VAWG(女子と女性への暴力)に対するイギリスの取組 ①

Yoko Marta
26.07.24 03:31 PM - Comment(s)

加害をどう起こさないようにするかに主眼

The UK(イギリス、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドの連合4か国)では、つい最近、Violence Against Women and Girls(略称でVAWGとよばれる/女性と女子に対する暴力)が、国家への脅威として、テロリズムと同じレベルで扱うこととなりました。

この暴力には、ストーキング、ハラスメント、ドメスティックヴァイオレンス(身体的、心理的、経済的、心理操作も含む)、家庭内虐待、性的な暴行等が含まれます。
子供や女性に対しての暴力(身体的にだけでなく、心理的・経済的、グルーミング、オンライン上での実際の身体的な接触をしないもの、オンライン上の顔のイメージを切り取り別のボディーを合成した性的なイメージも含む)については、イギリスの法律は、日本よりもはるかに厳しく、日本では犯罪として罰せられない多くのことが犯罪として認定され、罰せられます
また、社会のノーム(風潮)として、日本での子供や女性への暴力に対して許容する範囲がとても深く広いのは、ヨーロッパの一般的な感覚からすると衝撃なのは、意識しておく必要があると思います。
ヨーロッパでは、一般的に10代以下や10代の子供(イギリスでは18歳までは子供)に性的な興味を示す大人は子供に(=社会に)危険を及ぼす存在だと認識されます。
子供たちは男女に関わらず、社会や大人が守るべき存在であって、子供たちの力・立場が弱いこと(=身体的な力が弱い、心理的な成熟性が育ちきっていない、社会的な地位がない、経済力がない、ネットワーク力が形成されていない、社会での経験が少ない、人間関係での経験の少なさ等さまざま)を利用して大人が搾取するべきではないことは、健康な社会を築く上でとても重要で当然なことだと認識されています。
また、自分の言うことをなんでも相手が聞くような主従関係のあるパートナーを選ぶことも稀で、対等な関係を望むのが普通です。
「対等」というのは、収入を得る仕事をしているかどうか、職業の種類、収入、学歴、社会での地位といった表面的なものではなく、ひととして対等でお互いを尊敬し、お互いのバウンダリー・権利・希望を尊重しお互いが協力しながら生きていける関係です。

イギリスの最近の調査では、子供間での加害・被害が増えていることについて、危機感が高まっています。
上記の調査の中には、性加害の加害者の平均年齢は15歳、被害者の平均年齢は13歳とありました。
だからこそ、性教育が幼児から始まるのは大切だと認識されています。

日本だと、「いかに被害者が被害にあわないようにするか」という、まるで被害者が加害者に対するコントロールをもっているかのような、被害者が加害者に加害を起こさせているかということを暗示するかのような間違ったフレーミングがまかり通っているようですが、イギリスを含むヨーロッパでは、「加害者が100パーセント悪く、どんな状況であろうと被害者には全く非はない。加害者がいなければ、被害者は存在しない。加害者は加害をしないという選択ができたのに、加害をするという選択を行った。(=被害者には被害に遭わないという選択肢はない)」ということで、加害をするという選択をしない加害の結果について加害者にきちんと責任を取らせる、それと同時に加害者は教育とトレーニングプログラムを受け、二度と間違った選択(=加害)を行わないよう、働きかけることが主眼となります。

よく聞いている、左寄りのメディア、Novara Mediaのポッドキャストを聞いていると、男子・男性の加害を起こさないように取り組んでいる団体、Beyond Equality(ビヨンド・イクォリティ/平等であることを越えて)の代表者、Daniel Guiness(ダニエル・ギネス)さんが登場して、興味深いお話をしていました。

極端なMythosyny(ミソジニー/女性嫌悪・女性憎悪・女性蔑視・女性差別)を広めているとして、イギリスでよく引き合いにあがるのは、インフルエンサーのアメリカン・ブリティッシュのAndrew Tate(アンドリュー・テイト)です。彼は、現在は、レイプとトラフィッキングの容疑でルーマニアで拘留されていますが、若い男性たちからの評価は今も高いそうです。
アンドリュー・テイトの影響(=オンラインが与える影響)について聞かれたダニエルさんは、以下のように答えていました。

