抵抗することの重要さ ー 勝つ必要はないけど、相手からの危害をストップさせる
いじめやハラスメントはあってはいけないことで、加害者が100パーセント悪いのですが、特に弱い立場におかれがちなひとびと、若い女性や若い男性、仕事を始めたばかりの人たちは、特に加害のターゲットになりやすいので、それに抵抗する戦略をいくつかもっていることは大切です。
加害のターゲットになるひとに問題があるのでは、といった嘘に惑わされれる必要はないし、加害者が加害をすることを選択し、たまたま目に入った人たちがターゲットになるだけで、被害にあわない方法なんて存在しないことは、理論的に考えれば、納得すると思います。
被害者を責める人たちは、加害者をかばうことで加害者やその社会構造から何かしらの利益を得ようとしている人たちや、加害を見て見ぬふりをしていることで罪悪感がどこかにあり被害者が消えてくれたら自分の罪悪感がラクになるのに、という人たちなので、その人たちのいうことに耳を傾ける必要はありません。
誰もの意見が同じように価値や真実があるというわけではありません。
ウクライナ生まれで、アメリカで育ち、今はウクライナでジャーナリストをしているRomeo Kokriatskiさんが話しているポッドキャストをたまたま聞いて、自分(ウクライナ)よりずっと大きないじめっ子(ロシア)に攻撃されたときにどうするか、という話でもあったのですが、戦略としてとても参考になります。
イギリスなどの西側諸国では、「完勝」か「全敗」の二つのオプションしかないように話がちですが、戦争や侵攻の圧倒的に多くは、「完勝」でも「全敗」でもなく、これ以上戦ってもどうしようもないという段階で、話し合いで決着がつきます。
日本は第二次世界大戦で完全降伏しましたが、これは、歴史的にとても稀な例です。
ロメオさんは、背が低く小柄で、茶色の肌、運動よりも本好きなタイプで、アメリカで育っているときには、学校でよくいじめの標的になったそうです。
でも、ロメオさんには、これをカウンターする戦略がありました。
ある日、10代半ばのとき、体育の時間のあとのロッカールームで、クラスの中で、とても体が大きく攻撃的で、誰もが恐れているクラスメートがロメオさんに目をつけ、いじめ始めます。
ロメオさんは、冗談を交えて言い返しますが、ほかのクラスメートたちは焦って、ロメオさんに「やめろよ。やつは、きみを殺すよ。」と口々に言ったそうです。
ロメオさんの分析は以下です。
「やめろよ。やつは、きみを殺すよ。」と言ったクラスメートは、僕の安全を気にかけてこう言ってるわけじゃない。
彼らは、cowards(カワーズ/臆病者、弱虫、ひきょう者)で、おくびょうさを強固にしたいだけ。
彼らは、自分たちのおくびょうさや卑怯であることが、正しい(対応)だということをみたいだけ。
(彼らが)正しいと思っているのは、小さな力しかもっていないひとは、大きな力をもっているひとに、すぐに降参して言いなりになること。
(分析終わり)
ロメオさんは、育っていく中で、先生や警察官といった権威のあるひとびとや、体の大きいいじめっこたちが、ロメオさんに目をつけていじめをはじめるとき、いつも言い返して抵抗・反撃していました。
周りの人たちは、「(相手はきみよりずっと強くて勝てないんだから)喧嘩をかうな」と口々に言ったそうですが、ロメオさんは、自分をわずらわせるようなことを黙って何もしないのは嫌いで、これをストップさせるのが自分のするべきことだと思います。
ロメオさんの経験でいえば、いじめをストップさせるには、(たとえですが)相手が殴ってくるときには、相手が殴ることをやめるまで、自分もパンチすることだと言っています。
ロメオさんは小柄だし喧嘩に強いわけでもまったくないので、喧嘩に勝ったことは一度もないけれど、相手が自分に危害を加える行動をストップさせることには、いつも成功していたそうです。
ロメオさんは、自分の力は弱くても、殴り返すことをやめないことで、相手に十分な痛みを与え、これ以上ロメオさんを殴り続けると、敵も予期していなかった(=小さくていじめても反撃しないだろうと決めつけていたから)痛い思いをするので、これ以上殴ることを続ける価値はあるのか、と考え始めて、殴ることをストップします。
ロメオさんは、敵が自分よりも身体的にずっと強いときのresistance(レジスタンス/抵抗)のポイントは、自分の抵抗(例/殴り返す、言い返す)が敵にとって十分な痛みを感じるようにし、そうすることで、敵は、自分を攻撃(例/殴る)すると、敵自身にも痛みが返ってくると気づいて、自分に対する攻撃をやめることだと言っていました。
目的は、勝つか負けるかではなく、相手が自分に危害を与えることをやめさせること。
もちろん、生死の危険があるときは全力で逃げるか、逃げることが不可能であれば、その場では降参しているふりをしているしかなく、それは賢明な選択で、卑怯でも臆病でもありません。
