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フィリピンで起こっている子供の性的搾取ー犯罪を成り立たせているのは経済先進国

Yoko Marta
02.12.22 11:48 AM Comment(s)

フィリピンでの子供の性的搾取ーそれでも希望を持ち続ける

ヨーロッパでのFestive Season(お祭りの時期ークリスマスや新年等)に重い話題はどうかと思ったのですが、大事なことなので、書くことにしました。


最近、BBC Radio4の「 PM 」という週日17時から18時まで、時事問題やニュースを扱っている番組を聞いていると、フィリピンでの子供への性虐待問題が取り上げられていました。性虐待から救出され、性虐待にあった子供たちのための専門機関(「Preda」)で過ごしている兄弟姉妹(5歳ぐらいから10歳ぐらいまで)を中心とした話でした。この専門機関では、子供たちに心理セラピーも日常的に行っていて、壁や床にクッションを敷き詰めた照明を暗くした部屋で、子供たちが怒りや混乱を壁や床をたたくことを通して、身体的に表現します。そのときの声の痛々しさと音に耐えられず、一度はRadioをきり、落ち着いてからもう一度続きを聞きました。
国営放送BBCのウェブサイトにも、 記事 があります。

ちなみに、日本語の「買春」「売春」という言葉自体が、とてもMisleading(誤解を招く)だと感じます。イギリスでは、「Sexual Exploitation(性的搾取)」という言葉が使われるし、Sexual Abuse(性的アビューズ)のAbuseは日本語では虐待と訳されるしかないようですが、ことばの根本にあるのは、「権力の乱用/悪用」です。イギリスでも、こういった言葉の見直しは行われ、大昔は被害者側も悪かったような言葉(日本の売買春に近いもの)が使われていましたが、見直され、現在では使われていません。なぜなら、お互いが対等な立場で、何かしらの物品(人間も性も商品やモノではない)を売買しているわけではなく、これは権力や財力が圧倒的に大きい側が、何もない人々を搾取する仕組だからです。
たかが、「言葉」と思うかもしれませんが、とても大事なことです。

この心理療法セッションは、上記の「Primary Room(最初の、初期の、根本の部屋)」で行われ、ここで子供たちが泣きながら叫ぶのは、「どうして僕に/私にこんなことをしたの?」「どうして僕/私なの?」「僕が/私が何をしたというの?」が多いそうです。
この性的搾取の被害者となった子供たちを助ける団体「Preda」のFrancisco(フランシスコ)さんは、「すべてがこの部屋から始まる」としています。
もし、子供たちが自分たちへの加害者(少なくとも8割の加害者は自分の親と親戚)に対してこのPrimary Roomで対峙することができれば、彼らは前進することができ裁判所で彼らの加害者に対して対峙することができる。
これらは、加害者に対する憎しみのような感情もあれば、被害を打ち明けたのに何もしなかった人々への憎しみでもあるということです。

子供たちは、最初にこの専門機関にきた時点では、ほぼ話さず、ひとへの不信感がとても強いそうですが、セラピーや勉強の時間、物語、空手の時間等を通して、徐々に人々との信頼関係を築き、何が起こったかをソーシャル・ワーカーに語り始めます。
フィリピンでは、子供が被害者でも、裁判所で加害者に対して証言する必要があるそうです。この4人の子供たちは、加害者(親と親戚)に対して裁判で証言することができました。
裁判での証言は大事なこと。彼らの正義への探求が始まるのはここからだから

