The Green Catalyst
The Green Catalyst
Creating futures we can believe in

番外編ː 日本での「働く」ということに関する歪み

Yoko Marta
28.10.22 03:34 PM Comment(s)

「働き方改革」と「健康経営」について ー 政府と経営者の問題と責任を、優秀で懸命に働いている普通の人々に押し付ける構造

2021年10月後半に、独立行政法人経済産業研究所(RIETI)によって開催された「働き方改革と健康経営」のウェビナーに参加しました。


この仕組自体は、よい意図が背後にあったのでしょうが、ヨーロッパで長く働いてきた私にとっては、以下のように見え、非常に残念な思いをしました。

目的は「全被雇用者が、精神・肉体的に壊れず絶対に病気をせず、高性能なアウトプットを会社のために出力し続けることを可能にするために、彼らの私生活を含めた全生活を、運動量・喫煙の有無、睡眠等も含めてコントロールする」

懸命に働いて生きている人々を、ロボットかモノのように「労働力」としてのみ見ていることが透けてみえるようで、寒々しく感じました。

個人の健康診断の結果が会社に把握される、というのはヨーロッパではまず受け付けられないし、就職面談でも、鬱を経験したかなどの健康状態を聞くことは違法です。「健康」は個人的なことであり、会社で契約した時間内に契約内の仕事をきちんと遂行する以外に、会社がひとの生活や人生にコントロールの手を延ばすことは考えられませんPaid work(賃金を得る仕事)は、多くの人々にとって生きていくために必要なことですが、仕事は生活や人生のうちの一部であって、会社のために人々が自分の家族や私生活を犠牲にしたり、命を削るような働き方を求めるのは、全く適切ではありません

人々は、さまざまなアイデンティティーを持ち、社会や家庭でさまざまな役割や義務をもち、個々に違う、かげがけのない命をもつ「ひと」であり、個人が尊重されたうえで仕事がある、という視点の欠落にとても残念な思いをしました。

労働者を、「労働力」というモノや機械の部品としてとらえるフレームワークは変わらなければなりません

私自身は、日本でITエンジニアとして5年ほど働き、月100時間近い残業、夜の11時にスケジュールされるミーティングが当たり前のような環境に疲れ果て、イギリスでITエンジニアとしての労働許可を得て、転職も何度かし、20年以上働いています。残業はなく、仕事が終わってから夜間・夕方の大学のコースやアダルトカレッジのコースにはかなり通ったし、無料で開催される大学の講演会等にもよく参加し、年に数回は連続2週間程度のホリデー + Bank Holiday(国民の休日)とつなげて1週間程度のホリデーを年数回、という生活を続けてきました。ここ8年ほどは、リクルートメントセクターで働いており、友人の多くも家族もヨーロピアンで、家族の仕事の都合でドイツとイギリスと頻繁に往復した時期もあり、「ヨーロッパで働く」ということを実際に身をもって体験してきました。私自身は、こういった分類方法には賛成しないものの、一般的に高給・高レベルであるという職業についている友人たちも「
一番大事なのは家族(ヨーロッパで「家族」とよぶのは、自分がたまたま生まれ落ちた家族ではなく、自分が自分の意志で選んだパートナーと子供たち)」と迷いなく言い、家族のために時間と労力をきちんと割きます。家族のために、働き方を変えたり、転職したりすることも珍しくありません。会社も、良い人には残ってほしいし、「家族が一番大事」というのは誰もが当たり前だと思っていることなので、なるべく彼ら/彼女らが家庭での役割と両立できるようなフレキシブルな形での労働条件を提案します。

