ミソジニーな言動を押し返す - 広い意味で女性・女子全員の尊厳を傷つけるものだから
ミソジニーな言動を押し返す - 広い意味で女性・女子全員の尊厳を傷つけるものだから
※ミソジニーは社会構造なので、ミソジニーな言動を行う人は男性の場合もあれば、女性の場合も
前回は、Sexism(セクシズム)の定義については、話さなかったので、そこから。
ケイトさんは、以下のように定義していました。
主に家父長制の規範や期待を自然なものとし、合理化する機能を果たす、信念や文化的なナラティヴやイデオロギーのさまざまな面を併せたセット
例)女性は、自然と/本質的に、masculine coded roles(マスキュリン・コーディット・ロールズ/男性の特質・本質に沿った男性特有の役割)である、リーダーシップや政治家や権威を持つ役割には向かない(できない)← もちろん、事実ではない
ここでいう信念や文化的なナラティヴは、声高に誰かが言っていることだけなく、日常のいたるところから、意識的・無意識的に吸収されているものが大きく占めています。
日本だと以下のようなことが挙げられるかもしれません。
※お酌の強要や、運動系の部活動のマネージャーが女子や女性のみ、学校での下着の色チェック、いたるところ(広告・小説・漫画・テレビ番組・映画等)にある子供・女性の性的オブジェクト化、日常的に起こる公共機関での性加害(痴漢など)、夫が妻を召使のように扱う、仕事では女性は男性の補佐役、というのは、現代のヨーロッパでは考えられません。
映画や小説や漫画(女性が男性の性的な満足を満たすだけのものとして扱われたり、女性は頭が弱く知性的・理性的な男性の指導がないと何もできない等)、本屋などの身近な場所(ヨーロピアンの友人たちは、日本の本屋で女性作家のコーナーがあることに衝撃をうけていました=女性は難しい論理を扱えずエッセイのような感情だけを扱うようなものしか書けない男性より劣った存在、というナラティヴ)、テレビ番組やニュース番組(女性がいつも補佐役や何も知らない無知な役割で、知識と権威をもった男性が無知な女性に知識を教えるというもの)、広告(女性が性的なオブジェクトとして扱われている)、学校(女子のみの下着の色のチェックー女子や女性は純潔でなくてはならないプラス女性の性は男性のコントロール下にあるべきといった家父長制の影響、野球部やサッカー部のマネージャーはほぼ女子ー女子が従属的に男子・男性の世話やサービスをするというもの)、社会(女性が男性へのお酌や食事のとりわけをするよう強要される、女性は化粧をしたりハイヒールをはく等で男性の目を楽しませなければならないというもの、日常的に起こる痴漢は被害者が責められて大多数の加害者は責任を問われることもなければ責任を取る必要性すらない現実、政治家や企業の幹部のほとんどは男性)、家庭内で父親は母親に命令し、母親は召使のようにふるまっている等
私たちは、何かを明確に言われたり訓練されたりして洗脳されるのではなく、こういった日常的なことから、ミソジニーやセクシズムを吸収しています。
赤ちゃんのときに、男女の役割はこうあるべきだ、という概念をもって生まれてくるわけではありません。
これらは社会の中で無意識に・意識的に学ぶものです。
地球上の誰もが安全で、同じ権利と自由をもち、平等な機会が与えられるべきで、人間の価値に上下は存在しないー誰もが貴重な存在、という社会にするには、まず、自分たちの周りや社会で何が起こっているかを明確にみて、社会をいい方向に変えるよう抵抗・行動していく必要があります。
Fat Phobia(ファット・フォビア)については、以下のように定義していました。
太っている身体(←必ずしも医学的に肥満というわけではなく、誰かの勝手な思い込み)を、知性・性的な価値・美しさの価値・道徳的な性質・健康のステータス、について、細い身体より劣っているとしてランキング付けするもの。
女性の価値は、(男性に対する)性的、生殖的な労働・サーヴィスを提供できるかによっているので、太っているということは、男性が「(性的に)魅力のあるパートナー/ガールフレンド」をもつことは自分の(自然で与えられて当然の)権利だと無意識・意識的に思っているのに、それを拒否していることとなり、ミソジニー的な罰を受けることにつながります。