妹のマリア(仮名)は、普段はとても静かなそうですが、今回は外国からのジャーナリストもいるせいか、よく話し、シンデレラの話について語ったそうです。

「シンデレラは、どんなに大変なときでも、タフな状況でも絶対に諦めなかった。彼女はそれでも、いつも希望をもっていた。まるで私たちのように。私たちの親は、私たちを虐待したけれど、私たちはシンデレラのようであるべき(=どんなに大変でも諦めず、希望を持ち続ける)」
フランシスコさんは、感情をリリースするセラピーを虐待された子供たちに対して、数十年にわたって行っています。
子供たちが性的虐待から受ける情緒的・身体的な影響はとても大きいですが、子供たちの立ち上ろう・前進しようとする力もとても大きいです。
ただ、ここには、適切なサポートが早期に始まり、サポートは長期にわたって必要です。
また、個人的には、悪かったことが正しい場所におかれることはとても大切だと思います。
日本のように、悪い行動を行った人が守られ、被害者が責められるような場所(=不正義がまかりとおり、正義は行われない)だと、被害者はやり切れないし、そこから前に進むことも非常に難しいでしょう。また、これは、悪い行動を励まし、ますます社会に悪いことが蔓延・エスカレートすることにもなります。そんな社会に誰が住みたいでしょうか?

この犯罪が明るみに出るのは、フィリピン国外からの通告や密告によることが多いそうです。

これらの児童ポルノにお金を払っている犯罪者は、経済的に豊かな欧米やオーストラリア、アジアの一部に住んでいる人々のため、その国での警察の調査にたまたまひっかっかった場合です。
国際的に児童虐待のマテリアルやオンライン上での児童虐待イメージのストリーミングやアップロードを調査して取締る法律や国境を越えた国際的な協力体制は、現在のところ、存在しないそうです。

なぜ、フィリピンで児童ポルノが多く作られているのでしょう?


フィリピンは、もともと貧困率が高い国である上に、パンデミックの間に世界の中でもかなり厳格なロックダウンを行い、学校が長い間閉鎖され、多くの人々が職を失いました。
特にもともと貧しい地域では(かつフィリピンでは社会福祉も整っていない)、なんとか家族に食べさせるには、児童ポルノしかない、と追い込まれる人々も多いそうです。
フィリピンがターゲットとなったのには、歴史的・物理的・社会的、言語等のいくつかの要素があるようです。
英語が通じること/高速のインターネット回線があること(ポルノのオンラインストリーミングが可能)/とても貧しい国(搾取することが簡単)であることがあげられるそうです。
また、歴史上、フィリピンは極端に貧しい国だった歴史が長く、1970年ぐらいには外国人男性が主に10代くらいの若いフィリピン女性(18歳以下の子供)を性的搾取するセックス・ツーリズムが大きな産業となり、若い女性は家庭の貧困が原因で、家族に無理やり性産業に従事させられたケースも多かったそうです。こういった被害にあった女性の中には、「私だって家族が生き延びるためにやったのだから、(私の子供である)あなただって、同じことをやらなくてはいけない」と信じ込んでいる人々もいるそうです。こういったことで、児童の性的搾取被害が世代を越えて起こり続けている現状もあるということです。

日本で合法とされていることの多くは、イギリスでは児童ポルノに該当したり、違法となります。もし、児童ポルノや児童への性虐待(性的搾取)を正当化する人がいたら、BBC Radio 4のPodcastの45:00 ぐらいから、被害にあった子供たちのセラピールームでの泣き声、叫び声、壁を叩く音を聞かせましょう。
児童への性的搾取ビジネスは、お金を払う人がいなくなれば、商売・産業として成り立たなくなります。自分が直接加害をしていない、と言ったとしても、子供の性虐待動画やイメージを購入することは、加害を行っていることになります。自分が、実際の被害を起こしていることを十分に理解することが必要です。
また、こういった動画やイメージを繰り返し見ていると、人間なら通常機能するはずのInhibition(インヒビション:理性で衝撃的な気持ちを抑制)が弱くなるそうです。ここまでなら、ひととしてやっていいだろう、という境界がどんどん変わり、犯罪行為にも抵抗がなくなるそうです。これは、BBCのPodcastの「Bad People」出演の心理学者も言っていました。