「働き方改革と健康経営」は労働生産性を高めることが大きな目的のようですが、日本の平均的な労働者は教育も能力も高く、日本の労働生産性が低いのは、労働者のせいではなく、経営とマネジメントができる人々の不在、社会・経済・政治の仕組みの歪さが大きな原因であるとしか思えません。普通に働いている人々が優秀でも、適切な経営とマネジメントができる人がいなければ、実際にビジネスに役立たないことに人々をアサインし無駄に働かせ、普通に働いている優秀な人々を疲弊させるだけでしょう。日本で働いていた時を考えても、高いモラルをもち周りを引っ張っていける「リーダー」はあちことに存在していましたが、ビジョンを持ち組織を望ましい方向に舵取りできる経営者・マネジメントができる人々は見かけませんでした。ヨーロッパでは、通常、経営者・マネジメントは重要な位置であると見なされ、ビジネスの方向性や成果について、厳しく問われます。マネジメントができるよう適切なトレーニングを受けてきた人々もたくさんいます。マネジメントができる人とリーダーは違います。もちろん、両方ができる人もいるかもしれませんが、マネジメントは全体を見て、組織・ビジネスを実際に大きく動かしていく力となりますが、リーダーの役割はビジネスにおいて影響が及ぼせる範囲は限られています。そのため、どんなにいいリーダーがたくさんいても、経営とマネジメントが適切に行われていないとビジネスは向上しません。この「働き改革と健康経営」というのも、問題の本質である経営側・政府側の問題を無視して、一般労働者に責任や非難を押し付けているように見えます。この構図には気を付けなくてはなりません。同じことは、日本の相対的貧困問題でも起こっており、実際の責任者である政府への非難が向くことを避けるため、一般市民がお互いに争うように仕向けて(「貧困は自己責任」等)いることと似ています。これは、日本だけでなく、イギリス(通称「イギリス」は連合国4国から成立していますが、そのうちのイギリスのみ)でも同じようなことが起こっています。現イギリス政府は、コロナウィルスの感染率が非常に高まっておりコロナでの入院患者も増え、科学者や医療の代表者たちから何度も強くロックダウン等の国としての責任ある決断をするべきだ、というアドバイスを受けても無視しています。「人々には選択の自由があり、混んでる場所に行かない、マスクをするかどうか等も個人の問題。一部の無責任な人々がウィルスを広めているだけで、個人問題で政府に責任はない」という立場です。これは、パンデミックであり、個人の良識に任せてどうにかなる問題ではなく、政府は国民に責任と非難を押し付けています。このナラティブは変わらないといけませんが、そのためには、国民たちも知識をつけ、物事の本質をよく観察し、適切な行動を政府に対して取らないといけません。政府が国民同士で争わせるように仕向けて、自分たちに(正しい)非難の矢が向かないようにしていることをよく理解しなければなりません。

「働き方改革と健康経営」に戻ると、政府と経営者たちは、まず自分たちの責任を果たす必要があります。長時間残業・ハラスメントの多い職場やサービス残業等の違法行為を許している環境下(=病気になって当たり前の環境。立場が弱い被雇用者や部下の立場にある人々には状況は変えられない)で、ひとびとの私生活に入り込んで健康状態をコントロールしようとするのは、不正直でしょう。また、失業したり、大きな病気をしたり、子供や老人・親戚等のケアで働けない時期があるのは、誰にでも起こりえることであり、その際には政府が基本的人権(食料、住む場所、無料の医療等の提供)を守るためのサポートを行う義務があります。政府と経営者たちの責任として、ざっと思いつくのは以下の通りです。

【すべての人々に安全な働く環境の提供】
  • 残業規制の徹底(監督・執行・遵守しない企業には適切な罰則)、見なし残業等のループホールを作らない、基本は残業なし

    残業ありきのシステム(見なし残業という形態は、法律で罰するべき)を作るべきではありません。

    マネジメントと経営者に能力があれば、ビジネスに何が必要でどの程度の工数が必要になるかは自明のはずです。その上で、必要なスキルがある人々を必要な人数雇えばよく、ビジネスが拡大し仕事が増えれば、それに見合う人数を雇えばいいというシンプルな話のはずです。

    私自身、プロジェクトマネージャーとして長く働きましたが、誰かが残業していれば、私のマネジメント(仕事の工数見積もりや進捗を適切に行っていない)に問題があるということになり、即座に解決しないと責任が厳しく問われ、「無能なので不要」ということになり仕事を失います。

    いつ、どの程度の残業が生じるのかが分からないので誰もが会社に長時間待機というのは、経営やマネジメントがうまくいっていない責任を、経営やマネジメントに影響する権利を持っていない一般の労働者に押し付けているということです。これは会社の責任であり、労働者がいつでも残業することを前提に仕事を組むということは絶対にあってはならないことです。また、就業時間内で全員が仕事を終わるのであれば、子供をピックアップする等の予定もつきやすく、ケアの責任が伴いやすい女性にも働き続けることを可能とし、ケアの責任を男女で分かち合うこともシンプルになるはずです。

