ヴィクティム・ブレーミングと闘うー社会・権力構造を見抜く・変える ②

Yoko Marta
10.03.25 06:23 PM - Comment(s)

ヴィクティム・ブレーミングと闘うー社会・権力構造を見抜く・変える ②

今回は、少し日本を離れて、このVictim Blaming(ヴィクティム・ブレーミング)の仕組をもっと大きな視点から。

パレスチナ人の詩人、Mohammed El-kurd(モハマッド・エル=クルド)さんが、最近、「Perfect Victims(パーフェクト・ヴィクティムズ/完璧な被害者たち)」というタイトルの本を出版しました。

モハマッドさんは、パレスチナ人に対して、「完璧な被害者」を西側メディアや西側政府が求める仕組み、性加害の被害者に対してメディアや社会が「完璧な被害者」を求める仕組み、黒人差別の被害者に対してメディアや社会が「完璧な被害者」を求める仕組みは、とても似通っているとしています。

ここでいう「完璧な被害者」とは、以下のようなものです。
・ いつも泣いていて頭を深くさげている
・ どんなに不正な暴力をふられても、絶対にやり返さず、加害者に対する怒りや不満もみせず、ただただ泣いている (→ 加害者が、被害者一家やコミュニティーをブルドーザーで壊して追い出し、言葉で抵抗する丸腰の村人たちを銃で殺しても、被害者たちが近くにあった木の棒で対抗すれば、テロリストというラベルを貼られ、長い間監獄に閉じ込められる可能性もある。加害者は、まったく罰せられない。これが数十年続いている)
・ 片方の頬を殴られたら、もう一方の頬を加害者にさしだす(被害者は、どんな抵抗も許されない、でも加害者は何をしてもいい)
・ どんなに悪く扱われても、いつも礼儀正しい言動を行う
・ 主体性はまったくなく、いつも慈悲を求めているだけの存在
・ 病気やけがをしていて、加害者に対して何らかの抵抗や反抗ができる状態ではないことが明白
・ 根本的な問題ー西側諸国の政策の問題や社会構造の問題ーについて不満や痛切な批判を言わない(=事実だからこそ、特権のあるグループは心地悪く感じるので、事実を明確に述べる被害者は不都合な存在として排除。西側メディアや国連で話すことが求められるのは、子供たち)

普通に考えれば、どんな人間でも、「完璧な被害者」になりえないことは明白です。

「完璧な被害者」像が当たり前のように受け入れられていて、そこから外れる被害者たち(完璧な被害者の枠にはまる人間はひとりも存在しようがない)が責められる対象となり、加害者への責任の追及が完全に抜け落ちてしまうのは、権力構造の仕組みのせいです。
加害者は、その社会構造の中で支配者グループに所属していて、その社会の中では、支配者グループの力がとても強く、被害者が所属する被支配グループの力がとても弱いという極端に不均衡な権力関係の中で、支配者グループが被支配グループをいつまでも圧倒的な力で支配するためにつくりあげられた仕組みだから、支配者グループにとって都合のよいナラティヴや暗黙のルールや実際の法律や社会構造がつくられます。
さまざまな現象の共通点をみて、表面ではなく、根本的な問題を理解することはとても大切です。
特に、その社会で弱いグループに属する人々(社会や世界の大多数の人々)は、自分たちに問題がふりかかってくることを避けることを選択できないため、根本的な問題を鋭く見抜ける立ち位置にいるともいえます。
私たちは、世界のひとびとと協力して、これらの根本問題である、「特定のグループの独占支配・至上主義 ⇔残りの多くの人々が、左記のグループから基本的人権(安全に生きる権利/自由/機会の平等など)を侵害されている」という構造を壊し、誰もが同じ権利をもつことを認め尊重し、協力しあって生きていける社会に変えていく必要があります。
少数の独占グループに所属している人々やそのグループの近くでおこぼれをもらっている人々は強く反発するのは明らかなので、それに抵抗するためにも、世界中の弱い立場にいる人々が結束する必要があります。