ミソジニーは、多くの人々の心の内側に既に深く植え付けられたもので、オンラインやアンドリュー・テイトは、それを正当化したり理論的に説明するためのvocabrary(ヴォキャブラリー/語彙)を与え、ミソジニーを急速化させているだけ。」

でも、ミソジニーの考えをもって生まれてくるひとはいません
これは、生まれ育つ中で、社会や文化(メディアも含む)、親戚や家族といった周りの人々の明確な言動だけでなく、ことばを伴わない行動をただ目にすることや、メディアからも形作られます

ダニエルさんは、多くの女子・女性への暴力の圧倒的な多くが、男子・男性によって行われることについても述べ、これは男性の問題である、としています。
根底には、社会での男女の不平等さがあり、構造的・体系的な問題であるとしています。

イギリスでは特に、若い人々の間で性行為の中で、Choking(チョーキング/首絞め・窒息)が普通のこととして受け止められていることが危険視されています。
それについてダニエルさんは、メインストリーム(社会で主流となっている)ポルノが大きな問題だとしていました。
子供・若い人々(イギリスでは18歳以下は子供)は、ポルノを初めて目にする機会が早まっており(サッカー観戦やゲーミングのサイトのポップアップでポルノが出てくるのはよく知られていますが、大企業の政治家への影響は強く、なかなか取締る法律が可決されない)、きちんとトレーニングを受けた教育者や、信頼できる大人たちから、健康な人間関係・性について学べないのは、とても大きな課題です。
ダニエルさんは、これらの嘘でできたポルノをみた子供たちが、これが親密な関係のありかただと学ぶことは問題だとしていました。
なぜなら、これらのポルノでは、合意は全くなく、男性側の欲望と満足感のみにフォーカスがあてられ、女性は疑問をもたず、会話もなく、ただ男性の行動を受け入れなければならない、といったお決まりのパターン(=女性を性的消費の対象とし、モノ化・非人間化する)だからです。
こういったものが普通と取られると、窒息させられて死ぬ可能性もある女子・女性側も、そういった行為はあってもそれが普通、と思い始める可能性も高く、非常に危険です。

この状況を変えることは可能なのでしょうか?

ダニエルさんは、可能だとしています。

オンラインについては、ダニエルさんは、子供たちがオンラインでみていることと、現実世界・本当のことを分けることができるよう、digital literacy(ディジタル・リタラシー/デジタルリテラシー=より正しい情報を見極めることも含む)を高めることが大切だとしていました。
また、性的な関係の前に、まず健康な人間関係が築けていることが大切です。
性的な関係でいうと、何が許容範囲で、何が許容範囲でないか、ということは、社会的に構築されているものだということを理解しておく必要があります。
ダニエルさんの少年・青年時代に人気のあったテレビ番組や映画では、女性がNoを何度言っても、男性側が押し続け、無理やり関係を迫るというのは普通の場面でしたが現在では、そういった場面は社会的に受け入れられないものとなっています。
数十年で、社会は大きく変わりました

ダニエルさんは、予防(=加害をする言動が起こるような土壌をなくす)が一番大切だとしています。
同時に、ダニエルさんが何度も強調していたのは、responsibility(レスポンシビリティー/言動への責任と結果を引き受けること)です。

女子・女性への性加害は、社会全体の女性蔑視や女性嫌悪等が大きく影響しているとはいえ、実際にほかの人々の心身を傷つけるような言動に対しては、責任が伴い、その結果を取らせなくてはなりません
たとえ、相手の心身を傷つけることを意図していなかったとしても、大事なのは、相手にどういうインパクトを与えたかということです。
傷つける意図はなかったといっても、実際に傷つける言動を行ったのであれば、それについて責任を取り、その結果(刑法に触れることであれば、その刑法に沿った結果)を受けなければなりません。
ヨーロッパでは、日本のような「若い男性の将来を奪ってはいけない」「悪気はなかったのだから、許してやれ」「男性の性的な衝動はおさえられない」「(女性が被害者でそれが社会に知られると)結婚できなくなるので誰にも言うな」等の、嘘にみちた神話は存在しません。
誰でも(障害等で判断が全くできない場合は除いて)自分の言動を選択する自由とエージェンシー(主体性)があり、悪い選択をしてほかの人々の権利や尊厳を傷つけたのであれば、その責任を取るのは当然です。
そうでなければ、こういった人々は同じことを繰り返し、次はもっと悪いことへとエスカレートする可能性を高めます。
また、それを日常的にみる人々も、悪いことをしてもなんの責任を取ることがないと知れば、もっと多くの人々が同じことをするでしょう。

