地球上のすべての人の命は、同等に貴重なもの ー 優劣も上下もない
日本では、報道されたのかどうかわからないのですが、イスラエルから、ユダヤ人の親子がアメリカを旅行で訪れた時、彼らを見かけたユダヤ系アメリカ人から銃で撃たれる事件がありました。
幸い、この親子は命にかかわるけがとはならなかったのですが、加害者のユダヤ系アメリカ人も、撃たれたイスラエル国籍ユダヤ人も、「アラブに死を」というスローガンを言ったのが、とても皮肉なこととして、独立系メディアのアロン・ミズラヒさんに取り上げられました。
アロンさんは、パレスチナ人虐殺が起こる前から、イスラエル社会のあり方に大きな疑問をもっていて、現在はイスラエルを離れ、アメリカやメキシコに滞在しながら、とても興味深い考察を発表しています。
アロンさんの母は、モロッコからやってきたユダヤ人家族で、父は、パレスチナ人だそうです。
恐らく、アロンさんの父は、イスラエル建国時に、数百年にわたって住んでいた土地を追い出された多くのパレスチナ人ではなく、とても少数のなんとか自分たちの生まれ育った土地に残ったパレスチナ人ではないかと思います。
なぜバックグランドについて説明しているかというと、イスラエル国内では、パレスチナ人に対する差別だけでなく、ユダヤ人の間での人種差別もとても強いからです。
アロンさんのようなアラブ系ユダヤ人(「ミズラヒ」とよばれる)は、ヨーロッパ大陸からやってきた白人ヨーロピアン、あるいは白人ヨーロピアンを祖先とする人々(「アシュケナジ」とよばれる)から、劣等な人種として差別され続けていて、社会構造としても差別が組み込まれています。
アラビア語を話すこと、白人でない見かけについて、侮辱されたり悪く扱われたりするだけでなく、社会構造的に、アラブ系ユダヤ人だと職業上での差別も起こるそうです。
このアシュケナジは、ロシアやポーランドなどの東ヨーロッパ出身のひとびとも含み、アメリカ・カナダ・オーストラリア・ニュージーランドといった、西ヨーロッパの白人が侵入し、原住民を虐殺して移住者植民主義を実行し、ヨーロピアン白人を祖先とする人々がマジョリティーで支配者となった地域の白人ユダヤ人も含みます。
植民地支配、あるいは移住者植民地主義を行った国々は、現在経済的に豊かで、「民主主義や自由を尊重する優れた文化をもっている国々であり洗練された人々」というプロパガンダが疑いもなく信じられていることが多いのですが、実際には多くの西ヨーロッパの国々の富は、ほかの地域の原住民の虐殺・奴隷化・資源を盗むことによってできた歴史であり、また、移住者植民地主義を行ったオーストラリア・カナダ・アメリカなどでは、その地の原住民に対する虐殺や残虐な暴力で、彼らの土地や資源を盗み取り、盗んだ土地の上に住んでいる歴史があります。
この残虐な行為や歴史を正当化させるためには、「ヨーロピアン白人・キリスト教徒がくるまえのその地の豊かな文化や言語などの歴史を完全に消し去り、歴史は白人がやってきたところから始めること」、「西ヨーロッパ出身の白人・キリスト教徒は、誰よりも優れた人種で、原住民(=有色人種で非キリスト教徒)は人間以下か最下級の人種」という白人至上主義・人種差別の考え方が不可欠です。
イスラエルは移住者植民地主義を実行している国であり、西側諸国の政府や主要メディアがイスラエルをサポートし続け、パレスチナ人の命には、ほとんど関心を見せることすらないのは、この植民地主義の続きだとみる考えもあります。
ちなみに、ユダヤ人強制収容所を生き延びた、化学者で著者でもあるイタリア系ユダヤ人のプリモ・レヴィさんが述べていますが、ヨーロッパ地域や中東・アフリカへと散らばっているユダヤ人コミュニティーでは、共通の言語は存在せず、ユダヤ人強制収容所でもお互いことばが通じないことは多く、ギリシャのユダヤ人はギリシャ語で話してかたまり、フランスやベルギーだとフランス語、東ヨーロッパ地域だとイーディッシュとよばれる東ヨーロッパ地域のユダヤ人コミュニティーが使っていたことば(プラス、彼らはポーランド語などのその地域でのマジョリティーが使う言語も母国語として話す)だったそうです。
