ネオリベラリズムのエッセンス
ネオリベラリズムのエッセンス
ネオリベラリズムは、日本語では「新自由主義」と呼ばれているようですが、日本では文化や社会の土台がヨーロッパとは大きく違うために、「自由」ということば一つをとっても、日本語と英語の間で大きなねじれが生まれてしまうので、ここでは、英語のまま、「ネオリベラリズム」と呼ぶことにします。
ネオリベラリズムのイデオロギーの創始者のうちの一人は、現オーストリア出身のFriedrich Hayek(フリードリヒ・ハイエク)さんだとされています。
彼がどうこのネオリベラリズムの考えにたどりついたのかは、彼の生きた時代に大きく影響されています。
ハイエクさんは、1899年にオーストリア=ハンガリー帝国(現在のオーストリアを含めボスニア、ハンガリー等も含んだ広大な帝国)に生まれ、この帝国の崩壊、オーストリア国家を含む多くのヨーロッパの国の成立、2つの世界大戦、世界経済危機、ナチスの台頭・ナチスによる自国(オーストリア)占領など、政治・経済が大きく動いた時代に青年時代を過ごします。
ハイエクさんは、ナチスがオーストリアを支配する前に、イギリスへと渡ります。
ナチスの台頭や自国がナチスに統制された経験から、「個人よりも社会の利益が優先される形態のCollectivism(コレクティヴィズム/集団主義)は、どんな形態であっても、(ナチスや、スターリン下の旧ソ連のように)否応なくTotalitarianism(トータリタリアニズム/全体主義ー国家が強大な力をもって市民の自由や権利を厳しく統制・制限する政治)につながる」という強い信条をもっていたそうです。
ただ、この信条は事実でもなければ、彼の生きてきた時代を映し出した一つの見方にしか過ぎません。
現在の北欧の国々のように、社会主義・資本主義・民主主義を混合させて、個人の利益と社会の利益が比較的バランスよく考慮される政治・経済を行っている地域もあります。
現時点では、これらの北欧の国々は、人々の基本的人権が尊重され、人々が生きるために最低限必要なもの(十分な基本的な衣食住、教育、病院、ケア、公園等の共有スペース等)が充実しており、セーフティーネットも手厚く、人々の幸福度が高いとして知られています。
なぜネオリベラリズムに、Liberalism(リベラリズム/自由主義)ということばが含まれているのかというと、このドクトリンは誰のためのものなのか、というところにいきあたります。
これは、既存特益層(=お金も権力も数世代にわたって引き継いでいる富裕層)のためだけの自由です。
「既存特益層が、法律や政治の力から自由で、自分たちが自由にやりたい放題に行動する」ということは、「民主主義的な自由」「平等・対等」「普遍的な人権」「公平な富の分配」とは、完全に対立します。
なぜなら、これら(民主主義的な価値観)は、既存特益層が自分たちの利益だけを求めて自由にふるまうことの邪魔になるからです。
既存特益層にだけ適用する自由が存在するためには、マジョリティーである市民たちが社会や政治・経済がどうあってほしいかという選択を行うことを阻止する必要があります。
ここからも、ネオリベラリズムの敵は民主主義であることは明らかです。
ハイエクさんがネオリベラリズムについての本を最初に出版した1940年代でさえ、支持したのは既存特益層のみで、多くの人々には、イデオロギー自体は、とても不人気で表にはでてこないままだったそうです。
それでは、なぜ本を出版した約30年後の1970年代後半には、経済大国であったアメリカやイギリスに受け入れられ、現在では、地球上のさまざまな国や、国際機関(国際通貨基金、世界銀行等)にも浸透しているのでしょう?
