人間のランキング化が引き起こすこと
人間のランキング化が引き起こすこと
Owen Jones(オーウェン・ジョーンズ)さんは、ブリティッシュ・ジャーナリスト、アクティヴィストでもあります。
このオーウェンさんのポッドキャストに、パレスチナ出身・育ちで、イギリスに拠点をおいているアカデミック・作家のAhmed Masoud(アフメッド・マスゥド)さんが登場していました。
パレスチナに関する報道は、イギリスを含む西側諸国のでのMainstream(メインストリーム/主流ーBBCや大手新聞会社)は非常に偏っていることは、メインストリームに所属しない(=グローバル企業の株主等の意向に左右されない)ジャーナリストや、専門家たちからも指摘されています。
ここでは、メインストリームのジャーナリストからの質問される内容や、記事の報道のしかた(見出しのつけかた)、何を報道して何を報道しないか(例/イスラエル政府が歴史的に何度もパレスチナ人や領土の扱いについて嘘をついているにも関わらず、イスラエル政府のいうことはそのまま真実だとして報道し、パレスチナ人市民がイスラエルの空爆やドローン攻撃されていることは報道しない)等、さまざまなことが含まれます。
アフメッドさんは、2023年10月7日のハマスのイスラエル襲撃以来、多くのメインストリームのテレビやジャーナリストたちから取材を申し込まれ続けたそうですが、すべて断り続けているそうです。
なぜなら、偏った質問ばかりで、既に「パレスチナ人はすべて野蛮でテロリストで、イスラエルは民主主義で洗練されて文化度が高い国で永遠の被害者」という角度から切り取られることが分かっていたからです。
オーウェンさんは、メインストリームに真っ向から対決して、事実を伝えようとしているところから、アフメッドさんの参加となりました。
アフメッドさんもオーウェンさんも、(西側諸国の)メインストリームの報道では、既にパレスチナ人は非人間化されていることに、合意をします。
ハマスの襲撃は、市民に対する暴力・殺人があり、それを肯定する人々はまずいないでしょう。
でも、そこで、この襲撃は何もないところに起きたわけではなく、1948年に起きた75万人の原住民であるパレスチナ人が暴力や殺人をもとに、自分たちが数世紀にわたって暮らしてきた土地を追い出され、現在も多くが歴史的パレスチナ地域だけでなく、隣国の複数の国々で難民として暮らしていること、歴史的パレスチナ地域で国際法でパレスチナの人々の土地と定められた場所でさえ、イスラエルが暴力や殺人を通して違法に盗む、或いは法律を捻じ曲げて合法的に盗んでいること、それと同時にイスラエル軍の軍事占拠に反対する平和なデモンストレーションをパレスチナ人たちが起こしたときは、何も武器をもっていないパレスチナ人の多くがイスラエル軍によって殺されたのにイスラエルは全く責任を取らなかったこと、長年の間多くの子供を含むパレスチナ人たちが罪状なしでイスラエルの牢獄へ閉じ込められたり拷問を受けていること等のニュアンスを話そうとすると、すぐに遮られ、「パレスチナ人が野蛮で悪く、イスラエルは文化的な民族でいつも正しい」というナラティヴからはずれることを許されません。
それでもなんとか歴史や事実を語ろうとすると、「きみはテロリストの味方だ」と言われ、この西側諸国メディアの狡猾に用意されたフレーミングから抜け出して真実を話すことはほぼ不可能です。
ずいぶん長い間、イスラエルの高官が「パレスチナ人は動物以下だ」といった虐殺の意図があるととられたとしても仕方のない、とんでもない発言を行っても、メインストリームのニュース番組では誰も、その言動にチャレンジしません。
これは、イスラエル以外の国に対しては、考えられないことです。
もちろん、ヨーロッパでは、白人至上主義や非白人を下にみることは、数百年にわたる植民地化の歴史からも、多くの人々の意識・無意識に根付いてはいるものの、あからさまな人種差別が公で行われることは、既に許されなくなって長い時間がたっています。
ここには、非白人であることを含めて、イスラム教徒に対する(意図的につくられた)さげすみや憎しみも入っていると考えられています。
これは、アメリカとイギリスがでっちあげた嘘の理由(イラクが大量破壊兵器を所有している)でイラク侵略を行い、石油(イラクの石油埋蔵量は世界の中でもとても大きい)をかすめ取ったときにも、利用されています。
ちなみに、イランが民主主義で政府を選んだ時も、元植民地宗主国でイランの石油の利権を握っていたイギリスは、アメリカも巻き込んで、この民主主義で選ばれた政府が、イランの資源である石油を正当な権利で国営化しようとしたことで、軍事クーデーターを起こし、西側の傀儡政権をインストールしたこともよく知られていることです。
イランは、民主主義政府をイギリスとアメリカからつぶされて以降、民主主義からはほど遠く、西側諸国からの経済制裁も続いており、庶民にとっては苦しい時代が続いています。