イスラエル建国の考えのもとになっているシオニズムは、東ヨーロッパのユダヤ人の中から、ユダヤ人迫害がどんどんひどくなる中で編み出されたイデオロギーだそうですが、イスラエルが建国された際に、ひとびとの共通の言語が必要だと考えられ、古代に使われていたヘブライ語を復活させ、これをイスラエル国の共通語としたそうです。
国家の初期時代(1950年代)は、まだイーディッシュを話す人は多く、イーディッシュを公共の場で話す人々を叱ったりして、ヘブライ語を話すよう強要したそうです。
これも、国の歴史や文化を「製造」するプロセスです。
その地域に数百年、数千年根ざして暮らしている人々であれば、こういった、共通語や文化を製造する必要はありません。
同時に、数千年にわたって、その地に住み、豊かな文化を築いた原住民たちが話しているアラビア語を、低級なことばとして馬鹿にしたそうです。
ちなみに、ユダヤ教のシオニズムと、キリスト教のシオニズムは違うもので、キリスト教のシオニズムはユダヤ教のシオニズムより、もっと前から存在するものです。
元の話に戻ると、ユダヤ系アメリカ人は、イスラエルからきたユダヤ人をパレスチナ人と思い込み、彼らを殺そうとしたことは正当性があることだとして、罪悪感も後悔もなく、認めたそうです。
このユダヤ系アメリカ人は、西ヨーロッパの白人ユダヤ人を祖先とするユダヤ人(アシュケナジ)です。
イスラエルからやってきたユダヤ人親子は、アラブ系ユダヤ人で、見かけはアラブ系の有色人種なので、パレスチナ人と見かけ上、区別はつきません。
ユダヤ系アメリカ人が「アラブに死を」と言ったのは、めちゃくちゃなイデオロギーとはいえ、彼の中では、筋が通っていることがわかります。
でも、自分たち自身がアラブ系ユダヤ人なのに、「アラブに死を」と言った側のロジックは、最初は、意味がよくわからなかったのですが、アロンさんの説明や、イスラエル建国時のシオニズムの思想や当時のリーダーたちの考えをいろいろな文献から読んでいたことがつながり、理解しました。
イスラエル国内のひどい人種差別(白人ヨーロピアンを祖先とするアシュケナジは、野蛮で文化のないアラブ系有色ユダヤ人のミズラヒより遺伝的に優性とする偽科学や偏見)により、逆に、自分たちミズラヒを差別して苦しめる、圧倒的な権力をもつアシュケナジのグループに同化しようとし、自分たちと多く共通点のある、自分たちよりさらに弱い立場にいる、パレスチナ人に対しての憎しみや差別を強め内在化したため、「アラブに死を」というメッセージにたどりつくそうです。
ここで、アラブ系ユダヤ人のミズラヒが使う「アラブ」は、パレスチナ人を指していますが、ヨーロピアン白人のユダヤ人のアシュケナジがつかう「アラブ」は、パレスチナ人やミズラヒも含む中近東の広範囲のアラブ系の人々も含んでいます。
イスラエルに住むアシュケナジの多くは、「パレスチナ人」というカテゴリーがあることさえ認めず、必ず「アラブ」という表現を使い、自分たちユダヤ人が神に約束された土地に勝手に住みついているアラブは、自分たちアラブの国(エジプトやカタールなどの近隣の国々)に帰るべきだ、と教え込まれているそうです。
もちろん、これは偽りのナラティヴで、現イスラエルは歴史的パレスチナ地域に武力によって原住民を追い出して、無理やり作り出した国です。
パレスチナ人(アラブ系の人々)が数世紀にわたって豊かな社会や文化を築いていたことは歴史や文献や建造物・写真等の証拠からもとても明らかですが、元イスラエル首相でさえ、国際的な場で、明確に「パレスチナ、パレスチナ人というものは、この世に存在しない」と述べていました。
アメリカ大学で学んでいたパレスチナ人が、出身地を聞かれ、パレスチナだと答えると、イスラエル出身のアシュケナジから、「パレスチナなんてものは、存在しない」と冷たく言われた経験があるひとたちもかなり存在します。
