ヴィクティム・ブレーミングと闘うー社会・権力構造を見抜く・変える ①

Yoko Marta
10.03.25 06:21 PM - Comment(s)

ヴィクティム・ブレーミングと闘うー社会・権力構造を見抜く・変える ①

先日、日本人ジャーナリスト伊藤詩織さんのドキュメンタリー「Black Box Diaries」を観ました。
イギリスに住んでいれば、ここから無料で観れます。

詩織さんの言動や服装を責めるあからさまなVictim Blaming(ヴィクティム・ブレーミング)がたくさん出てきて、詩織さんはどんなにつらかっただろうかと、心が痛みました。
同時に、意識がほぼない状態のひとが、別のひとに無理やりひきづられているのが明らかにも関わらず、飲食店でも、タクシー運転手も誰も警察に通報するなりして被害者の安全を守るための行動を行わなかったこと、ホテルのドアマンは警察に通報したようですが、そこでも何もアクションが取られなかったようであることに、日本社会の闇をみたように感じました。
普通にヒューマニティーのレベルで考えれば、気分が悪そうな、或いは意識がもうろうとしているように見える若い女性が、もっと年上の男性にひきづられていれば、心配して声をかけ、その女性の安否をはかるのが当然です。
もちろん、同じような状況で、若い男性が年上の男性にひきづられている場合も同様です。
イギリスでは、飲食店やホテルは、犯罪が起こりそうなとき、起こっているときに警察に通報する義務があり、このドキュメンタリーのような状況では、確実に、加害者が被害者である詩織さんを自分の部屋にひきづりこむことを止めたでしょう。
法律や規則の有無だけでなく、普通にヒューマニティーのレベルで考えれば、当たり前で、そういった人々の安全を怠るような企業は法律上での罰だけでなく、市民からのボイコットの対象ともなるでしょう。
これも1990年代の終わりの時期ですが、仕事帰りに男性上司・男性同僚と私の3人で市内中心地にある会社から駅に向かって歩いているときに、ラブホテルの前で小柄な女性が男性にひきづられているのに懸命に抵抗して、「子供と夫が家で待っているんです。お願いです、離してください」と言い続けている場面に遭遇しました。
まだ日も明るく仕事終わりの時間で、多くの人々が通りがかって見ているにも関わらず、にやにやして通りがかる人や無視する人々で、止めに入ったのは私たち3人だけでした。
なんとか男性をひきはがして女性を逃がすことに成功はしたものの、多くの人々の無関心さにぞっとしたのを思い出しました。

