誰のためのセキュリティーなのか?誰が除外されているのか?除外された人々に何が起こっているのか?②/2

Yoko Marta
01.05.25 02:38 PM - Comment(s)

誰のためのセキュリティーなのか?誰が除外されているのか?除外された人々に何が起こっているのか?②/2

英語でのSecurity(セキュリティー)とSafety(セーフティー)は概念が違うことばですが、日本語では、どちらも「安全」と翻訳されます。

現在、中国からの軍事脅威が声高に語られるときに使われるのは、Security(セキュリティー)です。
セキュリティーは国家間の紛争のようなものを指しますが、セーフティーはコミュニティーからくる安心感のようなものです。
セキュリティーというフレーミングで語られるとき、それは、一部のグループの人々の犠牲の上に、特権のある人々が得ているものだと気づくことは重要です。
これは気候危機を語るときの、「Border security/国境セキュリティー」「Food security/食料セキュリティー」「Water security/水のセキュリティー」「Energy security/エネルギーのセキュリティー」にも当てはまります。
上記についての記事は、ここより。

カナダ人ジャーナリストDan Ming(ダン・ミン)さんは、Al Jazeeraのインタヴューや、ドキュメンタリーで、グアムや沖縄のアメリカ軍基地について話しています。

沖縄の一部のアメリカ軍は、グアムへ移動しはじめましたが、グアムでは普通の市民たちに影響がおきています。
もともとグアムのビーチに自宅やビーチハットがあり、ほかの多くの市民のように観光業を生業としていたの地元の男性は、突然、自宅のすぐ近くにアメリカ軍の射撃場が設置されることになり、新しい兵器の実験をすることも含まれていて、自宅が含まれる地域全体が危険になることもあるので、(アメリカ軍からの)急な知らせで、自宅から避難する必要があることも予告されています。
かつ射撃場がすぐ近くにあり銃の音が始終鳴り響き、流れ弾で撃たれる可能性がある場所に観光客がくるとは思えません。
この状況に対して、賠償が出るわけでもないようです。

グアムはアメリカ領ですが、アメリカ大統領に投票する権利もなければ、島の人々が大きな影響を受ける軍隊の設置の有無や、どこに設置するか等の決定には、なにも言う権利がありません。
さまざまなシンクタンクが、中国との軍事的な衝突が起こった際のシミレーションを行っていますが、どのシミレーションでも、真っ先に攻撃されるのは、グアムだと予測されています
これは、アメリカ軍の大きな存在と、戦略的な場所によります。
第二次世界大戦時の沖縄の立ち位置とも似ています。
沖縄は、日本という国のうちで、唯一、地上戦となり、多くの市民を含む死者を出した地域です。

このグアムの男性は「セキュリティーのためっていうけど、誰のためのセキュリティー?」とドキュメンタリーで問いかけます。

この男性やグアムの多くの市民にとっては、新たなアメリカ軍の移転は、危険が増えただけです。

沖縄とグアムの状況には、多くの共通点があります。

グアムも沖縄も、本土から遠く離れている場所で、本土の植民地だった場所です。
人種や民族の面からも、本土から差別を受けてきた歴史があります。

グアムの原住民たち(有色人種)は、スペインに侵略を受け、長い間スペインの植民地として搾取されてきましたが、スペインとアメリカの戦争でアメリカが勝ち、19世紀終わりにはアメリカの植民地となったあと、第二次世界大戦では日本軍に占領され、ひどい扱いを受けたそうです。
その後、再びアメリカ領となり、植民地ではなくなったものの、実質は、植民地時代と変わっていない(軍用施設を設置するかどうかの決定にも関与できず、大統領への投票権利もない)、とする声もあります。
グアムは2022年時点で、約3分の1の土地がアメリカ軍によって使われ、国内総生産の41パーセントは軍事に関することからきているそうです。
アメリカ軍に関与した職についている人も多いとはいえ、本土からやってくるアメリカ軍人のための家の確保のために、原住民の人々が住んでいた地域から追い出されたり、家の価格や家賃が大きくあがり、住めなくなり、引っ越さざるをえない人々もいたそうです。
この状況の上に、さらに沖縄からアメリカ軍が移転してくることで、原住民の人々の聖地である場所も、軍事施設が新設されることになり、ほぼアクセスできなくなるといわれています。
実際に地元の人々の生活や命にも大きく影響することなのにもかかわらず、グアムの人々にはなんの決定権もありません。