ここには、いくつかの要素があります。
A)既存特益層が、多額の資金をシンクタンクや著名大学(世界中)、学者、政治家、政策アナリスト、経済専門家、法律専門家たちにつぎこみ、ネオリベラリズムのイデオロギー・ドグマを、洗練させ、プロモートし続けた
B)第二次世界大戦後の経済ブームが下火となり、石油危機も影響した経済危機が起こり、ネオリベラリズムが浸透する絶好の機会となった
C)アメリカやイギリスは世界のあちこちに危機をつくりだし(様々な国での軍事クーデーターを直接的・間接的に起こし、自分たちの国益に都合のよい傀儡政権をインストールした)、ネオリベラリズムを押し付けた。
A)については、このネオリベラリズムのドグマを洗練させる(ドグマの本質を隠して、大多数の人にとってとても良いものだと信じさせる)過程で、r
rhetorical power(レトリカル・パワー/言葉の修辞・誇張による歪曲の力)をうまく使ったのは、20世紀半ばから後半に活躍した経済学者、Milton Friedman(ミルトン・フリードマン)さんです。
ミルトンさんは、ハイエクさんの、Privatisation(プライヴァタイゼィション/私営化・民政化)、Deregulation(デレギュレーション/規制撤廃)、Individual Freedom(インディヴィデュアル・フリーダム/個人の自由ーたとえそれが大多数のほかの人々の基本的人権や安全を壊すとしても)といった複雑なアイディアを、キャッチ―で分かりやすい概念に変えることに成功しました。
ミルトンさんは、普通の鉛筆を例にとり、経済の「Invisible hand(インヴィジブル・ハンド/神の見えざる手ー見えない力が自由市場を動き、個人的な自己利益と生産と消費の自由を通して、社会の最大の利益を全体として満たすことになる。個人の需要と供給への市場への絶え間ない相互作用が、価格の自然な動きと貿易流量を起こさせる)」を説明しました。
ミルトンさんの説明はこうです。
「(単純などこにでもある鉛筆を例にとり)芯は、南アメリカのグラファイトで、軸はアメリカの木を使い、消しゴムはマレーシア産のゴムを使っています。これらは、「Price system(価格体系)のマジック」により一つの鉛筆という製品となり、効率的な生産となっているだけでなく、このPrice system(価格体系)は、世界中の人々の間に、ハーモニーと平和をもたらしてました」としています。
ここには、貿易がある国々の間には戦争が起こらない、といったナイーヴな考え方も現れていますが、ロシアのウクライナ侵攻をみても、これが事実ではないことは明らかです。
ミルトンさんの著作「Capitalism and Freedom(資本主義と自由)」はベストセラーとなり、ノーベル経済賞も受賞したそうです。
アメリカの普通の人々に対しては、「Free to choose(選択の自由)」というテレビ番組で、ネオリベラリズムの考えを普通の家庭に広げたそうです。ここで、一般の人が受け取った意識的・無意識的なメッセージは、 「ビジネスの自由は、個人の自由」で、これは全世界にもひろがっていくことになります。
ただ、ここでいうビジネスの自由は、グローバルにものの売買を個人や企業が行うーたとえそれが暴力による搾取にもとづくものでも、ということ、また、個人が欲深く求めるものと社会に必要なものは一致しないことが多いことも、一般の人々からは隠しています。
グローバル化により、製造業や多くの仕事は労働力のもっと安い自国外にうつり自国での仕事が減ることへ政策がないこと(=政策の責任なのに、個人責任とされがち)、資本が国境を越えて動くためにグローバル企業から正当な税金をきちんと徴収する仕組がないこと(=教育や健康に関する公共サービスへ十分な資金がなくなるーこれらの企業でひとびとが働くためには公共である道路や電話線・電気網や教育・病院等が不可欠なことを考えると、これらのグローバル企業はきちんと税を払うべきなのは明らかで個人に給料は払っているとはいっても、その国家から盗みをしているようなもの)も隠されています。
B)については、第二次世界大戦後は、戦後から続いていた経済ブームは、経済学者のKeynesian(キーネジアン)経済政策を採用していて、政府が欲深い個人や企業がほかの人々を自由に搾取することが難しい状況を保っていました。