オーウェンさんは、もし、パレスチナ人がほかの人々(先進国である白人主要国)と同じ権利がある人間であると考えられていれば、今回の虐殺にも、市民が多く住む地域に大きな爆弾を落とし始めた段階で、多くの人々や先進国の政府も、イスラエルに即座にやめるよう、大声で言っていたでしょう、として、アフメッドさんに、パレスチナ人の非人間化がどのような影響を与えているのかをアフメッドさんに聞きます。
また、西側諸国でまかり通っている議論、「一人のテロリストを殺すために、(パレスチナ)市民を何人まで巻き込んで殺すことは妥当か」というフレーミングも、非人間的であることに気づく必要があります。
市民を一人でも巻き込んでいいわけはありません。
もし、アメリカやイギリスで、テロリストが一人いるからといって、数百人の市民がいる病院や学校に大きな爆弾を落とすことを、議論の余地がある(テロリストを殺すためなら、市民を殺してもかまわない)と思う人はいないでしょう。
ここにも、非白人で非キリスト教徒を無意識・意識的に非人間化することが起こっています。
アフメッドさんは、以下のように答えています。
これはハードです。
なぜなら、(メディアでのパレスチナ人の非人間化は)他の人々にも、パレスチナ人を非人間化することを許します。
毎日あう同僚や近所の人々、見知らぬ路上であうひとびと、これらの人々は普段からBBC(イギリスの国営放送)やメインストリーム・メディアをみていて、これらのメディアで(意識的・無意識的に)どうパレスチナ人が、人間ランキングされているのかを毎日みて、それをもとに、私たち(パレスチナ人)をsecond class citizen(セカンドクラス・シティズン/二流市民、準市民)として扱います。
メディアからのたくさんの例、例えば、パレスチナ人が殺害された人数について、「100 people died(100人の(パレスチナ)人が死んだ)」と報道され、「100 people were killed by Israeli (100人の(パレスチナ)人がイスラエルに殺された)」とは報道されません。
また、(パレスチナ人の)殺された人数は、「ハマスが運営している保健省からの情報」と報道し、多くの国際機関からこの数字はかなり正確であることが長年にわたって認められているにも関わらず、この情報は信じるに値しないとの印象をつくりだします。
基本的に、これらのメッセージが伝えているのは、「これらの(死んだ)人々を気にかける必要はありません。彼ら(=パレスチナ人、パレスチナ機関)は嘘つきで、みんなテロリストで、私たち(=西側諸国のメディア)は、この(殺害されたとされる)人数を信じることすらありません」
でも、この100人の人々の中には、学校に避難していた無実の市民がいたことを私(=アフメッドさん)は知っています。
私は、ほかにも数えきれないくらいの同じような例を挙げることができます。
でも、このパレスチナ人を非人間化し、このことを話す価値すらないとしているのは、ほかの領域、たとえば劇場、文化にも転化されます。
人々は恐れています。
(アフメッドさんは演劇にも関わっていて)演劇を上演するだけでも、パレスチナ人が関っていると多くの批判の目が向けられ、上映するために多くの説得を必要とします。
何人かの友達は、標的にされました。
また、(イギリス政府はウクライナからの避難民には特別なビザ制度を素早く設けて多くの避難民を受け入れたのに)イギリス政府は、パレスチナからの避難民について、話し合いすらしません。
最後に、オーウェンさんは、「難しいとは思いますが、何か希望がもてることはありますか、大多数のUK(イギリス、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドの連合4か国)の人々はパレスチナ人をサポートしています。特に若い人々は」と質問しています。
アフメッドさんの答えは、パレスチナの偉大な詩人Mahmoud Darwish(マフムード・ダルウィーシュ)さんから「私たちは、囚人が行うことをします。私たちは、希望をcultivate(カルティヴェィト/栽培、育てる)します。人生は希望という広大さがなければ、窮屈です」を引用していました。
同時に、「私たち(歴史的パレスチナ地域に住むすべての人々ー人種や宗教に関係なく)は、対等・平等でなくてはなりません。ここには、政治的なスタンス、Boycott, Divestment, and Sanctions(ボイコット、投資撤収、制裁)、武器の輸出禁止、経済制裁といった、確固としたアクションがなければなりません。そうでなければ、それはただのことば(=なんの効果もない)です。」
