人間らしく生きる-AIの奴隷にはならない
Naomi Klein(ネオミ・クライン)さんは、ユダヤ系カナダ人女性のアカデミック・ジャーナリストで、興味深い記事や、多くの対談も行っています。
最近の対談では、「Silicon Valley’s AI Coup: ‘It’s Draining Our Real World’ (シリコン・ヴァリーのAIクーデター: それは私たちの現実の世界を枯渇させている)」では、興味深いものがありました。
対談は、ネオミさんと、同じくカナダ出身のテック・ジャーナリストのParis Marx(パリス・マークス)さんの間で、友達同士で話しているように、カジュアルに仲良くすすみます。
誰かが偉ぶって意見をいって、周りは、ただただうなづいたりほめたたえたりして完全に従属しているような、極端なハイラルキーのある日本のような形式は、まずないのが、ヨーロッパやアメリカの対談でいいところだと思います。
「Drain」は、水を排出させる・流出させる意味で、「Dish Drainer(ディッシュ・ドレイナー)」は、洗ったお皿や器の水切りをするもので、「habits that drains your energya/あなたのエネルギーを流出させる(=疲れさせる)習慣」とも使われます。
私自身、ITエンジニアとして日本とイギリスで10年以上働いた経験があり、多くのサーヴァーがぶんぶんと大きな音を立てて動いているサーヴァー・ルームは、身近にあったので、巨大なデータ・センターがいくつもできると、サーヴァーを加熱させないように、冷やしておくために水や電力が大量に必要なことは、自然に思いつきます。
チリなどの気候変動の影響を強く受け、水の枯渇が進んでいる地域では、データ・センターの新たな建設を住民たちが拒否した、などのニュースは知っていたものの、イギリスの隣国のアイルランドは、データ・センターが多く存在する地域で、国の電力の3割以上をデータ・センターが消費し、普通の市民たちが寒い冬に暖房を使うことが増え電力使用があがる時期には、データ・センターの電力が安定して確保されるよう、一般家庭に対して、電力使用(=煖房の使用)を抑えるよう、手紙がくる、と聞いて驚きました。
アイルランドの冬は寒く、煖房は人間に絶対に必要なものなのに、データ・センター(=機械)を生かしておくために、人間が我慢しろとは、おかしな話です。
また、水についても、人間は水がないと生きていけないのに、データ・センター(=機械)を生かしておくために、人間に必要な水が不足するのも、一体誰のためなのか、と考えるのは当然だと思います。
今後、生成AIは、多くのマシーン・パワーを必要とするので、電力が急速に大量に必要になることは避けられないとみられています。
電力や水といった資源のほかにも、コンピューターにはミネラル(鉱物)も多く必要で、これらの採掘では、多くの有害な物質が出て、採掘する人たちの健康にもよくないし、環境汚染も起きることが知られています。
これらの鉱物が地中に多くある国々は、アフリカ大陸の政情が安定しない地域や国であることが多く、西欧の大企業が現地の人々を搾取したり、その地域の腐敗した政府や、市民戦争で争っている民兵たちが、武器と引き換えに、貴重な鉱物を別の豊かな国や地域に売って資金を得ることで、戦争をさらに暴力的にさせ、死傷者を増やし、戦争や紛争を長期化させることにつながっています。
苦しむのは、大多数の普通の市民たちです。
大多数の普通の市民たちの生活を豊かにするために使われるはずの自然資源が、武器に変えられ、自分たちを殺したり負傷させたりすることになっているのは、とても皮肉なことです。
紛争地域への武器の製造・輸出、紛争地帯からの鉱物購入を行っている西側企業も共犯となっています。
メールを送ったり、クラウドに資料を保存したり、映画のストリーミングや、AIを使っている日常の後ろにあるものに、気づいていることは大切です。
イギリスやカナダ・アメリカなどの経済的に豊かな国々では、教育のデジタル化についても議論されることは増えました。
日本では、デジタル化にあまり抵抗はないかもしれませんが、それはもともとの教育に対する考えの違いだと思います。
知り合いの中には、イギリス人でイギリスの高校で先生をしていたひと、イタリアやスペインで先生をしている人たちもいますが、日本の学校のことを話すと、とても驚かれます。