具体的には、資本統制、固定した為替レートと強く規制された金融市場(←無責任な投機によりお金が国の経済から吸い取られることを防ぐため)、政府が経済への介入を行い公共事業への投資を増やしたり金利を減らしたりして、製造業や仕事を自国に留める・増やすことを行う、といったことを指します。
1973年の石油危機により、インフレーションの高騰と、失業率が大きく高まり、アメリカでは、ニューヨーク市が経済破綻と宣言するレベルのような危機状態となります。
人々の不安や不満が高まり、経済危機がおきていたところに、すでに数十年をかけて準備をしていたネオリベラリズムを大きく政治や経済政策に組み込むことに成功しました。
ネオリベラリズムは、既得権益層やグローバル大企業(既得権益層が大きな株主)が政治家に対しても多額の献金等を通して、自分たち既得権益層に都合のよい政策を推し進めました。アメリカのレーガン大統領時代にも、多くの政策は、これらのグローバル企業や既得権益層が直接的・間接的にコントロールしているシンクタンクが作成した政策を取り入れた例(公害を取締るような法律をなくすか弱める、大企業の税金を低くするかほぼなくす等)がたくさんあるそうです。
これは、現在も続いている現象です。
どう考えても、民主主義からはほど遠いでしょう。
またネオリベラリズムで急速化したFinancialisation(ファイナンシャライゼィション/経済の金融化)については、別の回で話しますが、アメリカで1971年にRichard Nixon(リチャード・ニクソン)が為替レートの固定を廃止し、投機のドアを開いたことが経済の金融化への扉を開きました。これは、この後に起こる銀行や金融機関がギャンブラーのような行動をすることを許し、大きな経済危機を引き起こしたことや、大企業が社会や人々に役立つものを何一つ生み出さず、自社株買いで、社長や大株主のみにお金が大きく蓄積され続ける仕組を生み出す序章ともなっています。
C)については、チリ・アルゼンチンを含む多くの南アメリカの国々では、民主主義で国民に選ばれた政府に対して、アメリカ政府が軍事クーデーターに直接的・間接的に関わり、この民主主義的で国民に選ばれた政府を暴力で取り除き、アメリカに都合のよい傀儡政権をインストールし、資金・軍事的にもサポートし続けました。
その際に、アメリカのネオリベラリズムを推し進める経済学者たちのグループを送り込み、無理やりこれらの国々の国民にネオリベラリズムのイデオロギーを押し付けました。
アフリカやカリビアン地域であれば、植民地宗主国からの独立後の混乱と貧困(どちらも植民地宗主国によって引き起こされたー植民地宗主国による虐殺や多くの殺人、資源の略奪等にもなんの賠償金もなかった)に乗じて、国際機関(世界銀行や、国際通貨基金ーアメリカとイギリスといった西側諸国が方向性を決定)をつかい、借金と引き換えにネオリベラリズムを浸透させてきました。
これらの地域では、国際機関からの借金(利率が高い)と、借金のかわりに押し付けられたネオリベラリズム政策(国民の教育や健康の向上に資金を使うことは許されず、西側諸国のグローバル企業のために国の資源を安く売り、市場を開いて資源だけでなく労働力も搾取される、かつ経済緊縮政策を強制される)に苦しんでいて、当然これでは経済が良くなることも難しく、結局、元植民地宗主国へと移民せざるを得ない人々も多い状況となっています。
皮肉なことに、元植民地宗主国である西ヨーロッパの国々では、移民の受入れ反対を強く主張し、残酷な移民政策を取り始めていますが、自国がほかの国々の経済を発展させないような仕組をとりつづけている結果、移民がやってきていることは、多くの人々から隠しています。
また、中東は石油の産出地が多かったことから、イラクのケースのように、「民主主義を広める」という名目のもとに、アメリカとイギリスで口裏を合わせて、「大量破壊兵器を所有している」と嘘をつき侵略し、イラクの石油(世界でも有数の石油埋蔵国)を実質的に奪い取ったケースもあります。
