自分の権利を知り、exercise(行使)することの大切さ ー メタとの闘い

Yoko Marta
07.04.25 04:22 PM - Comment(s)

自分の権利を知り、exercise(行使)することの大切さ ー メタとの闘い

人権活動家でもある、イギリス人女性、Tanya O’Carroll(ターニャ・オキャロル)さんは、FacebookやInstagramの親会社のMeta(メタ)に対して、広告ターゲティング目的の個人データの収集と処理を止めることを求め、2022年に訴訟を起こしました。
メタは、イギリスの最高裁判所での訴訟が始まる予定だった前夜に、キャロルさんの訴えを認め、キャロルさん個人に対して、広告目的のための個人データの収集と処理を止めることを(無料で)行うことに合意し、裁判で争うことを避けました。
これは、キャロルさんだけでなく、The UK(イギリス・ウェールズ・スコットランド・北アイルランドの連合4か国)に住む人々にも、吉報です。
また、これは、キャロルさんが、自分の権利をexercise(エクササイズ/行使)した、ということでもあります。
日本では「権利・人権」が大きく誤解されているのですが、権利や人権は私たちが地球上にひととして生きているだけで、誰もが同じにもっているものであり、何かと引き換えにもらえたり与えられたりするものではありません。
また誰もが権利を尊重するとは限らないので、誰かが、自分やほかのひとびとの権利を侵害したり、尊重しなければ、それに対して裁判などを通して、自分の権利を行使し、闘う必要があります

歴史的に、西欧でも女性の権利はとても限られていた時代が長く、男性には参政権があったものの、女性には参政権をもたせたくない(=女性はいつまでも社会の階層の一番下に閉じ込めておき、自分たち権威に絶対服従・完全支配を黙って受け入れる存在であること以外は許さない)、という権威(権威をもったポジションにいる男性たち)のオプレッションによって、女性の参政権を求める運動は、大きく抑圧され続けました。
それでも、女性の権利が男性の権利と平等になることを求めて闘い続けた人々が世界中にいて、最終的には、多くの地域で女性の参政権が勝ち取られました。
イギリスのsuffragette movement (サフォラジェット・ムーヴメント/女性の参政権運動)では、平和なマーチだけでなく、公共施設の破壊なども含んだ暴力を含むもの、牢獄でのhunger strike(ハンガー・ストライキ/食事の拒否)などのさまざまな運動を通して、命を失った女性もいましたが、結果的に、女性の参政権を勝ち取りました。
日本のように、第二次世界大戦後に、無条件降伏というとても珍しい戦争の終わり方(普通は完全な勝敗はなく、どちらもが、これ以上闘っても状況は変わらなく疲弊した時点で、話し合い・交渉で戦争や紛争を終了)をし、かつ、日本が再び帝国主義となりほかの国々の領土や資源を求めて侵略を繰り返すことのないように、戦勝国であるアメリカやイギリスが、日本に対して民主主義に必要なシステムを導入することを促進した一環として、憲法があり、その中で女性の参政権も認められている、というのは、珍しいケースでしょう。
ただ、女性の参政権についての運動は明治時代末期から気運が高まっていたようで、女性の権利を求める運動が日本でも存在していたことは事実なようです。

女性参政権のように、ほとんどの場合、権利は、現行の権威の仕組と闘って勝ち取る必要があり、いったん権利が認められたからと言って、また奪われる可能性もあるため、権威がやることに目を光らせておく必要があります
たとえば、アメリカでは堕胎の権利が奪われた州がたくさんあり、実際に堕胎をしないと母体に悪影響がでて死ぬことがわかっていても手術を受けられず、亡くなった女性たちもすでに存在しています。

キャロルさんの興味深いインタヴューは、国営放送BBC Radio 4のここから聞けます。
キャロルさんの闘いは、2017年にキャロルさんが妊娠に気づいたときに始まります。
キャロルさんは、誰にもまだ妊娠について言っていなかったにもかかわらず、フェイスブック上で、多くの赤ちゃんの写真や母になる人のための広告が一気に表示されはじめたのに気づき、気味悪く思います。
キャロルさんは、私たち誰もが、ターゲット広告目的で、個人情報を集めて使うことに対してObject(オブジェクト/反対する)権利があることを知っていて、自分の権利を行使することを決意しました。

