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意図と手段の関係性

Yoko Marta
20.04.21 04:12 PM Comment(s)

意図

 日本での英語教育、雇用型の変更(メンバーシップ型かジョブ型)等の論議を聞くたびに、いつも疑問に思うのは、「意図」はどこにあるのかという点です。

 英語については前回記載しましたが、英語の土台となっている部分が日本語とは大きく違うために、習得するのに時間がかかる、難しいと感じるのは当然だと思います。ただ、TOEICやTOEFLの得点がとても高いのに英語でのコミュニケーションがほぼ不可能、というケースは日本で育った方々に圧倒的に多く見てきました。私自身、ヨーロッパ大陸と日本でのリクルートメントに携わってきましたが、TOEICとTOEFLの得点は完全に無視しています。実際に英語でインタビューを行い、英語でのコミュニケーション力を判断しています。私自身もイギリスに来て1年くらいでCambridge Examを受けて合格しましたが、日本で英語教師をされていた方々数人が、軒並み同じ試験に落ちていたのに驚きました。彼らは、文法も語彙もよく知っているし、作文だって問題ありません。問題はスピーキング(コミュニケーション)でした。試験の一部のグループディスカッションでは、誰とグループになるかは選択できないので、突然さまざまな国々で育った人々と、英語で10分以上議論します。お互いに自国のフレーバーを持ち込んだ表現やアクセント、コミュニケーションのやり方を取るので、日本式の教育(受験教育)のみを受けている場合は、対応することが非常に難しいと思います。話している人々の様々なアクセントに柔軟に対応し、かつ日本語アクセントの英語に戸惑う人たちにいかに話していることを理解してもらうか、また相手に話す機会を与える、他の人々が話しているところにどう丁寧に自分の意見を切り出していけるのか、というところも重要となってきます。言語を学ぶ本来の意図は、コミュニケーションだと思うのですが、日本の英語教育では、「大学へ受かること=英語の試験で良い点を取る」という意図になり、本来のコミュニケーションから大きくかけ離れているのではないでしょうか。「コミュニケーション」に意図がある場合、さまざまなニュース番組や映画をみたり、本を読んだりボランティアで日本語を話せない人々を英語でサポートする等の行動にでるでしょう。「英語の試験でいい点を取る」に意図がある場合、前述したことはせず、ひたすら過去の問題集をこなしたり、得点を挙げるテクニックを磨く(選択方式の場合、内容が理解できなくても、絶対に違うと思われる回答を素早く割り出して当てずっぽうが当たる確率を上げる等)という行動になることは、仕方ないことでしょう。ただ、後者のやり方では、どんなに時間を費やしても英語を使ったコミュニケーションができるようになるとは思えません。

 同様に、雇用型(メンバーシップ型かジョブ型か等)の議論を聞く時も、雇用に対して特定の「型」を導入しようとする「意図」は何だろうと思います。以前このブログでも書いたように、日本では、ヨーロッパはジョブ型だと決めつけられていることが多いようですが、同じ会社内で他のプロフェッションへと異動する場合もあります。ヨーロッパでは雇用の「型」についての議論は聞きませんが、各自がどのようにキャリアを形成していきたいのか、ということと会社のビジネスの方向性とをうまく組み合わせて、企業も雇用者もお互いが最大限の力を出して成果を生み、かつ誰もがある程度ハッピーな職場を作るということに意図をおいているように見えます。ナイフが意図によっては、凶器になったり、とても便利で人々を助けるものになったりするように、大事なのはどういった「型」を導入するのかではなく、何を「意図」しているのかということではないでしょうか。「意図」がCommon Goodであり多くの人々がハッピーでかつ会社の生産性・収益もあがるというところにあれば、自ずとどういった型やプロセスになるのかは明確なのではないでしょうか。型やプロセスは、技術革新等で変わっていくでしょうが、「意図」が明確である限り柔軟に変えていくことは難しいことではないでしょう。ただし、「意図」が適切な場所にない場合、例えば経営側での適切な努力をせず、一番簡単なコストカットとして大量解雇を選択した場合であれば、どんな型やプロセスを導入したところで良い結果をだすことは難しいでしょう。

 イギリスでは、Adult Educationと呼ばれるフォーマルな教育を修了した人々向けのコースが幅広く存在します。私も、絵画コース、イタリア語、ジュエリーメイキング、アートセラピーの1年ファンデーションコース等を、仕事が終わった後の夕方に受けていました。どんなコースでも、初日に生徒と先生全員で輪になって、このコースを受ける「意図」と、どういう「成果・結果を期待しているか」を一人一人が話します。もちろん、「意図」は、ただ単にいつも挑戦してみたいと思っていて、たまたまコースの時間・場所と自分の都合が合致した、というのもあるし、既に精神科医として働いているが、アートを使ったセラピーにも興味があったので、修士コースで本格的に学ぶかどうかを決める為に実際にどういうものなのかを確認するために受講しているというケースもありました。こういった場で、ヨーロピアンは非常に明確に「意図」を述べます。常に自分の考えを明確に言語化して相手に伝えることが要求される文化で育ったところが大きいと思いますが、これは誰でも習得することは可能だと思います。まず、自分の言動の「意図」を常にきちんと考える習慣をつけることと、他の人たちの言動の「意図」は何かを一歩下がって考える、或いは聞いてみることで、自分にとっても周囲の人々にとっても、ハッピーな環境へと変えていけるのではないでしょうか。

Yoko Marta