物語を語る人は誰なのか
最近、「Instruments of a beating heart(インストゥルメント・オブ・ア・ビーティング・ハート)を観て、すごく嫌な気持ちを思い出しました。
私は運よく、ほかの生徒たちからいじめられたことはないですが、クラスの生徒が少し騒いでいただけで先生から見せしめのために平手打ちをされたり(私は全然騒いでないことを先生も知っているけど、親が文句を言わない生徒数人を選んで叩いてる)、貧困家庭で給食費が遅れることで、嘘をついたと決めつけられ廊下に立たされたり、先生のほかの生徒への不当な暴力や扱いに対して抵抗したことで、テストの点数はいつもほぼ満点だったにも関わらずすべての科目の成績表が最低だったり(私自身は何も言わなかったけど、学年主任が介入して、きちんと修正された。でも担任からはさらに憎まれたと思う)、他の生徒をスパイすることを命令される(断ったら脅されたけど、もちろんスパイなんてしなかった)と、散々な目にあったので、学校は嫌いで、絶対に先生にはならないと決めていました。
上記は、全部小学生のときに起こったことです。
ただ、同じ小学校や同じ学級にいても、親が裕福・知識層で、先生に高いギフトをあげたりして特別扱いされていた子たちは、きっと私とは全然違う経験や思いをしていたのではないかと思います。
ただ、それがその子たちにとってよい思い出なのか、そうではないのか、混在しているのかは、私には知りようがありません。
大学は自分の好きなこと(美学美術史)を自由に勉強できたので、とても楽しみましたが、必修で教育学部の授業を1科目とったときは、大学なのに、教授の言う通りに誰とも同じようにノートを取らないといけないとか、小学校レベルで驚きました。
こんな授業でロボットのように権威の言いなりで、なんの疑問ももたない人たちが先生になるのかな、、、と怖く思ったのを覚えています。
「社会に出ていくための準備」という考え方にもすごく引っかかったのですが、教育は子供たちの興味をひきだすものだと思うし、ロボットを大量生産するようなやりかたが合わない子どもたちのほうが、よっぽどまともだと思うし、そういうまともな子どもが生きづらい学校や社会を変えるべきなんじゃないのかな、と個人的には思いました。
私自身、ロンドンに一人でやってきて、自分で仕事を探して労働許可を得て以来、約25年近くになりますが、日本で生まれ育っても、日本は本当に合わず息苦しくて、ロンドンで暮らし始めてやっと自由に息ができる感覚がありました。
ただ、大人になってから、知識や経験・見解の幅も広く、精神的にもすごく安定していて寛容なひとが日本で先生をしている例もみたので、私がみていた世界というのも、とても小さかったのだとは思います。
映画の宣伝のためには、「世界が感動した」等をやたらとつけますが、私の周りのヨーロピアンは、先生をしていた人たちもいますが、誰も感動なんてしてません。
それは私から日本の学校での信じられないひどい経験(多くの人権侵害)を聞いていたこともあり、表面上の話ではなく、その背後にある構造的ないびつさを見抜くことができたからかもしれないし、彼ら・彼女たちは、映画の宣伝のために働いているわけでもないからかもしれません。
このドキュメンタリーは、もともと「The Making of a Japanese/日本人の作り方」という1時間ぐらいの長いものを30分以下に短縮したようなので、もともとの長編をみると感想は少し違うのかも、とも思いましたが、違わないような気もします。
誰が監督か、といったことではなく、社会・経済構造的に、映画をつくるのは特権をもった人たちで、彼ら・彼女らから語られる物語は、多くの場合、特権のある人の視点・強者の視点から語られ、ほかに多くの違った視点があること、特に特権のない・少ない人たち(=社会の大部分の人々)の視点が欠けているのは、どの映画や本等にもありがちだと思います。
イギリスの黒人男性ジャーナリスト・アカデミックのGary Younge(ギャリー・ヤング)さんは、以前、ポッドキャストで興味深いことを語っていました。
ちなみに、ギャリーさんはイギリス生まれ・イギリス育ちのイギリス人で、ジャーナリストとしての評価もとても高いのですが、大学では、どこ出身かを聞かれ、生まれたイギリスの町の名前をいうと「そうじゃなくて、本当の生まれた場所は?」と(白人学生から)何度も聞き返されることもあったそうです。
これは、人種差別です。
