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Courange(カレッジ/勇気)の育て方と、鍛え方 Plus 何もしないことのリスク

Yoko Marta
25.01.24 04:39 PM Comment(s)

Courange(カレッジ/勇気)の育て方と、鍛え方 Plus 何もしないことのリスク

「Courage(カレッジ)」は、日本語で往々にして「勇気」と訳されるようですが、根本的に意味が違います。

英語圏の文化と、アジア圏の文化は大きく違っていることも多く、概念が一致しない、英語圏の概念がアジア圏に存在しない、またはその逆の場合もよくあります。

概念の違いを理解するには、その文化に実際に住んでみて、そこに住んでいる人々と同じ言語で話したり、一緒に何かをしたり、英語でのさまざまな文献や信頼のおける記事を読むこと、哲学の本を読んだりすることも役にたつでしょう。
ただ、たとえ海外に住む機会がなくても、世の中には、たとえ高等教育を受けなくても、自分で本をしっかり読んだり考えたりして、小さな村から出たことがほぼないにも関わらず、こういった別の国々での概念や考えを深く理解する人々は存在します。
逆に、ヨーロッパに長年住んでいても、自国出身の人々とだけ固まって過ごし、自国の人々から見た時でさえ、自国の数十年前の古い考えに凝り固まっていて、ヨーロッパの哲学や考え方は全く理解しない人々もいます。
オープンマインドで考える自由は、たとえ小さな村から出られなくても可能です。

「カレッジ」は、たとえ自分の身に危険が及んだとしても、自分よりも弱い立場のひとや権利を奪われた人々を助けるよう行動することです。

例えば、最近亡くなったアメリカの黒人俳優・歌手・人権活動家のHarry Belafonte(ハリー・べラフォンテ)さんは、黒人と白人が隔離され、黒人たちが白人によるリンチにあって殺されても白人たちは責任を取らないような時代に生きていたにも関わらず、優れた歌手としてミリオンヒットを出し活躍していました。
ハリーさんは、自分が有名で人気があることの特権を有効に使い、自分の歌手や俳優としての仕事がなくなることも覚悟のうえで、投獄されたキング牧師のために募金を募ったり、黒人の人権を求めるマーチ(白人と同じ平等な権利を求める)の際には、警察からの黒人に対する暴行を減らすために、ほかの俳優たちにも働きかけ、多くの有名人がマーチに参加することで、警察がマーチ参加者に暴行を行うことを難しくしました。
ハリーさんは、自分が主演をつとめるテレビ番組に、黒人、混血の人々を白人とともに起用したことが原因で番組がつぶされたこともありましたが、テレビ制作側のハリーさん以外はすべて白人にするように(聴衆からの多くの抗議があったため)というプレッシャーに負けず、仕事を干されても、自分の信念を貫きます
ただ、ハリーさんは、俳優や司会職だけでなく、歌手というほかの分野での強みがあったため、俳優業や司会職といった職を失っても大丈夫という強い立場にはあった、とドキュメンタリーで語っていました。
ハリーさんは、一生を通じて、世界中の抑圧されている人々を、まるで自分のことのようにサポートし続けました
これは、「カレッジ」です。
彼には、明確な価値観「差別や区別なしに、誰もが平等で対等で、基本的人権と自由をもつべき」がありました。 

「カレッジ」には、価値観や信条が大きく関わってきます。

この価値観(善悪の価値観等)や信条は、外から押し付けられるものではなく、自分の内側にあるもので、実際の経験や知識、日々の行動、対話、多くの本を読む等を通して鍛えて強めていくものです。

多くのものごとにはニュアンスがあり、「善 100パーセント」「悪100パーセント」と二分化できる状況はそうないのが現実だとしても、「状況によるので善悪は存在しない(例/殺人も、理由や状況によるので、いいとも悪いともいえない等)」と善悪の価値観をもつことを放棄するのは危険です。
殺人やいじめは行使してはいけないことであり、行使しないことを本人が選択することができ、もし行使すれば、その国や社会での法律や規則によって裁かれ、相応の責任を取ることになります。
その際に、経緯によっては、情状酌量があったとしても、「殺人やいじめは、してはいけないことだ」という事実は変わりません
もし、多くの個人が善悪の価値観をもっておらず、「ものごとに善悪はない(善悪の区別はないので何をしてもいい)」と思っていれば、その社会は、特に弱い立場におかれがちな、女性・子供・若い人々・外国人・心身に障害のある人たちがとても危険な目にあう社会となるでしょう。
誰かが危険な状況におかれる社会は、結局だれにとっても危険です。
社会は、ひとりひとりがつくっている場所だということも意識しておく必要があります。

また、意見が強い人に合わせて自分が言うことをころころ変えるのは、ヨーロッパでは非常に不誠実だとみられます。
日本では、「グループの和を守る」ということで、価値観をしっかりもった言動は歓迎されないかもしれませんが、自分の価値観を育て、鍛えることは重要です。
例えば、たまたまそのグループでの立場が強い人が、誰かをいじめたり、誰かをひどく扱ったり、誰かを非人間化するようなことばを使ったりしたときに、自分の価値観に照らし合わせて、その人の言動にチャレンジすることは重要です。
誰もが、しっかりとした価値観を自分の内側にもっていて、それを表現する社会では、こういったいじめ等の卑怯な言動をとる人にとってはとても居心地の悪い環境となり、そういった言動をやめざるを得なくなるでしょう。
ここで「グループの和、自己保身が一番」という社会であれば、悪い言動はますます奨励され、誰にとっても悪い環境となるでしょう。
価値観も、筋肉のようなもので、使わなければ、消えていきます。 

