私たちのヒューマニティーを守る
ガザ出身のジャーナリスト、Abubaker Abed (アブバカー・アベッド)さんは、虐殺が始まった2023年は、大学の最終年でした。
この状況を外(海外ーイスラエルに虐殺を止めさせることができるのはアメリカと西側諸国)に伝える必要があったことから、偶然、虐殺を実況中継するジャーナリストとなりました。
アブバカーさんは、アイルランドの大学に奨学生として受け入れられていたのですが、ガザに残ることを選択し続けました。
でも、2025年4月に、アイルランドへ渡ることを決意しました。
アメリカの独立系メディア、Dropbox site (ドロップボックス・サイト)に、この決断とその道のりが書かれている記事があります。
ちなみに、「ドロップサイト」という英語は、内部密告者などが安全にジャーナリストに情報を落とすことができる場所を指しているそうです。
アブバカーさんがガザを去る決意をしたのは、お母さんの、アブバカーさんがこのままガザに残れば、(アブバカーさんは、ジャーナリストとして表にでていたので、イスラエルの殺人標的となっていた)ほかの兄弟たちが(イスラエルから)危害を受ける可能性があるので、アブバカーさんはガザから出るべきだ、という言葉だったそうです。
アブバカーさんも、その当時は、とてもショックで傷ついたそうですが、あとから思うと、ガザに残ればアブバカーさんが確実に殺されることを知っていたお母さんが、アブバカーさんにガザを離れさせるよう、意図的に言った言葉ではないかとも思っているそうです。
わたしも含めて、多くのひとがお母さんの立場にたてば、そうしたのでは、と思います。
アブバカーさんの親友は2023年に殺され、叔母の家族全員は消されました。
アブバカーさんのほかの親戚も20人ほどが爆撃で既に殺されました。
アブバカーさんは、イギリス議会で、今週の火曜日(2025年7月15日)に、とても力強いスピーチを行いました。
ここから、その映像を見ることができます。
アブバカーさんのスピーチを理解するためには、その背景を知っておくことが大切です。
アブバカーさんは、免疫不全の病気があり、深刻なレヴェルの包囲がはじまり、水や食料も入ってこなくなってから、栄養失調だけでなく、身体中のさまざまな痛みに悩まされますが、それでも報道することをやめませんでした。
イスラエルの国際法違反の包囲(イスラエルの許可なしでは、何もガザに入ってこないー水や食料や医薬品も含めて)は2006年にはじまり、アブバカーさんは、当時4歳でした。
包囲は、虐殺期間にさらにひどくなったものの、食料や水、燃料といった生きるために最低限必要なものがイスラエルによってブロックされることは、アブバカーさんが生きている間、ずっと起こっていることです。
赤ちゃんのための粉ミルクも許可されず、飢餓で死んでいく赤ちゃんも既に多く存在します。
今回の虐殺期間だけでなく、2023年10月以前も、海外からの医師が粉ミルクをもってガザに入ろうとすると、イスラエル兵に取り上げられることはよく起こっていたそうです。
イスラエルでは、虐殺が起こっていることがこれほど明らかな状態でも、8割近いイスラエルのユダヤ人市民は、包囲を続け、人工的な飢餓を起こすことに賛成しているそうです。
イスラエル兵が戦争犯罪を行い、それを自慢目的でソーシャルメディアにアップロードすることは続いていますが、イスラエルは男女ともに兵役が義務の国であり、兵役が終わった後も兵士としていつでも呼び出しがかけられる状態で、兵士から成る国であることは覚えておく必要があります。
イスラエルが虐殺・戦争犯罪を行っていることは、イスラエル市民はよく知っており、多くの人々が実際に直接兵士として虐殺に関わっているか、直接関わっている人々が家族や友人や同僚なので、ガザやウエストバンクで何が起こっているかを知らないということはありえません。
ガザから出るには、イスラエル政府の許可が必要で、アブバカーさんは、アイルランドに行く2025年4月まで、ガザという狭い地域(長さは50キロ程度で、幅は5~8キロ)を一度も出たことがありませんでした。