沖縄は、もともと琉球王国として栄えていた国だったのに、17世紀はじめには薩摩藩からの絶え間ない攻撃によって、薩摩藩の支配下に置かれ、19世紀終わりには日本の軍隊により占領され、日本の一部とさせられます。

ダンさんが沖縄を訪れた時も、車で島をまわっていると、普通の市民が暮らしている地域に5~10分ごとにアメリカ軍基地がある状況で、演習中の戦闘機が民間地域に落ちて市民が亡くなったり、暴力・性的暴行などが起こっていることを除いたとしても、とても市民が安全に住める場所とは思えない、としていました。
日本にあるアメリカ軍の7割が沖縄という小さな地域に集中しているのは、グアムと同じで、「本土にいるひとびとの(想像された)脅威からのセキュリティーのために犠牲にしていい場所・ひとびと」という構造が透けてみえます
統計によって多少違いはあるものの、この統計では、アメリカ軍人が在留している最大の場所は日本(5万人以上)→ドイツ(3万5千人程度) → 韓国(2万4千人近く)→ イタリア → イギリス → グアムとなっています。
日本はドイツやイギリスより人口が多いとはいえ、沖縄にアメリカ軍の大きなかたまりがある状況は、戦争や紛争の際には、沖縄が真っ先に攻撃される場所となる可能性を大きく高めています。
日常の危険性だけでなく、有事の際に多くの市民の命の危険があることについて、多くの人々が気づいている、あるいは、気にかけているようにはみえません。
これは、グアムでの人々の危険について、アメリカ本土の人々が気にかけていないこととも似ています。

アメリカ本土は、西ヨーロッパからやってきた白人・キリスト教徒が原住民(有色人種)の人々を残虐に殺害・土地や資源を奪い、白人至上主義のイデオロギーのもとにアメリカという国をつくり、白人を「神からの指令により、荒野を勤勉な働きで、素晴らしい土地に変えた開拓者で英雄(もともといた人々を殺して土地を奪ったことは省略して話さない、なぜなら有色人種を「ひと」として、みなしていないから。はじまりは白人たちがやってきたところから)」というナラティヴを文学や映画・教育等、さまざまなツールを通して、意識的・無意識的にグアムの原住民の人々を下級市民としてみていることも大きく影響していると思われます。

前回いったように、「中国の(軍事的な)脅威」という、実際には存在しない、想像された脅威をあおり、誰もが軍事拡大を続けることは、結果的に誰ものセキュリティーを危うくするにも関わらず、「セキュリティー」ということば・フレーミングが使われます。
この「セキュリティー」というフレーミングの中で、誰のセキュリティーで、誰がここから除外され(例/グアムや沖縄の市民)、除外された人々がどう影響されているのか(日常の危険性、有事の際に真っ先に攻撃される場所で多くの市民が死傷)を、考えることは大切です。

