がいる、ということは、受け入れがたいのですが、特定の状況下では、なんの疑問もなく「当然」と受け入れられていることもあります。

「当然」とされていることを疑い、自分で考えて調べ、他の立場にいる人々の意見も共感をもって、よく聞いて、自分の見方や意見をつくることは大切です。

このドキュメンタリー映画でも、真実に気づいて、イスラエル政府やイスラエル軍の行動や政策を批判し、パレスチナ人がイスラエル人と同等の権利と自由を得られるよう活動しはじめた若者は、ユダヤ系コミュニティーだけでなく、ユダヤ系の大きな団体や機関からも、とても大きなバックラッシュを受けます。家族から絶縁された人たちだっています。これは、ユダヤ人たちの間だけでなく、仲間や同じグループ・民族・国民と見なしていた人が、自分たちを批判することが許せない、という、ある意味原始的な反応でもあるでしょう。敵とみなしている人々からの批判よりも、味方・仲間だと思っていた人々からの批判を扱うのが難しいのは、どんなグループでも同じだと思います。
だからといって、長年親しかった人々から拒否されたり、さまざまな嫌がらせを受けるのがつらい経験であることは疑いようがないと思います。
でも、彼らは、真実を知り、自分たちの良心に従って行動することを選択することで、同じように思っている仲間たちにたくさん出会い、自分たちのコミュニティーを築いていきます
たまたま生まれ落ちる家庭や家族、国や民族、文化や宗教、時代は選択できませんが、どう生きるか、どういう仲間と生きていくかは選択できます。

新聞かエッセイかラジオか覚えていないのですが、どこかで「人々が、対等な立場で本当に相手に対する興味と共感をもって、相手の立場からみた見方や感じ方をお互いに真摯に聞けば、そこには憎しみも対立も存在しようがない」というのを聞いた記憶があります。
相手の立場に立って考えるには、全体的なこと、歴史、事実を知ることは不可欠です。たとえ、それが、自分や自分が所属する民族や国、グループにとってはとても居心地の悪い醜い事実だったとしても
醜い事実がある過去には、きちんと向き合い、必要な対応を行うことで、誰にとってもよい未来を分け合って共に生きていくことを可能とするでしょう。

【参考】
Timothy Snyder(ティモシー・スナイダー)さんの本
On Tyranny (日本語だと「暴政」と訳されているようです)
私は原本の英語版で読みましたが、分かりやすく書かれており、かつ短めなので、ぜひ英語で読むことをお勧めします。

Yoko Marta