ちなみに、イギリスでは、大人(男女関わらず)が「子供(18歳以下)に性的な興味がある」とセラピストに言った場合、セラピストには、警察に通報する義務があります。なぜなら、社会にとって危険を及ぼすからです。
日本に住んでいた時は、大人の男性が、10代の子供と性的行為がしたい、ということを大っぴらにいう場面に何度も遭遇しましたが、ヨーロッパではまずありえません。何もかもを遺伝や生まれつきのものとしたがる人々もいますが、子供への性的興味は、後天的に、社会や育った場所や国の文化から学ぶことだということを示しているでしょう。子供が性的に消費される(子供を性的なモノとして商品化)ような漫画やアニメーションがいたるところにある日本では、子供への性的搾取のハードルを非常に低くしていると、ヨーロッパに住んでいると感じます。
子供へ性的加害を繰り返す人々の特徴は以下のように考えていることだそうです。
(詳細なブログ記事は ここ より。)
「子供とのセックスは、全く害がない (例/子供は覚えていない、子供も喜んでいる等)」「子供たちは、積極的にセックスをするよう大人たちを挑発することができる」
これは、加害者が自分を正当化するために使う嘘です。こういったことを言う人がいれば、チャレンジしなければなりません。また、子供を近づけないよう十二分に注意する必要があります。

また、子供への性的興味を社会への危険だと考える社会は、そこに暮らしている人々にも大きな抑制力を与え、子供たちにとってより安全な環境となるでしょう。
ただ、個人的には、「そういった欲求があることに苦しんでいるけれど、絶対に加害したくないし、加害したことは一度もないが、どうしても苦しいし孤独」と言っている人には、犯罪化せずセラピー等のサポートを無料で行うべきだと思います。実際に犯行に及んだ人には、当然、法に遵守した適切な罰が施行され、かつ、犯行に再度及ぶことを防ぐプログラムへの参加も必須でしょう。被害者への心理療法等の適切なサポートも早い段階で必要でしょう。

マリアが希望をもって立ち上がれたのは、間違っていたのは親と親戚であることが法律も含めて誰からも認められ、彼女の感情も正当なものと受け止められ認められ、正義が行われた
からです。
日本のように、とにかく「加害者」を守り、被害者を黙らそうとする社会は完全に病んでいるし、間違っています。また、「加害者」には責任を取らせ、法律で定められた刑を必ず受けさせるようにしないといけません。被害者の恐怖(逆恨みされて自分の家族や自分が襲われるかもしれない)にも現実的な対応が必要であり、裁判中に加害者側の家族や弁護士等からの嫌がらせや望まない接触等にも厳しく対応する必要があるでしょう。
日本だけでなくアジア特有だと思いますが、やたらと「被害者だけでなく被害者の家族や親戚、周囲の人々への加害者からの逆恨みの犯行の高い可能性」を強調して、被害者が加害者を訴えないように仕向けるのは完全に間違っています。悪いことをした人々は、悪いことをすることを選択したのです。その責任をとらなければなりません。それが親や親戚であろうと、他人であろうと、悪いことは悪いことです。法律によって裁かれ、相応の罰を受けなければなりません。被害者に「忘れろ/許せ」というのは暴力であり、社会をますます危険な場所にしていくことを助長しています。
大体、犯罪を犯した人々を訴え、犯罪を犯した人が相応の刑を受けるのは法治国家として当然なのに、犯罪者からの「逆恨み」を恐れて「被害者」が訴えることを諦めるように強要する社会は、誰にとって安全な社会なのでしょう?「犯罪者」にとっては、メディアや世間が勝手に「逆恨み」の可能性を大々的に宣伝することで、「被害者」や「被害者の周囲の人々」に告訴することを諦めさせるのは、とても都合がいいでしょう。また、実際に「逆恨みの犯行」に及んだとしても、またしてもメディアや世間が「加害者を刺激した被害者が悪い」と大々的に言うことで、加害者にとっては、加害し放題の社会となるでしょう。そんな社会に住みたい人はいるのでしょうか?

子供への性虐待を防ぐにはどうしたらよいのでしょうか?

フィリピンで性虐待にあった子供たちをサポートしているフランシスコさんは、子供への性虐待について国際法が絶対に必要だとしています。すべての国の政府が、インターネット企業に厳格な規制を行う必要があります。すべての国の政府は、子供の虐待マテリアルや性虐待されている子供のオンラインストリーミングの通路を厳しく制限することに協力しなければならなりません。

私たち個人にできるのは、なんでしょう?

