ミソジニーを押し返す

Yoko Marta
02.12.24 03:47 PM - Comment(s)

ミソジニーを押し返すー「リスクがあるか?」ではなく、「私はどこにパワーをもっているか?」という質問で、対応するオプションを作り出す

Kate Manne(ケイト・マン)さんの造語「Himpathy(HimとSympathyをあわせたもの)」についての、興味深いポッドキャストから。
このポッドキャストは、テック業界で働いていたSara Wachter-Boettcherさんがポッドキャスターで、サラさんのケイトさんに対する質問も話も興味深かったです。

最初に、ケイトさんがなぜ「Himpathy」という言葉を作ったのか、ということなのですが、基本は、誰もが何が起こっているのかを認識しやすくするためです。
何が起こっているのかが明確に見えないと、対応・抵抗ができないので、まず最初にみんなで気づこう、ということです。

ケイトさんが挙げていた「Himpathy」の例の一つは、アメリカで起こったスタンフォード大学の白人男子学生からの22歳だったアメリカ人女性への性的暴行事件です。
最初、女性は安全のために仮の名前を使っていたのですが、本名のChanel Miller(シャネル・ミラー)で、回想録を数年前に出版しました。
タイトルは、「Know my name」です。
自宅の近所のスタンフォード大学のパーティーに妹と友達(1人はスタンフォード大学の学生)と出かけ、途中から記憶が飛んだそうなのですが、大学の宿舎のごみ置き場で意識がないシャネルさんにレイプをしようとしている犯人のBrock Turner(ブロック・ターナー)をみた通りがかりのヨーロピアンの男子大学生2人がブロックを引き離して、シャネルさんを救い出しました。
シャネルさんは、上記のように社会から信用されやすい証人(ヨーロピアン・白人・男性・有名大学在籍・二人)もいて、何が起こっていたかは明らかだったにも関わらず、お酒を飲んでいたか、服装、何をしていたか等、加害者のように扱われ、後遺症でも苦しみますが、世間も警察も裁判官も、犯人のブロックには、とても寛容な姿勢を示しました。
ブロックの父親は、「たった20分間の間に起こったことで、今までの20年間のとてもよい行動で優れた息子の人生を奪うなんて(→水泳の奨学生で、将来は有望だと見られていた)」と言う言葉やほかの発言でもひんしゅくを買っていましたが、裁判官も「彼の(輝かしい)将来を考慮した判決」として、とても軽い判決で終わりました。
加害者であるブロックに同情が集まり、被害者であるシャネルさんにはさまざまなバッシングが起こりました。
ここには、シャネルさんが半分中国人でアメリカでは有色人種と判断され、白人男性で若く見栄えもよかったブロックより、さらに信用されづらかったという人種差別的な構造もあるのでは、という意見も聞いたことはあります。

ケイトさんは、これを「Himpathy(ヒンパシー)」と呼んでいて、「過剰な同情で、性的加害をした加害者の男性にしばしばむけられる」で、上記はその典型的な例でしょう。
特にブロックのように、特権(白人、男性、若い、見栄えがいい、有名大学の水泳特待生)をもっている場合、メディアや一般の人々からも敬意をもって扱われ、たとえ裁判にいったとしても、とても寛容な判決がくだされます。
アメリカだけでなく、多くの地域であてはまるでしょうが、この家父長制のイデオロギーを内在化している人も多く、外から与えられるプレッシャーだけでなく、被害にあった人々(多くは女性)は、自分が訴えることを罪深く感じることすらあります。特権のある男性の悪い行動に対して声をあげ、責任を取らせる、という当たり前のことが上記のように外からも内からもプレッシャーを感じるのは、「ヒンパシー」が働いている証拠です。

特権をもっている男性は、さまざまなサーヴィス(性的なことも含む)やモノ・心身へのケア・感情的ケア・母親的なケア・生殖的サーヴィス(子供を産むこと・面倒をみること)・セックスへの合意を得られること・無条件に家庭内労働を一手に引き受けることは、女性の男性に対する義務であり、それらを受け取ることは自分の当然の権利だと思っているので、それらが与えられないと激怒したり、不機嫌になったり、罰を与えたり、最悪の場合は殺人にいたることもあります。
同時に、彼らは、女性にはなんの権利もない、と思っています。
実際は、女性にも権利はありますが、当然の権利を行使すると、ミソジニー的な罰を受けます。

