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I'm sorryという言葉の背景にあるもの

Yoko Marta
15.06.21 11:14 AM Comment(s)

I'm sorryは日本語の「すいません」ではない

 ヨーロピアン(恐らくアメリカ大陸含めて)と日本人の間で大きな誤解を生じさせるものに、I'm sorryという言葉、或いは謝罪についての考え方があります。ヨーロピアンの中でもイギリス人はI'm sorryと比較的よく言ってしまうことで知られているものの、日本の「はい」が英語での「Yes」に該当しないように、これは日本語での「すいません」「ごめんなさい」と同じではありません。実際にクォリティの低いジョークで日本人を表現するのに「I'm sorry,sorry, sorry, sorry....」とぺこぺこして言い続ける、というのを見たことがある人はイギリスだとよくいると思います。ただ、日本人が「すいません」と始終何度も頭を下げているのが、ヨーロッパの文化では異様に映ることは頭に置いていたほうがいいと思います。

 ヨーロッパでの「I'm sorry」は本当に悪いことをしたときに使うものであり、落としたものを拾ってもらったときや、仕事上で自分の間違いでないのに間違いだと指摘された場合等に「I'm sorry」は決して使いません。また、この言葉を多用するのは、特に仕事上では、自分の言っていることに全く自信がなく(=アンプロフェッショナル、仕事を遂行する能力がない)、尊敬・信用を得ることはできません。この「尊敬」についても文化の違いが大きく出るところですが、「Earn respect、Earn trust(尊敬を(働いて)獲得、信用を(働いて)獲得)」という言葉にあるように、尊敬や信用は、自分が上司だから、男性だから、特定の国籍だから、階級が上だからといったことで自動的に付与されるものではありません。部下や上司の尊敬や信用は、自分の一貫した尊敬・信用をおける行動を繰り返すことで、獲得していくものです。この尊敬というのは、仕事をしていく上でも非常に重要なものとなります。

 ドイツのビジネス記事にヨーロピアンの標準的な意見と思われるものが記載されてたのでご紹介します。ここからオリジナルの記事が読めます(ドイツ語)ポイントは以下です。

  • プロジェクトが予測しなかったことで遅延したり、問題が生じるのはあり得ること → 状況を説明して、解決方法を提案。I'm sorryは不要。不快な状況で、とりあえず「I'm sorry」と言うことで状況を短期的な視点で和らげたいかもしれないが、「I'm sorry」ということで、この問題は自分の責任であると宣言することになる。自分の責任でおきた状況ではないのに、自分がそれを負うのは間違っている。
  • サポートやアドバイスを仰ぐ。とことん質問する → 仕事内容が、最初に説明された、或いは自分が理解した範囲よりも複雑であることが後からわかる場合もよくあることです。その場合は、しっかりと質問し、必要に応じてサポートを頼むことが大切です。ここにも「I'm sorry」は不要です。仕事を高いクォリティーで時間内で仕上げることは全員の目標であり、自分のもっているリソースが十分でないと判断できること、そう判断したときに迅速に必要なサポートを頼めることは、仕事に対してプロフェッショナルな能力・意識を持っているということであり、尊敬・信用されます。
  • 「整理して解決しましょう」 →  どんなに良い職場でも抗争や対立が起きることは避けられません。問題は、それらをどう扱うかです。まず、状況から感情を切り離して、誰かが責められているという感情を持たないように心掛けながら(誰一人責めることなく、みんながリラックスして問題解決に向かう)、自分の見方を理解してもらう機会をつくりましょう。「整理して、解決しましょう」ということで、自由な対話、開けた環境を作ることができます。ここでも、誰からも「I'm sorry」は不要です。

 日本だと、「悪くなくても(或いは悪くないと思っていても)とりあえず謝る」ということが無意識の習慣となっている人も多いと思います。日本で日本人だけと仕事をするのであればいいのですが、ヨーロッパで仕事・生活する場合、これは大きな問題となる可能性があります。「謝る」ということは「自分は何らかの悪行をした」と認めることであり、ここにはアカウンタビリティー(責任)が生じ、当然ながら解決方法を提案し、その後解決方法に従って実際に解決したのかが重く問われるでしょう。大企業の問題が明らかになったときに、ヨーロッパだと責任者(取締役等)が状況を説明し、どのような体制や方法で解決していくか(期間とどの機関が監視・Review, 報告を行うか等)を淡々と説明します。日本の場合は、謝罪会見ということで、とにかく取締役等の男性がたくさん出てきて泣いたり、床に額をこすりつけて謝罪のポーズをしますが、一体何が原因で起こったのか、どう解決するのか、今度どのように似たような問題を防ぐのか、誰がどのように実際に問題が解決されたと監視・報告を行っていくのかも全く不明な場合が少なくありません。これは、ヨーロピアンから見て(恐らく多くの日本人から見ても)不可思議なことではないでしょうか。ポイントは、どう解決し、同じような問題を二度と起こさないような体制を作ることであり、「謝るだけで終わり(カウンタビリティーなし)」という日本式は、目的が完全にずれているといえるでしょう。或いは、日本式の目的は、誰も責任を取らずに世間からの同情を得てそのままの状況を続けていくことなのかもしれません。

 仕事上、「何が何でも謝らせたい」という日本人上司・同僚を理解できないヨーロピアンという構図はけっこう見ました。往々にして、ヨーロピアン同僚や部下が何か仕事上でミスや悪いことをしたというのではなく、プロジェクト等で何か障害があったときに、部下を呼びつけたところ最初に「I'm sorry」と言わなかった、その障害が起きたのは誰のせいでもないのは明白なのにも関わらず、ヨーロピアンの部下にまずそういった状況が起きたことを謝れと感情的に強要する、誤解が生じた際に状況をまず説明するヨーロピアン部下に(例/上司と部下の間で口頭でミーティングの日時を確認。部下はメールで日時の確認のメールを念のため上司に出していたが、上司はメールは開けたが内容は読んでなかった)、感情的に「言い訳するな。とにかく謝れ」と話を遮って怒鳴る等、標準的なヨーロピアンの感覚でいえば理不尽で無意味な行動が多かったように見受けました。「なんで日本人はあんなに謝れ謝れって感情的になるのか」ということと、「日本人は形だけ謝って、アカウンタビリティーをもった行動をしない」ということもよく聞きました。アカウンタビリティーを持った行動というのは、謝ったということは悪いことをしたということを認めたということであり、同じことは二度と起こらないように責任をもって行動する、ということです。その場では口先だけで謝って、同じことを平気で何度も繰り返し、そのたびに同じ謝罪を繰り返すというのは、標準的なヨーロピアンの感覚からは信じられないことだし、完全に信用を失うこととなります。もし、何かについて非難されたと感じた場合で、理解できない、或いは納得できない場合は、きちんとわかるまで質問しましょう。これを嫌がる人はまずいないし、目的は問題解決(自分にとって問題でなくても相手にとっては問題かもしれないし、逆かもしれないし、そもそも問題と思っていたことは誤解かもしれない)であり、何が問題なのかをお互い正しく認識することが大切です。このステップを面倒だと思う人もいるかもしれませんが、ヨーロッパで仕事して生きていくためには必須でしょう。

Yoko Marta