日本のような経済的に豊かで、ある程度政治が安定している国では、通常の学校や職場で起こることは、生死の危険が伴わない場合が多いと思います。
私自身、さまざまな職場で働きましたが、日本で働いていたときや、日系企業だと、働き始めの数か月は、新しく入社した人をいじめや憂さ晴らしのターゲットにしようと、飛びかかってくる日本人たちにも何度か出くわしました。
学校を卒業して働き始めたばかりの若い人たちには、特にこういった行動はこたえると思いますが、いじめる人たちが100パーセント悪く、たまたまターゲットになったひたとたちにまったく非はありません。
恥ずかしいのはいじめをした人であって、いじめられた人が恥ずかしく思う必要はまったくありません。
また、会社や学校、公共機関(電車やバスなど)には、「誰もが安全に過ごせる環境」を用意することが、最低限の義務として課せられていることも心にとめておきましょう。
こういった人たちは、新しい人が入ってくるたびに同じようなことをしていたので、ある意味病気だと思うのですが、残念ながら、仕事上関わることは避けられない場合は、この人たちに、「私に危害を加えるとあなたも痛い思いをする」ということを思い知らせ、危害をストップさせる必要があります。
いったん、反撃しない簡単な標的だと判断されると、さらに言動がエスカレートし、その状況が固定されてしまうと、それに反撃することがとても大変になるので、できれば、早い段階で反撃するのがベストです。
練習や経験、トライ&エラーもあったもの、私自身が取った戦略もロメオさんとよく似ています。
なかには、「どんなにいじめられても、理不尽なことをされても、自分より目上のひと(=自分より長く働いているひとたちや男性一般)には逆らってはいけないし、抵抗してもいけない。ただただ頭をさげて、いじめを受け続け、ほかのターゲットができて自分が解放されるのを待たなければならない」と洗脳されているひとびとも見ましたが、この戦略がうまく作用したのを、個人的には見たことはありません。
どんな状況でも、どんな人に対しても、いじめやハラスメントをする権利は誰にもなければ、いじめやハラスメントを正当化する理由は地球上のどこにもありません。
誰にも、安心して過ごせる・働ける権利があります。
残念ながら、自分の中のEvil state of mind(イーヴィル・スティト・オブ・マインド/邪悪な・悪い状態のマインド)を野放しにしていて、周りにいじめやハラスメントといった邪悪さをまき散らす人たちを完全に避けることはできないので、そういう人に出くわすことも想定して、いくつか戦略をもっておき、練習して自分のものにしておくことが大切です。
もちろん、会社内のいじめやハラスメントを扱う部署や訴えをあげる仕組、公的な機関の連絡先等を知っておくことも重要です。
また、会社で一緒に働く人は選べないけれど、友達は選べるので、自分の趣味や好きなことでつながれる場所を複数もっていることは大切です。
ロメオさんが言っているように、相手の理不尽な言動に抵抗することは重要です。
ここでのポイントは、そのひと(Being)ではなく、言動(Doing)にフォーカスすることです。
ここでの目的は、理不尽な言動をストップさせることで、そのひと自身(Being)を否定したり貶めたりすることではありません。
この区別は大切です。
勝つ必要はないので、ひどいことを言われたら、「今、なんておっしゃいました?/すいません、聞こえなかったのでもう一回言っていただけますか?/今、〇〇って聞こえたんですが、そうおっしゃいましたか?」ととぼけて、周りにもひどいことを言っているのが聞こえるようにして、本人が恥ずかしいと思うような状況をつくるのも一つの手段です。
「みんながあなたは仕事で協調していなくて勝手だと言ってる」等の言いがかりをつけられたら、「みんなって具体的には誰ですか?」と聞き、「みんなはみんなだ、そんなこともわからないのか!」と怒鳴り始めたりしたら、相手が理不尽なのは明らかなので、少なくともそれが言いがかりであることは簡単にわかります。
それでもしつこく言ってくるようであれば、「仕事で協調していないというのは具体的にどういうことで、どういった影響が会社の利益に対して、でているのでしょうか?具体的に説明していただければ、お互い会社の利益にとっていい方向に変えていくことができますよね。」といった方向で、相手のコートにボールを投げ返すようなことでも構いません。
特に、仕事を始めたばかりだと、周りにも知っている人もいないし、人間関係もよく見えないし、誰もがこのいじめっ子の味方をしているようにしか見えなかったり、仕事上で聞かないとわからないことも多いので、抵抗すると仕事の邪魔をされるかも、とおびえる気持ちになるのもわからなくはありません。
でも、ビジネスの基本は、「会社の利益」なので、そこに注目するようにもっていくと、新しく仕事をはじめたひとが分からないことがあるのは当然なので、必要な情報を与えないひとたちが、「会社の利益」にダメージを与えている行動をしているということになり、後者に非があることは明確になります。