モハマッドさんの家族は先祖代々、歴史的パレスチナ地域に数百年にわたって住んでいますが、1948年のイスラエル建国時には、歴史的パレスチナ地域に住んでいたパレスチナ人(イスラム教徒・キリスト教徒)の多くがイスラエルのテロ行為によって殺されたり暴力で追放されました。
国際法では、追放されたパレスチナ人たちは、もとの土地や家に戻ることが保障されているにもかかわらず、イスラエル政府の反対で実現していません。
その後1960年代にもイスラエルから多くのパレスチナ人が追放され、上記と同様にもとの土地や家に戻ることを許されていません。
現在まで数十年にわたり、イスラエル国家による原住民のパレスチナ人への暴力やときには殺人を伴うDisposession(ディスポゼッション/家や土地の所有権を奪いとること)は止まらないし、国際法でパレスチナと定められている地域への国際法違反のユダヤ人のみの居住地域を作り続けることは、続いています。
また、パレスチナと国際法で定められている地域に、イスラエル政府が多くのチェック・ポイントを設け、隣村の親戚に会うにもチェック・ポイントを通過するために長い時間待たないといけなかったり、学校へ行く途中に突然チェック・ポイントが設けられたりと、パレスチナ自治区での行動の自由がないだけでなく、チェック・ポイントでは、イスラエル兵によるパレスチナ人に対してのハラスメントや、理由を明らかにされない殺人や、罪状のない逮捕などが絶えません。
そのため、多くの国際機関は、イスラエルはアパルトヘイトをパレスチナ人に対して行っていると明言しています。
多くのパレスチナ人たちが、このアパルトヘイト状態を国際社会に認識させるために、根気よく自分たちへの被害を記録し証言を行い、国際機関へと働きかけ続けたからこそ、これは実現しました。