私自身、ありふれた金曜の夜、会社帰りに友達の家に寄り、そこから自宅に帰る途中で見知らぬ若い男性から暴行にあい、詩織さんが映画内で言っていた、等身大の人形を使っての再現を延々と何度も数時間にわたって繰り返し、何度も殴られて血がついたままの顔をぬぐうことも許されず、写真をたくさん撮られた経験があります。
これは1990年代終わりのことです。
ショック状態の中、数人の男性警官に囲まれての状況再現や、処女かどうか、ボーイフレンドがいるか、過去に何人か、学歴や職業といった質問というより多くの詰問のあと、警察が私に言ったのは、「女が国立大学に行って、輝かしい男性の未来を奪ったのだから、男から復讐されて当然」「男子は大学受験の時期だとストレスがたまっているんだから、ストレスを発散する必要がある。」「お前がその時間にそこにいなければ、その男子は犯罪をしなくて済んだ。そこにいたお前が犯罪を起こさせたのだから、訴えたりしてその男子の輝かしい未来を奪うことは許さない」「結婚して子供を生んで家にいるべきなのに、仕事なんかして、夜に出歩いて自分で事件を招いて、警察の時間を無駄にした。」「レイプまではいかなかったんだから、なんでもない。1年前には同じ場所で殺人されたひとがいるんだから、殺されなかっただけ、ましだと思え。」でした。
その後、別の日に最終的な調書ということで、その地域の本庁に呼ばれると、当時20台半ばだった私からすれば、年をとっていて権威をひけらかすような2人の男性警官が真向かいに座っていて、「供述書(←だったと思う)はこっちですでに書いてあるから署名して。署名するだけでいいから。でも一応決まりだから、読みます。」といわれ、内容は、私自身が犯罪を引き起こした原因なので、犯人がたとえつかまったとしても訴えません、という内容でした。
その時期には、すでに会社でも暗い廊下や階段に怯え、日が沈んでからは一人で外出することもできないほどのPTSDをかかえていましたが、勇気を出して、「それには納得できません。犯人がつかまった場合は、訴訟を行います。」というと、あからさまに高圧的な態度を取られ、「そんな生意気な態度だからそんな目にあうんだ。」みたいなことや、最初の調査のときと同じようなこと、「輝かしい男の未来を奪うことは許さない」を何度も言われました。
最終的になんとかもちこたえ、供述書の変更にこぎつけましたが、警察官の最後の捨て台詞は、「犯人なんて捕まるわけがない。」でした。
私にとっては、犯人を探すつもりはまったくない、と聞こえ、絶望を感じました。
すでにロンドンで2か月ほど勉強する計画を立て、貯金、語学学校の手配、英語の勉強などもしていたので、それだけを励みになんとか生きのびていましたが、毎日を怯えて暮らし、25年以上たった今でも、犯行現場と似たような場所では足がすくんで動けなくなるので、知らない場所に行くときには前もって確認するし、仲の良い友人や家族には言っているので、そういった場所にたまたま行き当れば迂回しますが、誰もがごく普通に受け止めてくれます。
「日本は安全な国」というのは幻想で、私のような経験をしている人は多いと思うし、日本では被害者を沈黙させる仕組みがとても有効に機能しているだけだと思います。
私の場合は、加害者が見知らぬ人だったので通報することに迷いはなかったのですが、もし知り合いから加害を受けていれば、加害者の家族や共通の知り合いから訴えないようプレッシャーをかけられたり、逆恨みを恐れたりして訴えることは非常に難しかったと思います。
だからこそ、詩織さんが政治的にもパワフルな人に対して正当な訴えを起こしたことについて、尊敬する気持ちと感謝の気持ちです。
ロンドンで、日系企業の一部の男性駐在員がひどいレベルのセクシャルハラスメントを行うのをみてきましたが、詩織さんが訴えをおこしたことで、詩織さんへの直接の加害者(駐在員だったよう)も含めてほかのセクシャルハラスメントを平気で行っていた上記の男性たちも、「絶対に逃げ切れる」という確信を削ることに役立ち、加害を受ける人たちが減ったと思います。
犯罪率が低い日本は安全だという説もありますが、性犯罪に関しては、イギリスで違法なことの多くが日本では合法なので、犯罪率だけでは安全かどうかはわかりません。
また、イギリスでは、違法な場合は、法律に沿って責任を取らされ、日本のように被害者にお金を払ったり表面上だけ謝ることで逃げ切れるような加害者に都合のよいシステムではありません。
被害者を沈黙させる社会的な仕組みも、イギリスは、日本と比べるとずっとましで、「被害者はけがれている」「レイプや暴行されたひとはすでに壊れたモノだから何をしてもいい(=人間以下として扱っていい)」等の加害者に都合の良い迷信や残酷な考えは存在しません。
ロンドンにきてから25年近くになりますがた電車でロンドンでも一番込んでいるような路線で長い間通勤しましたが、痴漢にあったこともなければ、ストーキングにもあわなかったし、日本にいる間は、スーツでの通勤途中で腕をつかまれて、いくらか(値段)をしつこく聞かれたり、胸をつかんだり抱きついてきて走り去る男性、下半身裸をみせる男性等のさまざまな性暴力に日常的に悩まされましたが、これもロンドンにきてからはまったくないし、私の周りのヨーロピアンの友人たちでも、まず聞きません。
日本にいたときには、こういった性暴力について警察に何度か行きましたが、まったく相手にされず、警察官から「僕の奥さんは(知らない男性に)触られたときに、自分に魅力があるからだと喜んでる。どうせあと数年たてば誰も相手にしない。」とか、ストーキングについても「そのひとが実際にナイフを出して刺そうという段階じゃないと、警察には何もできない。」と言われました。
「たかがこんなことで警察をわずらわすな」、「(輝かしい未来のある)男性を訴えようとするなんて、なんて生意気な女なんだ」とういう態度にはいつもあいました。
調書さえとってもらえなかったので、その後は警察に行くことを諦めました。
安全といわれている日本で、私のような経験をしているひとは、とてもたくさんいるということに、性暴力にあわない環境にいる特権をもっている人たちには、少なくとも気づいてほしいと思います。
日本での性暴力について私の経験を話しましたが、ロンドンでこういった犯罪がまったくないといっているわけではありません。
でも、日本のように日常的なレベルで多くの子供・女性がこういった性暴力にさらされているのとは、まったくスケールが違うし、社会の反応も大きく違います。
痴漢行為が存在することをnormalise(ノーマライズ/普通のこととする)しないし、市民たちも被害者をその場で助けるし、自分が直接被害にあった/あわないにかかわらず、多くの市民が法律を強化するよう政府に働きかけることも起こります。
あるイギリス人女性ジャーナリストが妊娠後期に電車でおしりを触られたとき、電車内の緊急電話ですぐ運転士に話し、次の駅では数人の警察官が待っていて加害者を連れ去ったそうです。周りの乗客たちも万が一加害者が攻撃的になることを考えて、警察に加害者が引き渡されるまで、彼女の周りを囲んで守ってくれ、警察に対する証言にもとても協力的だったといっていました。
痴漢が起こること自体があってはならないことですが、もし起これば、上記のような対応が普通ではないでしょうか。
痴漢行為を見ても、周囲の誰もが見て見ぬふりをしたり、痴漢を当たり前とみるひとびとが多い社会は異常だし、危険です。
痴漢行為の加害者は往々にして男性で、被害者は子供や若い女性であることが多く、立場が弱い子供や若い女性を、被害に直接あっていないということだけでも被害者より強い立場にある周囲のひとたちが守ろうとしないのは、ヒューマニティーはどこに存在するのかと思います。
また、これは構造的な問題であり、政府に、国民が安全に暮らせる環境をつくり維持する義務(法律の制定や施行も含めて)があることも覚えておく必要があります。

