アートを通して、知識の追求を魅力的なものに
イギリスでは、毎年、Turner Prize (ターナー・プライズ/ターナー賞)で、4人のBritish Artists(ブリティッシュ・アーティスツ)が選出され、その中から一人が賞を受け取ることとなります。
ちなみに、このターナー賞での、ブリティッシュ・アーティスツの基準は「主にBritain(The United Kindgdomを指し、イギリス・スコットランド・ウェールズ・北アイルランドの4か国)で活躍するアーティストか、Britainで生まれて世界のどこかで活躍するアーティスツ」で、The UK以外で生まれ育ったひとびとも、このカテゴリー内に入ります。
日本のように、第二次世界大戦後は経済的に豊かになったため、日本からほかの国々に移民する必要も小さく、ほかの国からの移民を受け入れることを大きく拒否してきた国は少ないために、日本だけに育つと、「日本人=いわゆる黄色人種(人種という概念自体が偽科学であることには留意)で、日本で生まれ育ち、日本語を話す」と思うかもしれませんが、多くの国々では、「国」という線引き自体が植民地支配されていたときの名残りや、戦争での戦勝国がほかの地域を統合した名残りであり、ことばも民族も人種も文化も違うひとびとが、同じ国民として存在している場合は、とても多いです。
The UKの場合も、British(ブリティッシュ)といっても、人種(白人や有色人種などさまざま)、生まれた場所や育った場所がThe UKではない、母語も英語以外にいくつかといろいろで、ブリティッシュ=白人という考えは、人種差別となります。
ターナー賞に戻ると、毎年ロンドンのTate Britain(テイト・ブリテン)で、候補者全員の作品が展示されます。
今年は、展示会最終日にぎりぎり訪れたのですが、今まで知らなかったフィリピン出身のアーティスト、Pio Abad(ピオ・アバド)さんの作品に出会いました。
ピオさんは、フィリピン生まれ・育ちで大学を終えたあと、イギリスで過ごしています。
ピオさんの両親も親戚も、フィリピンの元マルコス大統領(現在のBong Bong ボンボン・マルコス大統領の父)の独裁政権に対して抵抗運動を続け、多くの市民たちとともにこの腐敗政権を倒し、民主主義をもたらすことに貢献しました。
日本で民主主義が理解されない、間違って理解されているのは、大多数の国々では、普通の市民たちが命をかけて闘って民主主義を勝ち取ったのに対して、第二次世界大戦で完全敗北したために、戦勝国であるアメリカから「与えられた」仕組だからかもしれません。
ピオさんは、1983年生まれで、マルコス政権が倒されマルコス家族がハワイに逃亡した1986年にはまだ子供でしたが、両親からの抵抗運動の影響もあったし、政治の混乱はその後も続いていて、常に政治や政治運動は身近なもので、日々の生活から切り離せないものだったそうです。
ピオさんの両親や親戚は、抵抗運動をしている多くのほかの市民たちと同様に、マルコス政権から命を狙われたりしますが、特に叔母のPacita Abadさんは、殺される危険があまりにも高まったため、アメリカに亡命し、そこで画家となります。
ピオさんが、アーティストになるという道を選んだのは、この叔母さんの影響も大きかったそうです。
フィリピンの政治は現在も混迷を極めているように見えますが、これは、長い間の植民地として搾取されてきた歴史、独立してからも、アメリカからの不平等で一方的な条約を受け入れざるをえなかったことなども大きく影響しています。
イギリスにもアメリカにも多くのフィリピン人の人々が出稼ぎにきて、子供たちが自分たちよりよい教育や生活が送れるよう、頑張って働いて自国に送金しています。
とても過酷な海上で働く仕事も、フィリピン人が多く雇われていて、イギリスやスコットランドなどの会社がもつ船で働いているフィリピン人漁師や船の技術者などが、とても悪い状態で働かされていることで問題になることもたびたびあります。
フィリピンは、現在は日本と同じくらいの人口で、同じく多くの島々から成る国ですが、16世紀にはポルトガルからの航海士の到着・スペインの植民地化が始まり、植民地として搾取される時代がとても長く続きます。
中国との交易はずっと続いており、フィリピン地域に住む中国人もかなりいたものの、植民地宗主国のスペインによって中国人がターゲットにされ大量殺人も起こっていたそうです。
それでも、中国系の人々と原住民であるフィリピン人との結婚も多く、19世紀半ばには、貿易をとおして経済的に豊かになったこれらの人々が息子たちをヨーロッパで勉強させ、彼らは、原住民の血を引く自分たちがもっと権利をもつべきでは、といった新しい考えをもち、コミュニティーにひろげるようになります。