でも、ケイトさんが別の機会に言っているように、「私の身体は私のもの。あなたの身体はあなたのもの。私の身体は飾りではなく、あなたの身体も飾りではありません。私たちの身体は私たちのホーム(帰る場所、安心できる場所)です。」
ケイトさんは、これをBody Reflexivity(ボディー・リフレキシヴィティ―)と呼んでいます。長くなるので、また別の機会に話しますが、太陽や花・犬や猫に対しては、ただそこにいるだけで満足するもので、何かと比べてランキング付けするようなことはしないのを考えると、身体だって、ランキング付けしたり、誰かほかの人を満足させるためにあるわけではなく、そこにいるだけでいい、ということに気づくでしょう。
次は、Q&A形式で。
Q:あなたがミソジニーの標的になっていることを知る方法
A:家父長制を強要し監察する機能を果たす、確実に偏っている、或いは明確に敵意と嫌悪・憎悪に満ちている態度や行動に直面したとき。
慣習、機関(教育機関、役所、警察、学校等)、アートワークス(芸術作品)等で直面する可能性があります。
例)イギリスのガーディアン新聞では、記事のコメント欄に、記事の内容に関わらず、女性ジャーナリストの記事に対しては約8割が罵倒する表現があふれ、男性白人ジャーナリストの記事に関しては、ほぼ10割がポジティヴで、罵倒するコメントはほぼない。男性有色人種の場合は、女性ほど多くなくても、罵倒するコメントが増える。
※現在、ガーディアン新聞は、オンラインではコメントを閉じていて、読者からの手紙、という形で、編集室で選択したものを掲載しています。特に、ジャーナリストが黒人女性の場合は、人種差別・性差別の両方で、敵意と憎悪に満ちたもの(記事には関係ないコメント)が多かったそうです。
性差に基づいた侮辱や脅しの言葉や表現を使われているとき
例)ビッチ・カント(←女性に対してだけ使われる侮蔑表現)、(お前を)レイプしてやる、等
Q:誰が標的となるのか
A:標的となるのは、家父長制・性別役割のノームや期待を破ったり、抵抗したり、チャレンジしたりする女性。
この中には、このノームに沿わないと判断される、トランスジェンダー女性も含まれます。
ケイトさんは、トランスジェンダー女性は、特にこのミソジニー的な攻撃の標的になりやすいとしていました。だからこそ、マジョリティーである女性たちは、トランスジェンダー女性を仲間として、一緒に闘うことが必要です。
具体的な例としては以下があがっていました。
申し訳そうな態度を取らない・悪びれない・縮こまらない(=悪いことも謝るべきこともやっていないのだから堂々としていて当然だけれど、家父長制や性別役割からは、女性は、いつも身体を縮めて存在する自体が申し訳ないという態度を期待されている)、ひるまない・堂々としている
歴史的に、(女性に)期待されているのは、「他の人の判断に委ねること、他の人の意見にあわせること、控えめで表に出てこない、協力的で従順な、声が大きすぎず、物静かでおとなしいこと」なので、それに従わない女性は、標的となる。
Q:何がトリッガーとなるのか
A:性別役割から逸脱したと思われる、社会の中で女性にとって適切な家父長制での役割を果たしていない、何らかの脅威や無作法であることを(男性に)感じさせる態度や言動。
ただし、たとえ家父長制の性別役割に従う言動をしている女性でも、行き過ぎた監視により標的となり、罰せられることもある。
家父長制の性別役割の規則・期待に従う一定の女性たちは、賞賛され、優遇されることもある → それらに従わない女性に、従うようプレッシャーをかける役割となる場合も。
家父長制の性別役割の規則・期待に従う女性の例)
(男性にとって)役立つ、従順で(男性の)言いなり、(男性に)服従する、生殖的(子供を産む・育てる)なサービスを行う・母親的(料理や掃除、洗濯、アイロンがけ等)なサービスを行う・感情的な労働(男性が何も言わなくても100パーセントの注意とケアをむけて男性を心地よくする)を与える、性的な労働(セックス、性的に望ましい存在・外見であることを保つ)も含む
Q:何がミソジニー的な行動や態度にかりたてているのか
A:家父長制のノームと期待ーミソジニーが監視、強要の役割をおっている。
原則的に、男性のもつ(錯覚した)特権意識。