これは、多くのガザのひとびとにもあてはまります。
だから、ガザはopen air prison(オープン・エア・プリゾン/野外の監獄)とよばれています。
パレスチナ地域のウエストバンク・エルサレムは、ガザと同様にパレスチナ領域と国際法で定められているものの、イスラエルの違法占拠により、ガザに生まれれば、イスラエルの許可がおりないと、ウエストバンクやエルサレムにすら行くことはできません。
ガザ出身のジャーナリスト、Muhammad Shehada(ムハマッド・シェハーダ)さんの経験でも、ガザから外に出るためには、イスラエル政府の許可が必要で、公式文書に記載されていない条件として、「家族がイスラエルに殺されたかどうか/住んでいる場所がイスラエルに壊されたかどうか」などがあり、これにあてはまると、「復讐する誘因・動機がある」とみなされて、許可はおりないそうです。
もちろん、ガザでは、多くの人々が、イスラエル兵に家族を殺され、住んでいる場所がイスラエルによって破壊されているので、ガザを出ることはとても難しいこととなります。
ガザに一時期あった空港は、イスラエルによって破壊され、港もイスラエルによって占領され、奨学生としてアメリカやヨーロッパに留学する資格ができても、ガザを出る許可がイスラエルからおりず、留学できなかったひとびとの話も聞いたことがあります。
最近では、パレスチナ人が海に行くことすらイスラエルによって禁止され、海に行くパレスチナ人はイスラエル兵が射殺すると、イスラエルによって広報されています。
ガザの海は、国際法でも、パレスチナ人に属しています。
それでも、西側諸国からの批判は、ほぼ聞かれません。
現在、ガザの虐殺をなんとか生きのびている人々は、テントや路上で暮らすことをしいられていて、気温(45度をこえることもある)・湿度が高い現在のガザでは、テントの中はとても暑くひとが暮らせるような状態ではなく、海に足をつけたり、海に行くことは、虐殺が続く中でも、ひとびとに少し息をつける時間をくれるものでした。
また、食べ物がほぼ入ってこない状態が3か月以上続いていることに加えて、農地や水の貯蔵施設なども徹底的に破壊されたため、自分たちで食物を育てることもできないため、魚を捕ることは、唯一のたんぱく源でした。
多くの漁師たち(当然、普通の市民で武器なんてもってない)が、イスラエル兵に狙撃されても、それでも海に出ていたものの、これももう無理になりました。
アブバカーさんは、イスラエルは、パレスチナ人が少しでも楽しみを感じることが許せないのを(パレスチナ人たちは)誰もが知っていて、これ(イスラエルはパレスチナ人の誰もをみじめに思わせたい)に反抗する意志をパレスチナ人は、いつも見出すと語っています。
ガザは、大量殺人ゾーンだけれども、アブバカーさんはスマイルを放棄することを拒み、それは、静かな「抵抗」だとしています。
イスラエルは建国時に、パレスチナ人の虐殺とエスニック・クレンジングを行ったあとも、パレスチナ人に対する大量殺人やエスニック・クレンジングを70年以上にわたり続けています。
パレスチナ人のお葬式などでは、西側諸国のように悲しい顔を見せないことが多いことを、西側の主要メディアでは、「アラブは野蛮で、文明化された西側諸国のように、命を大切にするということをしない」といったナラティヴで切り取りますが、イスラエルに残忍な喜びを与えないために抵抗の意志として悲しい顔をしない、という一面もあります。
また、70年以上にわたって続くエスニック・クレンジングと大量殺人が終わった後でしか、Grief(グリーフ/悲痛)に向き合うことができないのは、明らかです。
この「非白人は命を大切にしない」という偽の神話は、「非白人の命の価値はゼロかそれ以下だから、殺そうと、残虐に扱ってもかまわない」という「製造された合意」をつくりだしていることには注意しておく必要があります。
ガザでは、2023年10月7日以降、クラスルーム一つ分(約30人)の子供たちが毎日殺され、その数倍の子供たちが、毎日深刻な負傷(手足の切断が必要なものなど)を受けています。