    労働生産性の高いドイツでは、残業規制は厳格で、有給休暇も長く、実際の勤務時間はイギリスと比べても短いですが、労働生産性は高く、給料や仕事環境も良い国です。フランスも同様です。ドイツでは、法律によって残業は厳しく取り締まられ、残業ができる時間数も短く、私の家族が勤めていた企業でも、うっかり数分その基準を越してしまったために、マネージャーは罰金を払い、マネージャーと残業した人はトレーニング(同じことを起こさないよう)を受けなければなりませんでした。法律を設定しても、正しく監査・執行され、遵守しない企業には適切な罰則を与えなければ意味がありません。罰則が緩い場合は、罰金を払うほうが、労働者を搾取するより安くつく、という悪い経営者を増やす結果となるでしょう。また、労働者を守る規制をかなり撤廃・緩くしたイギリスでさえ、残業時間の制限はあり、残業した次の日には一定の時間を空けて働き始めることが法律で決められています。日本のように、長時間労働で人が死ぬようなことも珍しくない社会で、政府が厳しく残業時間を制限し、取り締まらないのは無責任でしょう。もし、残業なしでは経営が成り立たないという企業があれば、北欧の政府のお役人たちがいうように「まともな経営ができない企業・経営者には退場してもらいましょう」とするしかありません。

  • 政府が、会社の違法行為を厳しく監視し、責任を取らせる/内部告発を、被害者が報復の恐れなく簡単な手間でできるシステムを作る

    例えば、サービス残業は、違法です。違法であるならば、違法行為をする会社にはきちんと責任を取らせなければなりません。立場の弱い労働者たちが、会社からの報復を恐れる必要がなく、簡単な手続きで会社を告発し、働いた分の給料を受け取る仕組があるべきです。いったん改善したように見えても、定期的に監査を入れ、法律を守り続けていることを確認する仕組みも必要でしょう。これは、サービズ残業だけでなく、企業内部で違法行為を見つけたときに、内部告発をすることを可能とするでしょう。告発者の経済的安全・身体の安全は守られなくてはいけません

  • 政府から企業へ援助・補助金があった場合は、どうそれらが使用されたかを開示・監査

    これは、今回のパンデミックでイギリスでも出てきた論議です。援助金は、国民の税金から出ているので、それが正しく使われていることを求める権利は国民にあります。従業員のトレーニング、リスキリングや効率化のための機械やアプリケーション等の購入に使われたのであれば、正しいといえるでしょうが、単に経営者のポケットに入って従業員の利益に全くならなければ、それは正しい使い方とはいえません。もし、税金が正しく使われていないのであれば、返還してもらうことも考慮に入れるべき、との声も上がっています。

  • 病気時の保障

    ヨーロッパでは、通常は、風邪や病気で会社を数日休んでも、有給休暇がひかれたり、給料がひかれたりはしません。人間である限り、体調が悪い時もあります。誰かが数日休んだくらいで仕事がうまくまわらない、という人がいたら、それは、マネジメントがうまくいっていない証拠で、マネジメントが適切なトレーニングを受け、マネジメント能力を向上させる必要があります。また、病気時のために有給休暇を取っておかないといけない、ということがなくなるので、多くの人が有給休暇を計画的に取ることができるようになり、個人の心身の健康だけでなく、経済にも良い影響があるでしょう。