これを恐れた植民地宗主国のスペインは、これらの知識人たちを殺し始めますが、19世紀末にスペインとアメリカとの戦争でスペインは敗れ、フィリピンは、アメリカに引き渡されます。
アメリカの支配下で過ごすものの、日本が第二次世界大戦に参戦してからは、アメリカにつく人だけでなく、日本に協力したひとたちもいて、混乱した時代でもあったようですが、日本はフィリピンを去る際に、フィリピンに対して、戦略上まったく不必要な、大きな破壊活動を行いました。
その後1946年にフィリピンは、Republic of Phillippine(フィリピン共和国ー天皇や王家をもたない共和国)として独立したものの、アメリカとの自由貿易(←自由貿易とは、ほとんどの場合、力が強いほうがなんでもできる自由で、力が弱いほうにとっては、とても不平等な貿易条件)との引き換えにアメリカ軍基地を99年にわたってリースすることになり、アメリカとの関係は強まります。
その後は、民主主義をうちたてようとするものの、腐敗政治、汚職に悩まされ、元大統領のマルコスさんと、その妻イメルダさんは、自分たちのための贅沢をつくし、国家のお金を大量に盗んだことで知られています。
そのお金は装飾品や美術品、贅沢な海外旅行等、さまざまなことに使われましたが、それだけでなく、軍事法をしき、一方的な逮捕や拷問、市民や反対派の殺害を数多く行い、残虐だったことでも知られています。
イメルダさんはハワイへと逃亡する際、現大統領であるボンボンさんのおしめの中に、自分の装飾品を隠して運んだそうです。
盗んだお金のほとんどが国家へは返還されず、裁判は続いているようですが、フィリピンは若い人々も多い国で、マルコス家族の犯罪と、それが現在もフィリピンの経済や社会に及ぼす影響について、よく理解していないひとたちもいて、マルコス一家は、ソーシャル・メディアやジャーナリズムを悪用して過去の歴史をうまくかきかえ、今回のボンボンさんの大統領当選へとつながったようです。
ピオさんは、イギリス在住ですが、フィリピンでの政治に深い関心と危惧をいだき、アートを通して、ひとびとに語りかけます。
アートは政治や社会問題から切り離し、月の美しさや鳥の声の美しさなどだけを扱うべきだという意見もありますが、ピオさんは、鋭く、この意見は、現在の既存特益が権力を独り占めにする社会構造を維持・強固にするためのものだと気づいています。
既存特益のあるグループは、自分たちの既存特益を保持するためには大多数の庶民が社会の不正なからくりに気づかず無知なままで、黙って搾取されていてほしいと思っています。
また、庶民たちがこの不正なからくりに気づいて自分たち既存特益グループに抵抗しはじめれば、自分たちの特権はあっという間に崩れることを知っているので、社会のなかにいつも弱いグループ、たとえば「移民」や「女性」をスケープゴートにして不満をそらし、自分たちの地位を保とうとします。
彼らは、アートはひとびとの心に直接に入っていくものだと知っているので、現在の社会の不正なからくり(植民地化の影響、貧富の差がどうつくられているか)を明確にみせるアートを恐れて、さまざまな方法で黙らせようとします。
その一つが、アートには政治色をいれるべきではない、といった意見に出ています。
気候変動活動家のグレタさんの投稿を最近見なくなった、というのも、グレタさんが少女で気候について語っていたときは既存特益層(化石燃料である石油やメタンガス等に結びついている企業やシンクタンク)に対して脅威ではなかったので発言を小さくされることはなかったものの、現在のように、根本的な問題である社会構造について声をあげはじめたことで、世界の既存特益層へ挑戦しているということで、ジャーナリストたちも彼女にインタビューしなかったり、投稿もアルゴリズムを使って拡散することを抑えているという見方もあります。
ピオさんの今回の展示の一部は、妻でジュエリー作家であるFrances Wadsworth Jones (フランシス・ワッヅワース・ジョーンズ)さんとの共同作品である、イメルダさんがハワイ逃亡の際に現大統領のボンボンさんのおしめに隠したジュエリーです。
マルコス一家のフィリピン国家からお金を盗んで手に入れた財は、あまりにも大量で、かつ秘密であるものも多く、いまだに全容はつかめていないそうです。
このハワイへと持ち去られたジュエリーも一つの角度から取った写真しかなく、この写真をつかうと、当時の大統領、Rodrigo Duterte(ロドリゴ・デュテルテ)さんから著作権に関して争われる恐れも大きかったため、この写真をもとに、3Dプリント等も使いながら、フランシスさんが作りました。