日本だけに住んでいると、「日本人=黒髪・黒い瞳・黄色人種・日本語が母語・先祖を数百年以上たどっても日本に生まれた人だけ」と思い込んでいるかもしれませんが、イギリス人ということと、人種や宗教・民族は関係ありません。
非白人はイギリス人ではない、という考えは人種差別にあたることは、覚えておく必要があります。
ギャリーさんは、ジャーナリストの多く(約54パーセント)が私立学校出身であることを挙げています。
イギリス全体では、私立学校出身は約7~8パーセントです。
イギリスを含むヨーロッパは、日本とは教育の仕組が大きく違い、ほとんどの大学は国立だし、私立学校は、日本と比べると圧倒的に少ないです。
そこには、教育を受けるのは子どもたちの権利・基本的人権という根底の考えもあるでしょう。
イギリスは、ヨーロッパの中でもアメリカに近く、大学教育を商業化したため、過去は授業料は無料(多くのヨーロッパの大学は今でも、ほとんどが国立で学費も無料かとても低い)から、とても高価になり、かつ教育の質が大きなレベルで落ちたことでも知られています。
授業料ローンも商業化され、利率も高くなりました。
それでも、ある一定の給料の限度をこえなければ返済は生じないし、一定期間がたてば返却が終わらなくても帳消しとなるので、日本よりは、ましでしょう。
授業料ローンが商業化されたとはいえ、その人が普通のレベルの暮らしをできるレベルが保てるレベルで返却があること(ある一定の給料の限度を越えたうちの金額の数パーセントの返却で、仕事を失ったり、給料が低くなければ返却は止められる)が前提です。
ギャリーさんは、ジャーナリズムの方向性を決めるエディトリアルやマネージメントが、普通の人々と大きく違った階級・場所で育っている・教育を受けていることは、実際に何を取材するか、どのように取材するか・報道するかに大きく関わっているとしています。
メディアは、人々の考え方や感情、社会がどう形成されるかにも大きく影響していることは意識しておく必要があります。
ジャーナリストは、さまざまな視点から鋭くものごとの本質を見抜くことが大切だとされてはいるものの、白紙である人はいなく、誰もがバイアスや独自のVantage Point(ヴァンテージ・ポイント/場所や状況について、幅広い全体像や視点がみえる場所)をもって、物事を観察・みています。
特権があればあるほど、自分の視野が狭いことに気づきにくくなり、それに対して疑問すらもたないことになります。
例えば、ギャリーさんは海外特派員として働いていた時期もありますが、ギャリーさんに「家庭との両立はどうしてる?」と聞く人はいませんでした。
でも、女性海外特派員だと、この質問はよく聞かれます。
これは、男性である特権であり、男性だとこういった重要なことを考えずにすむ地位にいることを示しています。
また、ギャリーさんはたまたまStraight(ストレート/異性愛者ーギャリーさんは生まれたときの身体は男性で、女性を愛する、マジョリティーにあたるグループ)なので、「いつ自分がストレートだと気づいたの?」と聞かれることはありません。
でも、マイノリティーであるゲイだと、「いつ自分がゲイであると気づいたの?」という質問をされることはよくあります。
これは、性的指向においてマジョリティーである特権です。
Brexit(ブレグジット/イギリスのEU離脱)の際には、多くのジャーナリストは、最初から、「頭の悪いひとたちが意味を成さないこと(EU離脱は貧しい人々や労働者階級にこそ不利益をもたらす)をしている」と決めつけて、なぜ彼ら・彼女らがEU離脱に支持をすることになったのかを興味をもって聞くことをしなかったことを、ギャリーさんは挙げています。
イギリスは、アメリカほどひどくなくても、ヨーロッパの中ではとても貧富の差が大きい国で、フルタイムで働いていても生活保護がないとやっていけない家族もたくさんいます。
子供の貧困率も高い国です。
ジャーナリストたちは、そのデータは知識として知ってはいても、普通の人々が生きている現実を想像すらできないし、興味すらもっていない可能性もあります。
自分の家族・親戚・友人、住む地域も上流階級や中流階級の上部にいれば、社会の大多数である普通の市民たちと普通に出会う、話をする機会すらないかもしれません。
こういった環境だけで育った場合、その人のヴァンテージ・ポイントは、とても狭く偏ったものになりがちで、それにすら気づかない可能性が高いでしょう。