ケイトさんは、明確に、これらの特権のある男性たちへの同情を優先させることを拒否し、自分のサポートやケアを必要とする自分よりも特権が少ない人々のために、自分のエネルギーをつかう、と言っていました。
ケイトさんは、家父長制と白人至上主義に惑わされて、自分のエネルギーを間違った方向に向けないこと(=特権のある男性を何よりも優先することはしない)を選択する、と述べていました。

最後に、シャネルさんの話に戻ると、回想録で自分の身体に対して汚れているような気がして耐えられない思いをしたり、日常生活がとても困難になった時期も続いたものの、周りの人々の暖かい助けもあり、自分のことを再び大切に思うことができ、同じように性犯罪にあった人々のことを気にかけ、被害者を「恥」とするような社会の風潮を壊し、被害者を疑うようなシステム(警察や司法)を変えることを話していました。
シャネルさんは大変つらいことを乗り越えてきましたが、加害者のブロックは、数か月で出所したあと、大学の講演会で「いかにアルコールが大事な(自分の=加害者の)未来を狂わせるか」といった内容を話していたそうです。
結局は、自分の行動がいかに誰かを傷つけたのか、ということには全く考えや気持ちがいかないんだな、と驚き残念に思いましたが、彼が、「アルコール」のせいにせず、自身の行動や行動の後ろにある自分の考え方に向き合えるようになるまでは、本当の贖罪にはならないのではないか、という感想をもったことを覚えています。
ガーディアン紙だったと思うのですが、ブロックと同じ水泳部に所属していた女性たちは、ブロックが無理やり腕を強くつかんで彼に引き寄せようとしたり、性的なことを迫ろうとすることもあって、女性たちの間で警戒していた、という内容を読んだことを覚えています。
自分は、若くて魅力があり、周りの女性たちから性的な賞賛や満足を得られて当然なのに、ガールフレンドもできないし、女性たちからも避けられていることでフラストレーションを感じていた、という記事もどこかで読んだ気がします。
ある意味、彼もこの社会の家父長制のイデオロギーにそまっていて、女性(自分より下の存在)がセックスへの合意を自分(=特権のある男性で女性よりもすべてにおいて上)に与えるのは当然で、それが与えられないのは不公平だ、不正義だという歪んだ認識を無意識下に埋め込まれたいたのかもしれません。
だからといって、圧倒的に大多数の男性は、同じ社会で育っていても、ブロックのような犯行はしないので、社会の構造が深く関わっているとはいえ、個人の倫理や正しいことを選択するという意志も重要な要素でしょう。

ケイトさんへの質問のQ&A

Qː Visibility(ヴィジビリティ―/知名度・認知度)とvulnerability(ヴァルネラビリティー/もろさ、傷つきやすさ)をどのように管理しますか?

A: 新聞に記事を書いた後、15分ぐらいで、コメント欄にとても多くの侮蔑や憎悪の言葉がやってきます。でも、私は個人的に受け取らないようにしています。それらのコメントは、ミソジニー的な表現(女性だけに使う侮蔑語や表現)で、私自身を反映しているわけではありません。私は、女性が意見をいうことについて(黙らせようとする)プレッシャーを押し返す大事な共同のアクションを行っています。これは、多くの女性が、同じように抵抗することを助けます。
同時に、これらのやりとりから離れることも大切です。ケイトさんは、現X(旧ツイッター)を携帯電話にはインストールせず、時間を決めて注意深い使い方・関わり方をしているそうです。

Q: (ミソジニー的な言動に対して)押し返したり、率直に言いたいけれど、バックラッシュを恐れている人たちへの提案はありますか?

A: 私には、率直に言う権利はありますが、それが義務でないときも多いと考えています。自分より特権の少ない人々(例/ケイトさんは英語圏出身の白人女性なので、移民の有色人種女性やトランスジェンダー女性より特権をもっている) のために立ち上がる必要と義務はあります。(それ以外の場合)私たちがもてるエネルギーは限られているので、cost benefit analysis (コスト・ベネフィット・アナリシス/自分のエネルギーと効果)を行うことが効果的です。

私は立ち上がって率直に言うことができるか?
私はその権利があるか/義務があるか
私は、それを行うについて最適な立場・ひとであるか
どのくらいのエネルギーを使うか
どのぐらいのコスト(例/職場で気まずくなる、解雇される等)が予想されるか
もし、何もしなければ、どのぐらいのコスト・結果があるか(例/ハラスメントが蔓延していて、誰も何も言わず抵抗しない/できないので、どんどんエスカレートしている)