日本でのクラス・ルームの大きさ(私は日本の第二次ベビー・ブーマー世代で、一学級45人は普通で、先生は一人だけ ※ベビー・ブーマー世代は国や地域によっても時期が違う)や、先生が一方的に話すだけの授業、下着の色やスカートの丈のチェック、日常的に起こる身体的な暴力や精神的な暴力(先生が生徒を叩いたり、生徒に死ねと言ったりする)、塾に行く子どもたちの多さ、子どもたちの勉強時間の長さと睡眠時間が少ないこと、私立学校の多さ(=教育の商業化が進んでいるー子どもたちはプロフィットを出すためのもの)、先生の絶対的な力(内申書をよく書いてもらうためには、多くの場合、先生のご機嫌をとる必要があるー平等や公平さはなく、えこひいきの世界)、親が子どもによい成績を取ることを強要して罰や褒美を与えること(=親からの愛はunconditoinal(無条件)ではなく、条件付き)など、驚かれることは数多くあります。
「軍隊のようだね」という感想を聞いたこともあります。
もちろん、とても恵まれた環境で、子どものころから少人数のクラスで、アートなどの授業もたくさんあり、受験もないようなエスカレーター式の私立学校でずっと過ごした人の経験は、私とは全く違うものだろうし、私の学校での経験が日本の普遍的な教育だとは思いませんが、周りのヨーロピアンの友人の学校経験は、大学も含めて圧倒的に公立の学校が多いなかで、公立の学校でもクラス・ルームは小さく、かつ、先生が二人いることは普通で、先生にも気軽に質問できる環境で、子ども同士で対談する機会もたくさんある、というのは、もっとオープンな環境に感じます。
学校内で、先生が生徒に対して暴力をふるうのは(日本ではおそらく暴力として認識すらされない、軽く頭をたたく等も含めて)絶対に考えられない、と誰もが言います。
また、先生が常に二人、クラス・ルームにいるということは、片方の先生が、何かしら行き過ぎたことをしそうになっても、もう一人の先生の目があることでストップしやすくなるし、子どもにとっても安全で、かつ、授業でわからないことがあったときも、質問しやすい先生を選んで質問することだって、できます。
ヨーロッパでは、当然の考えなのですが、権力があるということは、権力を無限に使ってしまう可能性も高くなるので、それを抑えるために、チェックとバランスの仕組(先生が二人、子どもたちが先生に対して仕返しを恐れることなく、苦情を簡単にあげられる仕組があり子どもたちはどう訴えるかを知らされている、子どもと大人が二人きりにならない決まり、先生や大人は学校内で子どもの身体に触れてはいけない決まり(子ども同士の身体的な喧嘩をとめるために、子どもの腕をつかんで引き離す、などの非常事態を除いて)、など)が、用意されて、その決まりはきちんと守られています。
日本では、慣習や文化、儒教の影響なども入っていると思いますが、権力者が権力を濫用・悪用することを想定から完全に外し、「権力者が間違ったことをするわけはない」「権力者に逆らうことは、最大の悪(聖徳太子の十七条の憲法でも、もともとの上下の序列を守り逆らうな、とある)」というふうに、無意識・意識的に、子どものころから埋め込まれます。
西欧では、無宗教のひとや信仰心が薄い人もたくさんいますが、人間の上にいる「神」という存在があり、人間は神と違って不完全なもので、権力をもたせれば、権力を濫用することを選択する可能性は十分あるので、中立的な監視機関をつくり、そうしない・そうできない制度やルールがつくられ、これらのルールを破り権力を濫用すれば、一般のひとびとや子供たちが簡単にアクセスできる制度を通して監査機関に報告、監査機関が所定の手続きに沿って調査し、法律や決まりに沿って、相応に罰せられる(権力の座から追われることも含めて)ことになります。
権力があろうとなかろうと、誰にでも、公正に、きちんと法律や決まりが適用されることはとても大切です。
権力を濫用しないことを選択するべきだったし、そうできたのに、権力の濫用を行ったのは、その人やグループの選択であり、その責任は取ることになります。
日本だと、権力への監視はなく、責任を取ることもないどころか、権力者が権力の濫用をした場合、責任を押し付けられて罰を受けるのは、なんの関係もない無実の人々であることも、誰もがよく知っていることだと思います。
この不正義な仕組みがいつまでも強固に続いているのは、目に見えないような慣習で誰もが自分をしばっていたり、場合によっては、この仕組みから得をしている、あるいはおこぼれをもらうことが多い立場にいるから、仕組みを変えたくないのかもしれません。
でも、大多数のひとびとにとって良くない仕組みは変わらないと、弱い立場にある子どもたち、若い男性、女性たちはずっと苦しむことになります。
ネオミさんは、テック企業が教育に入り込もうとしているのは、プロフィット大優先だからとしています。
テック起業者たちは、教育について、「学校の先生なんて同じことを繰り返しているだけだから、ヴィデオにとってストリーミングすればいい」と考えがちです。