  • 失業時・長期の病気時や働けない事情がある場合のセーフティーネット

    ヨーロッパでは、通常は全ての医療は無料です。また、多くの税金は失業すると免除されます。社会保障(生活保護等)も、家族に連絡がいったりせず、本人の申請だけで可能です。家族や親戚に責任を取らせようとするのは経済先進国としてありえません。現在のように、システム的に貧困が作り出されている状況は、個人が何かできる状況ではなく、国のサポートは必須であり、国民を守る責任は政府にあります。日本の税金は、以前はヨーロッパに比べて低かったですが、現在はイギリスと比べると、同じ給料だと払う税金総額はほぼ変わりません。イギリスは他の西ヨーロッパ諸国と比べて、税金も低く保障も少ないのですが、それでも、失業時に大きな病気をしても、必要な医療が無料で受けられ、入院・手術、入院時の食事や薬・着替えも全て無料です。イギリスでのこれらの健康保険の費用は、NI(National Insurance-収入に応じて負担。全国共通)とさまざまな税金を財源としていて、国民が平等に負担・受けられるものです。日本では、大企業に働いていれば少しの個人負担で様々なサービスを受けられ、小さな企業で働いていたり自営業やパートタイム等で収入が少ない人々が、多くの個人負担を担い、しかも地域ごとにこの個人負担料も大きく違い、受けるサービスも限られているのは、公平な仕組みとはいえないのではないでしょうか。これは、基本的人権の問題であり、政府の介入なしでは解決できず、システム的に貧困に追いやられた人々に非を押し付けることはできません。

  • 有給休暇を連続して数週間とれるようにする。有給休暇は完全消化。

    長期休暇が個人にも仕事にも良い影響を及ぼすことは明らかです。必ずしも遠くに行く必要はなく、仕事から離れて、自分の趣味に没頭したり、家族との時間を過ごすことは、精神的にも大切です。緊急事態(命にかかわるようなこと)以外では、休暇中に仕事のことで電話をかけたりするべきではありません。(ヨーロッパではこれが普通だし、連絡がつきにくいような南の島々に行く人も多い)

    有給休暇を取る人がいると仕事がまわらない、というのであれば、マネージメントの能力を向上させるか、まともな経営ができないのであれば、退場してもらう、ということになるでしょう。

  • 公平で透明性の高い仕事評価

    ヨーロッパでは、基本的にJob Description(ジョブ・ディスクリプション)を元に採用が行われます。これは、どういった技能が必要で、どの部署・誰にレポートし、仕事の成果として何が期待されているのか等、非常に詳細なものとなります。きちんと明文化されていることで、雇用者・被雇用者が何をお互い期待していて、どういう成果を出さないといけないかが明確です。そのため、まだまだ改善するべき点はたくさんあるものの、仕事の評価は日本と比べると透明性が高く、直属のマネージャーに気に入られているかどうかという不公平で不透明な要素が少ないし、通常は日本のようにヒエラルキーが強くないので、評価に疑問があれば、気軽にマネージャーと話せます。また、この仕組は、部署の誰かに仕事を集中させ、仕事をしない人々(或いは仕事ができるようにトレーニングが必要な人々)を放置する、といったマネージャーの怠慢から生じる不公平な状態を作りにくくします。

  • 流動性 をよくする (より良い転職をしやすい仕組)

    ヨーロッパでは、転職を一度もしない人は珍しいと言っていいと思います。ヨーロピアンの友人や家族、リクルートメントセクターで働いていたことで会った数百人のヨーロピアンと話しましたが、新卒からずっと同じ企業で働いているのは数人だけです。この数人の環境は特殊です。彼らは、ヨーロッパのすごく田舎で国際エンジニアリング企業が2つしかない町に家族代々住んでおり、町全体の人々がこの2企業かその下請け企業に勤めています。彼の場合、父も兄も同じ企業で働き、大学時代の必須であるインターンシップもこの企業で行い、そのまま就職しました。新卒の給料も良く(新卒の給料の3年分くらいで大きなフラットが住んでる町で買える)、トレーニングもしっかりあり、キャリアパスについても、彼の適性をよく考えてくれ、購買部から国際セールス部門へと移り、本人も仕事を楽しんでいます。彼は、仕事に満足しているから転職しないだけであり、会社が何度か他企業に買収・合併されシステムが変った際には転職活動をし、いくつかのオファーをもらったものの、現企業から自分にとってさらに良い条件でのプロモーションがあったため、現企業に残りました。会社も、良い人々に引き続きやる気をもって働いてもらえるよう、努力します。