また、「軍事力の拡大」は安全をもたらさないことが圧倒的に多く、多くのひとびと、特に弱い立場におかれているひとびとや地域には、逆に危険をもたらすことは歴史上からも明らかです。
アメリカのような世界一の軍事大国でも、ベトナム戦争でも撤退するしかなく、イラクやアフガニスタンへの違法侵攻でも、結局は撤退するしかなかったことは、軍事力では何も解決できないことをよく表しています。
また、ベトナムやイラク、アフガニスタンといった地域で、数えきれないほどの無実の子供たちや市民たちを殺し、ベトナムではベトナム戦争(1955年~1975年)が終わった年から50年たっている現在でも、不発弾や地雷でひとびとが死んだり、土地や水の汚染で奇形児が生まれたりすることは続いています。
イラクやアフガニスタンでは、アメリカ兵やイギリス兵、アメリカが雇った傭兵集団が無実の市民に対して戦争犯罪を行い、殺したり拷問にかけたことはよく知られていますが、ほぼ誰も責任を取っていません。
BBC(イギリスの国営放送)制作で、アメリカ兵士やイギリス兵士、当時イラクに住んでいた人々などにインタヴューしたドキュメンタリーがありましたが、兵士たちは誰一人現地語も文化も慣習もわからず(知ろうとする気もない)、英語とアラビア語で「立入り禁止。この先に入ったら射殺します」という看板を掲げていても、識字率が低いために、無実の市民たちがこの文字を読めずに車で通過するのを、無実の市民であろうと知っていながら射殺を何度も行った話もありました。
現地の文化や慣習を知っていれば、車で通過する市民にアラビア語で説明する仕組みを作る必要があったことが簡単に理解できたはずですが、そんなことは全く考慮にいれられず、市民たちの命は価値がないものと扱われていたことが痛いほど伝わってきました。
勝手にほかのひとびとの土地に侵略しているので、抵抗や反撃が起こるのは当然ですが、反撃が起これば、その村中を鉄条網で囲って誰も出られないようにし(集団的な懲罰で戦争犯罪)、家々をまわって荒らして恐怖をうえつけ、若い男性たちを拷問にかけたり、とアメリカ兵士やイギリス兵士の恐怖や怒りからの行動が抑制されておらず、その行動に対しても、自分たちの仲間のアメリカ兵士やイギリス兵士を襲ったりしたのだから当然、といった態度(しかも絶対に自分たちは戦争犯罪で罰せられることがないことも知っている)は、印象に残りました。
それに対して、イラクの市民たちは、中東地域内では比較的安定していた地域であったにも関わらず、アメリカとイギリスの侵略後の混乱で、命を失いかけてカナダやフランスに亡命せざるをえなかったり、と、サダム政権と対立して多くが殺された部族の人々ですら。イラク侵略前のほうがずっと安全で、良かったと述べていました。
地上戦が起こると、上記のようなことが起こるのは、これまでの歴史からも明らかです。

「国」という概念ができたのは、人類の歴史からいうと、とても短い間で、ひとびとの命の価値は、どこにそのひとたちが住んでいようと、みんな同等で貴重なものです。
国を守るために、誰かの命を犠牲にしてもいい、といった考えは、危険です。
「国」は歴史の中でも新しく考え出された概念で、植民地主義とも強く結びついているものです。
現在の多くの国々は、西ヨーロッパが植民地化にのりだし、地球上のあらゆる地域に侵略し、原住民たちを殺したり奴隷化し、資源や土地を奪い、植民地支配を行った国々の間で争い、自分たちの都合の良いように国境線を引いたことがもとになっています。
国家がほろびてもひとびとは生きられます。
一人一人の命は国家という概念よりも、ずっと大切です。

大国の覇権を保つための戦争や、大企業のプロフィットを増やすための戦争に対して国民の税金が使われるよりも、それぞれの地域の福祉や教育、外交に努力を惜しみなくつかい、地球上のすべてのひとの権利や自由、命が対等に大切なものとして、協力してやっていくことに力をつかったほうが、ずっといいはずだし、それを求める人々は、地球上にたくさん存在します。

※アメリカ軍の沖縄からグアムへの移転費用は、ダンさんによれば 8ビリオン・アメリカドルで、日本政府は約3ビリオン・アメリカンドルを負担したそうです。
そもそも、日本に多くのアメリカ軍の駐屯が必要なのか、といった根本的な議論も行われるべきでしょう。

Yoko Marta