私はもともとITエンジニアとして仕事を始めたこともあり、データや数字を扱うことは自然と好きなのですが、そうでなくても、仕事上で、自分が何をしているか、という簡単なデータをもっておくことは大切です。
例えば、日系企業にしか起こらないとしか思えないのですが、仕事の区切りが明確でなく、始終、マネージャーが、ほかの人の仕事の一部を割り込んでいれてきて、マネージャー自身が自分の仕事すら管理できず、一番新しく入った私に対して、私自身の業績は既によかったのにも関わらず、定時で仕事をさっさと終わることや、お昼時間をオフィス外できっちり取ることに不満をいだき(ほかの日本人たちは奴隷のように、お昼もオフィスで電話を取り仕事をし、トイレに行く回数までカウントされ、定時で仕事を終わることも許可制だったのを受け入れていたーヨーロピアンの同僚たちは、私と同じ行動)、協調性がないということで呼び出されて言いがかりをつけられたことがありますが、エクセルシートに簡単に、一日のうちにどれだけ、ほかの人の仕事をしたかを記録していたので、そこから、40パーセントの時間は、ほかの人たちの仕事をするのに使っていますよ(必要であれば、いつ誰のプロジェクトをどのぐらいの時間手伝ったのかを見せることも可能な状態ーだけど要求されるまでは見せない)とデータ(事実)に基づいたことを言うと、絶句していました。
ちなみに、お昼休みに、働いている人を職場にいさせて電話を取らせるのは違法なので、そこに言いがかりをつけはじめると、そのマネージャーだけでなく、会社自体が訴えられる可能性もあるという事実(=法律)をよく知っておくことは大切です。
ただ、言いがかりをはっきりとつけられる前に、それは違法ですよ、というConfrontational(コンフロンテイショナル/対立的)な言い方をすると、事実ではあるものの、喧嘩を売っているように取られかねないので、明確に言いがかりをつけはじめたときに、どう対応するか(反応するのではなく)、考えておくのは助けになります。
また、誰一人抵抗しないことが、さらにいじめっ子の言動を助長することになるので、「自分さえいじめられていなければいい/自分は直接いじめているわけじゃないから私には関係ない」と考えているとすれば、あなた自身もいじめやひどい状況を保持することに加担していることは覚えておきましょう。
そんな記録している時間が無駄だ、と怒鳴り散らす人もいるかもしれませんが、コンピューターを使うことが仕事の大部分であれば、エクセルシートを小さくして常にアクティヴにしておき、誰かの仕事の割り込みがあったときは、そこに簡単に誰の仕事の何か(顧客への電話など)、いつからいつまで行ったかだけを記入するのには十秒以下でできます。割り込みの仕事も定型であることが多ければ、ドロップ・ダウン式にしてわざわざタイプしなくても選ぶだけの状態にしておくとさらに時間短縮です。
これを聞いて、そんな面倒なこと。。。と思うかもしれませんが、データ(=証拠・事実)に対して争うことは難しいので、これも武器の一つです。
また、給料査定やパフォーマンス・レヴューでも、自分が何をしたかという記録があるので、さっとアピールしたいことをまとめるにも役立ちます。
ただ、データを示しても、「業績がいいかどうかなんて関係ない!態度が問題なんだ!」と相手が怒鳴り出した場合もありましたが、業績(=会社に利益を与えている)がどうでもいいわけはありません。
この時点で、相手がおかしいのは明白なので、「会社は利益を出すための存在」というところにフォーカスを戻し、「態度っていうのは具体的にどういうことでしょう。顧客から苦情があって、会社の利益に影響が出たということなのでしょうか?そうだとすると、とても重要なことなので、ぜひ教えてください」と、相手が言っていることに感情的に反応するのではなく、あくまでも、「会社の利益」がお互いにとって一番大事なことですよね、というところにフォーカスをもっていきます。
そうすると、もごもごと、顧客から苦情があったことは一度もない、ということが出てきます。
「それはよかったです!これからも、会社の利益をあげるためにお互いがんばりましょうね!」ということで話を終わらせれば、今後は、下手に言いがかりをつけると、自分が恥ずかしい思いをする(←私は相手を恥ずかしいと思わせたいわけではまったくなく、私への言いがかりをやめさせたいだけ)と気づき、攻撃や言いがかりは止まります。
相手によっては、一度抵抗しただけではたりず、言いがかりやいじめのジャブを再び繰り広げてくる場合もありますが、多くは一度の抵抗で言いがかりはとまったし、2回か3回、軽くジャブで打ち返せば、攻撃は止まりました。
これらの攻撃や言いがかりについては、すべて記録に取っておくことが大切です。
