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優しさや共感を基盤とした社会

Yoko Marta
13.02.24 06:08 PM Comment(s)

優しさや共感を基盤とした社会

イギリスの独立系新聞ガーディアン紙には、環境に強いベテランジャーナリストのGeorge Monbiot(ジョージ・モンビオット)さんが常駐エディターとし在籍しています。
ジョージさんは、環境問題があまり知られていなかった頃から、環境について書き、ときには、環境問題を理解したくない・理解しない人々を相手に、フラストレーションで涙を流しそうになったこともあることから、映画の「Don't look up」の主人公のうちの科学者にたとえられることもありますが、彼の環境に対する深い知識・洞察とパッションは本物です。
このジョージさんが、なぜトランプ元大統領が、アメリカでいまでに人気なのかを、社会や個人の価値観の変化という面からみた興味深いarticle(アーティクル/記事)を最近、発行しました。
ここから、無料で読めます。

ジョージさんが指摘しているのは、トランプ元大統領への根強い支持は、社会全体の価値観が、アメリカでは特にExtrinsic Value(エクストリンシック・ヴァリュー/付帯的価値)に極端にShift(シフト/移行)したからではないか、という仮説を展開しています。
このエクストリンシック・ヴァリューの対極にあるのは、Intrinsic Value(イントリンシック・ヴァリュー/本質的価値・内在する価値)となります。

Value(ヴァリュー)も、エクストリンシック・ヴァリュー、イントリンシック・ヴァリューも、日本語・日本文化にはない概念で、無理やり日本語にすると意味が完全に違ってくるので、英語のまま表記します。
ヨーロピアン言語のように、日本と文化が大きく違う場所でのことばが日本語に翻訳された文書は、すらすらと日本語で読めるために、実際の意味を捻じ曲げざるをえないものが大半であることは、理解しておく必要があるでしょう。
自分で原文を読んで考えることは、とても大切です。

英語での、心理学的に使われるヴァリューは、私たちが何を人生の中で重要なことだと信じているかをあらわします
私たちは、生まれたときには、ヴァリューはもっていません
自分が生まれ落ちた家庭や、コミュニティ―、社会や政治状況等によって、無意識・意識的にヴァリューはつくられていきます。
ヨーロッパでは、ヴァリューは人として生きていく上でとても大切なもので、一生をかけて育て、鍛えていくものです。
ヴァリューについて、語ることもよくあります。
私たちの決定や言動は、意識していてもしてなくても、このヴァリューに基づいているときが多いです。
そのため、自分がどういうヴァリューをもっているのかを知ろうとするのは大事なことです。

イントリンシック・ヴァリューを強くもっている人々は、共感があり、親密性があり、自分をそのまま受け入れられる傾向にあります。
彼ら/彼女らは、新たなチャレンジや変化にオープンで、universal rights (ユニヴァーサル・ライツ/普遍的な権利ː 世界中の誰もが区別や差別なしに基本的人権と自由にアクセスがあるべき等)、equality(イクォーリティー/日本語の「平等」とは大きく違いますː 例)教育や職業について平等に同じ機会があるーただし個人の特性は違うので結果が同じになることを指しているわけではない)に深い関心があり、他の人々や私たちが住んでいる自然や環境を保護します。
イントリンシック・ヴァリューは、「自分」という小さな枠を越えて、世界中の人々に共感する気持ちをもったり、世界全体が良い場所となるよう行動することにもつながります。

エクストリンシック・ヴァリューを強くもっている人々は、Prestige(プレスティージ/評判・名声)・Status(ステータス/地位・立場)・Power(パワー/権力)・Wealth(ウェルス/金銭的に富裕)Image(イメージ)といった、「他のひとに自分はどう映っているか(周りの人より優位で支配的な立場にいたい)自分だけへの報酬や恩恵・称賛されること」に動機づけられています。 
そのため、他の人を妬んだり、周りの人々より常に優位に立ち支配しようとして意味のない競争をしたり、人々を操作しようとすること(自分をよく見せるために、事実ではない他の人の噂をながし、優位にたとうとする等)につながりやすいです。
彼ら・彼女らは、他の人々をモノ扱いしたり、搾取したり、攻撃的で無礼なふるまいをしたり、社会や環境に対するインパクトを無視した行動(=自分さえ良ければ、周りの人々や環境に何が起ころうとどうでもいい)を取りがちです。
彼ら・彼女らは、協力することやコミュニティ―にはほぼ関心がありません。
こういう人々は、欲求不満、不満足感、ストレス、心配、怒りや衝動的な行動をおこしがちです。
エクストリンシック・ヴァリューの極端な例は、アメリカの元トランプ大統領のように、やたらと「Winner(ウィナー/勝者)」と「Looser(ルーサー/敗者)」を連呼し、自分が勝者であると印象づけようとすることも含みます。彼は、ゴルフでも「ズル」を始終することでも知られており、勝ったという印象づけをするためならどんな汚い手でも使うことを表しています。また、経済的な富裕さを実際より数十倍も多く見積もった嘘をついたり、娘も含めた女性をモノのように扱うのも、このエクストリンシック・ヴァリューからきています。