「子供(18歳以下)への性的興味を持つこと」を当たり前のように語る人々へチャレンジすること、子供の性の商品化(ポルノ、子供が性的なことを喜んでいるかのような漫画や動画の描写、子供を性的な対象として描くもの等)へ気づいて反対の声を上げること、自分の子供たちに日常の性暴力について語る・止める(スカートめくりやズボンを引きずりおろすことも性暴力ー小さなこととして見過ごさない/男子間、男女間、女子間とすべての関係性で起こる)、子供たちの親であれば親同士の対等な関係を保つ(妻が夫の召使や目下のものであるように扱われない)ことも大切です。

また、子供の性虐待の加害者は往々にして親や兄弟、親戚、家族の良く知っている人々(友人、近所の人、学校の先生、塾の先生等)です。本来なら子供の安全を守る役割をする人々であり、子供へのアクセスがとても多い立場にある人々です。自分の経済的な安寧や見せかけの平和を優先するために、見て見ぬふりをしてはいけません。必ず子供を守る行動を起こしましょう

自分に起こった性虐待を矮小化・正当化しないことも大切です。
子供の頃や若いうちに、痴漢や性暴力にあったときに、周りや親から「そんな小さなことで騒ぐほうがおかしい」「お前に隙があったからだ(被害にあうほうが悪い)」と言われた経験はないでしょうか?
こういった間違った社会の通念に洗脳されている人も多いと思いますが、これは完全に間違っています。加害者(往々にして社会で権力をもっている人々)の都合がよいように作り上げられた神話です。自分が被害者であったことを否定して、加害を正当化する理論を内在化していると、あなたは次の加害者、或いは加害に加担する共犯者(見て見ぬふりをしている場合も含む)になる可能性が高くなります。

フィリピンで性搾取の被害者が、自分の子供への加害者となる構図を思いだしましょう。
「私だって家族が生き延びるためにやったのだから、(私の子供である)あなただって、同じこと(児童ポルノ)をやらなくてはいけない」

被害時の痛みは、適切に扱われないと無意識下に「憎しみ」として残ってしまいます。
罪がある(憎しみを向けるべき)のは、痴漢や性加害を行うことを選択した人々なのに、自分でこの正当な感情(痛みや怒り)を理解・意識していないと、自分にとって危険でないと思われる子供(=絶対に逆らわない、反撃しない、逃げない、或いはどれもできない)に、無意識のうちにこの「憎しみ」をぶつけてしまうことになるかもしれません。

まず最初に、どんなに昔のことでも、痴漢や性加害が自分に対して行われたときに感じた気持ちは正当なものであり、自分は被害者であったことを認め、自分は全く悪くなく、加害者が100パーセント悪かったことを認識することが大切です。そのときの自分をいたわりましょう。自分に対して優しい気持ちを持てたなら、子供を含む他人に対して、無意識に「憎しみ」をぶつけることはないでしょう。

加害者に対して新たな怒りがわいてくるかもしれませんが、それは正当な感情です。
加害は数十年前に起こったかもしれないし、加害者は既に亡くなっているかもしれないし、加害者は逮捕されず誰なのか分からないかもしれないし、目の前で何もなかったかのように生きているかもしれません。
セクシャルハラスメントを多数の人々に行ってきた人が、悠々自適なリタイアメントを送っていることも身近で知っているし、加害者は自分が加害をしたということすら覚えていない(=被害者の気持ちなんて考えたこともなければ、想像する必要や価値すらないー被害者を完全に下に見て、人間ではなくモノととして見て、何をしてもいい存在だと思っている)のではないか、と思った時もあります。