それでも、西側諸国の政府は、「イスラエルには自衛権がある」を繰り返し、市民たちが多くのデモンストレーションやマーチを行っていても、イスラエルへの武器供給や、イスラエルの軍事高官を招いたりすることをやめません。
アブバカーさんの、イギリス議会でのスピーチは、ざっというと以下です。
あなたたち(イギリス議会の議員たち)が、ここに出席していることには、大きな意味があります。
私は、私の家族が無事かどうかを知ることなしに、ここに来ました。
わたしとは違い、あなたたちは、自分の家族が安全で快適な場所である家を出て、ここにやってきました。
ここ(イギリス議会)に立っていることは、本当に、理解することが難しく、とても耐えがたいことでもあります。
ここは、私のひとびと(=パレスチナ人全体)の苦難、私の家族の苦難、私の苦難が一世紀前に宣言された場所(※1)です。
そして、悲劇的に、これは恒久的なものとなりました。
それ以来、私の故郷は盗まれました。
私の祖父母は、彼らの故郷から追い出されました。
私の家族や友達は、イスラエルによって、組織的に殺されました。
去年(虐殺が始まって以来)、そしてそれまでのすべて(イスラエル建国までと建国後からずっと続くエスニック・クレンジングと虐殺)は、この政府(イギリス政府)の後援によるものでした。
私は、安全や助けを求めて、無力な両親を探して、小さな自分のベッドの下に隠れつづけてきました。
なんの救済もなく。
私たちは、いつも賞味期限の切れている缶詰食品にたよってきました。
ただ、生きるためだけに。
私たちは、とても狭いひとつの部屋にかたまって眠っていました。
一方的な悲しみを避けるために。(=生きるときも死ぬ時もみんな一緒)
何度も、私たちは爆弾から2,3メートル離れているという状況を経験しました。
でも、どうにかして、私たちは生き残りました。
私は、(年齢では22歳だけれど)、本当に22歳ではありません。
なぜなら、あなたたちが誰かを、彼は20歳だというとき、この「彼」は(普通の生活)を生きてきています。
私は、そうではありません。
私が生まれたとき、私は絶え間のない恐怖へと投げ込まれました。
今現在まで、私はそれ(絶え間のない恐怖)から、回復していません。
イスラエルが、電力、水や食料を(ガザにいれるのを)禁止したのは、虐殺が始まって以来だけではありません。
イスラエルは、過去21か月間だけ、私たちを飢餓に陥れているわけではありません。
イスラエルは、2006年以来、私たちに、広範囲で包括的な包囲を課しています。
それは、私がまだ4歳のときでした。
私は、おそらく間違った場所に立っています。
もし、この決定(※1)が議会を通過しなければ、私が、ここにきてあなたたちに話す必要はなかったでしょう。
私は、あなたたちのように、自分の人生を自由に生きていたでしょう。
パレスチナ人たちは、抵抗するでしょう。
私たちは、(虐殺が終わり、イスラエルの占領が終わるまで)抵抗し続けるでしょう。
私は知っています。
私たちの若いひと、年を取ったひと、そしてパレスチナ人全員。
私たちが、種子だとすれば、
私たちは、成長し、花を咲かせるでしょう。
あなたたち(イギリス議会、イギリスのひとびと)は、これらのバラ(=パレスチナ人たち)の水になることができます。
ガザは、急速な希望です。
でも、それはまだ、かすかな希望の光がちかちかとしている状態です。
これは、あなたたちがここにいることの反映でもあります。
ここにいる一人一人のひとへの私のよびかけは、私たちは私たちのヒューマニティーを守らなくてはなりません。
そして、私たちはみんな、この過去の21か月間果たせなかったヒューマニティーの代理人です。
私たち(パレスチナ人たち全員)は、生きるに値します。
私たちは、自分自身、人間であることに値します。
最後に、私は言いたいと思います。
私たち(パレスチナ人たち)は、完璧でもなければ、紳士的・穏やかな犠牲者でもありません。(※2)
議会で話したあとのインタヴューでは、以下のように語っていました。
「虐殺」ということばを使うことを否定しているひとたちが、「虐殺」ということばを使うには、何人のガザのパレスチナ人が殺されるべきなのでしょう?
