もしすべての女性が、明日死んだとしたら

Yoko Marta
09.01.26 06:20 PM - Comment(s)

もしすべての女性が、明日死んだとしたら

Emma Holten(エマ・ホルテン)さんは、デンマークに住むジェンダー政策コンサルタントで、去年(2025年)、「Deficit: How Feminist Economics Can Change Our World(無理やり訳せば、不足/赤字: どうフェミニスト経済は、私たちの世界を変えることができるか)」を出版し、イギリスでも人気があります。
日本語には、まだ翻訳されていないようです。

エマさんを知ったのは、イギリスのポッドキャスト「Politics JOE」でIntervieweeとして招かれて対談を行っていることがきっかけだったのですが、北欧系の言語と英語はとても近い(似ている)ので、エマさんの英語はとても聞きやすく、フレンドリーな人柄も伝わってくるので、英語で聞いてみることをお勧めします。
ここから、無料で聞くことができます。

タイトルの「もしすべてのブリティッシュの女性が、明日死んだら」は、イギリスの女性向けマガジン「Good Housekeeping」に掲載されていたエマさんの記事の一部からきているのですが、日本とThe UK(イギリス、スコットランド、ウェールズ、北アイルランド4か国の連合国)も含むヨーロッパは、女性を取り巻く状況が日本とは大きく違うため、少しだけ背景を説明しておきます。

雑誌名の「Good Housekeeping(ハウスキーピングは、家事・家政以外にも、管理や準備を表すことにも使われ、会議などの最初に、知っておくべき事項ー火災報知器が鳴ったときにどのドアから出て、どの場所に集まって誰に所在を報告するか等ーを全員に伝える際にもハウスキーピングということばが使われます)」から予測がつくように、家事で使うミキサーや掃除機といった家電のテスト結果だったり、手際のよい掃除方法などについても書いている雑誌です。
ヨーロッパでは、日本でいう「専業主婦」や「家事手伝い」といった概念は、ほぼ存在しません。
The UK(イギリス、スコットランド、ウェールズ、北アイルランド4か国の連合国)の失業者の統計には、失業者の概念は賃金労働を行っていないひとであり、日本でいう専業主婦や家事手伝いは、失業者の枠に入れられます。
子どもに重い障害があって24時間目を離せないなどの場合を除いては、多くの女性が、たとえ短時間だったとしても、働いているのがごく普通です。
日本でいう、正規・非正規という概念も存在せず、企業に直接雇われているフルタイム・パートタイムは、どちらも同じ扱いで、仕事の内容が同じ場合は、パートタイムの時給はフルタイムと同じでなければならず、ホリデーや福利厚生、昇進もフルタイム同様に扱われます。
フルタイムとパート・タイムで大きく仕事内容が違うということも少なく、さまざまな事情で短い時間働く場合でも、仕事内容はフルタイムと同じです。
働く時間数の違いがあっても、その企業に必要なことについて、どちらもがプロフェッショナルに働いているのは当然で、日本のような正規/非正規、フルタイム/パートタイム(特にパートタイムというくくりで安い賃金で支払われているけれど、時間数としてはフルタイムといったびつな仕組)といったことは、ヨーロピアンにとっては理解に苦しむことです。

働く時間数に関わらず、同じ業務には同じ時給(ホリデーなどの福利厚生も含む)を適用するのは、法律上定められていることで、これに違反すれば、重い罰則が適用されます。
また、サーヴィス残業も当然違法で、残業が生じないのは当然のことです。
残業がどうしても必要な状況(イギリス本社の会計部門がアジア支社に移行することになり、イギリス本社の会計部門は完全に閉鎖、といったときに、イギリス本社のひとびとが移行作業を急速に行うために一か月ほど残業が必要となるといった場合)が生じれば、前もって、労働組合か、労働者の代表と企業が話し合い、残業時の給料(普通は2倍の時給が支払われる)や、時間が遅くなるのであればタクシー代の支給、食事の提供などが交渉され、合意されれば、その内容で業務が行われることになります。