このVictim blaming(ヴィクティム・ブレィミング)とたたかうには、この仕組に気づく必要があります。

まず最初に、被害者がどんな人であろうと、何をしていようと、誰かがその人をレイプしたり暴行したりする権利や、正当性は全くありません
地球上のどの地域に住んでいても、私たちはひととして生まれた限り、人種や民族、性別、難民や移民である、心身に障害がある等にかかわらず、安全な環境で自由に生きられる権利があります。
これは生まれつき誰もがもっている権利で、誰にも奪えないものです

もしこの原則に賛成できない、というのであれば、そのひとは、状況や、相手が誰かによってはレイプや暴行をしてもいい、と考えていることになります。
これは間違っているし、こういった考えの人がいなくならないと、加害はとまりません。
被害者が何を着ていたか、飲酒していたか、どこにいたか等は、まったく意味のない質問です。
ここには、日本だけでなく世界中の地域にいきわたっている家父長制(男性至上主義)が背景にあり、これにオプレッション(※)を受けている女性までもが、この考えを内在化し、被害者を責めることにつながっています。
この仕組みで得をしているのは、加害者です。
加害者の大多数が既存特益層にあたる男性で、被害者の大多数が社会的に弱い立場にいる子供(女子・男子)と女性なので、圧倒的に強いグループが社会的に弱いグループに所属する人を黙らせることは簡単で、個人的な問題であると同時に、普遍的な社会・法律・政治・権力の仕組みを変える必要があります。

Perfect Victim(パーフェクト・ヴィクティム)という加害者に都合よくつくられた罠からどう抜け出して、闘うかは次回に。

※オプレッションとは:
日本語では「抑圧」と訳されることが多いようですが、英語での意味はもっとクリアーです。オプレッションは、すでにその社会で独占的な力をもつグループの人々の特権を保ち続けるための権力の仕組みをさしています。
日本の場合は、独占的なグループは大人の男性たちで、イギリスやアメリカだと、白人男性となるでしょう。

Yoko Marta