一般の人々ができることは何かとオーウェンさんに聞かれて、アフメッドさんは、「ガザで起きている真実をリトゥイートしたり、拡散するのは、ガザでの真実がテック大企業によって制限されている現状をうち破るのに役立つし、パレスチナ文学や詩、レシピについて語ることも、パレスチナ人を誰とも同じ人間としてみることを助けます。私たちはみんな、同じ人間です。」と言っていました。
パレスチナで起きている虐殺・民族浄化については、すぐに終わらないといけないし、加害については、正義が行われる(=加害者は公平な裁判で裁かれ、責任を取る)必要がありますが、この非人間化、人間のランキング化については、誰もがよく考えるべきことでしょう。
ヨーロッパにいると、非白人への意識的・無意識的な差別や、システム的な差別はまだ存在するものの、法律できちんと何が差別か規定され、行動にうつせばかなり厳しい罰が確実におります。
これは、日常的な働く場所や、公共交通機関にも適用されます。
でも、日常の生活で、日本のように、常に誰が「上」で「下」かということが暗黙に決められたり、年齢や性別や社会的地位、経済状況等で自分やほかの人々を「上」や「下」において、ことばづかいやふるまい、態度を変えることはありません。
基本は、(神の前に)人間は誰もが対等だから、です。
会社でも、上司だからといって部下に怒鳴り散らすと、注意を受け解雇が近づくのは上司だし、上司の指示に対して、部下が明確に理由を求めるのもごく普通だし、上司も部下もファーストネームで呼びあい、会社の中でのレポートラインという面では違いはあるものの、人間としては対等です。
レポートラインで流れの上にいるからといって、怒鳴ったりして誰かの尊厳を傷つけていい理由はどこにもないし、ふつうの人々も社会もそういったふるまいを許しません。
人間をランキング付けしはじめれば、自分より「下」と見なした人々を非人間化する可能性はとても高くなります。
誰かを非人間化すれば、その人に対して、いじめやハラスメントを行うハードルはとても低くなります。
ひどいハラスメントやいじめを行う人たちは特別な人たちではなく、私たち誰でもが、加害者になりえます。
加害する機会を巧妙に作り出す病的な加害者も少数は存在するものの、多くはOpportunist(オポチュニスト/出来心で(犯罪や悪いことを)行う)で、どこにでもいるような、普段は善良な人々で、自分自身が悪いことを行うとは想像することすらないひとが、機会が目の前に現れたときに、加害を行う選択をしてしまうことには留意しておく必要があります。
加害を行える機会があっても、それを選択しない自由が私たち、一人一人にあるし、それを選ぶ必要があります。
普段から、どんな状況にあっても、どんなに小さなことでも、正しい選択を考えて行うことを習慣にして、筋肉のように鍛えておかないと、「誰もみていないから/誰かにとがめられたり、罰せられたり、責任を取らされる可能性は低いから/被害者は絶対に誰にも言ったり訴えたり逆らったりしないだろうから(=加害の責任を取らなくてすむ)/誰もがやっているから/自分のせいではなく被害者が自分をこの行動へと走らせた」等の勝手な言い訳で、加害の首謀者、あるいは加害の加担者、加害の傍観者へと簡単になってしまうことは心に留めておく必要があります。
子供たちは、倫理観を育てている間なので、大人たちは、成熟した倫理観を育てる手伝いをする必要があります。
日本では「子供は動物と同じ(ことばで説得してもわからないから、暴力を使わざるをえない)」ということばを簡単につかっているのを聞きますが、非人間化は、日常のことばから始まることを覚えておく必要があります。
ユダヤ人虐殺も、はじまりは、「ユダヤ人はどぶねずみだ」といったような稚拙な侮辱のことばでした。
小さなことでも、非人間化につながることは、初期の段階で止めなければなりません。
それと同時に、私たちの文化や慣習のなかに、こういった誰かを非人間化する気持ちが眠っていないかをチェックする必要があります。
それに気づいたら、なぜそういった考えをもつにいたったのか(誰かを非人間化することをプログラムされて生まれてくる赤ん坊はいない)、それは事実なのか、その考えがどのように自分の言動に影響しているのか、その自分の言動が周りの人々や社会にどのような影響を与えているのかを、しっかりと観察する必要があります。
まず気づきがあり、そこから言動が変わります。
大人たち自身が、人間をランキング付けするといった人間を非人間化することをやめ、そういった言動をみればチャレンジする必要があります。
ただ、チャレンジする場合は、憎しみや怒りの気持ちからではなく、人生や人々を愛する気持ちから行うことを心がけていると、相手にも通じやすいのでは、と思います。
私たちは、どんなに歳をとっていようと、どんな環境で暮らしてこようと、考え方を変え、言動を変えることは可能です。
私たち自身が変われば、周りにも影響を与え、それが社会全体を変えていくことにもなります。
多くの人たちが、それを続けていけば、未来は、もっとよい場所になるでしょう