日本のように、法律が定められても、それに違反した場合に罰則が存在しない、あるいは罰則が異様に軽い(=法律を破って支払う違反料金<<<儲けをだすために労働者を搾取することで出す利益、となり、後者を選択する経営者が大多数)、罰則の適用を行うプロセスが被害者にとって複雑で大きな労力とコストがかかり、リスクが大きく(被害者を力の強い経営者から守る仕組みがないか、弱い)、被害者が訴えることを断念するしかない、といったことは稀です。
権力の著しい差があるからこそ、こういったアビューズは起きるのであり、それを見越して立場の弱い被害者を守り、被害者が訴える仕組を単純化し、サポート機関へつなぐことも容易にしていることが普通です。
また、文化として、搾取するような悪い行いを行っている強い立場の人々に対して闘うひとびとはとても尊敬され、多くの協力を得ることができます。
ここは、特に日本とは違うところだと思います。

ちなみに、The UKは、西ヨーロッパの中でも一番労働者が守られていない国なのですが、それでも、日本よりはずっと強く守られています
これは、政策であり、日本も労働者を守る政策を選ぶことはできましたが、そうしませんでした。
これは、The UKを含むヨーロッパの政治家がたまたま普通のひとびとのことを考える政治家だったからではなく、普通のひとびとが政策に関心をもち、自分に直接関係なかったとしても、市民の誰かが不正義な仕組に苦しんでいれば、普通の市民たちが団結して、政府によびかけ、法律を変えるように行動してきた結果です。
第二次世界大戦後の方針より、大きく残酷な政治に変わってきたとはいえ、今も「社会で、一番弱い立場にいるひとびとを基準に考える(=政策を考えるのであれば、この一番弱い立場にいるひとたちに何が起こるかを考え、彼ら・彼女らが守られることを一番の優先順位とする)」という考えは、市民の中には息づいています。

また、イギリスのNHS(国民健康保険)についても、働いている企業と保険が結びついているわけではなく、個人と保険が結びついているので、仕事をしていてもしていなくても、保険が適用され、基本的に、診察・手術・入院など、すべてが無料です。
歯医者だけは、なぜか保険がきいていても、全国共通の料金を払う必要があるのですが、失業していたり、妊娠中だったりすると、支払いが免除され、無料となります。
薬の処方箋も、全国一律の値段なのですが、失業していたりすると免除となり、無料となります。
日本とアメリカはこの点が似ていて、仕事を失うと企業経由の有利な保険(保険料は一部あるいは全部を企業が負担し、治療にかかる費用を大幅に削減できる)が失われる、という仕組も政治的な選択であり、西ヨーロッパの多くが適用している、医療は無料という政策をとることも可能でした。
女性に関していえば、女性の基本的人権という観点から、避妊薬・モーニングアフターピルは無料で、GP(General Practitioner/かかりつけ医)に行かなくても、どこにでもある薬局で手に入れられます。
予期していなかった妊娠を扱う公的機関や慈善団体もたくさんあり、ジャッジされず、さまざまな対応を一緒に考え、サポートしてくれます。
イギリスだと、産むしかない段階での相談だったとしても、里子に出したり、シングルマザーになると決めれば、それを最大限にサポートする公的な仕組・サポートもきちんとあり、そこにつないでもらえます。
大学などの学術機関も、子どもをもっているひとたちへのサポート(子どもを預ける費用の一部負担など)もあり、私がロンドンの大学へ在学中も、子どもをもっている学生さん(若い人も、若くない人も)普通にいました。
また、ヨーロッパではほとんどの大学が国立で、イギリスを除いては、ほぼ無料に近い授業料となっています。
なぜなら、教育や医療を受ける権利は、基本的人権だと考えられているからです。

日本と比べれば、働く女性にとっては、ずっとましな環境だとはいえ、近年、イギリス政府は、福祉に関する公的費用を大きく削り、かつネオリベラル路線が大きく進み、私立幼稚園などの費用が大きく上がり続けていること(同時に公的な幼稚園などは大きく削られた)・家賃の値上がりが激しいことなどで、状況はどんどん難しくなっています。

