VAWG(女子と女性への暴力)に対するイギリスの取組 ②

Yoko Marta
30.07.24 11:29 AM - Comment(s)

有害な思い込み・慣習を壊して、新たなノームをつくる

前回のBlogでは、チャリティー団体、Beyond Equalityの設立者でもあるDaniel Guiness(ダニエル・ギネス)さんの、女子・女性への暴力(VAWG)をなくすためのイギリスのチャレンジの一部として、ダニエルさんの見解を紹介しました。

今回は、なぜダニエルさんがこの活動を行っているのか、どうポジティヴなマスキュリニティー(ポジティヴな男性性)を育むのか、地球上の多くの地域での「男性はProvider(プロヴァイダー/一家の大黒柱で、家族全員を養い守る)でなければならない」を壊し、自分たちの望む新たな社会のノーム(風潮)を作り、男性同士が安心して弱い部分も見せられ、お互いに相談・協力できる社会(=立場が弱いひとへの暴力が生じない土壌)をつくることをお話します。

これは、男子・男性たちの人生をよくするだけでなく、女子・女性への暴力がない土壌をつくることにもつながります。
女子・女性への暴力のほとんどは、男子・男性によって行われていますが、誰かに暴力をふるうために生まれてきたひとはいません
育っていく家族・親戚、社会、慣習・文化、メディアといったさまざまなものに影響され、社会的に構築されるものです。

ダニエルさんの、インタビューはここから聞けます。

ダニエルさんは、もともとはプロフェッショナルのラグビー選手だったそうですが、大きな怪我をきっかけに、プロ・スポーツは諦めざるを得なくなります。
手術後の回復期には、フラットシェアで暮らしていたそうですが、夜中にバスルームにいった後、痛みで立ち上がれなくなり、叫んで助けを求めざるをえず、フラットメイトがきてくれて、ダニエルさんをなんとか抱えてベッドルームまで連れて行ってくれたそうです。
そのときに、自分のself-worth(セルフ・ワース/自尊心)がいかに、男性性(力が強い、自分のことは自分で解決し、助けを求めない等)の理想に沿って生きているか、ということに結びついているかを痛感したそうです。
ダニエルさんが、女子・女性への暴力(圧倒的に多くは男性が加害者)についての関心をもったのは、両親が離婚した後、母が、抑圧されている人たちの抵抗グループ、原住民の人々の集まりや、性被害者をサポートする団体等の活動をはじめて、そこにダニエルさんを連れていっていたことだそうです。
また、ダニエルさんがまだ若いときに、仲の良い女性の友人が性加害にあい、どこか遠い世界で起こっていることではなく、自分の問題でもある、ということを自覚します。
ここには、少し長い道のりがあり、女性の友人や当時のガール・フレンドから、「あなたは女性の味方でフェミニズムをサポートしていると言っているけれど、あなたが(男性の)友人たちと話していた内容や、あなたが私をどう扱うか、ということについて、あなたの言うことと実際の行動には隔たりがある」とチャレンジされて、当初は抵抗する気持ちもあったものの、女性たちの経験や視点を通して、女性たちが日常経験している加害を受けなくて済んでいて、かつ、それに気づくことすらない、という男性としての特権に気づいたそうです。

ダニエルさんは、文化人類学の博士課程も修了していますが、その論文は「Sport, Migration, and Gender in the Neoliberal Age (ネオ・リベラル時代のスポーツ、移住、ジェンダー)」で、フィジーが1980年代にIMF(国際通貨基金)のリードでグローバル貿易に国の経済を開いたことで、その地域で生活していくために必要な資源やお金を得るための職業ややり方が大きく変わり、それに伴い、従来の男性が家族を守り必要なものを与える、ということが非常に難しくなった結果、国際スポーツマンとして従来の男性性を守ろうとする動きが出たそうです。
フィジーの場合とは表面への現れ方は違いますが、イギリスのような先進国で同時期に起こったのは、ネオリベラリズムの強い政策で、以前は安定した収入や雇用、社会の役に立っているという誇りをもてた製造業が第三諸国の安い労働力へと移行し、これらの安定した職は極端に減りました。
また、同様にネオリベラリズムの考えで、「民営化」の大きな波がきて、政府がらみの職、公務員といった職業が極端に減りました。
これにより、男性たちの「sense of security(センス・オブ・セキュリティー)」が失われ、同時にネオリベラリズムによる、偽りの考え方「すべては自己責任」が蔓延します。
イギリスや英語圏で女性蔑視・女性嫌悪のインフルエンサー、Andrew Tate(アンドリュー・テイト)は、この考えを増幅しています。
この考えは、有毒であり、事実ではありません
「自分がしっかりすることが大事。自分の価値は、社会の生産的なメンバーの一人として、お金ををかせぎ、そのお金で自分の周りの人々を養う。きみはこの規律を守るスキルを学び、きみがもっているきみの価値を見出す。きみが頂点に達したとき、褒美がもらえる。」