今回のパレスチナ人虐殺でも、イスラエルが大学や歴史的建造物を破壊することは続いていますが、それ以前からも歴史的パレスチナ地域の象徴であるオリーブの木を片っ端からつぶし、代わりに全くローカルではない、ヨーロッパの松を植えて、パレスチナの文化・歴史を消し去ろうとしています。
ここ数年、この無理やり植えたヨーロッパの松林は、自然火災をしばしば起こしているそうです。
なぜパレスチナの存在自体を消したいかというと、イスラエルに住んでいるヨーロピアン系白人ユダヤ人たちは、自分たちが原住民を、大量殺人や、ひどい暴力で追い出して、盗んだ土地の上に住んでいることを意識的ではなくても、無意識には知っています。
パレスチナ人の存在を認めてしまうと、自分たちヨーロピアン系白人ユダヤ人が歴史的パレスチナ地域に住んでいることに正当性がないことが明らかになるので、目を背けたい、という、はっきりとした意識にはのぼらない思いもあるでしょう。
イスラエルに住むアラブ系ユダヤ人は、アラブと認識されることで差別を受け続けているため、それを内在化させ、アラブと認識されるもの(アラビア語を話すことや有色人種であること)をさげすみ憎み、自分の中で実際にはアラブであることと、この植え付けられた偽りの思想が一致しないため、その矛盾を自分の中で消化できず、自分たちのアラブのアイデンティティー(アラビア語を話す・有色人種)である部分をパレスチナ人に投影して、自分自身を憎んだり、この仕組みのばかばかしさに立ち向かうことを避けているのかもしれません。
極端な国粋主義者も、このミズラヒのグループの中に多いそうです。
このアラブ系ユダヤ人(ミズラヒ)が、数百年・数千年にわたってほかの民族や宗教と平和に共存していた地域から、イスラエルに住まざるをえなくなった経緯には、イスラエル建国が大きくかかわっています。
イスラエル建国にかかわったヨーロピアン系白人ユダヤ人たちは、明確に、自分たちは、歴史的パレスチナ地域を「植民地化」しにいくと述べていて、原住民が植民地化に抵抗するのは当然のことで、国際社会から見えないような狡猾なやりかたで原住民を取り除かなければならない、としていたそうです。
どんな手段を用いても、ユダヤ人だけの国をつくることが目的だったからです。
どの宗教の経典にもさまざまな解釈がありますが、経典の一部のみを都合よく切り取り、自分たちは神に選ばれた種族で、誰よりも優れた種族であるというユダヤ人至上主義をつくりだし、パレスチナ人への虐殺やエスニック・クレンジングだけでなく、イスラエル建国前まで歴史的パレスチナ地域を管理していたイギリスの軍隊・警察・統治機構も自分たちに役に立たなくなればテロ行為で爆破、イギリス兵殺害などを繰り返し、イギリスを追い払いました。
イスラエル建国時に多くのパレスチナ人を殺したり追い出したりしたにもかかわらず、ユダヤ人主要国、あるいはユダヤ人だけの国とするには、ユダヤ人の人数が全く足りず、仕方なしに、アラブ地域で、平和にほかの民族や宗教となじんで数百年・数千年にわたって暮らしていたアラブ系ユダヤ人(ミズラヒ)を、建設や農業などの身体的な労働をさせるために呼び寄せることが計画されます。
イスラエル建国前から続くパレスチナ人に対する、ユダヤ人からのひどい扱いに対して怒っていたアラブ地域の国々や人々もいたことに加え、イスラエルが周りの国々に武力侵攻し、ユダヤ人に対する怒りが大きく強まりました。
イスラエル政府が、中東地域でユダヤ人が住めない状況を作り出すよう、わざと政情を不安定にさせた地域も存在するそうです。
ユダヤ人追放を行った国もあれば、市民の怒りが強くてユダヤ人であること自体が危険になり、出ていく先はイスラエル以外になかった場合もあるそうです。
多くのアラブ系ユダヤ人は、住んでいた中東地域では、知識層で、中流階級や上流階級であることが多かったそうですが、イスラエルに降り立った途端、消毒薬品を頭から浴びせられ、貧しく設備も整っていない地域・家屋に大勢が押し込められたそうです。