ちなみに、男性が家事を行う割合は、イギリスですら、日本よりはずっと高く、ロンドンで20年以上前にITエンジニアとして多くのイギリス人男性たちに混ざって働ていた時も、晩御飯に何を料理するか(男性たちが普段の夕食を料理することも多いー残業はない)話したり、男性同僚が子どもを保育園に預けたり、引き取ったりするために仕事の開始・終了時間を調整することは、ごく普通でした。
男性が料理、アイロンがけ、掃除などを行うのはごく普通のことととらえられていて、パートナーシップ・結婚などで一緒に暮らすのであれば、そのカップルのなかで、フェアだと思える形で家事を分担します。
もちろん、どちらもが家事をしたくない、あるいはそれが現実的でなければ、外注できるだけ外注する、家事が減るように生活スタイルを変えることも話し合って決定されます。
女性だけが料理や子供の面倒を見るなどのケアを期待されているわけではなく、男性も同等に分担する責任があるというのは、ごく普通の考え方・行動です。
自分の面倒(料理や料理のための買い物・片付けなども含めて)を見られることは、成熟した大人として当然のことで、ここに男女の違いはありません。
子どもをもつ選択をするのであれば、特に上記は必須です。
男性・女性ともに自分の銀行口座があり、共有の銀行口座を別につくって、お互いの収入に応じた費用をそこにいれ、共有費用(家賃や食費、ガス・電気代、子どもの費用など)はそこから出費する、というのも、よくあるパターンです。
自分自身が管理する銀行口座や収入をもつ、ということは、特に女性にとって大事なことだと認識されています。
なぜなら、この資本主義の社会では、自分の収入や銀行口座がないと、たまたま男性が暴力的になった場合や、何らかの理由でその状況から脱したいと思っても、自分の収入や銀行口座がなければ、それが難しくなるからです。
エマさんは、いわゆる「トラッド・ワイフ」のトレンドを、ケアを無価値だとする現在の社会に対抗する、ケアをする権利を行使・主張するものとして認めながらも、彼女らのムーヴメントは個人的なものであり、彼女らの生活を支える男性たちがほかの「代わり」を見つけたときに、彼女たちは無一文で放り出され、苦難に陥る可能性があることを心配していました。
多くのひとびとで協力して社会を変えようとすることは、とても大切です。
後述しますが、「賃金労働をするか、死か」の二択だけの世界(=資本主義経済では、資本をもたない大多数のひとびとにとっての現実)は、ここ数百年の間につくられ、適用されているもので、別の経済システムや社会をつくりだすことは、十分に可能です。

子どもをもつことは当然ではなく、子どもをもったときにどのような費用分担を行うか、生活スタイルがどう変える必要性があるのか、それは可能なのか、受け入れられるのかどうか、なども、きちんと話し合われるのが普通です。
子どもをもつことを、「将来の年金がわり/無料のケアラー/親を喜ばすため/自分を成長させるため/周りから認められるため/未来の労働者を国の存続のために育てる」という考えも全く存在しません。
子どもには、生まれることも、親を選ぶこともできないので、自分たちが子どもを育てる余裕があるかどうかをよく考慮した上で、その子どもの最大限の可能性を引き出すよう努力し、独立した一人の大人になるまで面倒をみて、その後は、一人の独立した大人としてつきあいます。
子どもをもつことは、全く必須ではなく、自分たちの独自の希望と環境が整っていたことで成り立ち、子どもを育てる、という喜び・経験(難しさも含めて)をさせてくれてありがとう、という感覚に近いのでは、と思います。
日本のように、「実家(生まれ育った家族が自分の家族)」という概念は存在せず、自分の家族は、自分が大人になり、「自分で選択したパートナー・(いれば)自分の子ども」ということになります。
「実家」という言葉も当然存在しないので、「自分の親が住んでいる家」という表現になります。
「個人主義」ということばは、日本では誤って理解されていることが多いと感じるのですが、個人のバウンダリーを尊重することと、自分の親や親せきを愛していて、病気や老齢となったひとびとをケアしているひともたくさんいることは、両立しています。
私のイタリア人の親戚たちも、自分と自分の家族(妻や夫、子ども)を優先した上で、できる限りのケアを親や親戚に行っているひとがたくさんいます。