アメリカでは、リーガン元大統領以降、イギリスでは同時期のサッチャー元首相以降に、政治的に、エクストリンシック・ヴァリューへの移行が大きく行われました。
政治的状況の変化は社会にも大きく影響します。

もし人々が残酷で貪欲な政治システム下で生きていれば、人々は、それを当たり前のことと感じ内在化させ、社会を支配する要求を吸収し、それらをエクストリンシック・ヴァリューに翻訳します。そして、これは、さらにもっと残酷で貪欲な政治状況をつくりだすことを可能にします

でも、反対に、人々が、誰一人貧困に陥ることがなく、社会通念・規範が、「優しさ・共感・コミュニティー・欠乏や恐怖からの自由」に特徴づけられている政治システム下で生きていれば、彼ら・彼女らのヴァリューは、自然とイントリンシック・ヴァリューが強いものとなるでしょう。
この政治からのフィードバックは、社会的・個人的なレベルでも起こります。

強いエクストリンシック・ヴァリューは、しばしばinsecurity(インセキュリティー/不安感・自信喪失)や満たされない要求や必要性の結果であり、これらのエクストリンシック・ヴァリューは、さらに強い不安感と満たされない要求や必要性を引き起こします

ただ、この不安感については、マーケティングで作為的につくりだされたものがほとんどであることを理解しておく必要があります。
(例/極端な体形や顔のパーツの形を理想的なもの、絶対にもたなくてはならないもの、としてマーケティング→ その体形や顔のパーツをもつことが可能になると信じさせるような新しい商品やサービスの売り出しで、新たな市場を作り出し儲ける/実際には何かが不足しているわけでも必要なわけでもないところに、人々の不安感をつくりだし、増大させ、人々の不安や恐怖感を最大限に利用して金儲けを行う=企業や少数の個人はもうかるが、社会全体にとても悪い影響を与える

そもそも、アメリカン・ドリーム自体が、どんな手段を使ってでも物質的な富を得て、他の人々の必要性や要求を考慮することなしに極限なくお金を使うという土台があるところに、リーガン元大統領のあたりで、ネオ・リベラリズムが入ってきて、さらにエクストリンシック・ヴァリューが加速されました。

この流れには、政治だけでなく、ポピュラー・カルチャー(特定の社会・時代で芸術や娯楽・マスメディア・スポーツ等で一般的な、マジョリティーが支配する文化)からの、「失敗」と「成功」という毒性のある神話が付随しています。
この毒性のある神話では、「どのような手段をつかっても(物質的な)富を得ることがゴール」です。
いたるところにある広告や、社会の商業化(ひとびとを「消費者」としてのみ見なし、常にサービスや商品を売りつける対象として扱う)、商業主義の台頭は、有名になることやファッションに執着したメディアとともに、この毒性のある神話をさらに強化しました。
先述したように、人々の不安を(新たに)作り出し、さらに不安をかきたてるようなマーケティング(特に身体の見かけをつかう)で、人々は、その不安を、お金や有名さや権力で埋めようとし、エクストリンシック・ヴァリューを培養する完璧な場所となっています。これは、アメリカだけでなく、他の多くの国々でも起こっていることです。 

このエクストリンシック・ヴァリューへの移行をしめす古典的なサインは、「個人を非難する」ことです。

イギリスでは、第二次世界大戦直後にはイントリンシック・ヴァリューが強く、誰でもが無料で医療を受けられるNHS(National Health Service/国民医療)が設立され、全大学の授業料無料(イギリスもヨーロッパもほぼすべての大学は国立)、労働組合も強く労働者の権利が守られていた時代から、サッチャー元首相時代のネオ・リベラルに強く偏った政策をへてエクストリンシック・ヴァリューへの移行は急速に強まり、今は、なんと家がなくて路上で過ごさざるをえない人々を牢獄にいれ、その上に2500ポンド(約47万円)の罰金を課すという法案が提出されています。
もともとそんな罰金を支払うことができるのであれば、路上生活はしていません。
また、現在のイギリスでは、労働者の権利がとても弱くなり、フルタイムで仕事をしていても賃金が低すぎ、かつ質の悪い家に高い家賃を払う必要があるため、路上生活、或いは家を借りられない人々もどんどん増えてきています。
政府は、家がない人に牢獄を提供することはしても、人として尊厳をもって暮らせるような家を提供することはしません。
イギリスは、世界の中でもまだ裕福な国の一つで、路上生活をせざるをえない人々に尊厳をもって暮らせるレベルの家や暮らしを提供することは可能であり、そうしないのは、政治上の選択です。
この法案での大事なポイントは、多くの場合、貧困は政府の政策によって作り出されたものであるにも関わらず、貧困になった人々が非難され、ときには犯罪者にされたるすることです。
私たちは、社会が右傾化していく道程を話し、格差や分断化について話します。
私たちは、孤立やメンタルヘルスの危機について話します。
でも、これらのトレンドの根底にあるのは、ヴァリューの移行です。
これが、多くの私たちの機能不全の原因です。