また、性被害にあったことが、そのひとの人間としての価値を壊すかのような神話もヨーロッパ一般には存在しません。
被害者は心身に大きな衝撃を受けますが、それと、ひととしての価値は全く別なことです。
性被害だろうと、いじめや強盗の被害にあおうとも、そのひとの、ひととしての価値が損なわれることはありません
強盗にあった被害者が責められることは稀なのに、性加害にあった被害者が責められるのは、性被害にあう被害者は圧倒的に女子・女性で、加害者は圧倒的に男性であることも、社会の構造的な仕組を表しているでしょう。
これで、得をしているのは、犯罪をおかした男性のみです。
なぜなら、こういった神話がまかりとおれば、被害にあったひとは、沈黙するしかなくなるから、加害者は加害についての責任を取る恐れも、必要もありません。
また、次回のダニエルさんのほかのインタビューからについての記事について書く時に含めますが、こういった女子や女性に性加害を行う男性は、周りの男性たちにもひどい言動をしている可能性が高く、誰かを非人間化する人々は、自分自身のことも非人間化している側面も覚えておく必要があります。

ダニエルさんは、compassion(コンパッション)やempathy(エンパシー)も重要で、これらは、成長・発育させる必要があるとしています。
なぜなら、人々はこれらを潜在的にもっているものの、植物のように根気強く育てないと芽を出せないからです。

誰かの言動が変わるには、変わるための開かれたスペースが必要です。
彼らがどんな経験をしてきたのか、何を望んでいるのか、彼らはどのように世界をみているのか、といったことを、ジャッジされずに安心して話せる場所が必要です。
そうすることで、自分たちの言動や自分たちがもっている態度・考え方・立ち居振る舞いが、どのように他の人々に影響を与えているのかに気づくことができます
この探索的な段階はとても大切です。

この探索的な段階で、彼らは、人々は、何かをするとき、何もないところからではなく、自分が教えられたことや、無意識に周りの人々や社会から学びとったことから、何かをしている、ということに気づきます。
何が許容範囲で何が許されないことなのか、何が自分たちにとって利益があり(=得になり)、結果がある(=自分の言動の結果についての責任を取らされる)のか、ないのかを、学びます。
これは、社会的に構築されたもので、絶対に変えられないものでもなければ、真実というわけでもありません。
この探索的な段階は、自分たちの周りの人々、家族や親戚や仲良しの叔父さんの言動にも気づき、立ち向かうことにつながります。

若い男子・男性たちは、自分たちが既に経験したことについて、これらのsocialisation(ソーシャライゼィション/社会の規範や価値観を学んで、その社会における自分の位置を確立すること)を明確にする必要があります。

子供たちの言動は、私たち大人がつくっている社会のノーム(風潮)から大きく影響され、形作られています。
女子・女性たちへの暴力をなくすことは可能だし、なくならなくてはなりません。
そのためには、法律が変わるだけでなく、私たち大人が日々、見本となる言動(男女差別をしない、女性蔑視やハラスメントの言動には誰もがチャレンジする等)をするよう、努力し続けることも大切です。

次回は、ダニエルさんの別のインタビューでの、ポジティヴなマスキュリニティー(ポジティヴな男性性)を育てる試みについてお話します。
ここには、従来の毒性のある神話「男性はProvider(プロヴァイダー/一家の大黒柱で、家族全員を養い守る)でなければならない」を壊し、自分たちの望む新たな社会のノーム(風潮)を作り、男性同士が安心して弱い部分も見せられ、お互いに相談・協力できる社会(=立場が弱いひとへの暴力が生じない土壌)をつくることが含まれています。

Yoko Marta