    上記は特殊な例で、通常は、このドイツのXingと呼ばれるドイツ版リンクトインに関する記事にあるように、自分の人生やキャリアに合わせて転職するのがごく普通です。正直いって、20歳ぐらいのときにやりたかったことや、家族の状況、住みたい場所等が10年後、30年後に全く変わらない人がいるのでしょうか?多いパターンは、20代のうちに数回転職をし、自分のやりたいことや向いていることを見極め経験を積み、30代以降は、同じプロフェッションを続け、さらに良い条件を出してくれる企業があれば、或いは家族の都合で別の国・地域に移ることになったので会社を変わる、ということになります。日本と違ってプロフェッショナル(専門)なので、培った経験は会社が違っても有効で、転職時には給料があがるのがごく普通です。新卒一括採用もないので、大学時代は本来の勉強に集中できるし、大学が終わった後に外国でインターンシップを半年するような人々も珍しくありません。ドイツのように、エンジニア系の大学学部だとインターンシップを義務付けているケースもあります。また、この流動性が高い仕組は、日本のように一部の大企業の社員が給料や待遇の面(保険等のさまざまな社会保障の仕組も含めて)で異常に好待遇なために、その限られた椅子を取ろうとして必死になっている経験値の少ない若者たちを搾取するような人々の存在も自然となくすのではないでしょうか。また、流動性が高いということは、チャンスを多く作り出します。

    会社が社員を悪く扱えば、あっという間に彼らは他企業に転職するし、いじめやハラスメントを放置すれば、あっという間に人はいなくなるので、会社も本気で悪い環境を変え、良い環境を保つ必要性に追われます。ただ、流動性の高いヨーロッパの国々は、失業時のセーフティーネット(失業しても、医療、食料、住む場所等は保障されている)や失業した人々へのリトレーニングは充実しています。一部の限られた会社が、従業員(国民数のとても小さい一部)の一生を保障し、その他の小企業に勤める大部分の国民はまともな保障がないままに不当に安い給料で働くことを許すという仕組みはやめて、政府は国民のマジョリティーが安心して暮らせる社会を作る必要があると思います。

  • 十分なトレーニングを提供する

    いろいろな企業を見てきましたが、「一生この会社で働くかどうかわからない人にトレーニングを行うのは時間とお金の無駄」という発言をするのは日本人だけです。私の数人のヨーロピアンの友人は、会社で働きながら、大学院の費用も会社負担、給料はきちんと支払われ、大学院に行く時間・勉強する時間を鑑みた勤務時間に変えてもらっていました。イギリスの大学の門戸は社会人に大きく開かれており、大学院だとパートタイムで2年(フルタイムだと通常1年)で勉強を終えます。私が知っているパターンでは、大学院を終えた後3年間その企業で働くことが契約で決められていて、やむを得ない状況を除いて、引き続き3年働けなければ学費の返還ということになります。中には、既に5~6年ぐらいの間にスペインに帰国することを真剣に考えていたので、会社から大学院コースへのオファーをいったん断った友人もいましたが、会社からは「きちんと資格のある優秀な人が、他の人や企業にもいい影響を与えてくれるのは大切で、それで十分あなたは企業に貢献してくれていることになるし、あなたのプロフェッショナルとしての成長にも良い機会になる」と説得され、大学院を働きながら、修了しました。また、他のサービス業でも、トレーニングは頻繁に行われています。会社にとっても、プロフェッショナルなレベルを常に高く保ち、知識をアップデートしている従業員ばかりであることは大切であり、個人にとってもプロフェッショナルとしてのキャリアを積めることになり、仕事への意欲は高くなります。

    また、基本の考え方は、「良い人々に続けて働いてもらうためには、会社が働く人々にとって魅力的な会社であるために努力を続けなければならない」です。これは、日本とは大きな違いではないでしょうか。

  • 勤務形態・時間数に関わらず、会社は社会保障・年金を負担、

    これは、既にヨーロッパでは当たり前です。最低賃金で働く人々は、経済的にも弱い立場であることが多く、圧倒間に貧困に陥る可能性が高くなります。最低賃金で働ている人たちこそ、本人たちが負担する社会保障額は無料か、とても低くあるべきです。これは、社会・経済の仕組であり、政府の介入が必要であり、社会保障を払うと会社が立ち行かない、というのであれば、そういった会社には、まともな経営をするよう改善するか、できなければ退場してもらうしかないでしょう。