特権のある男性が特定のサービスやモノを(自分よりも少ない特権をもつ)女子や女性から受け取る権利があると思いこんでいるーセックス、愛情、労働、賞賛されること、(セックスやざまざまなことへの無条件の)合意、(女性を)コントロールすること、(女性の)サポートを得ること、権力をもって(女性を)支配すること、女性からの恭順・服従
でも、女子や女性は上記のものを得る権利や資格は全くないと見なされている。実際は、心身をケアされる権利や愛情や労働、休む権利といったものは、本来女性の権利でもあるもの。
例)
男性と女性のどちらもがフルタイムで働いていても、女性が子供の世話をし、家事を行うのが当然だと見なされている。本質的に、女性にも男性と同様の権利があるのにも関わらず。
前回と重なる部分もあるのですが、これらのフレームワーク(ミソジニー、セクシズムの定義)をもつ広範な目的としては、以下を挙げていました。
・男性のEntitlement(エンタイトルメント/資格・権利の付与ー特に白人男性の)のさまざまな現れ・構造を一元化、明確に見せることによって、私たち女性はそれを認識することができ、抵抗することにつなげることができる
・少女たちと女性たちは(ノンバイナリーの人々も含めて)、しばしば彼女らが本質的に権利・資格があるものを奪われているので、ミソジニー的な性質の罰を受けることなしに、その権利・資格を要求する議論をすることを可能にする
・私たち女性が共同・団結して行動を起こすことを促進する
また、数百年にわたって植民地化されていた地球上の多くの地域が西ヨーロッパの植民地宗主国から独立を勝ちとったのは、長い期間の原住民からの抵抗運動でした。イギリスやフランスといった植民地宗主国は、地球上のさまざまな地域で、(正当な)抵抗をした人々を虐殺したり暴力で抑え込み続け、植民地国を最終的に諦めて去ったのは、現地の人々を非人間化して奴隷化するのはよくない等の考えではなく、単に抵抗が強くて支配しきれなくなったからです。
特権をもっている側が、自分たちの特権を諦めるのは、諦めざるをえない状況(強い抵抗が多くの市民の間から続く)になったときだけ、というのは、歴史をみても明らかです。
同時に、どんなに強固にみえるシステムや社会構造でも、抵抗し続ければ、いつかは滅びます。
以下のQ&Aは、聴衆からの質問と、ケイトさんの答えです。
Q: Inequality (インイクォリティー/不公平・不平等)については、誰が主導で変えていくべきでしょうか?
例/家のことー家事、子育てに関わること、料理、買い物や洗濯・掃除・ゴミ出し等の一つ一つは大きくなくても数多くあるし、どうしてもやらなければいけないこと)を女性が多く担うことになりがちな、不平等さについて、多くの女性は声をあげにくいと思っています。
Aː 主に男性だと思います。
ただ、実際、女性たちは声をあげていますが、声をあげたことについてミソジニーややり方で罰を受けています。
例)女性の給料が低いのは、女性たちが交渉をしないせいなので、きちんと交渉するべきだ、というアドヴァイス → 多くの女性は、正当な交渉を要求することで、バックラッシュにあい、出世を見送られたり、給料があがらない期間が長くなる。なぜなら、(男性にとっては当然の普通の行動と見なされているけれど)女性がよりよい給料を求めること、よりよいポジションを求めることは、攻撃的すぎる、野望をもちすぎている、彼女がもつべき権利よりも極端に大きな権利を求めているとみられるからです。
私たち(女性たち&男性たち)は、どちらもが、現在の社会構造を変えなければなりません。男性の態度の改革・刷新はおこらなければなりません。一見、とても難しいことのように見えるかもしれませんが、不可能ではありません。
女性たちが、自分たちをエンパワーすればいい、という単純な話ではありません。
なぜなら、現在のunjust world(アンジャスト・ワールド/不公平な世界・社会)では、女性たちが自分たちの権利を求めて声をあげるには、多くの障害があり、声をあげたとしても罰せられるからです。
その上に、(現在の不公平な社会では)特権のある男性たちは、自分たちが本来持つべき以上の権利があると思い込んでいて、それら(心身のケアをされること、セックスをいつでも得られること、賞賛を受けること、家事や子育てを女性が一任すること、女性の自分に対する従順で恭順な態度等)を女性たちから与えられなければ、その女性は罰せられます。
Q: ミソジニーな態度や行動をみたとき、どうしたらいいですか?