エマさんの話に戻ると、専業主婦という概念が存在しないこともあり、イギリスの極右派政党のリーダーが、「男性は全体の税金の8割を払っている。女性は、税金収入の約8割を使っている。女性を集団として見た場合、女性は、(社会に貢献しないくせに)社会から多くを奪っているスポンジのようなもの」といった発言をしました。
また、イギリスを含むヨーロッパの政治家からも、以下のような発言は聞かれます。
「女性は、パート・タイムなどの短い時間できちんと働かず、(男性に比べて)税金を支払う金額は少ないくせに、出産や子育てなどの税金を使うサーヴィスを多用している」

この極右派のリーダーや一部の政治家の(馬鹿げた)理論に従うと、賃金労働で高いサラリーを得て、多くの税金を払っている人が偉く、賃金が症いないことー子どもを生み育てたり、老人を家でケアすることーを担うことが多い女性には、存在価値がない、ということになります。
もちろん、ここには、現在の資本主義経済では、経済的にひとの価値をはかるのは、お金だけ、ということからきていますが、この方法や概念、考えが生み出されたのは、そんなに昔のことではありません

また、これらの政治家の多くは、資産家の出身で、生まれながらに多くの価値の高い土地や家屋、株などの資産をもち、そこから何もせずに大きな利益を出し続け、それに対する税金を払わずにすむような法律のループホールを使っていることは、覚えておく必要があります。
彼らは、法律を定められる立場にいるので、自分たち資産家が税金などを支払わず、資産を蓄積し続ける法律をつくることにも熱心です。
また、資産家やいわゆるエリートたちが行く私立学校(イギリスでは、8割以上が公立で、私立校はわずかにも関わらず、多くの政治家や主流メディアの編集部は私立出身がとても多い)は、コネクションを築く場になっていて、給料の高い仕事は、このグループの中でまわる傾向が強いのも事実です。
これらの学校は、親がその学校の卒業生であることも考慮に入り、能力よりも、たまたまどこに生まれ落ちたかがものを言うともみられています。
彼らは、資産やコネクションをもたない、圧倒的に大多数の普通のひとびとから、実際の労働が生み出した結果よりずっと安い給料を払う仕組を保持し、さらにそこから大きく税金を吸い上げ、トップのエリート・資産家にお金が集積する仕組から大きく利益をえています。

この極右派のリーダーの(馬鹿げた)理論は、馬鹿げているものの、あまりにも社会に浸透していて、その馬鹿馬鹿しさを見抜き、言葉できちんとそれに対抗することは、たやすいことではありません。
エマさんは、それを、ことばにすることを助けます。

エマさんは、正直に、ケアを無価値とみる政策や経済(基本的には、資本主義というところにもぶつかる)を変える方法は現時点では分からないと認めつつ、これらを明確なことばにすることで、物事の本質をさらけだすことを助けています。
いったん、問題の本質が明らかになれば、いろいろなひとたち(社会の弱い立場におかれているひとたちを含む社会のみんな)で、新たな考えや政策、新たな社会をつくりだすことも可能にします。

この極右派政党のリーダーの考えに対して、エマさんは、応答を考えます。

それが、エマさんの「もし、ブリティッシュ女性(The UKに在住する女性たち)が、明日みんな死んだとしたら、残された男性たちは、多くのお金をATM(現金自動預かり支払い機)から、どんどん引き出しているような極端にリッチな生活をおくっているのでしょうか?考えてみましょう」につながっています。

現在の(資本主義)経済では、ひとびとが健康・ハッピー・生き続けるためにかかる時間や労力をはかる手段は存在しません。
これらは、ケアに関することで、女性が行っていることが多いため、女性の仕事、と呼ばれることもあります。
市場でやりとりせず、貨幣のやりとりとしての価値がつけられていないため、ケアに関することは、価値がとても低くみられがちで、それが給料の低さにもつながり、給料の低さから、さらに無価値だと見られるという、ネガティヴな輪のなかでまわりがちです。
これは、資本主義経済のなかでは、自然は永久に搾取することができる無料・無限の資源と考えられていることともつながっています。
森はそこにある間、なんの価値もつけられませんが、多くの木が伐採され、市場で売り買いが起こると、初めて(木が死んでいる状態)で価値がつくことになります。
でも、無理な伐採で引き起こされる森林破壊や、山崩れや大規模な山火事、それによって命や家を失ったひとびとの苦難は、数値にカウントすることはできません。