  • どのようなハラスメントも許さず、ハラスメントがあった場合には、きちんと責任を取らせる

    会社は、すべての働く人々に安全な環境を提供する義務があります。
    どのような形態のハラスメントも起こってはならないし、起こったとすれば素早く対応し、ハラスメント加害者には責任を取らせる必要があります
    また、二度とおなじことが起こらないような改善策を施行・監視する必要もあります。
    会社が上記を遂行できないのであれば、政府の介入は必要でしょう。

    ハラスメントの加害者は、自分より立場が弱い人々を標的とします。ハラスメントが起こったときに、被害者を黙らせようとしたり、加害者に加害行動の責任を取らせないのは間違っています。ハラスメントは個人の尊厳を傷つけることであり、経済的な観点からみると、労働生産性を大幅にさげます。働けなくなるほどのひどいハラスメントを受けた場合は、個人の健康と経済的な安定が奪われたことが一番大きいですが、国にとっても税収が減り、医療・社会保障費が増えることとなり、誰にとってもいいことはありません。ハラスメントがなくならないのは、加害者にきちんと責任を取らせない会社の体質、法律での規制の緩さ、訴えることの難しさ等が挙げられます。ハラスメント加害者・被害者は、特別な人ではありません。男女に関わらず、誰もが加害者にも被害者にもなりえます。ただ、日本でのハラスメントの定義は、ヨーロッパに比べると非常に緩いように見受けられます。(=ヨーロッパではハラスメントと認識されていることの多くが日本ではそう認められていない)

    ハラスメント例)
怒鳴る/机をたたくような脅す行動/多くの人々の前で叱責:会社でこのような行動が許されていいわけがありません。ヨーロッパでは、会社で怒鳴る人はまずいないし、いたとしても、「自分の感情のコントロールすらできない無能で有害な人」ということになり、全く尊敬は得られないし、上のマネージャーに呼ばれてじっくりと話し合いをし、言動が改善されなければ、退職ということになるでしょう。「暴力」は当然、法律違反ですが、「頭を軽くこづく」等が「暴力」と認識でいない人も残念ながらいるかもしれません。下記にあるように、会社というプロフェッショナルな場で、他人の身体に触れることがあってはならない、ということは明文化して、徹底しなければなりません。

部下や同僚の身体の一部にふれる(肩をたたく等も含める)ː 命に危険がある状況(車に引かれそうになったのを腕を引いて止めた等)以外で、会社というプロフェッショナルな場で誰かの身体に触れる必要があるわけはありません。ヨーロッパでは、友人や知り合いといったプライベートな場所ではハグや頬へのキスは普通ですが、プロフェッショナルな場は線引きされており、誰かに突然触られるということはありません。「どいてほしかったから肩を軽く押しただけ」というかもしれませんが、ことばで表現できる能力があるのが大人なのだから、「どいてくれませんか」と一言いえばいいだけです。自分より立場が上の人に、報復や不都合な結果を恐れず「やめてください」ということは、日本のように男尊女卑とヒエラルキーが強い場所では、不可能か、非常に難しいことは理解しておかなければなりません。

大きなパワーがある人がそうでない人を食事や飲み会に誘う上記にあるように部下の立場で上司に「No」を伝えるのはほぼ不可能です。大きな力の差がある関係性では、合意は成り立ちません。強いパワーの差がある関係性で、力が強い側から、弱い側に対して食事や飲み会に誘ったりするのは不適切です。それは、報復や不都合な結果(=上司に仕事上で無視される、情報を渡してもらえなくなる、明らかに不機嫌に扱われる、嫌みを言われるようになる、降格される等)を恐れずに対等な立場で「No」といえる関係ではないからです。これは、上司と部下という力関係だけでなく、同じ職位でも年齢や性別によって、会社への勤続年数によって生じる可能性もあります。特権をもっている側は、自分が特権を持っているという自覚を常に持っている必要があります。
また、[No」の不在が合意とはなりえないし、プロフェッショナルな場での暗黙の了解はありません。
私の知り合いの国際企業では、秘書を食事に誘うメールを送った社員が解雇されました。
会社は、プロフェッショナルな場であり、家族でもなければ恋愛をするための場所でもなく、誰もが平等にプロフェッショナルとしての力を出せる環境が保障されていなくてはなりません。明確にルールを設け施行を徹底し、これが破られたときには、適切な対応と罰則を実行するのは会社の責任であり、そうしない会社には政府が介入する必要があります。これについても、告発する人が報復を受けることを恐れる必要なく、簡易に報告できるぱ行政レベルでの仕組みは必要でしょう。(日本の大部分が中小企業で、ハラスメントに特化した専門家を雇用することは難しいと思えるため)