モハマッドさんの家は国際法でパレスチナの土地だと決められたウエスト・バンク地域にありますが、モハマッドさんがまだ小さかったころ、アメリカからやってきたユダヤ人が家の半分を盗んで住み始めました。
盗みの正当化の理由は、「ここは2000年前に神が自分たちユダヤ人に約束した土地で、自分たちのものだ」ということだそうです。
近所の人々の家は完全に乗っ取られたケースも多いそうです。
家を半分乗っ取られたことについて、裁判を起こしますが、この裁判はイスラエルの裁判所で行われ、ユダヤ人をあからさまに優遇する不当な法律で、裁判自体もモハマッドさんたち原住民の言語、アラビア語ではなく、イスラエルのユダヤ人が使うことば、ヘブライ語で行われます。
モハマッドさんや周りの人々は、アメリカ生まれ・育ちのユダヤ人が家を乗っ取ることを認める裁判結果をだすことが予測される裁判を少しでも自分たちに有利に、正義が行われるようにするには、国際的な注目が必要だと気づきます。
モハマッドさんは、少年のときに国連でこの不正義を訴えたことから、アメリカやイギリスといった西側諸国やさまざまな国々からジャーナリストや政府の役人たち、関心をもった普通の市民たちがモハマッドさんの家を訪れることになります。
モハマッドさんが、西側のジャーナリストに話すとき、事実である「アメリカからきたアメリカ・ユダヤ人が家の半分を突然やってきて乗っ取った」というと、ジャーナリストたちから「アメリカ」ということばを使わないように言われます。
なぜなら、アメリカのメディア、また西側諸国のメディアでは、アメリカ・アメリカ人が悪いかのような印象を与えると、正しい被害者のありかたではないとして、敵対的に扱われるか、無視される可能性が高まるからです。
こういった経験が重なっていくうち、モハマッドさんは自分自身も始終、自己検閲をして、自分の家族にも同じようなアドヴァイスを与え始めたことに気づきます。
たとえば、モハマッドさんのおばあさんは気骨のある女性で、イギリスからきた人たちにも、「私たちの問題は、あなたの国、イギリスが引き起こしたことだから」と言っていて、イギリスに対して苦々しく思っていることをはっきりと述べていたそうです。
モハマッドさんは、おばあさんのことを別の本で記述するときに、そういった苦々しい発言は、西側メディアの「完璧な被害者」の枠に入らないので、発言や態度を柔らかく表現しようとしますが、実際、おばあさんはそんなことは考えてなかっただろうし、おばあさんは正しかったと思います。
西側メディアは、パレスチナ人女性をなんの主体性もなく、ただただ泣いているだけの存在と描きたがるし、そこにはおそらくイスラム教への西側メディアの偏見(イスラム圏では男性が女性を支配している)もあります。
モハマッドさんによると、歴史的にイスラエルの抵抗運動には女性がリーダーシップをとって多く参加し、実際女性の政治家やリーダーもいるし、女性ジャーナリストもたくさんいます。
ちなみに、おばあさんがイギリスについて述べたことは歴史的な事実で、歴史的パレスチナ地域に数千年にわたって住んでいたパレスチナ人(キリスト教徒・イスラム教徒)は、オットーマン帝国のなかの一地域として栄えていた地域ですが、オットーマン帝国を滅ぼした西側諸国が勝手にこの地域を割譲し、歴史的パレスチナ地域をイギリスが植民地としました。
キリスト教シオニズム(※1)の考えをもっていた当時の外務省バルフォアさんがバルフォア宣言で、あいまいな表現ながらも、ユダヤ人が歴史的パレスチナ地域にユダヤ人の国を建国することを約束しました。
そこから、ヨーロッパ大陸から大量にやってきたアシュケナジ(ヨーロッパ大陸からやってきた白人ユダヤ人)たちが、原住民であるパレスチナ人たちから、さまざまな方法で土地や資源を奪いはじめました。
このアシュケナジたちは、シオニズム(キリスト教のシオニズムよりもっと後の時代に、迫害された現ロシア・東ヨーロッパ地域のユダヤ人が中心となってつくりあげ、発展した)というイデオロギーで、最初からSettler Colonialism(セトラー・コロニアリズム/入植者植民地主義)の思想・計画をもっていて、原住民たちと平和に協調して暮らしていく、という選択はなく、ユダヤ人至上主義で、ユダヤ人のみが支配グループで、原住民たちは殺すか暴力をつかって追い出し、追い出せなかった原住民たちは厳重な支配下におき、人権や自由は徹底的に奪い、少しの抵抗も許さないという、まさにイギリスやフランス、ドイツ、ベルギーといった国々が数百年以上にわたっておこなってきた帝国主義・植民地主義と同じことをしています。
大きな違いは、イスラエルの入植者植民地主義のはじまりの時期と、現在もこの入植者植民地主義を行っている真っ只中ということです。
西側諸国の植民地主義は、数百年の支配のあと、第二次世界大戦後には植民地国からの大きな抵抗が続いたことにより、植民地国の独立が続き、現在、入植者植民地主義をすすめる暴力が続いているのはイスラエルのみです。
カナダやオーストラリアでは、大量に原住民を殺し、残った原住民たちは狭い地域に無理やり移住させ閉じ込め、子供たちを家族からさらってキリスト教寄宿舎にいれ原住民のことばや文化を引き継がさせないようにし(これも虐殺の定義にあたる)、原住民たちがたたかうことが不可能な状態となってから長い時間がたっています。
この段階になってはじめて、カナダでは「私たちは、原住民の人々から奪った土地の上に暮らしていることを認識します」という一言を文学祭や公式の行事等で言うそうですが、現在生き残っている原住民に対して土地を返却するとか賠償する等の責任を取るつもりは全くありません。

また、この帝国主義・植民地主義は貧しい想像力からできていて、「支配⇔被支配」の考えしかなく、もし誰かが、「誰もが同じ権利をもち協調して生きていける社会にしよう」というと、「きみは支配側にまわりたいということだな → きみが支配側にまわれば僕は被支配側になって特権を奪われたり殺されるかもしれない(自分が被支配グループに対して行ってきていること)、そんなことは許さない → 危険な考えをもっている人は殺すか(危険な考えが被支配グループに広まないようにするため)牢獄に閉じ込めないと自分や自分のグループが危険に陥る → 被支配グループが人権がなくみじめで尊厳のない状態であればあるほど、自分たち支配グループの安全性が高まる」という発想パターンに陥るそうです。