この正当な怒りには、どう対処したらいいのでしょう。

心理療法へ通うことも一つの解決法だし、子供たちを守るための活動に参加したり、子供を守るために何ができるのかをリサーチしてみるのも、ポジティブな方向に、この正当な怒りを向けることになるでしょう。
私自身は、イギリスで心理療法にNHS経由で1年ほど通いましたが、大きな助けとなりました。日本を離れていて、被害者が責められない、正義・公平であることが社会の基礎となっている環境にあることもプラスだったと思います。「親」や「親族」、「男性」や「権威」が神のように偉い/絶対に正しい、といった考えをしみ込まされていたことに気づかなかかった部分もあったのですが、これも気が付いて手放しました。
加害者たちに対しては、今は憎む気持ちもなければ、今後関る気もありません。目の前で、その人たちが倒れれば、救急車は呼びますが、それ以上、何もする気はありません。周りがどう言おうと罪悪感もありません。加害者たちとコンタクトするよう執拗に迫るひとたちとは、線を引きました。その人たちはよい意図をもって良いことをしていると信じているかもしれませんが、私にとっては、「何度も刃物で刺され、「刺すのはやめて」と明確に言っているのに、笑いながら「ごめん~。もう刺さないから~」といい、繰り返し繰り返し刃物で刺してくるような人々」に、わざわざ近寄ることはしないし、誰とコンタクトするかを決めるのは私の権利であって、他のひとがコントロールするべきものではありません。世の中には、他人の痛みが分からず、攻撃し続けないと気が済まないひとも存在します。たまたまそれが、親や兄弟や親戚だったりすると、アジアだと「生まれてきた時点で親に返しきれない恩がある/どんなに親にひどいことをされても、子供は親の言う通りに一生、借りを返していかなければならない/家族にどんな悪いことをされてもイエの名誉のために一生黙って耐えるべき」と叩き込まれているかもしれませんが、親には子供を産む・産まないの選択がありますが、子供にはどういった親のもとに生まれるかという選択はありません。また、生まれた時点で、大きな借金を負わせるというのは、劣悪な金貸しよりもさらに悪質です。この想像上の借金を負う必要はどこにもありません。親には子供をもつという選択をした以上、子供を育てる責任はありますが、子供には、未来に渡って親に対して、合意しなかった借金を背負い、返し続ける義務は全く存在しません。子供は親の奴隷ではありません。
対等で健康な関係性であるRelationship(関係性)が存在せず、貸し借りをベースとしたTransaction(取引)な関係しかないことに気づいていないのも勘違いが起こる原因の一つなのかもしれません。

ただ、この段階までくるには、心理療法や、多くの本を読むこと、人々の優しさやユーモアに触れ、自分が回復する時間が必要でした。何が私をKeep Goingさせたのかは、マリアが言っていたように、「希望」を持ち続けていられたことです。
これは、私にもいまだに明確にことばで説明できません。この「希望」は、いつかいいことが起きるのでは、といった星占いのような根拠のないものではなく、「自分で自分にとって良い人生をつくっていく/それは可能である、どんなに大変でも、困難なときがあっても、泥にはまっても絶対にまた立ち上がって進んでいく」という確信に近いものとしか、現在ではいいようがありません。

強盗にあって負傷した人に、それは「魂の殺人」で、あなたはダメージを受けたモノでそこから回復することは一生ない、というようなことを言うひとはいるでしょうか?

性加害・被害となると、被害者側(女性や子供の男女、或いは男性)が、その人の本質が完全にダメージを受け、その人の価値がなくなった/価格が下落したかのように言うのには、女性や子供を性の消費物として見る考え方も入っているのではないでしょうか?
ヨーロッパでは、性被害にあったことについて、被害者への同情・共感、加害者に対して怒りを示す人はいても、被害者のひととしての「価値」が下落したと思う人がいるとは想像もつきません。日本だと「性被害にあったというと、結婚できなくなるから、加害を訴えるな/黙って忘れろ」等も珍しくない(特に田舎)とは思いますが、論理が破綻していることに気づかなければなりません。
恥ずべきことをしたのは加害者で、被害者には恥ずかしいと思うことなんて一ミリもありません
性被害に遭うのはとてもつらいことですが、だからといって、彼ら/彼女らは壊れたモノや傷モノではなく、誰とも同じ、尊厳をもって生きる一人の完全な人間です。
性被害にも性加害にもあったことがないと自分では認識していて、自分には関係ないと思っている人も、性加害者の行動を正当化する神話に気づき、そういった神話を言う人には、チャレンジする必要があります。

国際的な法ももちろん必要ですが、一人一人がこの社会を形成しているということを忘れてはいけません。

Yoko Marta