チャリティー団体、「Beyond Equality」では、女子・女性への暴力への当事者は男性で、男子・男性をどう関わらせ、予防的に暴力が起こさない土壌をつくるか、ということに主眼がおかれています。

ダニエルさんは、男子・男性たちが、「女子・女性への暴力をなくす」という運動に真に関る必要があるとしています。
これがないと、いつまでたっても暴力はなくなりません。
男性たちが、男性たち同士の間で、「どこから女子・女性への暴力がきているのか」を話さなければなりません。
ここでは、男性たちがこれについて、どう自分たちが関係しているのか、どうふるまっているのかに気づく必要があります。
例えば、男性だけで集まっているときによく起こることとしては、何人の女性とセックスをしたか、ということを話すことですが、誰もが嘘をつきます。(=実際よりも数を多く言う、次の人はもっと数を多く言う)
彼らが嘘をつく理由は、女性とセックスしていない、或いはほかの人より数が少ないことを「自信喪失(男性としてほかの男性から認められない等)」に感じるからです。
赤ちゃんのときにこういった考え方をもっている人はいません。
彼らが意識的・無意識的にどういったメッセージを家族・親戚・社会・メディアから受け取り、この有毒な考え方(男性にとっても女性にとっても有毒)をもつことにいたったのかをみんなで考え、変えていくことが大切です。
考えが変われば、言動も変わります。

「女子・女性への暴力やハラスメントは許されない」と一方的に言われたからといって、こういった加害はなくなりません。

ダニエルさんの団体は、最初は「性的な暴力」や「ジェンダー平等」といった名目でグループ・ワークを行っていたそうですが、そこに来るのは、女性や女性だと性自認する人たちだけで、加害者の大部分をしめるシスジェンダーが男性(生まれたときに割り当てられた性別が男性で性自認も男性)のひとは全く参加しなかったそうです。

そこで、ダニエルさんたちは、「よいヴァージョンの男性性をつくりたいひと、男子たちの(人生に)良いインパクトをつくりたいと思っている男性へのトレーニング」ということで、シスジェンダー男性たちの参加を促したそうです。

このグループ・ワークは、ファシリテーターが数人とグループの参加者が自由に話をするスタイルとなり、講義形式はとりません。
ここでの目的は、みんなが安心して話すことにより、彼らがもっている社会的な風潮(男らしくなくてはならない=経済力が高い、女性を従属させる、支配者でなくてはならない等)が表面に出てくるのをまち、その社会的な風潮をみんなで、それが本当なのか、それが自分たちの言動にどう影響を与えているのか、それが周りの人々にどう影響を与えているのか、といったことを探索することです。

ここで、大切なのはファシリテーターのスキルと経験です。
多くのファシリテーターは、ローカルで採用され、そのコミュニティーのことを良く知っているだけでなく、きちんと訓練も受け、数年からもっと長い経験があります。
これは、「Reading the room(日本語の雰囲気をつかむ、空気を読むに近い)」と呼ばれるもので、この話題(女子・女性への暴力や男性性等)について、誰かが怒りや不満、迫害されたと感じているのを素早くキャッチし、その怒りや迫害されていると思っている気持ちについて話します
たとえ、これに予定していなかった数十分をついやすとしても、自分たちの気持ちを安心して話すことができる場をつくるのはとても大切だそうです。

ここで、ファシリテーターは、どんな感情をもっていても大丈夫(たとえ政治的に正しくなくても)、と誰もの気持ちを肯定します。
ここでは、なぜ迫害されているように感じるのか、その気持ちがどこからきているのか、それはどのように感じるのかを話し合います
男子・男性たちが、自分たちの感情に気づき、言語化してほかの人たちとオープンに安心して話せることはとても大切です。
自分の感情を抑えつけられて育ち、悲しい・痛い・苦しい・寂しい、といった人間ならではの感情を自分で感じられないひとに、被害にあった人々の苦しみや痛みを理解することはできません