虐殺を行うために破壊する何がガザに残っているのでしょう?
ただここにいて、(イギリス議会の)議員たちに話していることで、私は、自分の役割を果たそうとしています。
私は、私のひとびと(=パレスチナ人全員)を助けるため、世界の前で彼らの声になるために、どんな方法でも関わろうとしています。
私は、この政府と、政治家たちがこのメッセージを受け取り、拡散し、このメッセージをどこにでももっていくことを望んでいます。
特に、政府に対して、イスラエルへの兵器の販売をやめること、兵器を輸出することをやめること、隠れて飛行機を送ること(イギリスの諜報機関が偵察機を毎日ガザに飛ばして、イスラエルにインテリジェンスを提供していることを指している)をやめる、イスラエルが(パレスチナ人を)大量殺人・大量の(人工的な)飢餓を続けることをやめることについて、プレッシャーをかけることについて。
ここにいる人々と、ヨーロッパの人々に対する私のメッセージは、これ(虐殺と虐殺を助けていること)をストップさせるのは、あなたたちの役割です。
あなたの役割は、あなたの政府が、あなたの代理としてこの虐殺の共犯者となっていることをやめさせることです。
私たちは、この厄介で侵入的な、資本主義、帝国主義、植民地主義の暗闇が侵食する世界に生きています。
ガザは、ただの導入部であり、私たちが、まさに今、(経験して)みている、資本主義、帝国主義、植民地主義を終わらせるよう要求することを、リクエストされました。
私のひとびとは、自由になる必要があります。
痛みとホロコースト(イスラエルによるパレスチナ人虐殺)は終わらなければなりません。
それが、私であることの、私の最初の目的・意図です。
だからこそ、私はパレスチナ人に生まれました。
パレスチナ人に生まれたということは、当然、大きな代償をともないます。
私は、ただ、私のひとびとが平和に生きていけることを確保するために、私の力が及ぶ限り、すべてを犠牲にしてもいいと思っています。
たとえ、それが私の命(を失うということ)だったとしても。
彼ら(ガザのひとびと)は、この虐殺の間ずっとイスラエルによって負わされた恐怖のあとに、息をするつかの間の時間がもてるでしょう。
(※1) バルフォー宣言を指していて、イギリス議会が、一方的にパレスチナ地域にユダヤ人のみの国家をつくると約束。パレスチナ地域に、ヨーロッパからのユダヤ人が大量に短い期間で入植することをイギリスが助けた。同時に、ユダヤ人民兵組織を、イギリスの植民地警察のもとに組み入れ、パレスチナ人への拷問や殺人、パレスチナ人の村全体の男性をさらって監禁して、水や食料を与えず多くを殺したり、見せしめのために村全部の家々を破壊したりすることを一緒に行い、これらの手口は現在もイスラエルによって使われています。
(※2)ウエストバンク出身のパレスチナ人作家Mohammed El-Kurd (モハメッド・エル=クルド)さんが、著書の「Perfect Victims: And the Politics of Appeal/完璧な被害者ː そしてアピールの政治学」で鋭く指摘していますが、パレスチナ人に対する非人間化はとても深刻で、虐殺やエスニック・クレンジングの被害者であるにも関わらず、被害者として認定されるためには、「完璧な被害者(=どんなにひどい暴力をイスラエル兵から受けても、決して怒りを見せず抵抗せず、非暴力で、穏やかに話し、イスラエルやユダヤ人のことを悪く言ったりしない)」でなければならないというヴィクティム・ブレーミングについてです。
モハメッドさんは、これは、性暴力の被害者にむけられるヴィクティム・ブレーミングの構造と同じであるとしています。(加害者が100パーセント悪いにも関わらず、被害者の服装や行動が責められる。)