セキュリティーが極端に不安定になったイラクに、グローバル企業の民営セキュリティー企業をいれたり、西側諸国の食料のチャリティー(現地語を話せる人すらいない場合もあり)が入り込み、すべての利益が西側諸国へと流れる搾取的な経済の仕組みを、危機に乗じてインストールするのも、ネオリベラリズムの典型的な手法です。
これらの民営企業やチャリティーは、自企業の利益を伸ばすことだけを考えているので、現地の人々の安全や健康を考慮しないことで、普通の人々の生活や命に多大ネガティヴな影響を及ぼします。
これは、カナダ系ユダヤ人アカデミック・アクティヴィストのNaomi Klien(ネオミ・クライン)さんの「The Shock Doctrine (ザ・ショック・ドクトリン)」も参考になります。
イランの場合は、民主主義政府が、イラン独立後も元植民地宗主国のイギリスが利権を握っていた自国の石油を国営化しようとしたところ、イギリスはアメリカと協力し、イランに軍事クーデーターを起こし、イギリスとアメリカの言いなりとなる傀儡政権をインストールしました。その後は、これに抵抗する動きが当然起こり、イスラム革命となり、現在の抑圧的な政治へと続きます。
イギリスやアメリカが「民主主義」を主張するときに、南アメリカや中東、アジアの国々が皮肉な目で見つめるのは当然の結果です。
ハイエクさんは、先述したことと重なるのですが、ネオリベラリズムが要求することとして、「民主主義的な自由や平等・対等、普遍的な人権、公平な富の分配といった概念の重要性を拒否 ― なぜならこれらは、富裕でパワフルな人々の行動を制限し、Coercion(コアーション/強制・抑圧)からの完全な自由(=富裕で権力をもっている人々が思うようになんでもできる自由)への邪魔をしているから」としています。
ハイエクさんの考えは、James Madison(ジェイムズ・マディソン)さんの考え方「行き過ぎた大衆の民主主義の力は、エリートのマイノリティーの権利を抑圧することにつながる」をミラーしていて、「自由」は、マジョリティーである大衆が政治や社会の方向性に影響を及ぼすことをいかに防ぐかにかかっているとしています。
ハイエクさんは、上記のポジションを正当化するために、極端な富(をもつこと)についての英雄的なナラティヴをつくりだしました。
ハイエクさんは経済的なエリート(=自分たちのお金を新しく創造的な方法で使う)と哲学的・科学的なパイオニア―(先駆者)とを一緒くたにしました。
政治哲学者が、考えられないようなことを考える自由のように、金持ちも、公共の利益・公共善や大衆意見に制限されずに、実行不可能なようなことを行う自由があるべき、としました。
極端な金持ちは、新しい生活様式を実験する人たちで、新境地の開拓を行い、社会の残りの人々が続く、とするものです。
社会の進化は、これらの「個人」が、彼らが欲しいだけの金を得て、彼らが望むように金を使う(消費する)自由にかかっている、とハイエクさんは述べました。
国家との関係については、ハイエクさんは、「国家は、資本主義が世界を破壊することからの大災害が起こることを防ぐFirebreaks(ファイアブレィク/防火帯ー火事が広がるのを防ぐために草等を取り除いた地域)を取り除くことを助ける」としています。
これは、名前からして誤解を招く、「自由市場」は自由ではなく、常に国家の統制を必要としている事実を反映しています。
市場で何を売ることができるのか、というのは国家がコントロールしています。
例えば、臓器の売買や赤ん坊の売買は、どの国でも合法的に市場での売り買いはできません。
ネオリベラリズムでは、既存特益層が、国家(政府・政治家)を操作し、既存特益層の望む政治的・経済的な結果(大企業や富裕層への税金廃止、普通の人々の安全を守る法律を廃止等)を、それを求めない大多数の人々に押し付けるために、民主主義から「市場」を自由にするよう国家(自国だけでなく、他国の場合も)に介入します。
どうみても、地球上の大多数の人々に不公平で、ネガティヴなことをもたらすシステムです。
得をしているのは、本当に一部の既存特益層のみです。
このような仕組が、まかり通っていいわけはありません。
また、この仕組のからくりに気づけば、「貧しい人や貧しい国は努力がたりなくて自己責任」という考えが、いかに嘘にみちたものかに気づくことになります。