コミュニケーション

12.04.21 04:18 PM

ソフトな伝え方でも意図は明確にーヨーロッパでのコミュニケーション

 「ヨーロッパの人々は、はっきりとものを言いすぎる」ということを、日系企業に勤めている方々から聞くことがあります。逆に、日本語を話すヨーロピアンの方々から、日系企業で働く際に、日本のhigh contextual culture(高度な文脈文化)はコミュニケーションを難しくさせると聞くこともあります。ヨーロッパでは、大人であるということは言語能力も十分に発達し、精神的にも成熟しているので、明確に自分の行動や考えを説明し、かつ相手のことも良く聞き、質問が必要であれば質問しお互いに可能な限り理解を深めて、お互いが少しずつ譲歩しお互いの納得できる解決方法を探ります。意図や内容を曖昧にして言語化せず、態度で察してほしいというのは、言語能力の発達していない子供には許容されても、大人としては未成熟な行動として尊敬されません。神様ではなく人間なので、「言わなければ分からないのは当然」という前提です。それと同時に、意図と内容を明確にしつつ、相手の立場や状況を慮って柔らかく言う表現が非常にたくさん存在します。特にラテン語起源の言語(イタリア語、スペイン語、フランス語等)だと、多くのグレイカラーのグラデーション(白に近い灰色から黒に近い灰色)のように、迷いもない断言から非常にソフトで優しい言い方までさまざまな助動詞等を使っての表現が可能です。日本語の場合、「必要ありません」ということを相手のことを慮った形で言いたい場合は、「お気持ちだけいただきます」や「お気遣いいただいてありがとうございます」等、別の言い方がないわけではないですが、これでは必要ないのか遠慮をしていて実際は違うのか、明確な意図を判断するのは難しいと言わざるのではないでしょうか。直接的な表現に聞こえてしまうのは、ヨーロッパの人々が他の人々の気持ちを察したり慮るということがないわけではなく、言語(意図と内容を明確にしつつ柔らかくいうことを可能とする表現がたくさん存在するヨーロピアン言語)とコミュニケーションの取り方(お互いにとって一番良い場所で折り合うために言語化してよく話し合う)の違いかもしれません。ただ、お互いにとって一番良い場所で折り合おうとするのは、お互いが平等であるという前提に立っています。日本を含めたアジア全般でハイラルキーの強い社会(男性優位、強い階級制)で育った場合は、無意識に自分と相手の職位や社会的地位の上下を探り、相手が自分より低い・弱い立場にいると判断した場合、相手に対して自分のいうことに100パーセント従って当然というexpectation(期待・予測)が無意識に生じ、コミュニケーションの基本の「お互いに理解しようと最大限の努力をし、歩み寄って一番良いところで折り合おう」ということを難しくさせている場合もあるかもしれません。誰にでも考え方のバイアスはありますが、一歩下がってコミュニケーションの意図を考えたときに、お互いが平等であることを認めると、お互いを生かし、誰にとっても風通しのよい場所となるのではないでしょうか。