エマさんが、それを打ち破りたいと思ったのには、個人的な経験もあります。

エマさんは、先天疾患な病気で、長い入院や治療が必要だった経験があります。
エマさんが、こうやって生きていて、本を書いたり、講演を行ったりできるのは、ケアをしてくれた看護師たちのおかげで、彼女ら・彼らなしでは、確実に死んでいました。
エマさんが、現在稼いでいる給料やそこから払っている税金は、これらの看護師たちのおかげですが、現在の経済では、看護師たちの貢献を数値にはできず、これは存在しないこととなります。
もし、看護師さんや先生といったひとびとの本当の価値をはじきだすことが可能であれば、現在の看護師さんや先生の給料に納得するひとは、世界に一人もいないでしょう。

世界の女性が一気に死んだとすれば、ファイナンス業界で働いて数億円の給料を稼いでいた男性は、子どもの面倒を24時間見る必要に直面します。
以前は、外国人移民のナニーや妻・パートナーが面倒をみていたことを、一人でやらなければなりなくなります。
そうなれば、フルタイムで今までのように働くことは不可能になります。

彼の失った給料、失われた税金を割り出すことはとても単純で簡単ですが、子どもが安心してハッピーに過ごせるようにしていた労力や時間は、GDP(国民総生産)などの数値には現れません。

エマさんによれば、リサーチをしたものの、地球上のどの地域でも、男性が、女性よりも賃金を支払われないケアに関することを行っている例は存在せず、地球上の賃金を支払われない労働の75パーセントは、女性が行っているとみられています。

エマさんは、経済用語は、権力のことばでもあることを指摘しています。

経済に関する用語は、工場で作られた製品などの機械的なものに対して編み出されたもので、ケアのように、人間(マインドや身体があり、ひとりひとりが違う)に対してだと、適用できません。

なぜなら、どこにも「平均的な人間」というのは存在しないので、同じ病気のひとに、同じ治療を行っても、それがどういう結果をもたらすのかは、ひとによって違います。
子どもに同じことを教えても、一人は数分で分かるかもしれないし、残りの子どもたちには数か月、数年かかって理解することもあります。
ひとりひとりが違い、長年にわたったインヴェストメントが必要なので、(資本主義)経済や、政治サイクル(イギリスだと何も特別なことがなければ5年毎に総選挙が行われる)に合わせた短い期間だけを考えた政策だと、うまくいきません。

数値やことばにできない、ということは、緊縮経済になると、まっさきに削られるのは、「福祉、ケア」となることにもつながります。
同時に、削ったときのとてもネガティヴな結果についても、盲目となります。

たとえば、シンクタンクは公共サーヴィスのいわゆる「効率化」などにもよく使われますが、ここでの基準は、「看護師を20パーセント減らせば、そのコスト=(解雇された看護師の給料)が削減でき、一年でこれだけの節約ができます」です。
でも、看護師の人数が20パーセント減らされたことで生じるかもしれない、患者のケアが今までのようにできない(=救えるはずの病気で死んだ、ケアが足りなくて寿命が数年縮んだ、患者の家族の多くが仕事をやめて世話をする必要が生じた、など)、少ない人数でのオーヴァーワークによるストレスで離職する看護師が増えたり、医療事故が増える可能性も高まることは、この計算には含まれていません。
これらのネガティヴな結果は、国民総生産などの、現在使われている経済分野では、数値やことばとして現れません。
でも、数値として現れないからと言って、存在しないわけではありません

シンクタンクや政治家は、ケアに関わるような、ひとびとの関係性や感情の共有などの数値化できないことを嫌い、すべてを機械化したがります。
極端な例では、男性の助産師だと、いくら出産に関わる感情でのやりとりが重要だと勉強していても、自然に子どもが生まれることを待つことができず、機械的に一定の時間がくると、無理やり子どもを引き出す選択をしがちだそうです。
個人的には、これはAIなどを推し進めているひとびとが、人間のような予測不可能なもの(ひとりひとりが違うボディーやマインドをもっている)を機械におきかえようとしている動き(Transhumanism - トランスヒューマニズム)にもつながっているのでは、と思います。