すべて、3Dプリント特有の白い色でつくられたジュエリーは、亡霊のようで、美しいジュエリーの裏にある、マルコス一家の犠牲となった多くの人々、また現在もフィリピンの普通の人々の苦しい経済状況にも影響している暗い歴史の流れを感じさせます。
ピオさんは、フィリピンがコンテクストとなっているものの、フィリピンで起こったこと・起こっていることは、世界各地で起こった、あるいは今も起こりつづけていることです。
例えば植民地主義の影響ーマルコス一家の植民地主義のイメージによってかたちづくられた欲望や過剰さ、Dispossession(ディスポゼッション/所有権を奪い取られるー植民地化で西ヨーロッパから侵略した白人・キリスト教徒に土地も資源も奪われて、原住民たちは奴隷のように扱われ続けた)の歴史などは、上記のように世界各地で今も起こっています。
ピオさんは、フィリピンで起こったこと・起こり続けていることを、フィリピンという国の物語としてだけ見るのではなく、世界で起こっている多くのことの縮図としてみてほしい、としています。
点と点をつないでみることは、とても大切です。
ちなみに、つい最近、前大統領のRodrigo Duterte(ロドリゴ・デュテルテ)さんは、ICC(International Criminal Court/国際政治裁判所ー国ではなく、個人の国際犯罪を裁く場所)へと送検されました。
ロドリゴさんは、在任中、ドラッグとの戦い、という名目のもとに、無実の市民も数多く殺すことに関与しました。
ロドリゴさんは、2018年にICCからフィリピンを脱退させましたが、2018年までに起こっていたこと(ICCに加盟中に起こったこと)は、この司法権の範囲内なので、このICCに加盟している国々(日本も含む、米国は加盟していない)は、 ロドリゴさんが自国の領地に入ったら、ロドリゴさんを逮捕してICCに送検する義務があるのですが、現大統領のマルコス一家のボンボンさんは、それを無視すると明言して、実行していました。
ロドリゴさんも、フィリピン国内で逮捕されることはない、と自信をもっていたようですが、現在の副大統領であるロドリゴさんの娘のサラさんと、ボンボンさんが政治的にも感情的にも大きく対立したことで、ボンボンさんがロドリゴさんの逮捕を認めたとみられているものの、これは、市民たちが正義を求めて闘い続けた結果です。
フィリピンでは、前大統領であるロドリゴさんの在任時に、オープンにロドリゴさんの政策や行動を批判していた女性ジャーナリストの、Maria Ressa(マリア・レッサ)さんは、彼女を黙らせるために、ありもしない脱税の容疑や名誉棄損などの容疑をかけられましたが、裁判でも闘い続け、最終的には、無罪釈放となりました。
レッサさんは、「facts(ファクツ/事実)、Truth(トゥルース/真実)、Justice(ジャスティス/普遍的な正義)」が勝ったとしていました。
また、最近の対談では、マリアさんが運営しているニュース・サイトのRappler(ラップラー)を含むほとんどのジャーナリズムに対して政府からニュースの内容制限への圧力がかかり、ほとんどのジャーナリズムは、その要求に従ったそうですが、マリアさんは拒否したときの話しがありました。
周りのジャーナリズム業界の人々は、マリアさんに、政府の言う通りにしないとニュース・サイトは閉鎖される、と忠告したそうですが、実際は、マリアさんのニュース・サイトは今も生き残っていて、政府の言いなりに屈したジャーナリズムは、ほぼすべて政府によって閉鎖されたそうです。
だからこそ、マリアさんは、信念に沿って、独裁政治者の言いなりにならない、拒否することは大事だとしています。
最初から従えば、要求はエスカレートするし、要求に従ったからといって、閉鎖や逮捕から免れるとも限りません。
これは、現在のアメリカのトランプ大統領に対してもいえることで、「権力がどう機能するかといえば、もしあなたが権力者に対して最初からいいなりになれば、その権力者はあなたに対して権力を持って支配することになる(=あなた自身が、権力者にあなたを支配する力を与えた)」ので、その要求を拒否し、抵抗することが大切です。
現在、アメリカでは多くの団体や人々が、トランプ大統領の法律違反に対して裁判に訴え、さまざまな裁判で、トランプ大統領は負け続けています。
そのため、トランプ大統領は、司法機関にさらにプレッシャーをかけていますが、人々がこれに抵抗することをやめない限り、希望が消えることはありません。