勤務期間外での仕事の強要や連絡、私生活を詮索・監視すること被雇用者にある義務は、契約書に定められた勤務時間内に所定の仕事を遂行することです。勤務時間外に何をしているか詮索したり、監視・介入するのはハラスメントです。また、勤務時間外に無給で働かせるのは違法であり、競合他社にとっても、不当に安い給料を支払っていることで、Level Playing Field (公平で平等な競争の場所)の原則を崩します。このような「ずる」が許されて言いわけがありません。また、緊急(命にかかわること)以外で、勤務外の時間に連絡をして受け答えを強要するのは、適切ではありません。マネージャーが部下たちよりも良い待遇と地位と給料があるのは、仕事や人をマネージしているからです。仕事のアサインメントや業務時間内で必要な仕事が良いレベルで遂行されるよう調整するのはマネージャーの仕事であり、勤務時間外に部下たちを働かせないと仕事ができないようなマネージャーであれば、マネージャー本人に適切なトレーニングの機会を与える必要があります。マネージメントがうまくいっていない部分を、部下たちを残業させることで補填するのは間違っています。

誰かを特別扱いするどんな理由でも、一人の部下を特別扱い(一人だけを抜き出して褒める、他の人々を悪く言って一人だけを褒める、重要なミーティングや重要顧客との食事会等に特別扱いで連れていく等)することは、部署全体に、疑いや不信、無用な競争を招き、全体の労働生産性を大きく下げることとなります。会社はプロフェッショナルな場であり、個人の感情を優先するのはプロフェッショナルではないし、即座にストップしなければなりません。

プロフェッショナルとして仕事をする上で不要な言動服装や化粧、外見についてコメントをすることは、プロフェッショナルとして仕事をする上で必要なことでしょうか?外見の一部がプロフェッショナルとして必要な職業( 例: 化粧品カウンターで働いていれば、化粧については一定の規則がありそれを遵守する必要はあるでしょう)以外で、プロフェッショナルな仕事をしているか(=就業時間内に契約で定められた仕事をきちんと遂行している)に全く関係のない、外見についてのコメントは必要ないし、ハラスメントにもなります。誰もが、プロフェッショナルとして仕事をする上で必要な言動なのかをきちんと考え判断し、不必要なことには言及するべきではありません。世の中にはなんでも言っていい、という世界は存在しないし、プロフェッショナルな場であればなおさら注意が必要です。また、職場は力関係の差が非常に大きい場所であり、上司が仕事に関係のない不愉快なコメントを行ったとしても、部下には何も言えません。上司が「ハラスメントや嫌だと思うことがあれば遠慮なく言ってね」と部下に言ったとしても、ほぼ100パーセント、部下は上司に対して、ハラスメント行為を明確に指摘できないでしょう。上司が部下の肩を引き寄せたりといったことをしても部下が何も言わなかったので、それはハラスメントではない(自分は部下にハラスメントだと思ったら言ってほしいと伝えている)というのは、詭弁でしかありません。こういったことが続けば、職場の人々のやる気をそぎ、健康を害する人も増え、労働生産性が下がるのも避けられないでしょう。 

私自身、日本で働いているときには、残業で疲れ切っており、政治・社会・経済の仕組みの歪さに気が付くことができませんでした。いろいろな国籍の人々と働きましたが、経済的にある程度豊かな国で、日本ほど働くことを苦痛に感じている人々が多い国を知りません。現状では当然だと思います。ただ、日本はまだ経済的に豊かな国であり、かつ教育が高く能力のある人々がたくさんいるので、変えることは十分可能です。そのためには、まずこの歪んでいる構造に気づき、周りの人々と協力して声を上げていくことでしょう。

Yoko Marta