ここでは、「フェミニズムは男性全体への攻撃」「フェミニズムはあなた(男子・男性)への(個人的な)攻撃」という、メディアやコメンテーターから売られた嘘について、「これは現実や事実に基づいたことなのか」といったことを話し合います。
怒りや不満、迫害されたような気持ちにしっかりと向き合った後は、こういった嘘やプロパガンダにオープン・マインドで取り組めます。
この「嘘」をもとにして、不満や怒りや迫害された気持ちが起きていることに気づき、データから、実際に被害にあう女性はとても多く、男性に罪を着せる女性は本当にごくわずかなのだということを頭でも心からも理解します。
また、「男性は家族の大黒柱でなくてはならない。女性より収入・学歴が高くなくてはならない」という刷り込みを無意識のうちにもっていれば、自分より収入が多い女性や自分より成績のいい女性に対して不満や憎しみをもつこともある意味当然かもしれません。
でも、これは社会でつくりだされたまやかしで、事実ではなく、私たちが望む未来や社会にむけて、新しいノーム(風潮)をつくりだすことが可能です。

これには、男性や女性がどうあるべきか、といった一見無害な日常のことの中に潜む、深く根付いている誤解や慣習、こびりついたステレオ・タイプ等を日に当ててみて、これらの誤解や有害でつくられたステレオ・タイプを壊していくことが欠かせません。
この過程には、グループでの信頼関係を築き、男子・男性たちが安心して自分の意見が言え、自分の弱みを見せることができ、有害な思い込みや誤解・慣習を一緒に見つけ、一緒に乗り越えていけるファシリテーターが必須です。

この男子・男性たちの変化は、グループ・ワークに参加しなかった周りの女子・女性にポジティヴな影響を与えているそうです。

このプログラムの中には、男子・男性のメンタル・ヘルス、社会的な疎外・孤独、ウェルネスを個人であつかうのではなく、みんなで一緒に取り組もうとしています。
ここでは、「助けを求めて大丈夫だよ」というメッセージがあります
男子・男性たちの間では、「助けを求めること=男性性やコントロールを失うように感じる→ 助けを求められない」というのはよくあることだそうです。
これは、子供の頃からたたきこまれている風潮で、「男性」というグループに入るための入学資格のようだそうです。
この社会的に構築された風潮を壊し、男性同士の間で、「心配事や困ったことがあれば、一緒に話そうよ。仕事の後にパブでビールでも飲みながら」ができるのはとても大事です。

「暴力の予防」の前に、男性性への理想像や期待が、どのように自分たち(=男子・男性たち)にプレッシャーを感じさせ、言動を制限しているかを理解しなければなりません

このプロセスの後に、自分たちが望む新たなノーム(風潮)をつくっていきます。
ここでは、助けを求めることができたら、お互いに褒めあうことも挙げています。

いくつかの試みの中では、参加した後に、5人の男友達をパブに招いて、自分が学んだことについて話し合う、というのもありました。
これは、簡単なことではありません。
何人かの友達は、あなたをからかうかもしれないし、女子・女性への暴力について話すと、俺には関係ない(自分は絶対に加害者にならないから、関係ない)というひともいるでしょう。
でも、話すことによって、考えるきっかけとなり、また男性同士で話しているときに、女性蔑視や女性差別、女性への暴力を気軽に口にするひとについて、みんなでストップをかけたり、と暴力が起こらない風潮・土壌をつくる助けとなります。

学校の先生たちのサポートとしては、「armour of masculinity (男性性のよろい・防御手段)があり、男子たちの間でのネガティヴな言動へと導く構造的な要因をよく理解するためのフレームワークを提供し、この不必要で有害にもなる男性性の鎧を捨て去ることをサポートする資料もあります。
ここでも、大事なのは、先生が生徒を一方的に「修正」するのではなく、生徒たちが自分の気持ちを安心して感じることができ、考えをひろげて、自分の言動のもとになっている世間からの刷り込みに気づき、それを捨て去り、誰にとってもポジティヴなノームをつくっていくことです。

はっきりとチャレンジすることが難しい環境であれば、「これ、なんだかおかしいよね。。。」という一言でも、周りの人がいったん立ち止まって、考える機会となります。
これは、男性・女性に関わらず、とても大切なことです。
女子・女性への暴力をつくりだしている土壌を変えていく努力は、社会の一員である私たちみんなが毎日、根気強く取り組んでいく必要があります。
女子・女性への暴力がない社会は、男子・男性にとってもよい社会です。

Yoko Marta