ヴィデオですめば、先生の数も大きく減らして、テック企業は、教育を効率化した、として、さらにデジタル化(=自分たちのプラットフォームやアプリケーションを導入)を進めることをたやすくし、政府からの契約(=国民の税金から支出)を増やしてさらに儲けを増やすことができます。
また、先生に、チェックボックスをチェックするだけのような教え方・テストを強要すれば、子どもたちのレポートや試験の点数付けは、外部の業者にまかせてもいいし、AIが行うことも容易にします。
こうなると、先生すらAIに置き換えることも可能にします。
先生の一番よいところは、子どもたちの性質や興味を見抜いて、子どもたちの知りたいという好奇心をのばしていくことです。
これには、多くの労力も時間もかかるし、小さなクラス・ルームである必要があります。
これは、少なくとも現時点でも、少し先でも、AIにとって変わることはできません。
テック企業も、AIが、とてもよい先生と同じことができるとは思っていません。
でも、すごく良くもないけど、すごく悪いわけでもないという浅いレベルの教育は可能で、「効率化」という見出しで、学校の先生を多く取り除いてAIに置き換え、多くの政府の契約を得て、大きな儲けを出すことは十分可能だと思っています。
また、それだけでなく、テック企業のプラットフォームを使って学んでいる子どもたちの表情を記録したり、さまざまな情報を(本人たちに知らせず勝手に)収集し、その情報をほかの企業に売ることも可能にします。
これらの情報は、サーヴィスや製品を売りたい企業には、とても貴重なもので、効果的に広告を行ったり、テック企業のアルゴリズムで子どもたちの心理操作をして、本来なら買おうと思わないものをどうしても欲しいと思うようにもできます。
人間の脳は25歳くらいまでは成熟していなくて、中毒状態に陥りやすいことがすでに証明されています。
これらのテック企業にとって、子どもたちは、プロダクトやサーヴィスに中毒化させやすいモノで、早めに中毒化させてその後もどんどん儲けを出すことに使うことを狙っていることは、子どもたち、子供たちを保護する立場にいる人たちも十分に知っておく必要があります。
テック企業には、子供が健康に育つよう、安全性を考えたりする発想はなく、プロフィットのみが機動力となっています。
テック企業に、子供たちに安全なプラットフォームやアルゴリズムに変えるように強制するには、市民たちが立ち上がり、子供たちを守る法律を作る(=テック企業のアルゴリズムを透明化して、子どもに害を及ぼすことをなくす・禁じる等)ことを政治家に訴えていくことが必要で、それは地球上の各地ですでに始まっています。
参考: https://www.thegreencatalyst.com/blogs/post/20250415
テック企業が、ひとびとをAIに置き換えることは、すでに大きく起こっています。
アメリカでは、国民から投票で選ばれた政治家でもない、Spacek-XやXを所有しているイーロンさんが、「効率化・合理化」の名実で、多くの政府や公共機関で働いている大多数の人々を解雇してチャットボットやほかのプラットフォームにおきかえたり、市民にとって大切な仕事をしている政府機関の部署を一時的に乗っ取り、アメリカに住む人々の個人情報(税金や福利厚生、生年月日などのとても重要な個人情報)を抽出したりしています。
ただ、結局は、解雇された役人たちやつぶされた部署が市民たちにどうしても必要であることが明確で、解雇や部署全体をつぶしたことを翻して、解雇を取り消したり、今まで通りに部署を再開させた場合も多くあります。
独立系メディアや、市民運動団体などが、これらの違法行為を裁判に訴えているものの、裁判には時間がかかるので、その間にこれらの個人情報がイーロンさんの経営するテック企業に悪用される可能性もあります。
彼の仲間で、一緒にペイパルをつくったピーター・ティールさんは軍事分野にも大きく進出しているデータ企業のパランティアを経営していて、イーロンさんが不正に得たアメリカに住む人々の個人情報が悪用されて、人々の身に危険が及ぶことも考えられないことではありません。
既に、チャットボットを極端に多く使う子どもたちのクリティカル・シンキングの能力が低いといういリサーチがあるように、チェックボックスや二択・三択問題のみを解くことが勉強になっている子どもたちは、AIによって取り替えることが簡単なひとに育つ、という危険な面もあります。
過去には、テクノロジーの変化は、必要のなくなった職を消すこともあったものの、それ以上に新しい職をつくりだしてきました。
でも、今回の変化は、過去のテクノロジーの変化とはかなり性質が異なるとみる専門家もいます。