社会が、Prestige(プレスティージ/評判・名声)・Status(ステータス/地位・立場)・Power(パワー/権力)・Dominance (ドミナンス/支配)、Wealth(ウェルス/金銭的に富裕)、Image(イメージ)で価値を決めるとき、当然ながら欲求不満や失望をうみだします。
なぜなら、数学的に誰もが一番にはなれないからです。
経済的なエリート(もともと貴族階級だったり政治的な強いコネクションがあったり経済的に豊かな家庭にたまたま生まれた人々が大多数)が奪えば奪うほど、残りの人々は負けるしかありません。
この後に続く失望に対して誰かが非難されなければなりません。
勝者を崇拝する文化では、勝者を非難することはできません。
非難されるべきは、富は平等に分配され、誰もが忘れ去られることのない、コミュニティーや地球の自然や環境が保護されているような、優しい世界を求める人々でなければならない、ということになります。
強いエクストリンシック・ヴァリューを持っている人々は、自分たちを代表するようなひとに投票するので、トランプ元大統領のような人に投票します。
アメリカが行くところに、他の国々にいる人たちも従います。

トランプ元大統領が再び大統領になることがあるとすれば、それは(分かりやすい)年老いた白人男性の人種に対する怒り(=以前は白人でさえあれば、黒人や有色人種を支配し優位にたち、有色人種に何をしても罪になることはなかったのに、今は有色人種も白人と同じような権利をもちはじめた)やカルチャー・ウォーの武器化といった要素だけではありません。
それは、とても深く私たちの心理や社会に埋め込まれて、そこにあることすら忘れ去られているヴァリュー(エクストリンシック・ヴァリューへ)の結果でもあります。

 日本語で、「自分軸」と「他人軸」ということばがあるようですが、どちらもが、エクストリンシック・ヴァリューに入るとみられるものの、「自分軸」はエクストリンシック・ヴァリューの中でも、「他人軸」と比べると、少しイントリンシック・ヴァリュー寄りだと感じます。
日本だけに住んでいると見えづらいと思いますが、いったんヨーロッパのようにイントリンシック・ヴァリューが息づいていた時代が見える場所にいると、日本がいかにエクストリンシック・ヴァリューに基づき、かつ消費者社会であるかが理解できるようになります。
アメリカのような極端な個人主義と比べて、アメリカでの「個人」が、日本の場合は、「自分の身内と会社人間関係」ぐらいに広がっただけの違いで、基本はエクストリンシック・ヴァリューに特有の世界観、「dog-eat-dog(犬が犬を食べる=たとえほかの人々に危害を及ぼすことになったとしても、自分の成功や欲望を満たすためなら人々はなんでもする=どんな手を使っても勝たなくてはいけない。汚い手を使うことを拒否したり、生まれつきマイノリティーで機会がなくて負けた人々は敗者で、社会のどん底に押しやられても助けがないのは当然で、敗者自身の自己責任。恐怖を基盤にした社会)」が見えるように思います。
そういう社会では、イントリンシック・ヴァリューをもった、まともな優しい人々や、たまたまマイノリティーに生まれ落ちた人々や、マイノリティーに人生の途中でなった人々が、とても生きづらい思いをするのは明らかでしょう。

でも、社会規範は、その時代のその場所に住んでいる人々によって作られた・保持されているもので、変えられるものです。
誰もが安心して暮らせ、優しさや共感を基盤とした、イントリンシック・ヴァリューが強い社会をつくっていくためには、一人一人が、イントリンシック・ヴァリューを鍛えていくことが重要でしょう。
一人一人が変われば、社会も変わり、社会が変れば政治も変わります。
社会や政治は、なかなか変わらないように見えるかもしれませんが、一人一人が変わっていく段階では、表面上は見えなくても、地下で多くのことが変っていき、Tipping point(ティッピング・ポイント/何か重要なことが起こることの転換点)が突然やってきます
このティッピング・ポイントがいつかやってくることは確実なので、希望を失わず、行動しつづけていくことが大切です。

Yoko Marta