GDP(国民総生産)を成長させなければ、というのは、どの政府からもよく聞きますが、国民総生産が何か、何をはかることを目的にしているのか、何が除外されているのかを知っていることは重要です。

「国民総生産を成長させることは、国民のウェル・ビーイングに必須」だとされていますが、エマさんは、以下の二つの点で、それは私たちを欺いているとしています。

国民総生産は、典型的に、一年の間に、売買されたものやサーヴィスのすべての価格をあわせたものです。
簡単にいうと、「私たちの経済のサイズ」とよばれるものです。

最初に、国民総生産には、プライス・タグ(値段の札)がついていないものは含まれません。
プライス・タグのついていない全てのものは、完全に経済の外側にいることになります。
私たちが(お金で)支払いをしないもののすべては、leisure (レィジャー/娯楽)としてラベルを貼られます。
この論理では、賃金労働をしているか、娯楽かどちらかしかありません。
(家族のための買い物で)スーパーマーケットを走り回って牛乳やパンを買ったり、子供用の粉末ミルクを買っているのは、娯楽なのでしょうか?
子どもの学校から送られてきた手紙やメールを読み、それに対応するのも、娯楽なのでしょうか?
女性は、これらのいわゆる「娯楽を追及する」時間を男性の2倍費やすとされていますが、これらの貢献はどこにも記録されません

二つ目に、国民総生産というレンズを通してみれば、数億円稼いでいるトレーダーは、数百万円の給料で働いている看護師よりも価値があるということになりますが、コヴィッド19でも明らかになったように、トレーダーや、トレーダーの子どもが病気や手術から回復するのには、看護師は必須ですが、その貢献は、どの数値にも現れません。
でも、看護師の社会での価値(ひとびとの命や健康を支えている)は、社会にはなくてはならないもので、社会を支えています。
でも、現在の経済では、それを明確なことばや数値に変える方法はありません。
そもそも、数値に表しようのないものが、社会で一番大切なことだったりもします。

それでも、なんとかことばにすることは大切です。

なぜなら、経済や社会政策は、これらの経済モデルによって決定されるからです。
私たちは、社会やひとびとがサヴァイヴァルするため、善く生きるために欠かせない、人とのつながりやケアを、重要なものとして認識させ、政策に適正にいれられることを、ことばを通して行う必要があります。

また、福祉などのカットを行うと、それを埋めているのは女性です。
福祉のカットを行ったからといって、障害をもった子どもたちが奇跡的に障害がなくなるわけではなく、子どもたちをケアする必要性は変わりません。
公共でのサーヴィスが減った分、子どもたちの親が仕事を減らす・やめたりして、子どものケアを埋めざるをえません。
なぜなら、そうしないことは、子どもの死や、早死に、防げた病気などを引き起こすからです。
これらを引き受けるのは、地球上のどの地域でも、圧倒的に女性です。
女性は、いつも「バッファー」として使われます。
女性は、自分の収入を失い(=将来の年金にも影響するーThe UKも含めてヨーロッパでは公的年金は個人と紐づけられていて、夫の収入やステータスとは関係ない)、キャリアも失うかもしれませんが、このネガティヴな結果も、収入を失った分は数値として現れますが、将来の年金やキャリア展望への影響については、数値には現れません。

イギリスは、福祉を大きく削り続けていて、過去10年ほどで、一週間に35時間以上の賃金として支払われないケアを行うひとびとは、50万人増えたとみられています。(The UKの総人口は、日本の総人口の約半分)

エマさんは、ケアは、難しく、疲れるもので、現在の(資本主義)経済でも文化(お金がすべて)でも、価値が低い・ないものとして扱われていますが、同時に、私たちの多くにとって、ほかのひとにとって必要とされていること、ほかのひとの生活を善くすることに貢献することは、ケアをしている私たちの人生も豊かにし、私たちが、お互いがつながっている、と深く感じることにもつながるとしています。
女性たちは、常に、家庭の外での人生を十分にもつことについて闘いましたが(=男性と同等に働く権利、女性が個人の銀行口座をもつ権利、女性の家屋や財産への所有権、女性の参政権等)、それは、喜びと尊厳をもってほかのひとびとのケアをすること(子どもや親・親戚・隣人の世話をすること等)の権利の代わりではなく、どちらもです。
もし(現在のように)ほかの人々のことをケアするのは価値がないことで、そんな時間があれば、賃金労働に費やしたほうがいい、となれば、結局は誰もが大きな損失をこうむることとなります。