A: 自分より特権の少ない、社会の隅に追いやられた人々のためには、立ち上がる義務・必要があります。自分の自由や特権は、そういう人々のために使われなくてはいけません。社会の底辺においやられている人々が声をあげることは、非常にリスクが高く、彼女・彼らよりずっと安全な立場にある場合は、声をあげる義務があります。
その上で、以下のケイトさんの答えは、参考になると思います。
あなたにとって、声をあげる(ミソジニーに対して反論する等の何らかの抵抗を行う)のは、安全だと感じるでしょうか?
もし、心身の安全(自分に対処できないレベルの仕返しは受けないことは確実等)が確保できれば、何(どういった言動)が効果的でしょうか?
例)
Cat calling (キャット・コーリング/町中などの公共の場所で、通りすがりの女性に、大きな声や甲高い口笛で、性的なことをほのめかすことーヨーロッパではハラスメントで犯罪にもなりえる) の場合ː 当然、安全への気がかりはあるでしょう(=見知らぬ人々で、どういう反応をするかは知りようがない)。こういった不当な行動に対して押し返す権利は誰にでもありますが、義務ではありません。安全性と自分のエネルギーと、押し返すことのバランスを考える必要があります。
安全が確保でき、ミソジニーに対して押し返したいと思うなら、それは、素晴らしいことです。
そのときは、ミソジニーは誰にとっても非常に有害なことで、自分だけでなく、全ての女性・女子たちにインパクトがあることで、ミソジニーを終わらせることは、社会・コミュニティー全体にとって重要であることを伝えましょう。
社会・コミュニティー全体にとって有害で、傷つくことだと伝えましょう。
例えば「あなたが今言っている/言ったことは、有害です。あなたが女性に対して使ったそのことばは、広い意味で、すべての女性や女子の尊厳を傷つけるものです。それは、重要なことです(=見過ごすわけにはいかない)」
これは、責任の所在がどこにあるかを明確に示し、ミソジニーな態度・行動を取った人は、どう対応するかという責任があるのは自分である、ということが自分にも周囲にも明らかであることを理解します。
Q: どのような構造的な変化が必要だと思いますか?
A: vulnerability (ヴァルネラヴィリティー/弱さ ※日本語の「弱さ」とは概念が大きく違う。下記を参照)をもっている人々が安全でアクセスしやすいオンライン環境は大切です。
※vulnerability (ヴァルネラヴィリティー/弱さ)の概念
どんな人も弱さー社会構造的に立場が低い女性や子供・移民・有色人種、マジョリティーでない性的指向をもつ、心身に障害や病気がある、経済的に苦しんでいる等ーは誰もが、どこかの時点でもちうる・なりうることです。
弱さや、弱いとき、弱い部分をもっているのは、人間として普通のことで、弱いのはその人のせいや、悪いことだというノーションはありません。
誰かの弱さを利用したり搾取する人々の行動は、悪いことの中でも特に悪く、人間として最低で卑怯な行動だと認識されています。
搾取や利用しても誰からも咎められない・誰もみていない状況で、(誰もがもっている)自分の中の悪魔の声に屈せず、(自分の中の)天使の声(=正しいことー搾取・利用は絶対にしない。可能なら自分よりも弱い立場におかれた人に助けの手を差し伸べる)を選択することを訓練、養うことが、成長する上でとても重要なことだとされていて、それが大人として精神的に成熟するということだと考えられています。※
例えば、イギリスのガーディアン新聞は、(読者からの)コメントをできないように変更しました。結果として、ミソジニーな攻撃は、大きく減りました。
同等な立場・同等な権利をもっているひととして、活発な討議を行うことは大切です。
ここでは、できるならば、男性と女性が一騎打ちで競争することは避けるべきです。
一方が勝って、一方が負けるという状況は、ミソジニーな言動がエスカレートしやすくなります。
Q: 文化的・社会的に男性優位な場所に、女性が多くいることは、(社会的な構造を変えるために)助けになるでしょうか?
A: 女性が社会的に高い地位にいるということは、その環境が安全であることを意味しません。
なぜなら、多くの場合、女性たちもミソジニーを内在化させていて、男性たちと同様、ミソジニーな態度・言動をとります。男性も女性も、(家父長制の)現行の社会構造内で、高い地位を与えられているということは、現行の社会構造を守り、構造をゆるがさない人々だからです。この場合、その地位についているのが女性であるか男性であるかは関係ありません。どちらも、既存特益の仕組を守り、男性優位・家父長制の構造を変えるわけではありません。
次回は、Himpathy(ヒンパシー/HimとSympathyを合わせたケイトさんがつくった造語)について。