日本で育つと、「何もせず、ただ耐えて過ぎ去るのを待つ」という、状況によっては最悪の選択肢なのに、それしかないと洗脳されているかもしれませんが、何かをするのと同様、何もしないのも選択の一つであり、そこには結果もあることに気づきましょう。
安全性をはかることがまず第一ですが、不正なことが起こっているときに(ハラスメント等)誰もが何も言わないのは、加害者を大きく助け、場合によっては加害者の行動がエスカレートする原因にもなります。

もし、さまざまな事情で何もしないことを決めたとしても、a big picture(大局的な視点、全体図)を理解しておくことには価値があります。
最初に、まず起こっている現象が、家父長制のイデオロギーから発生しているミソジニーや、Himpathyであることを認識できることが重要です。
その上で、サラさんが例として挙げていたのは、サラさんがテック業界で働いていた時のハイラルキー(権力構造)です。
テック業界のトップの多くは白人男性で、その下にサラさんのような白人女性たち、最下層に移民やアメリカ人でも有色人種の女性たちという社会構造(※)があることには気づいていました。
サラさんは、白人男性グループよりは少ない特権をもっていますが、有色人種の女性たちよりは、ずっと大きな特権をもっていることを知っています。
この全体的な構図を理解していれば、女性だからといって、力が全くないわけではないことが分かります。
自分はPowerless(パワレス/なんの力もない)だと思うと、無気力になり、起こせる行動を起こせなくなります。
自分がどこにパワーをもっているかを認識することは大切です。
(自分のエネルギーも限られているので、エネルギーを自分よりずっと多くの特権をもっている白人男性への同情につかうのではなく、自分よりもずっと弱い立場にある有色人種女性のために、話を聞いたり、心遣いをする価値がずっとある)

(※)アメリカやヨーロッパではひとを奴隷化したり、ほかの地域の資源や土地を奪うことを正当化するために、数百年にわたって、有色人種は白人と比べて劣っている、という嘘のプロパガンダを流していたために、社会の構造として有色人種差別・白人至上主義があり、かつ多くの人々もこの嘘の神話を内在化させている

ここで、サラさんが言っていたことは重要です。
(ミソジニー的な言動に対して)押し返す・率直にものをいうときの、自分に対しての質問は、「これにはリスクがあるか?」ではありません。
なぜなら、行動することにも、行動しないことにもリスクは必ずあります。
自分に対しての質問は、「私は、どこにパワーをもっているか」です。
この質問は、オプションをつくりだし、何もできない、という無力な状態に陥らないことを可能にします
その後は、「どのぐらいのリスクがあるだろうか?」「その(予測される)リスクを取れる余裕が自分にはあるだろうか?」が続きます
例えば、職場だと、自分がシニアなポジションにいる/給料が高い/ほかの企業に移りやすいスキルや強いコネクションをもっている/家のローンも払い終わっていて経済的によい状況にいる/次の仕事も簡単にみつかる等だと、ミソジニー的な言動を押し返したり、言い返したりして職を失うというリスクがあっても、そのリスクを取ることは可能だという結論にいたるでしょう。
リスクを見極めるというのは、日本で育つと難しいかもしれませんが、どこで生きていても大切なスキルで、トライ&エラーで身につける必要性があるのですが、「上司・権威の言うことには絶対服従・抵抗は人間ができる最悪のことで、ひどい罰を伴うもの」といった全体主義的なイデオロギーがしみわたった日本の社会で育つと、非常に難しいとは思います。
でも、何もしないことにもリスクはあるので、リスクの見極めを誤っても大きな影響がないところから練習を始めてもいいかもしれません。
例えば、本を貸してもなかなか返してくれない、関係性が少し遠い友人に本を貸してほしいといわれたときに、「貸せない」と断る等、少しぐらい相手が不機嫌になろうと影響が少ないところから始めると徐々に慣れてくるかもしれません。意外と、自分の気持ちに正直になることで、よい関係性を築くきっかけになるかもしれません。
また、結果がどうであれ、自分で何かのアクションを起こせたときは、或いは、意識的に様々な観点から冷静にアクションを起こさない、と決めたときは、その条件下で自分がもてる知識・経験から判断して、最善の選択を行ったということで、自分に対しては、平和な気持ちでいられるでしょう。

Yoko Marta