こんなにあからさまな不正義が続いている状態でも、パレスチナ人たちは、「完璧な被害者」であることを求められ、そうでなければ、テロリスト認定されるか、野蛮人のかたまりで、彼ら・彼女らの命の価値はゼロというように扱われます。
パレスチナ人たちは、非暴力での抵抗運動も続けましたが、丸腰で武器をもたないマーチを行えば、イスラエル兵たちから、殺す意図をもって射撃され、実際に、多くの市民が殺され、助かっても身体障碍者となる人たちもたくさん出ました。
それでも、イスラエル兵たちやイスラエル政府が罰せられることは、数十年の間、まったくありません。
これは、白人至上主義という社会構造の中で、アメリカの黒人差別で、黒人に何をしようとも、不当な加害を加えた白人や警察官が罰せられない状況とも似ています。
ここでも、被害者の黒人が過去に犯罪歴があったかどうか、職歴や学歴等が大きな批判にかけられ、加害者である白人や警察官の責任については誰も追及しません。
性暴力でいえば、家父長制からくる男性至上主義という社会構造の中で、社会的に力をもっている男性加害者が、子供・女性被害者に何をしようと被害者を社会的に黙らせたり、NDA(Non Disclosure Agreement/秘密保持契約ー示談のようなもので、被害者が被害について語ることを禁止)で法律的な枷をつけることにも似ているでしょう。
ここでも、女性被害者が何を着ていたか、アルコールを摂取していたか、過去の異性関係等が大きく批判され、男性加害者の責任については誰も追及しません。

どのケースでも、その社会での支配グループが最優先され、被支配グループは基本的人権さえも奪われていることで、ヒューマニティーとして当然である「どんな理由でも、相手が誰でも、どんな状況でも、虐殺・殺人・暴力・性暴力を行う権利は誰にもない」という原則は完全に無視されています。
この支配グループに都合の良い風潮や暗黙のルールは、被支配グループの多くの人々も無意識に内在していて、性暴力の被害者を責める女性は多いことにも現れています。
また、ここには、その社会で強い側についていて恩恵を受けたい、という気持ちもあるでしょう。
これは、数としては少数である支配グループが、大多数である被支配グループを分断させ、社会構造の不正義さを追及したり、支配グループの人の言動について責任をとることを求めないようにすることにも役立っています。
アメリカでの奴隷時代には、白人オーナーが、黒人奴隷の中に人工的なハイラルキーをつくり、ごく一部の黒人奴隷に、ほかの黒人奴隷たちを監視したり身体的に罰する役目をさせる代わりに、少しの特権(住む場所が少しよい、労働が軽め等)を与えていたそうです。
これは、奴隷システム自体を壊すことに奴隷たちが力を結束させるべきところを、中間管理職の黒人奴隷が、みんなで協力してシステムを壊すことを邪魔している(抵抗運動を起こす発想をもった人たちへの監視や罰は特に厳しかった)、ということにもつながります。
そんな不可能に見えるシステムでも、構造を見抜きゆさぶりをかけ、周りの人々を巻き込んで奴隷制を壊していった黒人奴隷階級に属していた黒人たちもいます。
ひとびとの想像力、勇気、正義や尊厳を求めて抵抗し続けること、ひとびとが結束して行動をおこしつづければ、システムは崩れるしかない、ということに希望も感じます。

加害者がまったく罰せられることなく、加害者が所属するその社会の支配グループが、被害者をどこまでも抑えつけている状態は、表面上は秩序が保たれているように見えるかもしれませんが、支配グループ内でもそのようなことがおこり続ければ社会全体にモラルや信頼がなくなり、かつ、ひととして尊厳や自由、基本的人権を奪い続けられている支配される側のグループが抵抗に立ち上がらないわけはありません。
イスラエル社会はすでに虐殺を支持する人々が多い状態になっていると、ユダヤ系イスラエル人や、ほかの国々のユダヤ人も述べていますが、不正義が早い段階で国際社会によって止められていれば、虐殺までエスカレートすることはなかったでしょう。
日本での性暴力、特に痴漢や盗撮、セクシャルハラスメントが絶望的にひどい状況で広くいきわたっているのは、これらの性暴力が軽く扱われ、加害者が責任を取らないですむ社会であることが大きいのではないかと思います。