(特にThe UKの)ケアが、家庭からも職場、国家、コミュニティーからも押し出された社会で育った世代は、成人になりつつありますが、彼ら・彼女らは、ハッピーではありません。
2022年には、精神的な障害・不適応などを抱えている若いひとびとは、6人に1人とされ、2017年の8人に1人よりも増えました。

イギリスでは、子供や若い人たちの精神的な不適応や障害が増えているのは、医師たちが過剰診断を行っている・子どもたちが弱くなった(Snowflake generation/粉雪のように脆弱な世代だとする揶揄)などという政治家たちもいますが、エマさんは、ソーシャルメディアなどの影響を考えることなどからも一歩離れて、「私たちは、若い人たちがケアをされるコミュニティーをつくってきたのか、それとも私たちは、ケアを最適化工場のプレッシャーと置き換えたのか」という疑問を投げかけることが大切だとしています。
最適化工場とは、ひとびとを、生産性・ヒューマンキャピタル・競争を最大化して増やすものだとみなす環境・社会を指しています。
効率性と生産性が理想だとされるとき、そこには人間としての道は一つだけで、私たちを息苦しいほどの均質性へと引き寄せます。
悲しいことに、私たちの現在の文化は、ひとりひとりの人間を同じように価値があるものとしていません。
現在の社会が賞賛するひとびとは、もっともケアを必要としないひとびとで、他人のことを全く気にかけないひとびとです。

この記事のなかではないのですが、Politics Joeの対談では、イギリスや英語圏で毒性のあるマスキュリニティーの一人者として取り上げられることの多い、アンドリュー・ティトを例に出して、ケアされなかった子どもたちが、自分のいばしょを社会に見つけられず、逃げようとした場所(お金と名声だけが価値のあることで、男の価値は家族を十分に養うことや仕事で成功することとに結びついているとするもの ← 現在の資本主義経済では、大多数のひとびとにとって不可能)に、逆に陥っているのではないか、としていました。
もし、社会が十分にケアがある場所で、すべてのひとびとが十分にケアを与え、受け取ることができる環境で、誰もが同じ価値をもっているということが実質的に存在していれば、誰もが社会の中に存在する場所や価値をみいだせ、上記のような暗く孤独で暴力的な場所にたどりつくことはないのではないか、としていました。
もちろん、全体的な社会・経済として、誰もが家族と過ごす時間や、趣味を楽しむ時間、何もしないことやリラックスする時間が十分にとれることは、基本的な権利であり、とても大切です。