ここで、インタヴュワーから、よくある質問をいくつかされました。
キャロルさんの答えは、とても明瞭で秀逸です。

インタヴュワー: でも、あなたには、このプラットフォーム(フェイスブックやインスタグラム)を使わないという選択もありますよね。

キャロルさん:私はそれ(個人情報を使ったターゲット広告を望まないなら、そのプラットフォームを使わなければいい)をフェアな取引だとは思いません
私はフェイスブック上に20年にわたって存在していて、友達や家族といったコネクションや、友人たちとのチャットはすべてここ(フェイスブック上)にあります。
これら(フェイスブックなどのプラットフォーム)は、オプショナルなサーヴィスではなく、すでに私たちの日常的な生活や政治です。
フェイスブックでは、地球上の約30億人がユーザーであり、これは地球上の人口の約3分の1です。
アンフェアな利用条件(フェイスブックを(無料で)使う条件として、パーソナライズされた広告を受け入れなければならないという要求)や、とてもinvasive(インヴェイシヴ/侵略的)なsurveillance(サーヴェィランス/監視・偵察)を私たちが受け入れる必要があるべきではありません

さらに、インタヴュワーは、よくある下記の質問をキャロルさんに投げかけます。

インタヴュワー: あなたは、写真の共有やチャットなどのサーヴィスを無料で(フェイスブックから)受けています。
無料サーヴィスを受けいれたということは、あなた自身がProduct(プロダクト/製品)であり、このattention economy(アテンション・エコノミー/(※))では、このサーヴィスにあなたが入ったのは(=フェイスブックを使っているということ)、bargain (バーゲン/「合意」に近いことばで、物品やサーヴィスを交換したり売買するときの条件を定めた合意ー日本語英語のバーゲン=格安ではない)ではありませんか。

ここでキャロルさんは鋭く切り返します。

キャロルさん: いいえ。なぜなら、法律では、この権利は、「right to object (反対する・意義を唱える権利)」と呼ばれており、この権利により、私たち誰もが、企業に対して、私たちの個人情報をパーソナライズ広告に使用することをやめるよう申し立てることができます。
権利には、値札はついていません

キャロルさんの答えは、ヨーロッパで暮らしていれば、直感的に納得するのですが、日本では、「権利」が理解されていないため、理解しにくいかもしれません。
権利は義務や見返りの何かと引き換えに手に入れるものではなく、私たち誰もが地球上に生きているひととして持っているものであり、誰にも奪えず、自分からも奪えません。
日本で「権利」が理解されていないのは、基本的人権などの権利の思想が西欧から入ってくる前に、日本では、「天皇のもとで、天皇に絶対服従をしている限り限定された権利が与えられ、どんな命令でも天皇に逆らえば、それは人間以下だとみなされる(=権利も生きられる保障もない)」という構造があったことからきています。
その無意識にある「権利」に対する慣習や考え方の上に、欧米からのヒューマン・ライツを「権利・人権」と無理やり訳したことで、混乱が生じているのだと思います。
この「天皇」は権威がある立場の象徴で、「親」「先生」「上司」「年上の男性」等に読み替えることが可能です。
もちろん、この日本での土台にある考えは、欧米でのヒューマン・ライツとはまったく異なるものです。

キャロルさんは、以下のように続けています。

私は、広告に反対しているわけではありません。
公共利益のあるジャーナリズムでは、広告はよい役割を果たすことがあります。
問題は、広告ではなく、メタが、広告を(収集した個人情報をつかって)異様に侵略的にすることです。
私の個人情報には、700以上の広告カテゴリーが紐づけられていて、非常に侵略的でした。
権利は、お金を払って得るものではありません。
法律上での権利は、(誰からも)尊重されなくてはなりません
私のように(個人情報を収集してターゲットにする)とても侵略的な広告が嫌いなひとたちや、そういったこと(個人情報の収集やその使い道)に恐れを感じているひとたちには、それを停止させる権利があります

インタヴュワー: ほかのひとも、あなたのようにこれをやめさせることはできるのでしょうか?

キャロルさん:今回起こったことについては、個人的なsettlement (セトルメント/調停・示談)です。(=ほかの人たちに直接適用されるわけではない)
大事なのは、ICO(Information Commissioner's Office/プライヴァシー監査機関)の見解です。
プライヴァシー監査機関は、とても明確に、すべての市民は(パーソナライズされた広告に対して意義を唱え、それをやめさせる)権利をもっている、としています。
もし、ほかの人々が、私と同じように自分の権利を行使したいと思えば、プライヴァシー監査機関はその人たちをサポートするでしょう。

インタヴュワー:それ(キャロルさんがメタのパーソナライズ広告について訴訟を起こして、個人情報を使ったターゲット広告をやめさせたこと)は、ソーシャルメディアのビジネスモデルを殺し、多くの人々の仕事を奪う結果になるのではないでしょうか。