ギャリーさんは、イギリスではマイノリティーである黒人、貧しい家庭・労働者階級出身で、多くのジャーナリストとは全く違う背景で、ブレグジットの際も、なぜ人々が、自分たちに不利になるような決断をしたのかに興味をもち、取材を行いました。
そこには、さまざまな背景や複雑な事情があり、「頭が悪い」わけでは全くありません。
イギリスには、クレジット・カードをもっていない人たちが約6パーセントいるそうですが、少数派だとはいえ、この人たちにとっては、それが現実であり、なぜ持っていないのかには、さまざまな事情(多くは複雑)があるでしょう。
特権を多くもっているジャーナリストたちは、こういった人たちの視点や生きている現実には全く興味はなく、この人たちの視点からのストーリーが聞かれることはとても少ないでしょう。
でも、彼ら・彼女らも私たちの社会の一員で、彼らの声をきくことは大切です。
ギャリーさんは、パレスチナのこともほかのポッドキャストで語っていて、「強者=イスラエルー西側諸国がサポートし続けている」の視点からの物語だけが語られ、パレスチナ人側からの視点がほぼ報道されない危険性も指摘していました。
ここには、西側諸国では、いまだに植民地に対して行った数百年に渡る原住民の虐殺・原住民の大量殺害や拷問、人工的な飢饉を引き起こしたこと、原住民の土地・家・資源を暴力で奪ったこと等への真の振り返りや考察はされていないことも大きく関与しています。
原住民であるパレスチナ人を暴力と大量殺害により追い出して成立したイスラエル国家、現在のイスラエルによるパレスチナ人虐殺も、西側諸国が長年植民地国に対して行ってきたことと同じであり、白人至上主義で、非白人を人間以下とみなし、非白人には数百年にわたって住んでいる土地にも所有権はなく、非白人は文明化されていなくて、人の命を文明化された白人のように重要に考えていないので、彼らが死ぬこと・殺されることは重要視する必要はない、といった考えは、エリートとよばれる人々だけでなく、一般の人々にも、かなりいきわたっています。
イギリス国営放送BBCでは、内部告発があり、エディトリアルがイスラエル軍を大きくサポートしていて、BBCジャーナリストたちに対して、イスラエルがいかに正しいかを強調し、パレスチナ人からの見解については(不当な)カウンター・アーギュメントを多く行うことを指示しているそうです。BBC社内でできる限りの反対の声をあげ方向性を変えようとしたけれど実現せず、辞職した人々もいるそうです。
イギリスは元大英帝国で、地球上の半分近くを植民地にした国であり、植民地国が独立した後も、自国の資源(石油)を自国の国民のために使うのに国営化しようとした、民主主義で選ばれ、民主主義をすすめていたイランのモハンマッド・モサッデク首相を、アメリカと共謀して軍事クーデーターを起こし引きずり下ろし、イギリスとアメリカの傀儡政権をうめこみました。
これは、石油という資源をイギリスの支配下においておくためです。
ほかの資源(石油・ガス・鉱物等)がある国々でも、イギリスやアメリカはイランに対してしたようなことを多く行っていて、植民地化はまだ終わっていない、という考えも強いです。
白人系イギリス人は、植民地化に対して、自分たちは野蛮人たち(=原住民、非白人・非キリスト教徒)に、文明やキリスト教といった啓蒙を与えるという良いことをした、感謝されるべきだといった意見を潜在的にもっている人が多い印象があります。
少し調べれば、植民地とそこに住んでいた人たちに残虐なことを行っていたことは明らかで、それによって自国の経済発展があるのですが、そこに向き合うことは難しいのかもしれません。
でも、醜い過去に向き合わないと、結局同じことを繰り返します。
アメリカもイギリスもほかの西側諸国も、ガザで虐殺が起こっていることを知りながら、武器供給やスパイ活動での協力、外交上・法律上でイスラエルをかばい、虐殺を続けることに加担しつづけていることからも、それは明らかでしょう。
ギャリーさんがジャーナリズムに対して提案していたのは、エディトリアルがジャーナリストを雇う時は、結局同じようなバックグラウンド(階級や大学)の人々を選びがちなので、エディトリアルにこそさまざまな人々が必要だとしていました。
それは、十分可能です。
ギャリーさんも言っていたのですが、今ある現実をもとに未来を考えるのではなく、想像力を働かせて、もっといい社会や未来を創っていくことが大切で、それには、社会みんなで話し合って協力することが必要です。
地球上の誰もの命の価値が、同等に貴重である、と心の底から誰もが思っていることは大事です。