同時期に、ヨーロッパやほかの地域から移住してきた白人ユダヤ人は、消毒薬を浴びせられることもなく、とても良い地域の大きな家が与えられ、アラブ系ユダヤ人とは全く違う扱いだったそうです。
アラブ系ユダヤ人たちは、どんなによい教育や適切な経験があっても知識層の仕事につくことは難しく、イスラエル国内でのひどい扱いに耐えられず、また子どもたちの将来を考え、親戚のつてや奨学生など、なんらかの方法をみつけたアラブ系ユダヤ人たちは、西欧諸国に移住したそうです。
でも、なんの方法もなければ、イスラエルに住むしかありません。
イギリスの知識人の中にも、アラブ系ユダヤ人でイスラエルから移住してきた人たちもかなりの数、存在します。
このヨーロピアン白人系ユダヤ人(アシュケナジ)による、アラブ系ユダヤ人(ミズラヒ)に対する人種差別は、とても皮肉です。
ヨーロッパ大陸(ロシアやポーランドといった東ヨーロッパも含む)で数世紀にわたってユダヤ人が差別・迫害され続けてきたのは、ユダヤ人は白人・キリスト教徒ではなく、オリエントで異教徒というOthers(ほかのひとーマジョリティーに所属しないよそ者)として見られたからで、白人でないと差別されたヨーロピアン系ユダヤ人が、今度は、自分たちを虐殺した白人グループに同化し、自分たちを虐殺する正当化として使われた偽科学を根拠に、同じユダヤ教徒のなかでもアラブ地域出身の人々を、差別して侮辱した扱いを続けているのは、本当に皮肉です。
「白人・キリスト教徒が誰よりも優勢である」というくだらないイデオロギーは、植民地化を正当化するために使われたものです。
誰かが優性で、残りは劣っていて、劣っているグループは人間とすらみなされないので、優性グループが、劣ったグループを殺そうが奴隷にしようが、土地や資源を奪おうが正当化される、という無理やりなロジックがないと、少しでもヒューマニティーが残っていれば、植民地化は行えません。
ここには、植民地化でよく使われた、植民地を「誰もいなかった地(実際は原住民のひとびとが独自の豊かな文化を築いているが、白人・キリスト教徒以外は人間とはみなさないので、誰もいないとする)」とする時点で、虐殺がはじまっているとする意見もあります。
非人間的な行為である「植民地化」を正当化するために宗教も使われました。
「神からの指令・お告げにより、誰もいない地にわたった勤勉でモラルの高い(西ヨーロッパからやってきた白人・キリスト教徒である)開拓者が、耕し素晴らしい文明の花を咲かせる」ですが、キリスト教団体も、自分たちの権力を高めるためにこれを利用しました。
ひとびとの命の価値に、ハイラルキーをつくりだすことが、どんなに危険でばかばかしい考えかは、上記からも明らかだと思います。
また、人種というイデオロギーも、植民地化や奴隷化を正当化するために、製造された考えで、地球上に住むひとびとの90パーセント以上の遺伝子は同じで、人種分けするのに使われる、肌の色(肌の表面上のピグメント)や髪の毛のカールの違いに、モラルや能力の優劣があるわけがありません。
ひとには、上下も優劣もありません。
誰の命も同等に大切です。
両親はイラク出身のユダヤ人で、イスラエル生まれで、幼い時にイギリスに移住したアカデミック・ジャーナリストであるRachel Shabi(レイチェル・シャビ)さんは、イスラエルは、ヨーロッパの人種差別を持ち込むのではなく、自分たちを虐殺に追い込んだ人種差別を完全に拒否して、誰もがイコールで協調して生きていける社会を築くべきだった(実際、アラブ社会ではそれが数百年にわたって普通だった)としています。
レイチェルさんの両親も、イスラエルのパレスチナ人への民族浄化や暴力・大量殺人が原因で祖先が数百年にわたって平和に暮らしてきたイラクから追い出され、イスラエルではアラブ系であることでひどい扱いを受け、イギリスへと移住したそうです。