完璧なひとなんて、どこにも存在しないし、たとえ、たまに嘘をついたり、社会的な規範から少しはみでることがあったとしても、誰かを虐殺、エスニック・クレンジングする権利は、誰にもありません。
西側社会・イスラエルは、パレスチナ人に対して、黙って殺されるか、(歴史的パレスチナ地域を去って)海外にいくか(=ほとんどの場合、近隣の国で難民として難民キャンプで人生を終える)、の2択しか許しませんが、国際法でも、パレスチナ人は祖先の地に帰る権利があり、違法占領しているイスラエルに対して、どんな方法でも抵抗すること(武力を使うことも含む)は合法であることは、国際法に明記されています。
パレスチナ人が、イスラエルによって殺され続けている現状を理解しない西側諸国のひとびとは、往々にして、「(パレスチナ人が)抵抗するとしても非暴力でなければならない/お互いが話し合えば絶対に解決する」と主張しますが、パレスチナ人は、長い間、非暴力のマーチなどの抵抗を続けています。
でも、それに対して、イスラエルは、ひとびとが武器をもっていない(反撃されて自分たちが負傷することはないと確信できる)ことで、話し合いになるのではなく、さらに残虐な殺人を行います。
2018年の「March of Return」では、誰も武器をもっていなかったにも関わらず、イスラエル兵士たちは、「いくつの膝を狙撃することができるか」というゲームにして、多くのパレスチナ人を殺害、深刻な負傷をさせましたが、西側諸国は、イスラエルに対する批判を行いませんでした。
また、20世紀終わりに、パレスチナ解放機構が武力解除を約束し去った後、レバノン難民キャンプにいるパレスチナ人の誰もが丸腰であることを知っているイスラエルが、1日と数時間で3000人ほどのパレスチナ市民を虐殺した過去も、覚えておく必要があります。
なぜなら、相手に武力がないと分かると、躊躇なく、一気に攻撃・殺傷するのがイスラエルのパターンだからです。
イスラエルは、既に、占領しているパレスチナ地域から完全撤退するよう、国際司法からも命令されていますが、国際司法機関には警察機関はないため、国際社会(地球上の国々の政府)が、イスラエルが法律を守るようプレッシャーをかけ続ける義務があります。
カナダ生まれ・育ちのパレスチナ人弁護士で、イスラエル在住のDiana Bhutto(ディアナ・ブットー)さんは、イスラエルのかなりの地域は、緩衝地帯として住居とはなっていないし、多くの中流階級のヨーロピアン系白人ユダヤ人は二重・三重国籍をもっていて、今回の虐殺前・虐殺中に、ヨーロッパやアメリカに移住した人々も多く、1947年にナクバで暴力・殺人によって追い出されたパレスチナ人たちが、元の場所に戻ることは十分可能なのでは、としていたことも思い出されます。
これは、国際法で認められていることでもあります。
誰であろうと、どこにいようと、誰にでも生まれながらの、ひととして生きるライツがあり、ひととして、誰もの命が同等に尊いものです。
現在のヒューマニティーのヒエラルキーは、資本主義、帝国主義、植民地主義からきていて、この構造的な問題を扱うと同時に、地球上に住む私たち、とくに元植民地宗主国である西側諸国(日本も含めて)は、ひとりひとりの意識を変える必要があります。
ヨーロピアン系白人・ヨーロピアン系白人を祖先とする人々がヒューマニティーの上位で、非白人は下、という意識だけでなく、男性が女性よりも上位、大人は子どもよりも上位、といったヒエラルキーも含めて、変わる必要があり、誰もの命の価値もライツも同じだと頭でも心でも信じていて、それが行動や、社会の風潮・規範、メディア、文学や映画などのアート、法律や経済・社会の構造にも反映される必要があります。
二度と虐殺を起こさない世界とするために。