不当な加害を70年以上にわたって続けているイスラエル側については、西側諸国・主要西側メディアは、「イスラエルには自衛権がある(→パレスチナ人の自衛権については全く言及しない)/イスラエルは自分たちと同じ民主主義の国/ジュデオ・クリスチャンの国で私たち西側の文明化された国々の一つ/ヨーロッパで虐殺されたユダヤ人の祖先をもつ人々だから間違ったことができるわけがない」といった、おそらく言っている人々も意味をなさないとわかっていることばをロボットのように言い続けます。
ここには、植民地主義・白人至上主義を本当の意味で振り返り反省したことのない西側諸国が、イスラエルが自分たちが植民地国に行ったことと同じこと(原住民の土地や資源を暴力で奪い、殺人や虐殺を行う。罰や責任をとることは絶対にない)をやっているのをみて、批判すれば自分たちの国の歴史的責任に向き合うことになるので、目を背け続けているともいえます。
白人主要国であるアイルランドが、イスラエルのパレスチナ人虐殺や長年の加害に対して大きく反対の声をあげているのは、アイルランドはイギリスの最初の植民地で、イギリスからのひどい搾取や加害を受け、残虐な抑圧に抵抗し続け、多くの命を犠牲にしながらもイギリスからの独立を勝ち取った歴史があるからです。
アイルランドは、植民地でひとびとが残虐に扱われることを、よく知っています。
アイルランド独立時に、イギリスからの植民者が多かった北アイルランドは、イギリスの一部として残されることになりましたが、アイルランド統合を求める人々(カソリック教徒)、イギリスへの帰属を続けることを求めるイギリスからの入植者とその子孫(プロテスタント教徒)の間で市民戦争が起こり、多くの市民が巻き添えになって殺害され、その終息を迎えたのは1990年代のことです。
今でも、火種は消えておらず、再燃してはそれを抑えるということは続いています。

モハマッドさんの結論は、加害者によってつくられた「完璧な被害者」像は、ひととして不可能なものだし、そんな枠にはまろうとして、自分の言動を自己検閲することを拒否する、ということです。
自分の家の半分が盗まれても怒りを感じなかったり、普通に家のまわりを歩いているだけでイスラエル兵に銃で脅されたり、友達と学校の校門近くに座っているだけで狙撃されるようなときに、何も感じず殺されるのをじっと待っていたり、イスラエル兵に怒りや憎しみをまったく感じないのは、人間ではありません。
モハマッドさんは、「完璧な被害者」を演じることをRefuse(リフューズ/拒否)し、この「拒否」は、アメリカでの黒人差別をなくす運動や南アフリカでのアパルトヘイトの撤廃を求める運動に、長い時間はかかったものの、大きな役割を果たしましたことを述べています。
モハマッドさんにとって、パレスチナ人のstruggle(ストラッグル/闘争)は、ほかの地域や分野でおこっているオプレッション(※2)に対する闘争の縮図であるとしています。
この闘争は、オプレッションを受けている人々が、命の価値や人としての価値、尊厳がないように扱われる状態を拒否することを指しています。

モハマッドさんは、自分の声を聞いてもらえる大きなプラットフォームをもっている分、どんなに希望がないような状況でも、希望を持ち続ける義務があると思っています。
モハマッドさんは、Hopeless(ホープレス/希望のない状態)になることを拒否します。
それには、世界中で、たとえ大学から追放されることになっても、正義を求めてマーチに参加する学生や教授たち、政府の職からパレスチナ人への虐殺を止めることを求めて離職する人々、監獄にいく可能性があるのに武器工場に対してプロテストを行う人々、真実を語ることで解雇されることがわかっていながら良心にしたがって真実を報道するジャーナリスト、イスラエルへ輸出する武器をコンテイナー船にのせることを拒否するアジアの港湾労働者たち、といった人々が希望を与えてくれるそうです。

(※1)キリスト教シオニズムは、パレスチナ地域にユダヤ人がやってきてイスラエル国を建設すると、神の再降臨があるというもの。シオニズムに反対するユダヤ人学者やユダヤ人たちは、このキリスト教シオニズムでは、神の再降臨で、異教徒(ユダヤ教徒も異教徒)はすべて殺される、というくだりがあることをあげて、このキリスト教シオニズムを自分たちの政治的意図などに利用する現イスラエル政府を皮肉っています。

(※2)オプレッションは、Dominant Group(ドミナント・グループ/支配グループ)の既存特益やPriviledge(プリヴィレッジ/特権)を保ち続ける権力構造。

Yoko Marta