大事なのは、人間が人間らしくあることで、画一化したロボットのようなひとを生み出す教育は、誰のためにもなりません。
誰かのためになるとすれば、テック企業の儲けになる、というぐらいでしょう。
また、既にAIは、ガザでの虐殺にも使われていて、Lavender(ラヴェンダー)というAIマシーンが、今までにはない圧倒的な爆撃の標的をつくりだしていて、それが短期間での多くの市民の殺害につながったとされています。
AIチャットボットは、セラピー用としてつくられているものもありますが、イギリスの主要新聞でも、AIチャットボットは、ニュアンスがわからず危険である、との最近の記事もあります。
また、これらが最初は無料であっても、多くの個人情報の収集をしていて、気持ちが不安定なときに、その情報がプラットフォームのアルゴリズムで、「顔の整形サーヴィス」などの広告を表示することにつながり、不安な気持ちをさらに煽る可能性もあります。
このチャットボットを使うのは無料かもしれませんが、個人情報はお金儲けのために使われ、ほかのサーヴィスや製品を買うような心理操作や、不安を煽ること(=人々をそのプラットフォームに釘付けにするには恐怖や不安をつかうのが一番効果的)を行うことも、その戦略の一つであることは意識しておく必要があります。
また、多くのサーヴィスは最初は無料でも、企業はお金儲けの方法を考えつき、そのアプリケーションやチャットボットなしには生活できない、という中毒状態にさせたころに、課金を始めるのも、今までにもよくみられているビジネスモデルです。
AIは、バイアスがない、という不思議なコメントを聞くこともありますが、AIのトレーニングに使われているデータは、既に世の中にあるもので、現実の世界のバイアスが凝縮されています。
それなのに、このAIを絶対に正しいと信じて、自分で疑問をもって調べないことはとても危険です。
自分で、興味あることをみつけて、学ぶことの楽しさやよろこびを知らずに育つことは、人間らしい豊かな人生を失うというだけでなく、AIの奴隷のような人生を送ることにつながる可能性も高めます。
もちろん、AIには、よいこともたくさんあります。
医療の分野で、現時点では人間の目では見つけることの難しい初期のがんを素早く見つけ出したり、ワクチンの開発にも大きく力を発揮すると見られています。
大切なのは、Common Good(コモン・グッド/人類全体に普遍的によいこと)に使われるよう、世界全体で取り組むことです。
それには、普通の一般市民が、関心をもち、何が起こっているかを自発的に知る必要があります。
ここには、わかりやすい情報を一般市民に提供することを自国の政府に求めることも含みます。
AIは、既にジャーナリストを置き換えていて、多くのメディア企業は、ジャーナリストの解雇をかなり大きく行っています。
現在のガザ虐殺の報道では、主要メディアのジャーナリストたちは、イスラエル政府を100パーセントかばう政府の意向にしたがって、自分たちの給料を守るためだけに、本来のジャーナリストの使命(権力者に真実・事実をつきつけて、権力者の責任を問う)を完全に裏切って、真実を隠したり、紛らわしい表現で加害者が誰かわからなくし、被害者を責めるような記事を書き続けているので、そういったジャーナリストはAIに置き換えて十分という意見もあります。
ちなみに、給料を守るためだけであれば、ほかの職業でも給料は得られるので、ジャーナリズムの使命に賛同してそう行動しないのであれば、ジャーナリズムから去るべきだという意見もよく聞きます。
AIには取り換えのきかないこととして、昔、女性ジャーナリストが言っていたことを思い出します。
この女性ジャーナリストは、一つの記事を書くのに、多くの人々に、さまざまな場所で実際に会って、数多くのインタヴューや対談を行い、その地でのひとびとの生活をみたり、蒸し暑い気候・肌に刺さるような冷たい風が吹きすさぶような気候などの身体的な感覚や、対談の間の思いがけなかった親しみを感じたり、気持ちの通い合う瞬間があったりしますが、彼女の記事になるのは、これらの経験・感情の中のほんの一部で、氷山の一角です。
AIは、彼女のオンライン上に公開されている記事を素早くスキャンして学ぶことはできますが、実際に彼女が人々とあって話して、身体的・感情的に得たことを知る術はなく、とても表面的な浅い知識にとどまります。
もちろん、情報をひけらかすことだけが目的であるひとには、そういった浅い知識で十分かもしれませんが、人間のもっている好奇心や、本当のことを知りたいという深い気持ち、人々の間でふと生まれる予測できない感情のやりとりなどは、人間として生きていくうえで、なくならないものだと思います。
これは、AIには(少なくとも当面の間)、取り換えがきかないことです。