手書きでもいいし、ワード等のファイルでもいいし、Voice Noteでもいいのですが、「誰が/いつ/どこで/何をしたか・言ったか・話し合いの内容/証人や周りにひとがいればそのひとたちの名前や部署等/自分がどう感じたか」を書いておきましょう。
一つ一つは小さなことに見えても、パターンがあれば、人事にも扱ってもらいやすいし、訴訟となったときも証拠となります。
記録は自分だけが見られる場所で、ほかのひとがタッチできない場所に保管しておきましょう。
これも、本来なら、高校生ぐらいでアルバイトを始める前に、誰でも知っておいて、練習しておいたほうがいいことです。
加害者も、自分が訴えられたり、人事からの聴取を受けたりするのは苦痛なので、そういった対策を誰もがしていれば、加害を思い立ってもしない可能性が高くなります。
ただ、誰もが心にとめておく必要があるのは、たとえ仕事で目に見える業績をあげていなかったとしても(そもそも会社の利益にどう貢献しているのかが見えづらい職種や役割もたくさん存在するし、何を利益に貢献しているとみなすのかという定義もひとつではないし、医療のように利益ベースでははかれない業種だってある)、そのひとが、ほかのひとよりもひととしての価値が低かったり、より少ない権利をもつ、ということはありません。
仕事ができるようになるまでは、なんの権利もない、というような嘘をいうひとも日本では多いかもしれませんが、仕事ができる・できない(仕事ができるという概念自体が一つではなくさまざま)に関わらず、私たちにはひととして平等・公正(えこひいき等なく)に扱われ、ひととしての尊厳を尊重される権利があります。これは、誰にも奪えません。
また、他人の目に私たちがどううつっていようと、私たちのひととしての価値が変わるわけではありません。
私たちはみんな、生きてこの世に存在するだけで、誰もが同等にひととしてのかけがえのない価値をもっていて、同じ権利をもっています。
権利は生まれつきもっているもので、誰にも、自分にも奪えないもので、義務とは全く関係ありません。
また、仕事は私たちの人生の一部分でしかないことは、理解しておきましょう。
最後に一つだけ、判断が難しいパターンを。
会社でいじめが起こっているときに、いじめに加わることを拒否するのは、抵抗の一つで、とても大切です。
いじめっ子は、張り子の虎のようなもので、軽くジョークをまじえて言い返しただけで、大きく引き下がったこともあります。
卑怯な行動をするひとは少数で、周りがそれに加わらなければ、彼ら・彼女らは何もできません。
難しいのは、いじめられているようにみえる人が、いじめっ子に立ち向かうのではなく、いじめっ子に完全にひれ伏していじめっ子側にグループに入ろうとし、自分より立場が弱いひとをつくりだし、その人をターゲットにすりかえようとしている場合です。
こういった人がいったんいじめっ子側にまわった場合、もともとのボスだったいじめっ子よりもひどい行動をとる場合があります。
こういった人から助けを求められた場合、また、こういった人のターゲットになった場合は注意が必要です。
助けを求められたとき、いじめっ子に立ち向かうことをサポートすることは、できる限りするべきですが、誰かほかの人をターゲットにすりかえることを暗示・明示している場合は、断る以外の選択肢はありません。
助けようとして、周りのひとと共同して作戦を練れば、この人はいじめっ子にすぐあなたのことを密告して、あなたをスケープゴートにする可能性もあります。
その人には、自分に危害を加えるいじめっ子に対して対抗・抵抗する権利はありますが、なんの関係もない人をいじめたりスケープゴートにする権利はないし、それはとても卑怯な行動です。
この判断は難しいのですが、普段から観察していれば、ある程度の判断はつきます。
でも、判断を間違ってスケープゴートにされたとしても、あなたの誰かを助けようとした行動は正しい行動で、恥じることはまったくありません。
上記にいくつかあげた方法で、攻撃してくる人たちを振り払いましょう。
振り払えないレベルでひどければ、会社内での通報、公的機関への相談を行い、会社以外の、自分の趣味や好きなことでつながっている友人たちと過ごす時間をしっかりとって、リラックスする時間をつくりましょう。
特に、子供のころに虐待を受けたひとは、子供のころ、少しの抵抗でも保護者からのひどい暴力(身体的なものだけでなく心理的なものも含むー兄弟・姉妹でひどい差をつけられる、死ね等のひどいことを言われて、自分には生きる価値がないような思いをさせられる等)を恒常的に受けていれば、ひどい扱いを受けても、それをひどいことだと認識することが難しかったり、立ち向かうことがとても難しいかもしれません。
あなたがくぐりぬけてきた困難・危険を考えれば、それは当然のことなので、自分の心身の調子を気づかいながら、抵抗することを練習していきましょう。
あなたは、誰からもよく扱われる価値のある大切なひとなのです。