キャロルさん: これは、「選択」という問題に立ち返ることになります。これ(メタにターゲット広告をしないことを受け入れさせたこと)は、普通の市民にもっと選択肢を与えます。
企業は、さまざまな方法で人々にリーチすることができます。
現在、市場はこの侵略的な監視を伴うようなやり方が主流になっていますが、広告に関する多くのリサーチもあり、もっと侵略的でない方法で広告を行うこともできます。
それは、すべての人々の利益を守るものです。

メタだけでなく多くのプラットフォームをもっている企業は、非常に低い税金で済むよう政治家に働きかけて法律を変えたり、税金を払うことを避けるために法律のループホールを使ったりして、大きな収益をあげているにも関わらず、世界のどの国でもほぼ税金を払っていないか、とても少ない税金を払っているという現実があります。
メタのrevenue(レヴェニュー/収益)の約98パーセントは広告収入という記事を読んだこともありますが、税金の面でも、ひとびとや社会に共通の関心や利益という点からも、メタなどのプラットフォーム事業には疑問を感じる人々はどんどん増えています。
似たような事業で、Amazon(アマゾン)もありますが、アマゾン自体は別に社会に役立つことをしているわけではなく、ただプラットフォームを運用しているだけで、実際にひとびとの役に立つ自転車を売っているひとたちから大きなパーセンテージの使用料(レント)を取り、Youtube(親会社はグーグル)に役立つ情報を提供している人々の広告収入の40パーセントはプラットフォーム使用料として徴収され、アマゾンやグーグル、メタは、昔の封建時代の地主のようなことをしているTechno Feudalism(テクノ・フューダリズム)だとする経済専門家、Yanis Varoufakis(ヤヌス・ヴァロゥファキス)さんもいます。
封建時代の地主は、ただ単に祖先の誰かがどこかの時点で、土地や資源をそこに住んでいた人々から奪った結果として、土地や資源をもち、その土地で大多数の労働者を働かせ、自分は何もせずに、収穫の8割ぐらいを奪い取って(土地所有に関する法律や規則は、権威がある立場にいれば自分たちが有利なようにいくらでも曲げられるし、つくれる)自分のものにしていた仕組です。
このビジネスモデルは、上記のアマゾン、グーグル、メタともよく似ています。

少し考えれば気づくと思うのですが、メタやアマゾンに対して、実際のモノや投稿などの労働を無料で提供しているのは普通の人々であり、彼らはメタやアマゾンに対してとても高い使用料を払っていますが、メタもアマゾンも独占状態なので、それ以外のプラットフォームを使っても売り上げを得ることが難しい状態となっています。
この仕組みはすでに、深刻なカルテル状態で、資本主義の原則とはすでにかけ離れている、とする見方も多く存在し、貧困を大きく作り出している原因でもあります。
貧困は、個人の問題ではなく、社会・世界経済の構造の問題によって作り出されたものだと理解しておくことは重要です。

キャロルさんは、この番組内で、世界中の大企業の責任を問い、責任を取らせる運動を世界各地で続けているEkōの存在をあげていました。
インドネシアやほかの地域で、環境にも現地の人々にも悪影響を及ぼす採掘場の建設の禁止したり、地球上の大部分のふつうの人々の健康や関心を一番に考え、大企業と闘っています。

(※)アテンション・エコノミー:解釈は一つではありませんが、利益を上げ続けることを目的として、人々のアテンション(注目)をcapture (キャプチャー/捕獲・占拠・ひきつける)ために企業がつかうマーケティングやブランディング戦略を指すことがあります。これが、メタだけでなく多くの企業が軍事で使う監視に近いようなレヴェルでのターゲット広告を行うことにもつながり、問題になっています。
私たちは、consumer(コンシューマー/消費者)である前に、ひとであり、市民であり、ものを買うだけ(大企業に収益をもたらすだけ)の存在ではありません。

【参考】
イギリスのプライヴァシー監査機関のICOのキャロルさんのメタに対する訴訟についての声明はここから無料で読むことができます。
簡単にいうと、以下です。
人々には、パーソナライズ広告(ターゲット広告)に対して意義を唱える権利があります。
キャロルさん対メタのケースでは、イギリスの個人情報保護法であるUK GDPR(General Data Protection Regulation)のもとで意義を申し立てる権利の適用について、裁判に助力しました。
企業や組織は、どのように人々のデータが使われるかということについて、個人の選択を尊重しなくてはなりません。
これは、このやりかた(パーソナライズ広告をするために個人情報を収集、使うこと)で個人のデータが使われることをopt out(オプト・アウト/断る)する明確な方法がひとびとに与えられているということです。
もし、人々が、組織や企業が、個人情報を収集・使うことを停止する要求を、組織や企業が遵守しないと信じられる状況であれば、私たち(ICO)に苦情をあげることができます。

Yoko Marta