エマさんの対談や記事には出てこないのですが、マルクス専門家のGrace Blakely(グレース・ブレークリー)さんや、経済人類学の専門家であるJason Hickel(ジェイソン・ヒッケル)さんが提案しているような、資本主義経済を脱する考えがあることを知っておくことも重要です。
大多数の資産をもたない普通のひとびとにとって、「賃金労働をするか、死ぬか」という二択しかない世界は、ここ数百年の間につくりだされ適用されたシステムであり、これを変えることは十分、可能です。
深く説明すると長くなり、エマさんの話から逸れるので、簡単にいうと、人間が善く生きるために必要なことに資本や労働力を集中させ、その資本は普通のひとびとが共有し、水・健康な心身を保てる食料・家屋・教育・医療・エネルギー(ガスや電気)・コミュニケーション(インターネットやスマートフォンなど)は基本的に地球上の誰もが無料でアクセスできるようにし、消えていく産業での失業者は、パブリック・ジョブ・ギャランティー制度で、本当に地域に必要な職業をつくりだすことで吸収し、失業者を出さないことも十分に可能です。
実際、植民地支配から長年の闘争をへて独立を勝ち取った国々(ほとんどは石油や鉱物などの多くの資産を有する国々で、地球上の8割に近い地域)は、上記のような政策を行い(社会主義的な政策とよばれがちだけど、資本主義の形態がさまざまであるように、社会主義の形態もさまざまで、純粋な社会主義が一つだけ存在するというわけではない)、極端な貧困を短期間でほぼ無くし、識字率をあげ、国民のひととしての開発度をあげることに成功しました。
元植民地宗主国は、以前はほぼ無料で盗んでいた資源にアクセスできなくなることに不満で、これらの国々のリーダーを暗殺したり、直接・間接的にクーデターを起こし、民主的に選ばれた政府を機能不全にし、傀儡政権をうちたて、植民地時代と同じように、西側諸国の政府や企業が搾取できる状態にしました。
このときに、西側諸国(特にアメリカとイギリス、フランス)が使った言い訳は「社会主義を倒す/専制主義に苦しんでいるひとびとに民主主義と自由を与える」などで、軍事的な介入だけでなく、一方的な経済制裁(多くは国際法違反)なども使い、その国の経済をつぶしました。
「社会主義は誰もが貧乏になり、独裁者をつくり、機能しない、資本主義だけが成功」という図式は、社会主義だとみなした国々には極端な経済制裁や軍事介入が行われたことを無視したものです。
現在の、アメリカがヴェネズエラに対して行っている違法侵略・違法攻撃・国のリーダーの違法な誘拐・ほかの国の資源を盗む違法行為は、帝国主義と資本主義があいまって成長した数百年前からずっと起こっていることであり、植民地が独立後は、もっとわかりにくい形(経済制裁や、世界銀行・国際通貨基金を通した構造調整計画を強制 → 豊かな資源は西側諸国の政府や企業へとただ同然で使われ、その国の大多数の国民を極端な貧困に陥れ、一部のエリートが西側が自国の資源を盗むことを助けることで莫大な利益をえる)で起こっていたことが、目に見えるあからさまな形(=植民地独立が起こる前の状態)で起こっているだけです。
資本主義については、極端な貧困をなくすことに成功した、という意見もあるものの、この基準は、一日数ドルのお金があるかないか、ということが基準になっていて、実際に物々交換の社会に住んでいて食べ物や水などが豊富にある地域であれば、数ドルでも十分に生きていけるかもしれないけれど、ほかの地域では一日に百ドル程度なければ極端な貧困に陥る場合もあり、とても不確かな基準だと分かっています。
先述したジェイソン・ヒッケルさんは、きちんと調査して、実際は、資本主義は貧困をなくすことに最適な方法ではないことを証明しています。

エマさんの記事に戻ると、The UKでは、2024年には1938年に調査が始まって以来、最低の出産率(日本よりはずっと高い)を記録しました。
エマさんは、これは不思議ではない、としています。
なぜなら、政治的な決定をする際に、子どもを育てるために必要なケアについては、なんの価値も付与されていないからです。
女性や子どもたちの、生きている現実は、政治家たちにとっては、完全に見えない(=存在しないと同じ)ものです。
The UKの2022年の調査では、賃金労働としては、男性は平均週35.5時間働き、女性は平均27.8時間働きました。
でも、賃金を支払われない労働となると、男性は週平均16時間の賃金を支払われない労働を行い、女性は週平均26時間でした。
不安定な住宅市場(家賃はどんどん値上がりし、ロンドンだとZone 3ぐらいに離れてもOne bed room flatで月2000ポンド以上の家賃は普通-40万円/月、プロフェッショナルである程度いい給料の仕事についていても、フラット・シェアするしかない場合も多い)と、給料がよく安定した職をえることはとても難しい状況では、女性たちがシンプルに、さらなる労働を受け入れることを拒否しているのではないか、とエマさんはみています。

これらのエッセンシャル・ケア労働がどのように過小評価されているかを考察しはじめると、絶望的な気持ちに陥るのはたやすいことです。
地球上の多くの場所で、多くのひとびとは、この多大に価値のあるケアを、格安で際限のない資源として取り扱っています。
でも、この価値についての考え方や概念も、誰かがどこかの段階でつくりあげたものです。
だから、私たちには、それを変えることが可能です。
私たちが最も価値を感じるところにー 私たちのひとびととの関係性、私たちの家族やコミュニティー。

Yoko Marta