この「白人」や「アーリア人」になんの根拠もないことは科学的に明らかにされていますが、実際、第二次世界大戦中のドイツでも、祖先はずっとドイツに住んでいたにもかかわらず、髪や目の色が暗めの色だったことでユダヤ人と疑われ、それを証明するために苦労した話(ユダヤ人と判定されれば、殺されてしまう)や、逆に、ユダヤ人でも、白人・金髪・青い目の女性だったためにユダヤ人と疑われることなく、ユダヤ人であることを隠しおおせた人たちが存在したことからも明らかです。
前述のレイチェルさんも、両親がイラク出身であることを明かさなければ、イギリスでは多くの場合、「白人」として通ることからも、この「白人」という概念がいかに偽科学であるかは明らかです。
イスラエルをサポートしている国々は、ほぼすべてが、元植民地宗主国か、入植者植民地国です。
これらの国々では、原住民(=有色人種)の虐殺は、自分たちが行ってきたことと同じであり、今でも、この事実と歴史を正当化するか、語られないかで、いまだに白人至上主義・人種差別は深く社会に根付き、社会構造も強固です。
ユダヤ人虐殺は、初めてヨーロッパ大陸で起こった、初めての白人による白人に対する虐殺(イギリスによるアイルランドの植民地支配で、多くのアイルランド人が殺害されたことは別大陸なので除く)なので、今でも特別扱いされて大きく語られ、「Never again(二度と同じような虐殺を繰り返さない)」がヨーロッパ各地で何度も繰り返し言われますが、これらの国々が、アフリカ大陸やアジア大陸で行った、当時の規模としてはユダヤ人に対するホロコーストと同じようなレベルの多くの虐殺については、なんの反省も語られません。
この「Never again」は、「地球上のすべての人々」に対して、二度と殺戮や虐殺があるべきではない、とする標語ですが、ここには、しばしば有色人種のひとびとは含まれていません。
なぜなら、元植民地宗主国や、入植者植民地国では、事実をふりかえり、自分たちや自分たちの祖先が行った虐殺や残虐な行為について向き合い、反省し、どう責任を取るか、反省をどういかしていくのか(虐殺や残虐な行為にいたったイデオロギーや製造された歴史観などに目を向け、それを正し、歴史教育にも反映させる等)、といったことにまったく向き合っていないからです。
根本的な問題である、人々の命に、上下や優劣をつけることをやめない限り、虐殺や不正義は止まりません。
この「Never again」には、もう一つの物語があり、ユダヤ人建国の際、建国者のアシュケナジの中には、ホロコーストで殺されたユダヤ人同胞たちに対して、「羊のようにやすやすと殺されにいった弱い人」と侮辱するひどい見方をする人たちもいて、「Never again」が「誰に対しても虐殺がない世界」ではなく、「二度と弱いひとにはならない」となり、誰もが戦士であり、常に周りを圧倒的な武力で押さえつけることを国の大切な柱としたそうです。
実際、徴兵制で、基本的には誰もが兵士なのも、その精神がいまも引き継がれているといえるでしょう。
小さな国ですが、軍事大国でもあります。
でも、「支配・搾取」か「支配される・搾取される」の二択の世界には未来がありません。
パレスチナ人の多く、世界の人々の多く(特に元植民地国ー世界人口の8割ほど)は、誰もと同じ権利と自由をもち、誰もが自分の才能を生かして協調して、分け合って生きていける世界を目指しています。
その世界を実現するためには、特に、「支配・搾取・原住民の虐殺や資源や土地を盗むこと」を通して、ほかの国々や地域の人々を犠牲にして豊かさを手に入れた、日本を含む元植民地宗主国や、入植者植民地国の人々が、ひとびとの命に優劣をつけることをやめ、どの国も人々も同等で、同じだけ貴重で大切なのだと、行動で示していく必要があります。
これは、それぞれの地域の社会の中でも、ひとびとの命の価値に優劣や上下をつけないことから始まります。
これは、世界全体、人類全体にとってよいだけでなく、それぞれの国の社会もよい方向に導くでしょう。
私たちは、ヒューマニティーでみんなつながっていることを覚えておくことは大切です。