カレッジも筋肉のようなもので、その人の育った環境(家族や周りの人々、社会の在り方)にも影響されますが、誰でも、いつでも鍛えることが可能です。

ただ、環境によって、カレッジが実行しやすい環境もあれば、カレッジが実行しにくい環境もあります。
ヨーロッパでは、自分の価値観をしっかりともち、それにそって言動を行うことは、子供の頃から奨励され、カレッジを実行しやすい環境にあります。
でも、日本のように、「とにかく大事なのは周りに合わせて、同じことをすること。大事なのは自己保身。」であれば、カレッジを実行するのは難しいでしょう。
でも不可能ではないし、ひとりの言動が変れば、それは周りにも伝わっていきます。
昨年、映画製作者のNina Menkes(ニーナ・メンケス)さんが、著名な映画作品に色濃く反映されている家父長制や女性をモノとして見る・扱うを鋭く指摘するドキュメンタリー「Brainwashed: Sex-Camera-Power 」をリリースしましたが、インタビューで、「物理学では、一つの分子が変われば確実に全体が変わる」といった内容のことを言っていたのは印象的でした。最初に、何が起きているかに気づくことはとても大切です。 

では、どのようにカレッジを鍛えることができるのでしょう。

以下は、この 記事 にあったことを元に、考えてみました。 

  1. 行動したときと、行動しなかったときのシナリオを考える
    行動したときに起こり得るであろう最悪のシナリオと、行動しなかった場合の最悪のシナリオの両方を考えてみることが大切です。自分が何に対して恐れを抱いているのかにも、気づくことは大事です。日本だと、とにかく「何もしないのが一番」という人々も見ましたが、何もしないことにもリスクがあることを考える必要はあります。

  2. ネガティヴ・バイアスに気をつける
    圧倒的に多くの人々は、ネガティヴなことにより注意を向けがちです。ネガティヴ・シナリオとポジティヴ・シナリオ両方に、同じだけの時間を割くことを意識することは大切です。
    また、思い出してみると、過去に、悪い想像をいっぱいしたのに、実際は全然悪くなかったという経験をしているひとも多いのではないでしょうか。

  3. 自分にコントロールがあることは、自分の言動とキャラクター(自分の価値観やそこからつくられる人間性)だけであることを意識しておく
    他人が自分のことをどう思うかや、自分の評判、裕福になるか、(給料のいい)仕事に就くかどうか、自分の好きな人が自分を好きになってくれるかどうか等は、自分ではどうにもならない、自分のコントロール外のことなので気にしてもしかたない、ということを心の隅においておくのは大事でしょう。これにより、自分自身のExpectation(イクスペクティション/期待や予測)の適切な調整もできるでしょう。状況によっては、ある程度の影響を他人の言動に与えることはできるかもしれませんが、他人がどう思うか・行動するかをコントロールすることはできません

  4. 自分が感じる恐れの源には何があるのかを考える
    もしかしたら、自分への疑いなのかもしれないし、自尊心の低さなのかもしれません。子供の頃に知らないうちに刷り込まれた、迷信なのかもしれません。

  5. 意識的に、自分の心地よいと感じるいつものゾーンから出る

  6. 着実に一貫して、カレッジのある小さな行動を取り続ける
    そうすることで、カレッジは鍛えられます。例えば、日常で、何かがおかしい、或いは誰かが悪く扱われていると感じたときに、それを率直に言うのは、カレッジを実行していることになります。そういう小さなカレッジの実行を繰り返しているとそれが習慣にも経験にもなり、何か大きなことやとても難しいことが起こったときに、さっと判断ができ、カレッジを行動に移すことができるようになります

  7. 体調管理をする
    恐れと言うのは、心身に緊張や疲れをもたらします。よく食べ、しっかりと眠り、好きな運動やメディテーション、ヨガ等を行い、カレッジが実行できる状況ー心の明晰さーをもてるようにしておきましょう。

  8. 自分はひとりではないことを実感として理解しておく
    自分の弱さを正直に見せられ、相手も自分の弱さを、あなたに正直にいえる人と話してみるのもいいことです。相手は、とても親しいひとである必要はありません。

  9. 恐れを直視し、恐れに基づいた反応を、カレッジをもったアクションに置き換える
    私たちが恐れを直視し扱えるようになれば、恐れにもとづいた反応を、カレッジをもったアクションに置き換えることができるようになります。恐れをもっていないひとはいませんが、恐れに対しての対応を変えることは、私たち誰にでもできます
    また、恐れを直視することで、実際に、それは迷信を押し付けられていたり、子供の頃に刷り込まれた嘘であることに気づき、多くの恐れは実際は、恐れるべきものではなかったと気づくかもしれません。どちらにせよ、恐れをいただいたままでも、カレッジをもったアクションをしてみることが大切です。

  10. 自分の価値観や信念に基づき、価値があると思うことについて、失敗してもチャレンジすることを続ける

いつも周りの目を気にして、周りと同じことを言い行動をして(それがよくない行動で自分の価値観と相反していても)、あからさまな仲間外れをされることを避けようとしただけの、自分を生きなかった人生を送り、死ぬときに「いい人生だった」と思う人は少ないのではないでしょうか。

私たちが生きている期間は限られているので、その間に正しいと思えることを実行することは大切です。

特に、私たちのように、ある程度安全で、民主主義がある程度機能している場所に生きている場合は。

【参考】
Harry Belafonte(ハリー・べラフォンテ)ドキュメンタリー映画
Sing Your Song

Freedom from fear(恐怖からの自由)BBC Radio4のReith Lecturesより
https://www.thegreencatalyst.com/blogs/post/20221227

Yoko Marta